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第六話

 馬車を走らせること数時間。

 街を出たときには白かった空は、すでに深い青色に染まっていた。

 景色もまた、緑の多い草原から、灰色の枯れ木が立ち並ぶ湿地帯へと変貌を遂げている。


「湿地帯ね」

「うん」


 キセアのつぶやきが、湿った空気に響く。


「まるで毒沼ね」

「まるで、じゃなくて本当に毒沼」


 生えるのは灰色の枯れ木。

 その足元には、毒々しい鮮やかな紫色の沼が広がっている。


 ギリクの根は、地中の栄養素を完全に吸い上げる。そして、特殊な成分を分泌するのだ。それは、ギリクにとっては成長促進剤。しかし、他の植物にとっては致命的な猛毒となる。

 もちろん、魔術を修めたキセアやリノンにとっては、それは大した脅威ではない。下級の解毒魔術一発で解除できる程度の軽いものだ。しかし、重要なのは毒物で満ちているということ。それはすなわち、生命力の弱いモノは淘汰され、強者のみが残るということである。


「出てくる魔物は?」

「ほとんどいない。けど、ポイズンフロッグと熊が厄介」

「熊?」

「そう、熊」


 熊とだけ呼称され、特別な種族名がない。つまり、その熊は魔物ではないということだ。魔物ではない……生命維持機関である魔石を持たず、されどこの地の毒を攻略した獣。それは手強いだろう。


「ポイズンフロッグは毒を吐く蛙。熊は……そのまま」

「なるほど」


 とりあえず、《検索サーチ》でその2種を調べるキセア。ギリクも合わせて調べ、安全に……というよりも手間をかけずに採取ができる場所を探す。


「ギリクは……見ての通り、どこにでも生えているわね。魔物も点在しているから、どこで採取しても変わらないわね」

「まあそんなもの」


 あちらこちらに生えている枯れ木がギリクだ。というかギリク以外の植物は、この湿地帯には存在しない。栄養を吸い上げ毒を撒き散らす。それがギリクの特性であり、生存戦略でもあった。


「ギリクの毒は魔力欠乏。初心者魔術師にとっては鬼門だけれど……まあ、リノンなら大丈夫よね」

「もちろん。キセアも問題ない?」

「愚問ね」


 キセアは唇の端を持ち上げ不敵に笑う。

 魔術の代名詞たるエルフの血を引くリノンはもちろん、キセアは辺境の地の単独踏破をなし得るほどの実力者だ。初心者などと呼ばれる時代はとうに過ぎ、すでに熟練の士とも肩を並べるほど。そんな二人に、多少の魔力作用毒素は意味を成さない。


