奇郷(14)
「ザウル・ハウ・イスカ!」
真正面から響くガッハシュートの高らかな声。
それを合図に私は固く身構え、そして次の瞬間に轟音と共に己の右腕が弾け飛んだのを知った。
(――想定内!)
右腕を切り離し、“紐”だけを肩口から残しつつ私は自分自身を鼓舞した。
加えて、まるで歯医者の治療器具じみた新たな異音に気付いた時には、私は己が左腕が何かドリル状のもので穿たれつつあることを知った。
(大きな音が上がる方が、私にとっては好都合だ!)
私は自分自身に言い聞かせるよう心を奮い立たせると、破壊されつつある左腕を敢えて無様に大きく振り回した。
当たり所が悪かったのか、より増幅された異音が夜の闇の中にけたたましく響く。
それは私の目論見通り、この上ない目印となる筈だった。救援に駆けつけて来るバロウルへの、何よりの道標として。嬲られる私の躰が発する、悲鳴にも似た破砕音を頼りとして。
それは文字通りの蹂躙であり、処刑にも等しい所業であった。私は文字通り一分一秒でも長く持ち堪える他なく、万に一つの勝算など望むべくもなかった。
(――馬鹿にして!)
正直なところ、わたしはとても頭にきていた。
瞬く間に失われた私の両腕。客観的に見れば、ガッハシュートの能力をもってすれば、幾らこの身が硬い石の躰だとは云え致し方のない事だと納得はできる。
しかし私が両腕を失い完全に無力化された今ここに至っても、ガッハシュートは私の胸部には痛打を与えては来ようとはしなかった。
頭部が完全に私からは独立したユニットである以上、文字通り試製六型の心臓部であろう私の胸部ユニットに。
僥倖である。だがガッハシュートが明らかに攻めの手を緩めている事に、釈然としないものがあるのもまた事実であった。何かの罠ではあるまいかと。
思えば、初めに対峙した時からその気配は濃厚であった。それを薄々感じ取っていたからこそ、私は最終的にこうして持久戦を選択した。私が選択したのではなく、そうなることをガッハシュートに許してもらったというのが正確だろうか。自戒を込めて言うならば。
ガッハシュートの余裕は、私などいつでも捌ける、いつでも斃せるという客観的な裏打ちによるものなのだろう。その小馬鹿にした態度が、わたしには許せなかった。だから頭にきた。
顔が良ければ何をしても許されるという訳ではないのだ。
(だが今は――!)
援軍のアテのない籠城戦は愚策だと聞く。その根本的な問題だけは払拭できた。バロウルという援軍が私達には望める。幸いにも。
私は両の肩口に残った片側3本ずつの“紐”を、周囲を薙ぐような動きで振り払った。
この為に、林に面したこの場所を選んだのである。いくら視界が失われているとは云え都合6本の“紐”は苦も無く手頃な太さの木に行き当たり、私は迷わずその幹に“紐”を幾重にも巻き付けた。
傍目に見れば、罪人なり人質なりが両の手首を縛られ大の字に木々の間に吊られている、その状態に酷似した体勢であっただろう。
だがそれでいい。今の私にとってはそれでいい。
相対する青年に敵わないのならば、まったく及ばないのならば、せめて私に出来る事を成そう。例えそれがサンドバッグのように、吊るされて打たれるだけの時間稼ぎであっても。
(――!?)
不意に周囲に充ちていたガッハシュートの“圧”とでも云うべきものが四散し、そして私の予期しない静寂が訪れた。
(――ナナムゥ!?)
自分が放置される可能性を完全に失念していた私であったが、懸念に反しナナムゥの方に矛先が向いた気配もない。
「サリア」
(――なっ!?)
状況が把握できず戸惑う私のすぐ間近で、見計らったかのようにガッハシュートの声が響いた。
彼がポツリと発した言葉の意味は分からねど、それが『とどめだ』とか『終わりだ』といった最後通牒の類であろうことは察しがついた。
『何のつもりだ』と詰問されてもおかしくはないが、たったの三音節から成る単語ではそれには該当しないだろう。声を発せない以上、聞かれたところで答える術も無いのだが。
それは兎も角としても、ガッハシュートの位置は分かった。正に目と鼻の先、望めば如何様にでもできる距離ではあった。
だが私は、頭部のもげた首の部分から地に垂らしたままの細い数本の“紐”を、暗器の如く振り下ろす誘惑に耐えた。
(賭けに過ぎる……)
標的を目視できていないその場凌ぎの一撃に、自己満足意外に何の意味があろうか。躱されるのは目に見えていた。
再びガッハシュートの“圧”が高まる。そもそも殺気と呼んでいいものなのかも分からない。
スティックを装填する時の例の低音声は聞こえてはこない。満身創痍の私相手には、もう使う必要もないということだろう。
私が逆の立場でもそうする。先に私のような小者相手にあれだけのスティックを浪費したことがそもそも勿体無い。
と、私は自分の背中に何かが飛び乗った事を感じ取った。そしてそのまま強引によじ登って来ていることも。
一瞬、ガッハシュートの“圧”を私は忘れた。ナナムゥかと狼狽しかけたが、明らかに人の手足のソレではなかった。眼が見えぬとは云え、その何か固いものが幾つも背中に這いつくばる独特の感触だけで、私はその正体に思い至った。
三型が――おそらくは――一台、器用に私の背から肩口に這い上がって来ている、筈であった。私の見立てに間違いが無ければ。もしかしたら木々に渡した私の“紐”に沿って樹上より飛びついたのかもしれない。
助勢かとも一瞬期待してしまったが、それならばわざわざ私の肩口まで上りガッハシュートの前にその身を晒す必要はない。それならば不意打ちを仕掛ける方がまだ現実的であっただろう。
確かに今、一時的にガッハシュートの動きは止まっている。何故かは知らねども、私の傍らに立ち、ただ様子を静かに伺っている。
だがそこに、三型が一台乗り出して来たところで、何かが劇的に変わる訳もない。
私はいつもそうだ。賢しい気で物事を決めつけて分かっているフリをしてしまう。
訝しむ私の中で、その劇的な変化が訪れたのはその直後であった。
視界が戻ったのである。頭部が戻っていないにも関わらず、唐突に。
それが如何なる手段によるものか、肩に乗った三型の視覚を借り受けているのだということはすぐに判った。
――悟られてはならない!
