エピローグ
パンドラの箱庭。
そこは最前線に一歩及ばない【分別の都】。
かつては【強欲の世界】――【強欲の都】と呼ばれていた場所である。
そんな分別の都にある、人通りが少ない入り組んだ路地を丈が腰までのローブを着用した三人組みが歩いていた。
迷路になっている道を迷わず進み、そして木製の看板がかかっている建物を見る。
ギルド【情報屋組合】は、たった一人――ギルドマスターが存在するだけのギルドだ。
ただし、他のギルドに在籍しながらも、協力してくれる情報屋。
そして情報屋専門のプレイヤーたちが集まる場所でもあった。
三人組みがドアを決められた回数ノックし、しばらく待つとドアが開く。
部屋に入ると殺風景な部屋の中、木製の丸いテーブルを囲んでいる五人がいた。
「悪いな、遅れた」
三人組みが席に着くと、ギルドマスターが口を開く。
「それでは定例会といこうか。面白い情報が入った。ついにオークのセレクターが見つかったようだ」
残り七人がそれを聞いて、納得したような顔をする。
「条件は分かったのか?」
ギルドマスターは頷くも、難しい表情をしている。
部屋の中、顔をさらしているのはギルドマスターだけだった。
「どの場合も例外はない。業務用のVRマシンが鍵になっている。確かにアレでもプレイ出来るだけのスペックはあった。元々、家庭用のマシンはアレの劣化版に過ぎないからな」
一人がローブで見えない顔のアゴをさすり、そして口を開く。
「今からでは無理だな。もう全てが回収し終わっている。探せば見つかるとは思うが……」
業務用のVRマシンは、販売企業が回収を行っていた。
そのほとんどがバラされて部品にされ、資源として再利用されてしまっては回収できない。
ギルドマスターが手を組んでテーブルの上に置く。
「時間がない。プレイヤーたちはこのまま怠惰の世界を攻略してしまう。早ければ六月の終わりだろう。……運営は既に大型アップデートの準備に入った」
情報屋の彼らが集まり、何を話しているのか?
プレイヤーであれば大型アップデートは歓迎すべきではないのか?
そういた疑問など無視して話は続く。
「暴食、強欲、嫉妬……次は怠惰か。暴食と強欲の影響は少なかったはずだが?」
一人がそう言えば、ギルドマスターがテーブルを軽く叩いた。
空中に映像が映し出される。
「微々たる数字だが影響が出始めている。一回目と三回目……影響は段々大きくなっている」
一人が慌てたように言う。
「早急にセレクターを確保するべきだ。業務用のマシンを確保して新しいアカウントを得れば俺たちでも――」
しかし、ギルドマスターが首を横に振った。
「セレクターの全員が業務用のマシンを使用していた。だが、マシンだけが条件ではない。持っていてもただのプレイヤーである場合が多い」
大きな一つのきっかけではあるが、それが全てではないと言うとギルドマスターは椅子の背もたれに体を預けた。
一人が周囲を忙しなくキョロキョロと視線を動かしながら、ギルドマスターにたずねた。
「間に合うのですか? こうなれば攻略の邪魔を――」
違う情報屋が鼻で笑う。
「廃人共がそれで止まるとでも?」
情報屋は自分たちだけではない。
更に、悪いニュースがあった。
「プレイヤーの数が三千万人を突破した。日本の総人口の半分を超えた。だが、まだ止まらない新規のプレイヤーは増え続ける」
映像には現実世界のニュース番組が映し出された。
女子アナが老人ホームを訪れている。
『話題のVRゲームパンドラの箱庭ですが、最近ではこのように老人ホームに装置を提供し、体の不自由なお年寄りたちにも元気だったあの頃を思い出して貰おうという試みに挑んでいます』
施設の担当者が、笑顔で女子アナに答えていた。
『最初はゲーム? なんて思っていたんですよ。確かに色々と効果はありますけど、好き嫌いもありますからね。でも、仮想世界を体験すると、どのお爺ちゃんもお婆ちゃんも毎日ログインするんです。暗かった方がいるんですが、今は凄く明るくて』
そこまでで映像は停止させられた。
「爆発的にプレイヤーが増えている。この流れは止められない」
情報屋の一人が項垂れ、そして口を閉ざしてしまった。
ギルドマスターが締めくくる。
「いずれにしろ、計画は進んでいるということだ。早急にセレクターの監視も必要になってくる。セレクターは周囲にも影響を与えているからな」
◇
駅前にある大型モニター。
明人が住んでいる地方都市で一番大きな駅は、休日には若者たちで賑わっている。
そんな中、花壇の囲いであるレンガの上に座り、明人はモニターを眺めていた。
『パンドラの箱庭と英会話塾がコラボ! 英語をもっと身近に感じよう!』
そんなCMを見ていると、パンドラというゲームは色んな企業とコラボしているのだと感心させられた。
「英語を話すNPCたちを配置して、周りが英語で生活している空間を作り出す、か。VR講習じゃ駄目なのかな?」
頭に知識は叩き込んでいても、それを活用しなければほとんど意味がない。
ある程度は分かっていても、喋る機会がなければ知識は衰え意味をなさなくなる。
そのため、こうした英会話塾などは残り続けてきた。
「実践が大事なのかな?」
腕を組んで考え込むと、声がかかる。