 魔物の生存領域の外側に馬車を停めてもらい、料金を払って降りる。今日の昼過ぎにもう一度来てもらうように頼み、その場を離れている馬車を見送った。


「さてと。リノンは採取の経験はあるのかしら」

「それなり。けれど、あまり得意ではない。キセアがやる方が確実」


 声は平坦だが、その顔にはありありと悔しさがにじみ出ている。無表情なリノンにしては珍しい。


「役に立てない……無念」

「気にしなくてもいいのに」


 肩を落とすリノンに、言葉の上ではあきれているが唇の端が持ち上がるキセア。どこか弾むような声で、キセアが言った。


「というわけで、採取はわたしがやるわ。リノン、警戒と防御お願いね」

「……むぅ、仕方ない。採取は任せる」

「えぇ、任せて。こういうのは適材適所だものね」


 そもそも、製作士であるキセアに採取・調合などでリノンが張り合う方が間違っているのだ。特に気にせず、キセアは歩き出す。

 ……いや、採取に関しては違うかもしれない。普通の製作士は自分で採取するのではなく、他の冒険者が持ってきた素材を買い取って生産をするのだから。

 はねた泥が靴を汚すのに顔をしかめながら歩みを進めること数分。最初のギリクが視界に映る。


「あれね」

「ん」


 短く言葉を交わし、うなずき合う。

 足元を見れば、沼の泥水の色が変わっている。灰色から、毒々しさを感じさせる紫へと。それを自覚し、二人は己の力が吸い取られているような感覚に気が付いた。


「……これが魔力の吸収作用かしら」


 キセアのつぶやきにリノンが頷きを返す。


「おそらく」

「大した量ではないのね。まあ、初心者にはつらいのは確かだけれど」


 リノンは再度うなずいた。

 吸収される量は微々たるもので、とても二人の脅威となりうるものではない。だが、それはあくまでも、高位魔術師である二人にとって、である。


「数分で初級魔術一回分、ってところかしら」


 それは、魔術を学び始めたばかりのものにとってはかなり辛い量だ。ここネーマ湿地帯では、一人前ではない魔術師は戦力外となる。

 とはいえ、その程度であれば二人には関係のない話。

 ギリクの近くまで歩み寄ると枯れ木のような大木を見上げる。


「リノン、周囲の警戒をお願い」

「分かった」


 一度《検索サーチ》で魔物の有無を調べるが、あいまいな定義だったためか範囲が狭い。リノンが周囲を警戒するのを見て、キセアは採取の準備をした。

 ギリクの根の採取は非常に時間がかかる。

 まずは魔術を行使して、ギリクの生えている地面を柔らかくする。そして、身体強化をしてから、


「セアッ!」


 蹴り飛ばす。

 ドゴォッ!!

人が出せる音ではないような爆音が轟き、ギリクが大きく揺れた。

……ちなみにキセアは後衛である。

前衛ではない。念のため。


「ハァッ!」


 ズガァン!!

 再びの轟音。ギリクはさらに大きく揺れる。

 そして、少し傾いだ状態で止まる。


「もう少しね」


 キセアはうっすらと微笑む。これまでよりも多くの魔力を身体強化につぎ込み、重心を沈めて右足を引く。

 そして、


「ハアァッ!!」


 回転しながら放たれた回し蹴りは、吸い込まれるようにギリクの幹の中心に命中する。傾いだ方向にかけられた強い衝撃。それは、すでに倒れ始めていたギリクにとどめを刺した。


「あ、いけない」

「どうしたの?」


 珍しく慌てた声色のキセアに疑問符を浮かべるリノン。が、それに対する返答はせずとも伝わった。

 視界に映るのは、軋んだ音を立てながら倒れていくギリクの巨木。倒れる先は、汚泥の満ちる湿地帯。

 ザバァン。

 ギリクは、盛大に紫色の水しぶきをあげながら倒れ込んだ。


「っ、……。濡れて、ない?」


 そっと目を開ける。驚きの表情で自らの体を見下ろすキセアに、リノンは無表情でドヤ顔を見せた。


「結界、間に合った」

「驚きね。展開速度も、その顔も」


 無表情のドヤ顔。意味不明だが、今のリノンの表情はそう形容する他にない。

 そして展開速度。リノンの結界術の技量は知っているが、それでも驚いた。使用したのは最下級の物理結界。習得難易度はそれほどではないし、防御力もないに等しい……しかし、断じて一瞬で展開できるような術ではない。そもそも、魔術自体が発動までにはどれだけ短くとも数秒のタイムラグを必要とするのだ。

 それを一瞬。


「結界師の名は伊達ではない、ということね」


 キセアが感心した顔でつぶやく。

 それはキセアが初めて見せた、本気の賞賛だった。

 笑みを堪えて唇の端をぴくぴくと痙攣させるリノンから視線をそらし、腰からナイフを抜く。


「さて、根を採取しましょうか」

「ん」


 リノンの返答は少し上ずっている。キセアの賛辞がよほどうれしかったのだろう。

 リノンの結界魔術で泥汚れを防ぎつつ、ナイフに魔力を通す。ナイフの刃を形作る魔法銀ミスリルは、その高純度の魔力を吸収し、硬度と切れ味を飛躍的に上昇させる。身体強化をしないキセアの素の身体能力であるにも関わらず、一抱えもある根を簡単に切断した。


「これで良し。帰るわよ……というわけにも、いかなさそうね」

「ん。多分、熊の群れ」


 魔法処理がなされ、簡単なアイテムポーチとなっている麻袋に、切り取ったギリクの根を投げ入れる。そして、そのまま遠くへと放った。

 その直後、キセアは地面から微細な振動を感じ取る。


「これ、5,6匹はいるわよ」

「採取方法が乱暴。呼び寄せて当然」

「あれが一番効率いいのよ」


 話している間にも、泥と木々の隙間から、熊の群れが姿を現す。

 リノンの指摘通り、こちらに近づいている熊の群れは、間違いなく採取時の轟音が呼び寄せたものだろう。あれだけの音を響かせれば当然の結果だ。

 しかし、普通に根を採取しようと思うととても面倒くさい。それはもう面倒なのだ。

 幹を切り倒し、根の片側を掘り起こし、ひもを結び付けひたすら引っ張る……人力ではとても無理だ。時間効率から言えば、戦闘を引き起こすことを考慮したとしても、キセアの方法の方が早いし簡単なのは事実である。

