奇郷(15)
今こうして私の目の前に立ち、悠長と云ってもいい調子で長々と語りかけてくるという事は、私が視界を確保できていることにガッハシュートが気付いていないということだろう。
そもそもが、私の視界を奪う目的で頭部を蹴り落としたのならば、ここまで無防備に肉薄して来たその迂闊さにも納得がいく。
私にわざわざご高説を垂れる為であろう。その内容までは分からねど。
それは同時に、頭部ユニットを喪失しても聴覚だけは残っているという試製六型の仕様をガッハシュートが熟知しているということを示していた。
(……?)
何故か、言いようのない不安が胸をよぎる。何か重要な事を失念している、そんな気がした。
だがいつガッハシュートの矛先が変わらぬとも知れぬ以上、自分の不確かな懸念に構っている暇はなかった。
(ガッハシュート……)
真鍮色の四肢を持つ白衣の青年が何者であるのか、今の私には知る術が無い。ナナムゥと私にとっては斃すべき『敵』である――今はそれだけで充分であった。
(そういうことか……!)
幼主と三型、そして試製六型。二つの視界に一つの心。
ようやく今、私は確信に至った。心の内に浮かぶ“糸”。ナナムゥの手から伸びるその先端を確かにこの魂の内に感じつつ、私はかねてからの一つの疑問に対する確証を得た。
試製六型の文字通り“芯”である“紐”。私がことあるごとに頼ってきた“紐”。
今なら分かる。私の“紐”にナナムゥの手から伸びる“糸”が絡みついた今なら確かな実感として分かる。
私の“紐”がナナムゥの精製した“糸”を縒り合わせた物に、他ならないということを。
“紐”と“糸”とが、径が異なるだけで同じものであるということを。
それ故に視界と、そして微かにではあるが魂の鼓動が伝わって来ているのだろう。糸電話の糸で、音声が伝わるように。
とても微弱なナナムゥの魂魄が、しかしそれでも早鐘の様に波打っていることだけは感じ取れた。どんなに賢い娘であろうと、どんなに思慮深い娘であろうと、幼子である事に変わりはないのだ、我が愛しき幼主は。
――守らねば
それが真摯たる私の想い、わたしの願い。私はただ一つの強い決意と共に、自分の心の中に浮かぶナナムゥと三型それぞれから伸びる二筋の“糸”の端を強く握り締めた。
「――!」
『奇跡』などという都合の良いものは有り得ない、私はそう確信していた。『神』は存在しないという信念と同等に。
もし奇跡と錯覚するような事態に巡り合ったとしてもそれは必ず何らかの――自分ではそうと認識できないだけで――理由がある。
もし何かの間違いで、真に理由足るものが無い奇跡的事態に巡り会ったとしても、それは単なる運と偶然の産物に過ぎない。
私はずっとそう信じて来た。本当に『神』が居るというのなら、この世界はあまりにも無情に過ぎるからだ。
だが今は、今だけは、私は見えないものへ感謝を捧げた。『神』なる者を信じきれないこの身が故に、先祖のご加護に、亡き両親の護りに。
驚くべき事に、私の中で二つの視界が両立していた。
これまでのように頻繁に切り替わるのではなく、二つの視界が私の脳裏で並列に認識できていた。
理由は分からない、きっかけも分からない。ただ、そう知覚出来ているという事実だけが有った。
私がそれまで悶々と心の内に葛藤していた時間は、実は刹那の類であったのだろう。いまだガッハシュートが目の間にいることを三型側の視界を介して確認した時、わたしは既に躰が動いていた。
考え無しだ――「お前はキレるとむちゃくちゃするな……」――と、グチグチグチグチ何回か言われた記憶がわたしの中でちょっとだけ蘇る。
でも、今しかない。やるしかない。わたしはそう確信していた。
幸いな事に、私の躰を固体している“紐”は左右各6本あった。肩口から木に巻き付いている“紐”の左右1本ずつを開放しても、私の躰が地に倒れ伏すことはないだろう。
だがその裏打ちを思考の内で認可する前に、私の躰は既に動いていた。
どうにも“紐”を触腕として使う場合、左右それぞれ1本ずつが、私にとって自在に操作できる限界――単に木に巻き付け保持するだけの単調な作業ならばまだ同時でも可能だが――のようであった。あくまで両腕の『代替』として操作しているということなのだろう。
インドア派のズブの素人の悲しさ。だが今はそれを嘆いている場合ではない。
どうであれ、この時点で私は右の“紐”の1本を躊躇わず振り下ろしていた。不意打ちで、ガッハシュートに一撃を与える為に。
「キャリブ!」
ガッハシュートが短い叫びと共にそれを華麗に躱す。踊るように、紙一重の動きで。
躱すと、思っていた。私は視界に遅延をかけ、そう視認する前から既に確信していた。故に次の一手を――左の“紐”を、私は既に放っていた。
それでも、賭けに過ぎる一撃ではあった。思わぬ助力を得るまでは。
――KATATATATA!
