効率
明人のアルバイト先にやってきた雪音と星。
休日の小型スーパーは忙しい時間帯が終わり、客が少なくなっていた。
八雲が呆れる。
「男の子に女装とか今の中学生は凄いわ」
本気で凄いと思っていないだろう。
変態的なレベルが高すぎるという意味での凄い、だ。
明人も女装した星を見てなんと声をかければ良いのか迷っている。
(友達に女装させる発想がないって。しかも冗談とも思えないし)
似合いすぎているのが問題だろう。
下手な女子よりも可愛い星の姿は、女の子だと言われれば信じてしまいそうだった。
雪音が八雲に相談する。
「このままだと学校で冴木君も困りますし、少し協力して欲しいんです」
雪音の提案というのは、星に高校生の知り合いがいると見せようというものだ。
星の友人たちも不良ではないし、悪い交友関係もない。
軽く注意して欲しいと頼んでくる。
「別に良いんじゃない。もうすぐアルバイトも終わるから、ついていってあげるわ。明人も予定はないでしょ」
明人は首を横に振る。
「いや、夕方からあるんでそれまでに終わるなら」
雪音が明人に抗議する。
「鳴瀬先輩! 男の人がいないと駄目です! お願いです、力を貸してください!」
そんな明人に、星が疑った視線を向ける。
「でも、この兄ちゃん頼りなくない? なんか舐められそう」
そんな星の額にデコピンを放つ八雲が、明人を見た。
「馬鹿ね。結構凄いのよ。よし、見せてやりなさい」
「……え?」
何を見せろと言っているのか? 明人がしばらく困っていると、八雲がスーパーのエプロンをはぎ取ってシャツを脱がせる。
「いいから、見せてやりなさい。筋肉が見えればいいのよ!」
「止めて! 八雲先輩、止めてください!」
シャツを脱がされ、肌着を持ち上げられ胸板やら腹筋が見えると、外見からは想像出来ないくらいに鍛えられていた。
「兄ちゃん凄いな」
男らしさに憧れる星は、明人の筋肉を見て目を輝かせている。
しかし、明人からすれば恥ずかしい。
(お客さんが来たらどうするのさ。いや、来る気配がないけど……)
雪音が疑いつつ手を伸ばして触れる。
ぺたぺたと脇腹を触っていた。
「あ、本物だ」
明人は思う。
(逆に偽物ってなに?)
「もういいですよね。お客さん来ちゃいますよ」
服を着ようとする明人だったが、雪音が触り出すと星も腹筋を触っていた。
八雲も背中を触っている。
「凄ぇ! 俺もムキムキになりたい!」
ぺたぺた触ってくる中学生。
八雲は撫でるように触っていた。
「フィットネスクラブって凄いのね。今日は夕方から?」
「はい。最近は少し運動量を増やしたんです。あ、そう言えば……外見で言うなら陸なら丁度いいかも」
この前、自分を売った友人を呼び出すことを考える明人だが、店の中――上半身裸の高校生を三人がぺたぺた触っている光景は異様だった。
八雲は触りつつ聞いてくる。
「友達?」
「はい。見た目は悪い感じなんですけど、凄く良い奴ですよ」
明人をパンドラに誘った友人が陸だ。
そして、明人と同じセレクターである。
星と雪音が大胸筋を触り始めると、明人が叫んだ。
「ちょっと! そこは止めて!」
雪音と星が笑っている。
恥ずかしがっている明人をからかっているのだろう。
「よいではないか~ですよ、先輩」
「よいではないか~」
八雲も笑っている。
「良いじゃない。減るものじゃないし」
明人は思った。
(良くないよ! というか、先輩も止めて! ……まだ、パンドラの影響が残っているのかな? サービス再開から落ち着けば良いけど)
その後――陸を呼び出し、星の友人たちに注意をしてこの件は解決したはずだった。
パンドラには七つの世界があると“されている”。
既に解放された【暴食】【強欲】【嫉妬】【怠惰】【傲慢】の世界は、それぞれ【節制】【分別】【慈愛】【勤勉】【誠実】の世界となった。
