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じっちゃんの答え


「どうした、今日はのんびりするのかと思ったぞ?」

 文机について書き物をしていたじっちゃんが顔を上げる。機嫌は良さそうだ。

「お代師さま、信也さまについて教えて下さい」

 殆ど土下座姿勢の僕の耳に、取り落とされたペンの音が聞こえた。身じろぎをして僕のほうに向き直ったようだ。


「私からもおまえに頼みがある。信也のことで」

 ゆっくり顔を上げると、正座同士で斜めに向き合う形になった。あぐらでないところを見ると、僕を殆ど同格者として扱っていることになる。

 じっちゃんが小さく頷いて僕の話を促した。


「信也さまは私の気を読まれます」と前置きして、これまでの女子のカバン事件、体操服の件、そして今日の終業式の件について報告し、

「私が怒ったり、傷ついたりするのが、離れていても見えるみたいです」

 と締めくくった。


 何のコメントも返ってこなかった。思い余って声を上げた。お社用(やしろよう)の丁寧語も使えなかった。

「父さんとじっちゃん以外に、僕をこんなに読む人はいない。初めて呪文唱える僕を見て、怖がりもせず遮っておいて、相手には呪いだと脅して自分は何ともないなんて。僕の力は全然効かない。敵わないんです。あの音楽性、舞、表現力、どれひとつとっても、僕を凌ぐ……。僕たち、似てますか? 遠い親戚って何ですか? もしかして、仲間なんですか? もし仲間じゃなかったら、僕は信也が怖い……」


 じっちゃんは阿弥陀如来のような笑顔を浮かべた。

「信也には私は遠い親戚のジジイだと言ってある。だからおまえとも遠い親戚だと言ったのだろう」


「信也さまは誰ですか? 僕の何なんですか?」

 じっちゃんが僕を真っ直ぐ見つめた。

「……叔父だよ」

「オ…ジ…? 父さんの弟? じっちゃんの? じっちゃんと加藤さんの……」

「ああ、そうだ、私の息子だ」


 右手前方にそびえる祭壇を見上げた。ガタガタ揺れた気がした。

「ばあちゃんは知ってて?」

「もちろん、(しず)()は何もかも知っている」

「じゃあ、なぜ、信也には内緒で、あんなにお父さんを探しているのに」


「ここからが私の頼みごとになる。奈緒子、加藤さんはこの夏に結婚する。相手が信也の父親になってくれる。若く、優しい人らしい。信也には宗教なんぞに将来を左右されない人生をやりたい。そう思って今まで隠してきた。うちの宗教に絡むと、教団も混乱するし、本人の可能性も狭める。おまえならわかってくれるだろう?」


 血筋なんぞに囚われるうちの宗教だ、宗家だの分家だの、正室の子でないなどと、中傷されるのは目に見えている。

 信也の音楽の才能を神社に押し込めたくないというのもよくわかる。逃げ出せるものなら自分だって、こんな世界要らないと思うのだから。

 信也にまで同じ苦労をさせることはない。

「お社に縛られるのは、僕たち直系だけで十分ですよね……」


「ただ問題は、信也のあの性格だ。新しい父親と仲良くやっていけるのかどうか、わからない。若い独身男性に、結婚してすぐ9才の男児の父親役をしろというのはかなり難しい。特に信也のように自分の意見のはっきりしているのは扱いにくいと思う。それで、結婚生活が落ち着くまで、信也をうちで預かることになりそうだ」


「信也と一緒に、住む……?」

「嫌か?」

「あ、いえ、僕はどうこういう立場じゃない」

「嫌いか?」

「信也は……好きです。血のせいにしたくはないけど腑に落ちた。あれだけ音楽が得意なら、僕の感情が見えない波長になって信也に響くこともあるのかもしれない。わかってしまえば、もう怖くない」


「あの子は赤子の頃から、感度のいい、ピアノ調律の音叉のようなところがあってよく共鳴する。人を感動させるのも朝飯前。こちらの世界に入れば、稀代の神主になるだろうよ」

 じっちゃんが呟いた。

「赤ん坊の頃から知っている?」

「もちろんだ。託児所がわりを務めた時期もある。奈緒子の母親は他界し、父親は再婚している。あの子のおしめを替えたのは、殆ど静香だ。私もできることは全て、やってきたつもりだ」


 わかった。初めて会った日のあの家族の図。疎外感を感じたのも当たり前、僕が一番の新参者だったのだから。

 僕が祖父母に会うのは、大抵京都のお社にみんな集まった時だった。ここ東京で何が起こっていたかなんて、父さんでさえ把握していない。


「信也に父だと名乗らないのも、神社に近付けないのも信教の自由と職業選択の自由のため、ですね?」

「ああ。できる限り早く私たちから離れて、一般人の人生を送って欲しい」

「わかりました。神社の話は極力しない。加藤さんの新居はどちらに?」

「千葉だ」

「ではいずれ、信也も転校してしまう」

「そうなるな」


 それは淋しい。やっと仲良くなれたのに。血縁なのに。でもそれが信也のためだというのも、身につまされてわかる。


「信也さまには何と説明を?」

「黙って母親について行ってくれればそれでいい。転校を嫌がったりするようなら、うちからなら今のまま通えるから、『じっちゃんちで行儀見習いをしろ』と。転校は早ければ夏休み中。遅くとも小五に上がる前の春休みがいいかと思う」


「えっと、行儀見習いということは、日常生活は?」

「おまえの時間割に合わせたい。朝夕の挨拶、入浴と食事。夏休みでもあるし、不規則にならないよう慣れるまでめんどうみてやってくれないか? 母親と離れて落ち込むか、暴れるか、脱走するか、私にも予想がつかないのだが」

「はぁー」

 肩で大きな溜め息をついてしまった。


「すまない。自分が蒔いた種だということは重々承知だ。だが困ったことに、奈緒子を愛したことも信也の存在も、私は恥だと思っていない」

 こういうところはじっちゃんのいいところだと思う。腹を割ってくれる。

 僕を子供扱いせず、居丈高にならず、同じ直系に生まれてしまった同病相憐れむといった風情。

 

 浮気だ、不倫だと騒ぐことは簡単だ。小さくともひとつの宗教団体の長たるじっちゃんにしたら、格好のつかないこと甚だしい。それも「伴侶の幸せが自分の価値」と説かれるうちの教団で。

 それを僕が糾弾する必要はない。僕は……。

 

「僕は信也がいてくれて嬉しい。たぶん、大丈夫です」

 弱々しかったかもしれないが、微笑むことはできた。


「おまえたち、笑顔が似ている。鼻と口元が同じだ。身体つきと目が違うから第一印象は異なるが、立ち居振舞は不思議とそっくりだ」

「僕はあんなに騒々しくない」

「それだけの違いだ。おまえが騒いであの子が黙れば似たようなものだな」

 じっちゃんの言葉には父親としての想いが滲んでいた。


 たった一才違いの僕の叔父さん。

 僕が悲しいときにどこからともなく現れて笑わせてくれる子。優しさも才能も、尊敬してあり余るほど溢れてる。

 僕は、信也が好きだ。



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