直近に立つガッハシュートの姿を視認した私の脳裏にまず浮かんだのがその懸念であった。
姑息だとは思う。不甲斐ないとも思う。
私は他人と争うのが嫌だ。謝って済むのならば進んでこの頭を下げる。そうして私は生きてきた。
しかし男が一度戦うと心に決めたのならば、不退転の決意を示したのならば、勝たなければならない。どのような非道な手を使ってでも。絶対に。
それが、『人と争ってはならない』と常日頃から私に教え諭していた母が、私に遺した二つの心得の内の一つだった。
どんな手を使ってでも――それは真理だと私も思う。母の二つの教えの内の、少なくともこれに関しては私も同意していた。
貴重な千載一遇の好機に、何を悠長に亡き母親の思い出に浸っているのかと、喧嘩慣れした者からは叱責されても仕方のない。
しかし少なくとも今回は、様子見に近い猶予を置いたことが良い方向に働いた。
状況が再び一変したのである。
(――なっ!?)
もし私が声を発する事ができていたならば、驚愕の叫びでたちまちガッハシュートに気取られていたことだろう。
盲目を装い、ガッハシュートの出方を密やかに窺っていた私の視界が、不意に切り替わったのである。
間近にガッハシュートの姿を捉えていた肩に鎮座する三型の視界から、遥かな遠景の視界へと。
その新たな夜景に映っているものが自分自身の石の背中だということに、私はすぐには気付けなかった。頭部が存在せず、首から幾本もの細い“紐”が垂れ下がっているという特徴的な背面でなければ、確信に至るまでかなりの時間を要したかもしれない。
今の視界の主を確認する間もなく――薄々察しはついてはいたが――再度視界が切替わる。
元の三型の視界に。そしてまた、再び背後からの視点へと目まぐるしくも交差していく。
これと似たような感覚を私は既に体験していた。同型である試製六型と闘い、それが妹だと悟ったあの夜に。
“混線”にも似た、自分の心の中の芯と他人の心の芯が接触したかのような奇妙な感覚。
そこで私は相対していた試製六型の“心”の声を聴いた。恐れを、困惑を、妹の声を。
ちょうど、幾つもの糸電話が絡まりあったかのように。
(そういうことか!)
私の中で、一つの仮説が繋がった。
糸電話――それはあながち的外れな例えと云う訳ではなかった。
頻繁に切り替わる視界の中で、私はかろうじてその仮説が求めるものを視認できた。
三型から伸びる“糸”を。
私の背面から垂らした“紐”に絡みつく細く煌めく“糸”を。
単純に、私と三型がその“糸”で直結されている訳では無い。
その2本の“糸”は共にナナムゥの――三型とは別のもう一人の視界の主の手の内より伸びていた。
ちょうど彼女を中継点として、私の視界は三型と同期していたのである。
その副作用とでも云うべきものなのか、問題は三型だけではなくそのナナムゥ自身の視界をも同期してしまっているのだろう。故に私の望む望まないに関わらず視界が切り替っているとしか思えなかった。
もし意思疎通が可能であったなら、私はナナムゥにせめて眼を瞑るように告げていただろう。視界の一つを黒塗りとすることで、かなり状態は改善される筈だった。
だが、いくらナナムゥが聡い子だとは云え、そこまで悟れというのは酷に過ぎるだろう。
「――、――――」
ガッハシュートは手を伸ばせば私に直接触れる事も可能な位置に陣取ると、先程から何か私に滔々と語りかけていた。これまでのようなキレのいい言葉の羅列ではなく、まるで何か私を諭しているかのように。
翻訳が成されないが故に、私にとってガッハシュートの語りかけは単なる雑音でしかない。意味のあるものではない以上、私は耳を傾け聞き流す事すらしなかった。
ただ、抑揚もなく淡々と発せられる話の内容に興味が湧かなかったと言えば嘘になる。
おそらくは、私が知るべきであろうこともその中に含まれてはいるのだろう。少なくとも単なる隙を超えた何かがあるのは確かであった。
(だが――)
今はそれよりも、安定した視覚の確保が何よりも重要であった。相互の位置的にも、今が千載一遇の好機であることは疑うべくもない。




