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奇郷(16)


 “――前を見なさい”


 脳裏に、母の叱咤の声が聴こえた。前を見なさいと。例えどんな事があっても、目を逸らさずに見届けなさいと。

 (くっ……!)

 遙か別の世界。見知らぬ閉じた世界。亡き母が憑いて来ている筈もない。その叱咤の声が己の生み出した幻聴だということは、私自身が一番良く分かっていた。

 何も無い。無力な私には何も無い。

 否、絶望はあった。加えて諦観も。

 或いは無力な自分にしては良くやったという、言い訳がましい自己憐憫すらあったかもしれない。

 私は嗤った。己自身の滑稽さを。

 (何が『前を見ろ』だ! 何が『見届けろ』だ!)

 人の身のままであったならば、私は悔しさ、不甲斐なさのあまりに嗚咽していたかもしれない。

 上げるべき顔も、涙を流すべき瞳も、頭部を失った今の私には無いのだけれど。皮肉にも。

 ただそれだけが妙に可笑しくて、私はヒステリックな哄笑を、ただただ脳裏に響かせるだけであった。

 ガッハシュートが宙に放った奥の手の塊がゆっくり落下するのを、手をこまねいていたずらに眺めながら。

 しょうがない…しょうがな――くない!!


 ――ふざける(くん)な!!


 私の中で、唐突に何かがキレた。

 一つの想いが――負け犬じみた失意の念を一瞬で塗り潰す、癇癪めいた一つの強い想いが、私の中で爆発した。

 そう理解した時には既にわたしは“紐”をガッハシュートへと振り下ろしていた。

 頭を失くした首の付け根から垂れたままの細い“紐”の一本を、チョップを振り下ろすような感じで。

 強い憤りと共に力任せに、自制する暇すらなく。

 相手が生身だとか知ったことじゃない。

 まるでキレた時の妹そっくりだと、妙に客観的に私は思った。血は争えない、そういうことなのだろう。

 私が放ったその鞭打の一撃が、ガッハシュートが宙に放った塊をかすめたのはまったくの偶然だった。狙えるような大きさでは無い。

 だが、その時私は知ったのだ。半ば朦朧とし始めた意識の中で、声なき声の導きも無しに。

 ソレを――ガッハシュートの放り投げた塊を、私も起爆できうるということに。

 私の頭部ユニットは――私の脳裏に常に共にあった声なき声は、あくまで私の案内役でしかないのだろう。言語を日本語に訳し、私の知らぬ知識を補完してくれる、それはあくまでデータベース的役割に過ぎない。

 それとは別に私の――試製六型の機能として元から備わっていたとしか思えない。ガッハシュートと同じ様に、何か加工した特殊な鉱物を装填し起爆する、何らかの特殊な機構が。


 ――このぉっ!!


 わたしは、声も枯れよと叫んだ。

 もしかしたら、あくまで緊急時の『奥の手』である小さな剥き出しの塊ではなく、加工されているのであろうガッハシュートが手甲に装填していたスティックであったならば、私が直に干渉することは不可能だったのかもしれない。

 いずれにせよ、私の絶叫が何かの起動キーだったのだろうか。塊が文字通りカッとばかりに光に包まれた。

 “紐”で繋がれ互いに逃げられぬ私とガッハシュートの狭間で。それまでの“炎”や“雷”といった洒落たものではなく、単純な爆発となって。

 (――まずい!)

 反射的に私は両腕で顔を庇おうと試みた。意味の無い行為ではあったが、結果としてガッハシュートの両腕を拘束していた“紐”だけでなく、木々を支柱とし私の躰を固定していた4本の“紐”すらも、私はその束縛を解除してしまった。

 結果的にはその方が良かったのだろう。爆発の衝撃を、曲がりなりにも逃がすことができたのだから。

 爆風の衝撃で私は後ろに跳ね飛ばされ、木々に背を打ち付けた。鈍い触感とは云え、その内の何本かの幹をへし折った事が分かる。

 無論、痛みそのものは無い。しかしそのままバランスを崩し、俯せのまま地に倒れ伏してしまった。

 上体を起こす、腕も無いままに。

 (くっ……)

 視覚が健在な事を、私は知った。

 幸いなことに、私と三型を繋ぐ“糸”は切れてはいないようだった。それは併せて“中継点”であるナナムゥにも害は及んでいない証でもあった。

 (状況は……!?)

 体勢を立て直した三型の暗視機能を用いたところで、爆発の巻き起こした粉塵の前にはまったくの無意味であった。それでも私は残った意識を振り絞って、視覚を何とか拡大させた。

 三型の機体自体が既に私の肩口から跳ね飛ばされていた為、そもそも私の正位置からの視界という訳では無い。それでもその粉塵の向こう側に、ユラリと立ちあがる影を見た。カシャリと、何かが開く金属音も。

 改めて、影の正体を確かめるまでもなかった。

 (……っ!)

 意識が急速に薄れていく。


 “――前を見なさい”


 (言われなくても…!)

 私は脳裏に響く母の幻影に毒づいた。生前の本人相手には決して明かさなかった胸の内を。

 (あなた)に言われたからそうしているのではない。(あなた)の言う摂理に納得したからこそ、自分自身でそうしてきたのだ、幼き頃からずっと。


 (二手足りない……!)


 私はせめてガッハシュートの足元まで這い進もうと試みた。この意識が完全に闇に沈む前に、足首の一つでも握り押さえ込もうとろうと歯噛みした。

 傍から見れば無様な、文字通りの無駄な足掻きであっただろう。脚を掴むどころか這いずる為の両腕もとうの昔に破砕されて、ただ死にかけの蟲の様にもがいているだけの私の姿は。


 (後二手足りない……!!)


