規制緩和
そのニュースを知ったのは、明人が陸のアルバイト先を手伝っていた時だった。
VR喫茶――その店内は店員も少なければ、客も少ない。
とても手伝いに来る必要が感じられなかった。
「なんかお客さんが少なすぎるんだけど。他の店員やアルバイトもいないみたいだし」
陸は背伸びをしながら答えるのだった。
「そりゃそうだ。何しろ、もうしばらくしたら忙しくなるのが分かっているから、みんなで今の内に休んでいるんだよ」
もうしばらくしたら忙しくなると言う陸に対して、明人は細かい説明を求めた。それは仕事が暇だったからだ。
「何かあるの?」
陸はニヤニヤしていた。
「時期に分かる事だから教えるぞ。実は、パンドラの大型アップデート後のテストがもう終わったらしいんだ。店の方は準備もいるから、すぐに連絡が来たんだよ。明後日くらいには告知が来るぜ」
パンドラの箱庭。
その大型アップデートが終了したと聞いて、明人も興奮する。
「なら、もうすぐログインが出来るんだ!」
明人の反応を見ながら楽しんでいる陸は、とてもいい顔をしていた。
「そういう事だ。ようやく戻れるんだよ。長かったぜ……」
明人は陸のそんな顔を見て思う。
(興奮しているというか、なんというかそれ以上かな?)
嬉しさ、懐かしさ、色んな感情を陸の顔から明人は感じ取った。
ただ興奮しているのとは違う雰囲気を出す陸は、笑顔になると明人の肩に手を置いた。
「それからもう一つ大きな話題があるんだが……これは楽しみにしておくんだな」
「いや、ここで教えてくれよ」
陸が絶対に教えようとしないので、明人は根負けして聞き出すことを諦めた。
すると、今度は陸が明人に対して興味を示してきた。
「それよりも、だ。お前の夏休みはどうだったんだ?」
「まだ終わっていないじゃないか。取りあえず、体を動かしているよ。免許も取ったけど、自動運転が主流の今の時代に免許とか必要かな?」
教習所に支払った金額は少なくない。
それを考えると、やはり納得がいかない明人だった。
陸の方は教習所の話題よりも、興味を示したのは体を動かしているという方だった。
「それはいいな。次ぎにログインした時は、きっともっと動けるようになっているぜ」
明人は笑う。
「大げさだね。まぁ、それなりに楽しんでやっているよ」
実際には邪な気持ちが八割近くを占めているのだが、通っているのは事実である。
年上の女性たちも多いので、通うのが楽しかったのだ。
年頃を考えれば、逆に反応しない方が問題だろう。
「大型アップデート直後は色々と大変だけど面白いんだよ。ただ、今まで通用していたスキルとか装備が使えなくなることも多いからな。プレイヤーに出来るのはプレイヤースキルを磨くことだけだ」
そう言いながら、陸はシャツを脱いで夏休み中に絞り上げた肉体を明人に見せるのだった。
「どうだ。凄いだろ」
背中を見せてポーズを決める陸に、明人も頷きながら触って確かめていた。
「うわっ、本物だ」
「偽物の筋肉な訳がないだろうが。全部本物だぞ。馬鹿、くすぐったいだろ」
暇なので遊んでいると、そこに入口の向こうで立ち止まっている人影があった。
浅野雪音。十四歳。
中学二年生の彼女は、VR喫茶の入口で立ち止まっていた。
「……え、あ、あれ?」
ガラスのドアの向こうでは、アルバイト先の先輩である明人が上半身裸の男性と楽しそうに遊んでいる。
いや、もう見るからに怪しい感じだった。
「う、嘘。だって、この前は志方先輩と映画館にいたのに」
アルバイト先で息のあったコンビである明人と八雲を、雪音は恋人だと勘違いしていた。
友達と立ち寄った映画館で二人並んで座っているのを見れば、間違えるのも仕方がない。
だが、今の明人は男と戯れていた。
「まさか志方先輩は言い訳作りのために……酷い」
雪音が盛大に勘違いをしつつ、店のドアから離れて行く。物陰に隠れると座り込んで、頭を抱えるのだった。
「い、いや、待つのよ、私。きっと男子同士のスキンシップみたいなものなのよ。そう、きっとそういう事に違いないわ」
自分を納得させようとして、またもコッソリと店内を覗く。
だが、そこで雪音は決定的な瞬間を見てしまった。