残っているのは【色欲】と【憤怒】である。
この残り二つの世界を攻略する前に、パンドラの新運営は大幅な調整を行っている。
かなりの金額をつぎ込んで設備を充実させ、優秀なスタッフを強引にかき集めシステム面からイベントなど色々と手を加えていた。
そして、サービス再開前に発表されたのは、仮想世界時間の再調整。
仮想世界の時間を【九十六倍】にすると発表があった。
これは、一日二時間のログインで八日も仮想世界で過ごせる。
発表があった当日は、誰も異論を述べなかった。
加えて強引な買収と人材の引き抜きで、他のメーカーのVRゲームは事実上サービス停止に追い込まれるのだった。
明人はアパートでスマホを片手に左手で額を押さえていた。
時間は夜の二十一時を過ぎたところだ。
「本当に問題はないんですよね? それに、どうしてこんな強引な手段ばかり取るんですか?」
相手は情報屋。
運営の代表である。
『どういう意味かな? ちゃんと体や心への問題はないと実証されているよ。事実、これまで教育現場で使用されたVRマシンはゲームの何倍も長く調整されている。何度か受けているから理解しているだろうけど、何か問題があったかな?』
ゲーム内で過ごせる時間を増やしただけ。
情報屋はそう言い張っていた。
「それは……そうですけど」
『いや、本当はこっちも困っているよ。ログイン時間を短くしようという話も出たんだ。一時間のログインで、仮想世界を四日も体験出来れば十分だろう、って話で動いていたんだけどね』
情報屋が疲れた声を出す。
本来なら、ログイン時間を短くして調整するつもりだったらしい。
「そうなんですか?」
『実際に問題がなくても、不安を持つ層はいるからね。現実に影響が出ると反対する人もいるさ。ただ……こっちも企業だ。大人の世界は色々とあってね』
パンドラを安全なゲームにするために頑張っているが、力不足で済まないと情報屋に謝罪されては明人も無理を言えなかった。
「すみません。なんか、少し過剰に反応していて。もしかして、これもゲームの影響なんじゃないか、って」
『影響が出ないように調整しているよ。まぁ、少々強引な手段を取っているけど、他で計画が隠れて進行するのも嫌だからね。実際、旧運営の幹部や職員がまだ捕まっていないんだ』
国民を洗脳しようとした非道な実験。
その関係者が捕まっていないというのは怖い話だ。
『ポン助君、あまり神経質にならない事だ。もう、事件は終わったんだ。君たちが無茶をしなくてもいいんだ。後は大人に任せて欲しい』
「分かりました。すみません」
『いいさ。それより、明日からのパンドラを楽しみにしていてくれ。割とこだわっているからね』
明るい情報屋の声に少し気持ちが落ち着くと、明人は電話を切る。
部屋の中、旧式のVRマシンが自動でアップデートを行っていた。
「大丈夫……なんだよな?」
もう、何も問題ない。
明人はそう思うと、ベッドに横になる。
明日――時間にして三時間もすれば、パンドラのサービスが再開される。
◇
希望の都。
ポン助率いるギルドは、初心者用の世界に来ていた。
変わり続けるパンドラに対応するため、キャラクターのレベルをリセット、あるいは作り直しを行うためだ。
バージョンアップ前に最強の設定があったとしても、運営がソレを調整しないなんて有り得ない。
公開された情報から、新たに設定を行う必要がある。
ただし、実際に使用してみて試す必要もある。
そのため、希望の都にはトッププレイヤーをよく見かける。
中堅ギルドなども、ポン助たちと同じようにキャラの作り直しのために希望の都に足を運んでいた。
広場では、中堅ギルドが会議を行っている。
「種族調整でドラゴニアは弱くなっています。ドラゴニアの人は他の前衛向きの種族に変更してください。新種のミノタウロスは一人試験的に――」
