プロローグ
朝の四時。
アラーム音で目を覚ました青年【鳴瀬 明人】は、欠伸をしながらベッドの上で上半身を起こして背伸びをする。
ボンヤリとした頭で見慣れた部屋の中を見渡すと、カーテンの隙間からまだ暗い外の様子が見えた。
自動で部屋の明かりがつくと、エアコンが動き出して涼しい風を感じた。
汗ばんだ体に触れ、寝癖のついた黒髪に触れる。
季節は夏だった。
「この時間帯に起きるのも慣れて来たな」
起きて学校に向かうには早すぎる時間帯。
ベッドから抜け出し、顔を洗いに洗面所へと向かう。
ティーシャツにトランクスという恰好だが、ここ数ヶ月で随分と身長も伸びて体付きも逞しくなってきた。
顔を洗い、口を濯いで部屋に戻ると、壁に埋め込まれた大きなモニターの電源を入れる。
画面には今日の天気から、ニュースの一覧が表示される。
番組を選択するとニュースでは気になる話題をやっていた。
『続いては、月の住人――ルナリアンの大使が地球に降りてきたニュースです。技術交流は盛んに行われていましたが、実際にルナリアンが地球に来るのはこれが初めてで』
かつて地上に人が住めなくなった時。
人々には二つの道が用意された。
月に移住して生き延びる道。
地上に残り、土の中でコールドスリープをする道だ。
地球人は世代を重ねる事なく時間を過ごしてきたのに対し、ルナリアンは月で生きてきていた。
ニュースで流れているルナリアンは、背が高く全員が細い。
どこか人よりも作られた人形のように感じるルナリアンたち。
背の高い白人男性が見上げるようなルナリアンは、笑顔で手を振っていた。
コメンテーターが、ルナリアンの目的について話をしていた。
『ルナリアンは、地球に残ったコロニーの再利用。発電所の計画に視察が主な目的となっています』
女性アナウンサーが、映像を操作してコロニーのイラストを表示させた。
地中に作られた巨大施設であるコロニーは、かつて人類が眠っていた場所だ。そこには様々な物が今でも眠っていると明人は聞いていた。
「そう言えば、社会科見学でコロニーを見学する予定だったな」
冷蔵庫から朝食用のレーションを取りだし、電子レンジで温める。
モニターを見ているとカメラを見ていたルナリアンと視線が合う。
明人は目眩を覚えて頭を押させると、ルナリアンが醜い笑みで笑っているように感じた。無表情の顔と、醜く笑っている両方の顔が重なるように見えていた。
「なんだ、今の顔は?」
首を横に振ってよく見るが、そこには無表情のルナリアン男性の顔があるだけだった。まさか、カメラの前であんな笑みはしないだろうと明人は思い直す。
白い同じ服装で統一された背の高い不気味な集団。
明人にはそう感じられた。
モニターでは、コメンテーターが笑顔で話をしている。
『ルナリアンの技術により、我々の生活は格段に進歩しています。これも、月で生きてきた彼らのおかげですね。今回も発電所の大事な部分はルナリアンの彼らが技術者を連れ――』
明人は彼らルナリアンを見ながら、先程の感覚の正体を探ろうとする。だが、電子レンジの音が部屋に響いたので考えるのを止めた。
「はぁ……僕には関係ないか」
関係ない。そう思った明人は、視線を部屋の隅に置かれた大きな箱へ向けた。
業務用のVRマシン。友人から購入し、人気タイトルであるオンラインゲームを楽しむのが明人の日課である。
一日にログインできる時間はたったの二時間。
だが、ゲーム内では時間が引き延ばされて丸二日も体感でプレイすることが可能だった。
「五時までに準備をしないと」
そう言って食事を電子レンジから取りだし、明人はモニターから視線を外した。
『地球の皆さん、こんにちは』
挨拶をするルナリアンの笑みは、どこか作り笑いをしているように見えた。
女子寮。
ルームシェアタイプの寮では、赤毛の女子が少し慌て気味に歯磨きをしていた。
その後ろを後輩である女子が通る。
「あれ? 先輩、そんなに慌ててどうしたんですか?」
口を濯ぎ、拭うと【志方 八雲】はショートボブの髪を整えながら後輩に返事をするのだった。
「寝坊したの。毎日五時にログインするから、それまでに準備をしないと」
慌てている理由は、ログインするまでに時間がもうほとんどない事だった。
後輩の女子は呆れつつ八雲を見ていた。
「先輩、毎日ログインしていますよね。別に遅れても問題ないですよ。一人でも楽しめるじゃないですか」
八雲は左手をひらひらと横に振って否定を示した。
「向こうの知り合いに悪いじゃない。それに、今日は最終日だからね」
七月十日……。