 私は脚で地を蹴り進もうとした。前へ、少しでも前へと。


 「――バロウル!」


 ナナムゥの歓喜に充ちた叫びを、私は確かに聴いた。遥か彼方からの福音の様に、何かが風を切り迫り来る音を。

 (――!)

 そして三型を通して私は見た。何かが地を滑り私とガッハシュートの間を分かつように飛び込んで来た様を。

 私は咄嗟に、それを軽自動車か何かが飛び込んで来たのかと錯覚した。それが槍を構え、脚代わりのスカートをノズルとして地を翔ける改四型だと教えられたのは、更に後の事である。

 これ以上ナナムゥからも三型からも視界を借りる余力すら無かったが、私は自分の時間稼ぎがようやく実を結んだことを知った。

 だが――


 (このタイミングで……!)


 嬉しさなど欠片も無かった。ただナナムゥに対する安堵の気持ちだけはあった。

 素直に喜べる筈もない。いかに無力で無能な私でも、無邪気に喜ぶほど愚かではない。

 ただ疑念だけが湧いた。

 救援が、あまりにも絶妙なタイミング過ぎた。まるで――まるで全てを見透かされていたかのように。

 漫画やアニメではあるまいし、ここまで奇跡的なタイミングで駆けつける事など有り得る筈がない。

 (ナナムゥはガッハシュートが“敵”だと言った……)

 項垂れ、消えかかる意識の中、私はただそれだけを危惧した。

 (だが“敵”は…私の本当の“敵”は――)

 そこまでだった。

 私の意識は闇に沈んだ。あの夜と同じように。

 妹を喪失したあの夜と同じように……。


        *


 夢を視ていた。


 家具も窓も何も無い、コンクリートを打ちっぱなしにしただけのような殺伐とした部屋の中で、私はソレと対峙していた。

 擱座した試製六型と――頭部の欠けた石の巨人と。


 “お兄ちゃん……”


 妹の声が聴こえた。どこからともなく、染み出るようなか細い声。

 だから私は、これが夢だと確信した。

 良く視る夢であった。昔から。幾度も幾度も幾度も幾度も。

 夢の中の妹は、すぐに私の前から姿を消すか、或いは二度と瞼の開かない冷たい屍と化した姿で私の前に現れる。

 そして私は消え去った妹の姿を求めて夢の世界を虚しく駆けずり回るか、或いはこれは夢だと妹の亡骸を虚しく揺さぶるのが常であった。

 いつもの夢だ。いつも視る哀しい夢。

 いつか妹が自分の手から離れる事を恐れた、未練がましい愚兄の視る夢。

 と、ボトリと六型の胸部装甲が外れて落ちた。如何にも夢らしく脈絡もなく。

 露わとなった胸の中身は空っぽであった。

 まるで空き箱の様な素っ気なさ。その内側を覗き込んだ私は、いつの間にやらその箱の中身が“闇”で満たされていることを知った。

 自我を持たぬ機兵(ゴレム)には相応しい、ただただ黒いだけの空虚な“闇”。


 “お兄ちゃん……”


 その“闇”の中から、妹が呼ぶ声がした。

 その漆黒の表面を細波のように揺らしながら、ニュッとばかりに差しだされる小さな白い細腕。


 “――ふたっ!?”


 例え腕だけの存在であっても、私にはそれが(ふたは)のものであるという確信があった。何を見間違うことが有ろうか。この世でたった二人きりの兄妹なのだから。

 私は両手に持っていた銅鑼とバチとを投げ捨てると、迷うことなく差し出された妹の手を取り懸命に引っ張り上げた。


 “お兄ちゃん……”


 非力な私にしては苦も無く、“闇”から妹の躰が引きずり出てくる。

 まずは肩が。続いて頭が。長い黒髪に隠れたその表情は、まったくと云ってよいほど窺い知れない。

 私は妹の腕を放し、代わりに胸元まで顕わとなった妹の躰を掻き抱いた。二度と見失うことのないように。


 “お兄ちゃん……”


 妹がようやく顔を上げる。眼も鼻も口も無い、白い無貌の顔を。

 私が昼間にナナムゥと共に追い立て狩った“幽霊”と同じ、ノッペリとした無味乾燥な顔を。

 私は驚き、掻き抱いた手を離した。

 たちまちの内に再び“闇”に沈む妹の姿を呆然と眺めながら、私はただ子供のように泣いた。

 守れなかったと。

 また守ることができなかったと。

 そして――

        *


 “――試製六型、稼働開始”


        *


 いつもの如く、目覚めの気分は最悪であった。

 「ヴ…」

 悪夢から目覚めた事だけはすぐに判った。意識を失ってからどれ程の時間がたったのかは分からない。少なくとも屋内のようではあった。

 「……」

 未だ朦朧とした意識の中であっても、つい反射的に周囲に単眼を巡らせてしまう。

 何の飾り気も無いプレハブ小屋のようなその内装に、私は見覚えがあった。

 元の居留地の仮設小屋。床に鎮座する三型の中の数台が、単眼を照明代わりに光らせていた。

 加えて僅かに開いた鎧戸の隙間から、私は今が明け方ではなく依然として夜である事を知った。

 生身ではない紛い物の躰である、さすがに丸一日以上も気を失っていたとは思えない。そもそも私の休止(スリープ)状態が強制的な仕掛けによるものである以上、逆に意図的に起動させることが可能であっても不思議ではない。

 状況を探るべく更に単眼を巡らそうとしたその時に、すぐ横合いから私を叱責する声が上がった。


 「仮組みだ。あまり動かすな」


 必要最小限の事しか喋らぬ、素っ気ない声。

 その声の主は、云うまでもなくバロウルである。

想定より間延びしすぎて構成として非情に不本意なものとなってしまいましたが、次回こそ二章完結となります

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