「だ、だだだ抱きついている!」
明人ともう一人の男性が上半身裸の状態で抱きついており、雪音は顔を真っ赤にしてフラフラしながらその場を離れた。
「お、落ち着くのよ、私! これは何かの間違い。そう、間違いのはず! でも……もしも、鳴瀬先輩が男の人が好きだったら」
雪音にとって、八雲は仕事も出来て頼りになる憧れの先輩だ。そんな先輩が、実は言い訳作りのために付き合わされていると思うと我慢が出来なかった。
「……調べないと。それで、もしも本当に男の人が好きなら、志方先輩に伝えなきゃ」
店内。
明人は陸に投げ飛ばされていた。
「嘘! これでも鍛えたのに!」
信じられないという顔をする明人に対して、陸はポーズを決めて筋肉を強調するのだった。
「馬鹿が。これでも俺は元スポーツマンで、今も鍛えているんだぞ。負けたらショックで寝込むわ」
確かに鍛えてきた時間が違う。それを思えば、負けても仕方がないと思う明人だった。
「自信はあったのに」
陸は溜息を吐く。
冷静に考えて、暇だからと上半身裸で相撲を取るなど流石に遊びが過ぎた。
「というか、なんでこんな事をしたんだろうな。ほら、仕事するぞ」
明人も立ち上がってシャツを着る。
「何からすればいい?」
「この時間は決まっていて――」
仕事を始める二人だが、既に明人は自分がとんでもない誤解を受けていると知るよしもなかった。
次の日。
休憩室で休んでいる明人と雪音の二人。
明人はスマホを見ていた。
だが、雪音は考える。
(どうやったら女の人に興味があるって分かるのか……そうだわ、こういう時はネットで質問をすれば)
スマホを取りだし、すぐに質問を書いて反応を待つ。
『相手の男性が女性に興味があるか確かめたいのですが、どうしたらいいでしょうか?』
そんな質問に早速返答があった。
(来た! 流石は夏休みね。暇な人が多いわ)
返答を書き込んだ人に対してそんな事を考えている雪音だが、返ってきた答えは酷いものだった。
『目の前で脱げば』
暇人と罵ったのが悪かったのか、返ってきた答えはとても出来ない内容だった。
そもそも、この場で脱ぎだしたら雪音の方が変態である。
『違うんです! 恋人じゃないんです。もっと簡単な方法を教えてください!』
すると、違う回答者から返信があった。
『素直に聞けば』
雪音はイライラする。
『素直に聞けないから、何か方法がないか確認しています。そもそも、普通に聞いて答えてくれるんですか!』
次の返信は少し間があってからだった。
『じゃあ、脱げば』
『脱ぐから離れてください! こっちは真剣なんです!』
すると、からかわれているのに気が付かず、雪音はそのまま回答者たちと無益なやり取りを繰り返すのだった。
そうして最後に。
『分かった。なら下着で良いから見せればいいよ。パンチラして、それを見ない男は男じゃないから。一つ聞いていい? 貴方は男性ですか?』
『女だって分からないんですか!』
コメント欄に『www』のような、笑いを示す文字が並ぶ。
『夏休みだから変なのがわくよね。まぁ、頑張ってパンチラしてね』
そうして回答者たちがいなくなると、雪音は自分が夏休み中の暇人扱いを受けてからかわれていたのだと気が付いた。
スマホをしまって考える。
(先輩との間にはテーブルがある。下着を見せるにしてもこのままじゃ見せられない。いや、そもそも見られたくないけど……)
ここは憧れの八雲ためと思い、長いスカートを少しだけたくし上げた。
(た、たぶん、これで机の下に潜れば見えるはず)
顔を赤くして、雪音は自分の飲み物であるペットボトルに入ったお茶をわざと落として明人の方に転がした。
「あ、すみません落としちゃい――」
――ました。と、言い終わる前に転がってきたペットボトルを、明人はスマホの画面から目を離さずに手をテーブルに下に入れて受け止めた。
そのまま雪音の目の前にペットボトルを置く。
「はい。気を付けてね」
スカートを掴み、下着が見えやすいように股を少し開いた雪音は涙目だった。
「……は、はい」
失敗した事を喜びつつも、何か納得がいかない雪音だった。
(スマホの画面から目を離しなさいよ!)