 まあ、余計なリスクを負うか手間をかけるか、どちらを取るかは各々の選択だ。キセアは前者だったというだけの話である。


 不毛な議論をしつつも二人は意識を戦闘時のそれへと切り替える。ピンと空気が張り詰め、心なしか一瞬、熊の足も止まったように感じられた。


「ガアァッ!!」


 一瞬でも怯んでしまったことを恥じるように、そして己を奮い立たせるように、先頭の熊が雄叫びをあげる。赤い眼に殺気を滾らせ、こちらを見据えた。

 そして、跳躍。

 鋭い爪を振りかざし、二人の少女に襲い掛かる。

 それは、熊からすれば必殺の一撃。そもそもからして相手はただ二人の人間であり、それも非力な少女だ。自分の攻撃を防げるわけもない……それが熊の常識だった。


 だが、この二人に限って、常識など通用しない。


「遅い」


 一瞬で展開された結界。それは、勢いよく振り下ろされた爪の一撃をたやすく受け止めた。


「ガァ?」


 半透明の壁を隔てて、間の抜けた声をあげる熊。リーダーの攻撃が防がれたことを知り、群れの歩みが止まった。

 そこに、キセアの魔術が炸裂する。

 ピンと立てられた人差し指の先に渦巻く魔術式。それは球を形成し、凝縮して光を発する。


「《光線レイ》」


 発せられた魔術名。そして、一場の閃光。立ち込める肉の焼けた臭い……結界に爪を立てていた熊は、その光線に脳天を貫かれ、絶命していた。

 あまりに呆気ないリーダーの絶命。残された熊の群れが戸惑ったように視線を交わすが、そこに容赦なく攻撃が降り注いだ。

 前兆など何もなく、熊の頭が切り落とされる。ころりと頭が落ちた熊の肢体から力が抜け、ぐしゃりとつぶれるように地に伏せる。

 リノンの結界魔術だ。


「えげつないわね」

「キセアに言われたくない」


 心外な感想に口をとがらせる。

 リノンが使ったのは、中級の物理結界だ。手の平の先ではなく、術者を中心とした半径10メートルほどの空間内の任意の場所に展開できるようにしたものであり、もともとそこにあったものを押しのけて展開される性質を持つ。それは、時間はかかるし標的ではなく座標を指定することになるが、疑似的な絶対切断を再現する。

 再び結界が展開され、熊が力尽きる。泥と血液が混じり、鉄臭さが充満する。

 完全に戦意を失った残り2匹の熊は踵を返し、去っていく。もともと降りかかる火の粉を払っただけであり、特に狩りをする理由のない二人だ。去っていく獲物を追いかけることはせず、興味を失って視線をそらした。


「行きましょうか」

「ん」


 退避させておいた麻袋を拾い、泥で汚れてしまったことに顔をしかめる。仕方ないか、と嘆息すると、熊の肢体を思案気に見つめるリノンと目が合った。


「……お金になるけど、どうする?」

「持っていきましょう」


 即答するキセアにリノンが首をかしげる。


「どうやって?」


 戦闘後で気が抜けていることもあってか、可愛らしい小動物っぽい仕草にキセアの視線が釘付けになった。反対側にこてんと首を倒すリノン。可愛い。

キセアは軽く咳払いをすると、


「こうするの。《浮遊レビテーション》」


 指を鳴らす。

 パチン、と音が響き渡った瞬間、魔術式が熊の死体を包み込む。そして、そのままふわりと浮き上がった。


「解体は馬車の近くに戻ってからにしましょう。血抜きは……歩いている間に終わるでしょうね」


 リノンが倒した熊は、首から下がきれいに切り落とされている。そのため、すでにほとんど血は抜けてしまっていた。問題はキセアが倒した熊の方だが、指を鳴らして行使された風の刃によって首の血管が切り裂かれ、勢いよく血が噴き出す。これも、数分の内に血抜きが終わるだろう。