オークと同じモンスター系のミノタウロスは、牛の頭部を持つ亜人種だ。
ステータスも前衛向きでオークに似ているが、違いがあるとすればそこまでNPCに嫌われておらず女神の祝福を受けられるという点だ。
つまり、オークの上位互換扱いである。
オークリーダーのプライが、既にチラホラ確認出来るミノタウロスを見て鼻で笑っていた。
「ふん、笑止。オークの上位互換? 蔑まれず、デメリットが少ないミノタウロスに何を見いだせというのか。我々は黙ってオーク一択だ。そうだろう、ポン助君」
同意を求められるポン助は、返答に困ってしまう。
今更オークを変更するつもりもない。
オークの里を回って強くなってきた事もあるが、そこまでミノタウロスへの憧れもない。
別に変更するつもりもないが……プライの言い分を受け入れるつもりもない。
「僕を同類扱いしないで貰えます」
「何を言っているんだい? もう、君は私たちの仲間じゃないか」
ギルドメンバー、そしてゲーム内の友人であっても、同じ趣味仲間ではない。
ブレイズが苦笑いをしていた。
「まぁ、流石に効率重視でも駄目だけど、ある程度は考えてジョブやスキルを選択しないとね。まずは無難に格闘家のジョブを選択するかな」
格闘家のジョブは、体を動かす際にシステムサポートを受けられる。そのため、体を動かす事が苦手なプレイヤーは、必須のジョブだった。
角を生やした紫髪の美女、フランが髪を触っていた。
「必要か? なくても大丈夫だろ」
そんなフランに、ナナコが羨ましがる。
「フランさんは羨ましいですね。でも、私は近接戦重視なので取りたいです。ポン助さんはどうするんですか?」
「悩み中。サポートなしで最強ジョブセットのアバターなんて、操作が難し過ぎて使う気にならないよね」
システムサポートを受けられれば動けるようになるのだが、貴重なジョブをセットする容量を取られる。
出来るだけサポートを受けないようにすれば、それだけ有利なジョブを手に入れられる。
多くのプレイヤーの悩みどころで、トッププレイヤーの多くはサポートジョブなど取ったら笑われるレベルである。
ライターは悩んでいた。
「生産職は熟練度まで失わないけど、レベルダウンは痛いんだよね。何度もキャラを作り直すのは避けたいよ」
アルフィーはどうでも良さそうだ。
「そもそも、キャラまで作り直すつもりはありませんからね。まぁ、一度で済ませたいです」
ライターが笑っていた。
「でも、アルフィーはスリーサーズを変更したって――」
「ワァー! ワァー! ライターがセクハラ発言をしました! 運営に即通報しなければ!」
楽しそうなギルドメンバーを見ていると、ポン助の近くにそろりがやってくる。
「ポン助君、メインジョブを決めたら一度外に出て使用感を試したらどうかな? 自分がどれだけ動けるか分かるし、その後のジョブやスキル選びにも役に立つよ」
こうしてアドバイスをくれるそろりの存在は、ポン助にありがたかった。
「そうですね。なら、アバターを作り直した後はみんなで外に出ましょうか」
なんだかワクワクしてくるのは、ゲーム序盤の期待感に似ていた。
マリエラは髪をかく。
「種族の変更はちょっと……まぁ、微調整くらいするかな」
レベルを一に戻し、そこから今までのスタイルを崩さないマリエラの判断にポン助は特に何も言わない。
結局、それぞれの判断に任せるのだ。
一番の新人であるイナホは。
「僕もジョブ選びに失敗したので作り直します。攻略ページを見たら、良さそうなジョブの組み合わせがあったので」
それぞれどうするか楽しそうに話をしていると、黒いローブを着用した集団が一糸乱れぬ動きで走って移動していた。
イナホが驚く。
「な、なんですか、あの人たち。一言も喋らないで……怖いですね」
そろりが何も知らないイナホに説明する。