休憩が終わり、店の方へと戻った雪音を見送った明人はスマホをテーブルの上に置いた。
「……まさか、陸の言いたかったのはこれの事か?」
スマホの画面に表示されているのは、VR関係のニュースだった。
二時間を二十四倍にして丸二日をゲーム内で体感できる。
だが、逆を言えばそれだけしか遊べないのは、規制があるためだった。
今までの流れから行けば、もっと規制が強くなってもおかしくはない。
「なのになんで」
明人はスマホの画面に目を落とす。
そこには――。
『VRゲームの規制緩和が可決』
――そんな文字が表示されていた。
きっと質の悪い悪戯で、アクセス数を稼ぐための嘘だと思っていた。
しかし、調べると確かに情報源もしっかりしている。
動画で可決される映像も流されており、話題は大きくなっていた。
「今日はこの話題で持ちきりになるな。けど、なんで陸はこの情報を知っていたんだ?」
どうして陸が一日前にこの情報を得ていたのか気になった明人だが、そういった準備を店でしていたのかも知れない。
そう思い、深く考えるのを止めた。
「今月からログイン二時間の四十八倍。ゲーム内では四日間か……これ、本当に大丈夫なのかな?」
パンドラの箱庭のサービス再開を狙ったかのようなタイミングに、明人は少しだけ何かあるのではないかと感じたのだった。
雪音のアルバイトの最終日。
今日は明人が実家に帰っており休みだった。
ただ、雪音もいるので誰かが代りに出てくることはなかった。
レジで仕事をしつつ、八雲は雪音を労う。
「お疲れ。頑張ったわね」
「は、はい」
憧れの八雲に褒められて嬉しい雪音だが、明人のことをどう伝えれば良いか困っていた。
だが、レジを見て八雲が顔を歪める。
「まただ。あの人、また随分と購入しているわ」
社員として購入したために履歴が残っていた。
雪音も覗くと、ゲームへの課金が何十万とされていた。
「こ、こんなにお金を使うゲームがあるんですか?」
八雲は手を振る。
「あ~、違うわよ。ここまでお金は必要ないの。パンドラ、って知っている? もしかしてプレイヤー?」
雪音は首を横に振る。
「基本月額料金で楽しめるわよ。まぁ、多少はお金も使うけどね。でも、私はそれでも月に三千円くらいよ」
基本料金にプラスして、更に三千円でも結構な出費である。
だが、八雲はまだ少ない方だった。
「クラスでも人気でしたね。そんなに面白いんですか?」
すると、雪音に対して八雲は語り始める。
「凄いわよ。大型アップデート後で更に凄くなっていると思うけど、もうやることが多くて楽しみ方も人それぞれ。まぁ、一ヶ月は無料だからやってみるのもいいかもね。VR喫茶とかで――」
VR喫茶。それを聞いて、雪音は青い顔になった。
「ちょっと、大丈夫?」
そして、潤んだ瞳で八雲の顔を見上げて告げるのは。
「先輩……実は」
雪音はVR喫茶で見た事実を、八雲に全て伝えるのだった。
それを聞いて八雲が笑う。
「あははは、ない。ないから安心して。鳴瀬はノーマルよ」
「で、でも!」
八雲は笑いすぎて涙が出たのか、指先で拭っていた。
「それに、あいつの視線はチラチラ私の胸を見ているからね。もう、バイト仲間だから気にならないけどさ。それに、付き合っていないわよ。だって、私は――まぁ、いいか」
途中で言うのを止めた八雲だったが、雪音は心配しすぎだったのかと思うとヘナヘナとその場に崩れ落ちるのだった。
「そんなぁ~。私、色々と心配して頑張ったのに」
八雲が雪音にその時の頑張った行動の内容を聞くと、真剣な顔で二度としないように告げるのだった。
夏休みも残すところ数日。
だが、明人はVRマシンをパソコンから操作していた。
「アップデートのインストールは終わった。注意事項も読んだ。これで準備は完璧だな」
サービス再開前にアップデートのダウンロードが可能になった。
そして、サービス開始まで残すところ三時間となっていた。
「零時に一斉にログインするんだろうけど、混むからいつもの時間で良いか」
大型アップデートに加え、タイミングの良すぎる規制緩和だ。
プレイヤーの多くが浮かれていた。
もちろん、明人もそんなプレイヤーの一人だった。
すぐにログインをしたいが、そもそもいつも一緒にプレイしている二人もいつもの時間にログインする予定だ。
五時から七時までの二時間が、いつものログイン時間である。
「準備は終わっているし、いつもの時間で良いか」
ベッドに横になり目を閉じる明人は、そのまま眠ってしまう。
しばらくすると、業務用のVRマシンが動き出す。パソコンも起動して何かをダウンロードし始めた。
それが終わると、パソコンはスリープ状態になる。
VRマシンも同様だった。