テスト期間も終了し、学校では夏休みも迫っている。
そんな中で、【パンドラの箱庭】というVRMMORPGの人気ゲームは大型アップデートのためにサービスの一時停止が告知されていた。
後輩は溜息を吐く。
「サービス再開まで暇ですよね。先輩はどうするんですか?」
八雲はチラチラと時計を見ながら、身支度を調えていた。
女子ばかりの空間で、少しばかり肌の露出が多い服装を着ながら鏡に向き合っている。
「バイトと資格取得かな」
後輩の女子が呆れていた。
「先輩、美人なんだから彼氏でも作れば良いのに」
八雲は鏡を見ながら、ゲーム内の仲間――オークアバターを使う【ポン助】を思い出す。
「……理想のタイプがここにいないのよね」
その話を聞いて、後輩の女子は笑った。
「ゲームのしすぎで理想が高いんですよ。今度、合コンでもしましょうよ。昔はそうやって男女の出会いの場を――」
確かにゲーム内には美形のアバターが多い。アイドルに俳優をベースにアバターを作成するプレイヤーも多く、美男美女がゴロゴロしている。
ただ、八雲には興味がない。興味があるのは――。
「別に良いわ」
八雲は本格的に時間がなくなっており、慌てるように部屋に戻っていく。
「ごめん、時間ないから行くね」
「あ、先輩!」
バタバタと自室へ戻る八雲の背中を見ながら、後輩は頬を膨らませていた。
「もぅ、そうやってすぐに逃げるんだから。でも、先輩の理想のタイプ、ってどんな人だろう?」
◇
ゲーム内。
節制の都の広場には時間になると数多くのプレイヤーたちがログインを始めた。
そんなプレイヤーたちの中で、一際大きな体をした銀色の髪のオークが光に包まれながら出現する。
太い手足。まるでモンスターのような風貌は、見る者を威圧する。
まるで蛮族のようなスタイルの装備もあって、隣に出現したプレイヤーが驚いていた。
そんなオークをアバターにしているプレイヤーに、一人のプレイヤーが抱きつく。
「ポン助ぇ!」
体当たり気味に背中に抱きつかれ、オーク――ポン助は前のめりになった。
そこにはショートボブで、金髪碧眼の女性――【アルフィー】が抱きついている。
赤く輝くようなドレスは装飾が過剰に施された課金アイテム。
その他、持っている物全てが課金装備というアバターであるアルフィー。
外見は十代の美少女で、体付きも女性らしい。柔らかい感触を感じるポン助だが、アバターの性別が必ずしもプレイヤーと同じではないと知っているために冷静だった。
「ポン助! 近くに出現しましたね」
「……アルフィー、重い」
嬉しそうなアルフィーに向かって、真顔で重いというポン助。
そのまま笑顔のアルフィーに平手打ちを食らう。
頬を膨らませ怒っているアルフィー。
ポン助は頬を赤く腫れさせ、アルフィーを前に謝っていた。
ただ、不満もある。
「なんだよ。事実じゃないか。別に体重が重いとか言っていないのに。課金装備が重い、って意味だったのに」
ブツブツと文句を言っていると、そこに赤い髪をポニーテールにしたエルフの女性がお腹を抱えて笑っていた。
体のラインが出るような装備に加え、大きな弓を背負っていた。
名前は【マリエラ】。
主に三人で普段からゲームを楽しんでいる。
正確には、四人というパーティーの最大人数を揃えられていないのが現状である。
あと一人がどうしても集まらないのだ。
アルフィーが怒っていますと態度で示している。
腕を組むと胸が押し上げられていた。
ポン助から顔を逸らしているのだが、チラチラと見ている。
「なら、今日は希望の都の観光エリアに向かいましょう。あそこで一日遊んだら許して上げます」
そんなアルフィーの意見を、笑っていたマリエラが反対する。
「なんでよ。アップデート前にレベル上げと資金集めをしよう、って話をしたじゃない。ポン助、平原か森に行くわよ」
マリエラはすぐにレベルを上げたいらしい。
というのも、節制の都――NPCたちの多くがエルフであり、エルフたちの故郷という設定だった。
都市部中央に巨大な木が、まるで都市の天井になるように枝や葉を広げている。
周囲の崩れかけた建物には苔が生え、地面は芝生でフカフカしていた。
自然豊かなエルフの都。
そのため、エルフであるプレイヤーたちには、重要なイベントなどが多い。
「短剣の二刀流が欲しいの。そのためにはレベルを上げないと」
エルフであるマリエラにしてみれば、遊び中心よりレベル上げの方がいいらしい。
ポン助は睨み合う二人を見つつ溜息を吐いた。
「なら、初日はレベル上げで、二日目に希望の都に戻ろうか」