「あぁ、知らないのか。アレがトッププレイヤーだよ。パンドラでは、ログインして計画を練っているようじゃ中堅レベル。効率を重視して暗号みたいな会話をして攻略組になれるかなれないか。無言で効率だけを重視して、動き続けてからがトッププレイヤーの廃人なのさ。もう、外で計画を練ってゲーム内では実行するだけだね」
イナホが唖然としていた。
「……それ、何が楽しいんですか?」
ポン助も理解出来ないが、人それぞれ楽しみ方が違うと理解している。
「まぁ、僕たちは人生のためのゲームだけど、あの人たちはゲームのついでに人生だから仕方ないね」
現実世界は休憩とパンドラのための資金稼ぎと作戦会議の時間。
そこまで来て、トッププレイヤーである。
常人では踏み込めない領域だ。
ポン助は全員に声をかける。
「なら、神殿に行きましょうか」
それぞれが返事をして行儀良く並んで歩き、神殿を目指していた。
片手剣に盾のスタイルは、ポン助の基本スタイルだった。
モンスターに攻撃を振るうと、クリティカルを連発して次々に赤い粒子の光が周囲に霧散していく。
近くではマリエラが安っぽい弓矢を構え、遠くのモンスターを矢で貫いていた。
アルフィーなど、まるで踊っているように剣を振り回してモンスターを倒していく。
ポン助は剣を握った手を見る。
「……おかしい。サポートなしでも体が動くぞ」
以前は色々とサポートジョブをつけて動いていたのに、今はそれらがなくても軽快に動いていた。
跳びはね、転がり、そしてモンスターの攻撃をギリギリで避けてみたのだが……以前と同じように動けている。
アルフィーはあまり考えていないようだ。
「アバターの操作に慣れてきたのでは? ほら、ポン助はリアルで体を鍛えていますから、その効果が出たんですよ」
言われて納得する。
「確かに! 最近は特に運動量が増えて厳しくなったんだよね。そっか、効果があったのか」
ゲームのために体を動かす。
何か間違っている気もするが、健康的なので何も問題ない。
マリエラは逆に楽しそうだ。
「なら、今度はサポートを外して、その分で他のジョブをセットしましょうよ。ポン助も何か生産職系のジョブを取ってみれば」
それも面白いかも知れないと考えるが、ギルドには変態――職人集団がいる。
ポン助が無理をして生産系のジョブを手に入れる必要はなかった。
「う~ん、それなら他を手に入れて様子を見てからにするよ」
しばらくは、希望の都でレベル上げだと思っていると、バイクに乗った陸――ルークが三人の前に現われた。
砂煙を上げポン助たちの前で華麗に止まると、ノーヘルのルークは三人に笑顔を向けてくる。
「よう、元気だったか、ポン助」
「ルーク! ついにバイクを手に入れたのか。凄いな」
どうやらルークは、ポン助に自慢の黒いバイクを見せに来たようだ。
「前から持っていたんだけど、ようやくメンテ前に完成したんだ。キャラの作り直しをする前に乗っておきたくてさ。レベル制限があるからしばらく乗れないんだよ」
大きな黒いバイクはこだわって作られている。
ルーク自慢のバイクを、ポン助が目を輝かせてみていると。
「乗るか? 後ろになら乗れるぜ」
「いいのか!」
「おうよ。バイク仲間が増えるための布教活動だ。それと、お前も早く最前線に来いよ。誠実の都も楽しいらしいぞ」
ポン助はヘルメットを投げて寄越されると、それをかぶってルークの後ろに乗る。そのままバイクが走り出した。
マリエラとアルフィーは置いて行かれた。
普通、もっと可愛い女の子を後ろに乗せるとか、色々と言うべき事はある。だが、マリエラもアルフィーも男のルークに嫉妬していた。
「……あの野郎、ポン助を連れて行きやがった」
「あいつは敵ですね」
ルークとポン助の後ろ姿を見送りつつ、二人は以前よりもリアルになった仮想世界の風を感じる。
髪が揺れ、そして周囲の草や土煙がまるで現実のように動いていた。
どこにも違和感がなかった。