不意に、直近でけたたましい音が鳴り響いた。三型が発する、それは正に警告音であったのだろう。
「――!」
ガッハシュートが過敏に反応するのは、必然だったのだろうか。彼には隙が無さ過ぎた。それを大仰だと嗤う資格など、無論私には無いのだけれど。
そこだ!と、叫ぶ余裕すら私には惜しかった。三型の異音に一瞬気を取られたガッハシュートの右腕に、私の左の“紐”が巻き付く様子が遅延する視界の中ではっきりと視えた。
その確かな手応えを視覚より僅かに遅れて感じ取った時、私は視界遅延の機能を持つ己が頭部が既に存在していないということに遅まきながら思い至った。
咄嗟に視界に遅延をかけるよう念じた時には、正直そこまで思い至っていなかった。
『用心の為に、三型を一つ持って行け』
バロウルのそっけない言葉が脳裏に蘇る。
三型にも視界遅延の機能が有ることを私は知った。元々が記録・哨戒用として稼働している小型機兵であるが故に、それ自体は不思議な事ではない。
私が土壇場でその機能を使用できたのも、同じ機兵である故に、何らかの共通規格のようなものが存在していたのだろう。
私はいつもそうだ。
ナナムゥ、三型、そして私に敵意を抱いているであろうバロウル。
好む好まざるに関わらず、様々なものの助力の上に私の人生は立脚していた。
今この瞬間に。昔から延々と。そしておそらくはこれからも。
いつも誰かの情けの上に私は生きてきた。ありがたいことに。私からは何一つ返せはしないのだけれど。
――このぉぉぉっ!!
わたしは、脳裏で渾身の雄叫びを上げた。
初撃を躱された右肩から伸びる“紐”を、今度はガッハシュートの左腕に折れよとばかりに叩きつける。
常人相手だと、おそらくは本当に骨折させたであろう強打。時間的な猶予も、加減する技量も無いままに私はその場の勢いだけで“紐”振り下ろしてしまっていた。
小気味良い金属音が響く。
その鞭打は、しかしガッハシュートの手甲に傷一つ付けることは叶わなかった。ただその勢いを利用して、幾重にも真鍮色の手首に巻き付いただけであった。
巨大な無頭の巨人が端正な青年の両腕を、それぞれ肩から生えた触手で巻き付け抑え込んでいる――傍から見たらそのような悍ましい状況に視えた事だろう。
それはいい。人の躰を捨てた石の化け物なら化け物らしく、ただ泥臭いやり方を貫くだけだ。
そのままの勢いを生かすべく、私は左右の触手――“紐”と呼称すべきではあるが気分は完全に怪物であった――に力を込めた。
ガッハシュートの腕を左右に開いたまま抑え込むべく、ただひたすらに力を込める。腕の自由さえ封じてしまえば、あの厄介なスティックのスロット装填をも封じ込める筈だった。
(……!?)
そして、今は警告音を潜めた三型の視界を通してわたしは知った。口元こそ仮面で隠れて視えねども、ガッハシュートの目が笑っていることを。
小馬鹿にした嗤いではなかった。父が、母が、兄が時折見せる、慈愛に満ちた眼差しのソレであった。
「ディス!」
ガッハシュートが笑みを抑え、一転その両腕に力を込める。驚くべきことに、華奢には程遠いとは云えどちらかというと細身に近いガハシュートの膂力は試製六型のソレに肉薄していた。
膂力が拮抗し、組みあいに等しいこの状況のままに場が停滞する。少しでも時間を稼がねばならない私にとって、それは勝利を意味するものであった。
が――
「――――」
不意に躰が傾ぐ。まだ4本の“紐”を樹木に巻き付けていなければ、私はそのまま地に倒れ伏していただろう。
(……!?)
一瞬、ほんの一瞬だけ自分の意識が飛んだことを私は知った。そして、その原因にも心当たりはあった。
試製六型の活動休止時間。妹を喪ったあの夜と同じく強制的に意識を遮断する、私にとっては取り返しのつかない文字通りの悪夢の刻。
それが今、私を襲ったのである。まさに今、正念場であるこの刻に。
(くっ……!)
ならば短期決戦だ、といかないところが辛いところである。ガッハシュートと異なり私には何の決め手も奥の手も無く、拮抗した体勢で時間だけが過ぎていく。
救援が到着する前にこの意識が眠りに落ちてしまえば――千日手に等しいこの状況は、このままでは一転して私の敗北を意味していた。
躰を固定している肩口からの“紐”は動かせないにしても、痛打に用いるべき“紐”はまだ何本も私の首から伸びてはいた。
だが私には無理だった。両腕の代わりにガッハシュートを抑え込んでいる2本の“紐”に加え、更にもう1本を自在に操ることなどは。
それに注力し、少しでも両腕の“紐”の力を緩めれば、たちまち『力比べ』の均衡は崩れ、私は逆にガッハシュートに抑え込まれてしまうだろう。
(何か、何か手は無いのか……!?)
頭部ユニットさえ健在ならば、或いは声なき声に救援の現在地を問うことで覚悟を固めることも、捨て身の一撃に賭ける事も出来たかもしれない。
(ここまできて……!!)
歯噛みする私の前で、ガッハシュートのマスクがカシャリと左右に開いた。露わとなったその口元に、咥えられた何か小さい塊が視えた。
(――アレはっ!?)
まるで飴玉かなにかのように見えたソレが、二回り程小さいとは云えスティックに類したものであることは朧気に察しがついた。
口腔に隠し持っていたのか、或いはマスクの内側か。
それがどこからもたらされた物か今の私に分かる術は無いが、それがガッハシュートにとっての奥の手である事だけは分かった。
その目がニィとばかりに笑っていたからである。
プッと、ガッハシュートがその塊を中空に吹くのが、三型の遅延をかけた視界の中に映る。
ガッハシュートの抑え込まれた腕ではなく、おそらくは半ば自由に動く脚のスロットへと、雨粒の様にゆっくりと落ちていく。
まるでハリウッドの大作アクション映画の、良くあるスロー演出のように。
異様な気配を感じ取ったのだろう。ナナムゥが何か叫ぶ声が遥かから聴こえた。
(一手足りない……!)
私は絶望的な面持ちで落ちる飴玉を凝視していた。意識が、白濁しかけていることを知った。
(後一手足りない……!)