そんな妥協案を出すポン助に、掴み合って喧嘩を始めていたマリエラが振り向く。
「あんた、そんな事でいいの? 火竜の角を祭壇に捧げるイベントをやっていないじゃない」
火竜の角。
希望の都から出るために、ボスである火竜を倒した時に手に入れたレアアイテムだ。
オークは通常のアバターと違って不利な制約が多いため、強化をするにもイベント頼りだった。
他のプレイヤーたちは、神殿に向かえば独自のカスタマイズで力を増やす事も、早さを上げる事も出来る。
だが、オークだけはそれが出来ない。
ステータスは非常に優秀なのだが、色々と不利な設定なども多く【ネタ種族】扱いを受けるのがオークという種族だった。
そんなオークの強化イベントが、祭壇にアイテムを捧げるという物である。
ポン助は首を横に振る。
「あ~、無理。レベルが足りないし、人手も足りないというか……ほら、オークの集団がいるじゃない。あの人たちが後で来るから、その時に一緒にイベントを受けようかな、って」
オークの集団。
ネタ扱いを受けるオークだが、プレイヤーの中にはそれでもアバターとして設定する者たちがいた。
ちょっと……いや、かなり変わった集団だが、別に悪い人たちではない。
アルフィーが嫌そうな顔をする。
「あいつらを待つんですか」
ポン助は周囲を見回した。
広場に集まったプレイヤーたちは、談笑しているグループもいるが集まったらすぐに走って冒険者ギルドに向かっている集団もいた。
だが、ログインしたプレイヤーたちの多くが広場から去っている。
「僕たちも行こうか」
すると、互いに喧嘩を止めたマリエラとアルフィーが、乱れた髪と服装を整えていた。
「まぁ、ポン助がそう言うなら従いますよ。本当なら二日間は遊びたいところですが」
マリエラがアルフィーを睨み付ける。
「五月蝿いわね。こっちは装備とか、色々と揃えるのに外でモンスターを倒さないといけないのよ。あんた、いい加減に課金装備を止めなさいよ。課金までして装備を使わないとか、勿体ないじゃない」
課金装備とは、オンラインゲームでは当たり前になっている。
リアルマネーで強力な装備を揃えられるのだが、パンドラでは数百円で購入できる。しかし、数回のログインですぐに耐久地が減って使えなくなってしまうのだ。
自分たちで手に入れた装備と違い、修理もできない。
アルフィーは髪をかき上げる。
「問題ありませんね。それに、納得のいく装備がないから仕方がないんです」
安く、そして趣味じゃない装備など使用しないというアルフィーの意見。
「まぁ、人それぞれだからいいけど、無理だけはしないでね」
ポン助はそう言って歩き始めた。
すると、目の前をNPC――ノンプレイヤーキャラクター――であるエルフの女性が通る。
同じ種族であるマリエラを見ると、笑顔で挨拶をしてきた。
「こんにちは。良い天気ですね」
落ち着いた服を着て、肌の露出が少ないそのNPCは穏やかな顔をしていた。
すると、マリエラとアルフィーがハッとした顔になる。
NPCがマリエラの隣に立つアルフィーを見ると、ヒューマンであるためか侮辱したような、見下した態度に変わった。
笑顔だが、明らかにマリエラに向けた笑顔と別物の笑顔だ。
「下劣な下等種がいると空気が悪いですね。人間臭いですわ」
そして最後に、NPCがポン助の方を見る。
マリエラやアルフィーに向けた笑顔が徐々に曇り、そして憎しみに歪んでいた。
ポン助は思い出した。
(あ、名物NPCのクララだったかな? そう言えば、かなりきついNPCだったよな)
久しぶりに出会う他種族を極端に嫌うNPCを前に、ポン助はいきなり拳で腹を殴られた。
「おふぅっ!」
腰の入った良いパンチを受けて、膝をつくポン助。
「……な、何故? 前はここまでしなかったのに」
苦しみながらクララを見たら、見下して唾を吐いてきた。顔に唾がかかる。
マリエラがクララに掴みかかった。
「てめぇ、またか! またなのか! なんでポン助を殴ったのよ!」
するとクララは、マリエラだけには笑顔で言うのだ。
「ようこそ、冒険者の皆さん。ここは節制の都です」
「いきなりRPGの定型文みたいな台詞を口にするな! あんた、やりすぎだろうが! いるな! 絶対に中に人がいるな!」
顔を逸らして意味ありげに笑うNPCを揺さぶるマリエラ。
アルフィーはポン助に駆け寄り抱き起こしていた。
「大丈夫ですか、ポン助?」
オーク種がネタ扱いを受ける理由……それは、NPCにかなり嫌われているのも理由の一つだった。
「……マジで痛い」
鋭く、そして重い一撃にポン助は運営への恨みを積もらせるのだった。