 キセアは三体の熊の死体を背後に浮かべるとその場に背を向けた。


「行きましょう」

「ん」


 もはや戦闘時よりも高度な魔術を行使しているキセアに、リノンはあきれた視線を向ける。しかし、結局はいつものことと何かを言いかけていた口を閉じた。

 馬車を降りたに戻るころには、キセアの目論見通り、熊の死体の血抜きは終わっていた。ダメ押しとばかりにぐるぐると振り回すが、一滴の血も出てこない。


「ちゃんとできているみたいね」

「ん、完璧」


 時刻は昼前。馬車が来るまでもう少し時間がある。解体くらいはできるだろう。

 二人は腰からナイフを引き抜き、横たわる熊を見つめる。


「売れるのは、毛皮と肉、内臓。けど、肉と内臓は腐りやすいから注意」

「それは凍らせるから問題はないわ。それより、毛皮の剥ぎ取りは苦手だから心配ね。価値を落としてしまいそう」


 錬金の関係で肉や内臓の処理は自信があるキセアだが、反対に毛皮など換金目的の部位の剥ぎ取りは得意ではない。旅の生活では、食べられない部分は捨てるしかないのだから、特に必要性を感じなかったのだ。

 リノンは首を横に振る。


「熊は丈夫だから、よほどひどくなければ大丈夫」

「だったら安心ね」


 ほぅ、と安堵のため息を吐く。

 横たわる三つの死体を前に、キセアは口を開いた。


「競争よ」

「!!」


 リノンの頬がひくりと動く。


「……ずっと冒険者として活動してきた私に勝てると?」


 キセアは不敵に笑う。


「あら。旅人の技術も捨てたものではないわよ。日々の食料は必要だもの」

「上等。プロの腕前を見せてあげる」


 ふんすと息巻くリノンに、キセアは薄く笑った。


「「勝負!」」


 銀色のナイフを振るい、丁寧かつ素早く解体する――長年の研鑽があってこその、洗練された技術。二人とも速さは相当なものだ。しかし、やはり、売って稼ぐことを生業としてきたリノンがわずかに速い。

 リノンが皮を剥ぎ終え、肉を切り分ける。筋を切り、部位ごとに分け、内臓を処理。時折抜ききれていなかった血が飛び散るが、それは微弱な結界で防いでいる。

 そして――


「終わり」

「あら、負けてしまったわね」


 それは、時間にしておよそ30秒ほどの差。

 ごくわずかな僅差ではあるが、リノンが早く解体を終わらせた。


「ぶい」


 ドヤ顔を見せるリノン。そんな彼女に、キセアはそれはそれは綺麗な笑顔を向けた。


「さすがリノン。わたしよりも速いのに、きれい。毛皮も傷一つなく、肉のひとかけらですら残っていない。……残った一体も、わたしがやるよりもリノンがやった方がいいと思うの」

「う」


 リノンは気付く。

 嵌められた……と。


「その方が、収入も多くなると思うし……どうかしら」

「うぅ」


 キセアは言葉を続ける。


「もちろん、働いてもらうのだから、報酬の分け前はリノンの方が多くて構わないわ。ただ、わたしが手を出すと素材の価値が下がってしまう。それは、ギルドにとってもわたしたちにとっても不利益だと思うのよ」

「ううぅ……わかった」

「お願いするわね♪ ……と言いたいところなのだけど」


 涙目のリノンかわいい……というのがキセアの思考。ぶっちゃけると単にいじめたいだけである。


「手伝うわ。メインはリノンがお願い。技術的にもその方が良いでしょう」


 それで、リノンは再度気付く。からかわれたのだと。

 ぷくりとリノンの頬が膨らんだ。


「むぅ」

「ふふ、リノンは可愛いわね」

「知らない」


 そっぽを向くリノン、にこにことご機嫌なキセア。どことなく対照的な二人だが、その雰囲気は柔らかかった。

 はぁ、とリノンが息を吐き、残された熊の死体へと歩み寄る。


「キセア、手伝って」

「ええ」


 再びナイフを振るう二人によって熊が解体される。その頃にはちょうど昼下がりになっており、ゆったりとこちらに向かってくる馬車が姿を見せていた。

 麻袋に入りきらなかった肉と毛皮を馬車に乗せ、2人は街へと帰還する。

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