「ちょっと、なにを難しい顔をしているのよ。まだ時間前よ」
目の前に立っていたのは、志方八雲だ。
今日は私服姿で、明人の前に登場した。
「あ、すみません! って、先輩気合入っています?」
買い物の手伝いを頼まれた明人が、待ち合わせ場所で時間を潰していたのだ。
八雲は耳横の髪をかき上げた。
「こんな場所でだらしない恰好なんか出来ないわよ。後輩とか先輩がいるかも知れないんだし。それより、今日は頼むわよ」
荷物持ちとして雇われた明人だったが、内心では喜んでいた。
「任せてくださいよ。ところで、何を買うつもりなんです?」
八雲は少し顔を上げ、人差し指を唇に当てた。
「う~ん……色々?」
なんともアバウトな答えだと思いながら、明人は八雲と歩き出す。
その光景を、一人の女子が見ていた。
◇
習いごとがあったために、駅前に来てみれば摩耶は見知った顔を見た。
「鳴瀬……君?」
横を見れば赤毛で肩まで髪がかかるかかからないかのボブカット。雰囲気はどこか最近関係が微妙なマリエラに似ている。
ムッとして女性の方を見ていたが、その横で明人が嬉しそうにしていた。
「そっか。付き合っていたんだ」
なんとなく、ムカムカする。
胸の辺りがモヤモヤした摩耶は、溜息を吐くと習い事をやっているビルを目指して歩き始めた。
「今日にでもポン助に相談しようかな」
◇
ゲーム内。
宿屋の一階にある食堂で、アルフィーがジョッキにてジュースを一気飲みしていた。
「何かあったの?」
そんなアルフィーを見ながら、漫画肉を食べているポン助に泣きつく。
「聞いてくださいよ、ポン助! 今日、マリエラに似た人が恋人と楽しそうに歩いているのを見たんです!」
それを聞いてマリエラはピザを食べている。
「ふ~ん、私に似ている、ね」
少し気になったのだが、ゲームのプレイヤーは何千万人だ。
ハッキリ言ってリアルで会おうとするのは難しい。
オフ会でも開かない限りは無理である。
「なる程……恋人がいたのが悔しかった、と。あ、それってリア充爆発しろ、って奴ですよね!」
ポン助がそういう事かと納得しているのを見て、アルフィーが違うと言いながらポカポカとポン助を叩いた。
「違います! その恋人が知り合いだったんです! それが本当に楽しそうで……私の時はなんだか距離を置くのにおかしくありません?」
マリエラがジョッキを手に取った。
「おかしくないんじゃない? だって、その人は付き合っているんであって、あんたは何にも関係ないじゃない」
アルフィーがマリエラを睨んだ。
「……マリエラが楽しそうに見えて腹が立ちました。ついでに、リアルでまで見せつけてくるマリエラが腹立たしく」
マリエラがジョッキをテーブルに叩き付けた。
「私は関係ないでしょうが!」
ポン助は二人を見ながら思う。
(その恋人、って男なのかな? 女なのかな?)
ゲーム内のアバターで女だからと、現実でも女性である理由はない。
(まぁ、いいか。というか、アルフィーが実はこちら側だったとは)
自分も異性に縁がないと思いつつ、以外にも金持ちのアルフィーまでこちら側とは思わなかった。
仲間が出来て妙に嬉しいポン助は、アルフィーの肩に手を置いた。
「ようこそ、モテない同盟へ」
その笑顔にアルフィーが腹を立て、思いっきり手の甲をつねる。
「痛い! なにするんだよ。これからもっと仲良くやれそうだと思ったのに!」
アルフィーが立ち上がる。
「何故か侮辱された気がしました。ポン助、罰として椅子になりなさい」
ポン助が肩をすくめる。
「あ~、ヤだヤだ。出たよ、アルフィーの女王様発言。分かったよ。プライさんたちを呼んで上げるから好きにしなよ」
マリエラがドン引きしたように装って笑っていた。
「あんたもオークパーティーを笑えないわよね。というか似合いすぎ」
アルフィーが叫ぶ。
「お前ら二人、そこに並べ!」
ムキッー、と叫びそうなアルフィーが武器を手に取ると宿屋のドアが勢いよく開く。
そこからゾロゾロとオークの集団が入ってきた。
――五人も。
「呼ばれて参上! 女王様の椅子には私がなる!」
ポーズを決めるプライに続き、他のオークたちもポーズを決めた。
「放置プレイも悪くない。だが、やっぱり打撃も欲しい!」
「俺は踏まれたい」
「今日こそポン助ではなく、僕たちに!」
そして新入りのオークが慣れない感じでポーズを取った。
顔を赤くしている。
「くっ、なんで俺が巻き込まれないといけないんだ。俺は蔑んだ目で見られるだけで良かったのに」
ポン助が口をあんぐりと開けて、そしてオークたちを指差した。
「……増えましたか?」
プライが腰に手を当て、胸を張った。
「ははは! そこで新参者を見つけてね。一見して分かった。彼は私たちの仲間だよ、ポン助君」
片目をつむり、親指を突き立てるプライに、ポン助は首を横に振った。
「僕を巻き込まないで貰えます。あぁ、アルフィーは貸し出すのでどうぞご自由に」
「マジで!」
デュームが興奮して鼻息を荒くしてくると、ポン助は足払いをされて転んだ。
「ぬおっ!」
四つん這いになったところで、アルフィーがどかっとポン助に座る。
「おい止めろ! 僕にそんな趣味はない!」
だが、そんな事はオークたちに関係がなかった。
「……貴様はそうやって、自分だけがご褒美を貰えれば良いのか!」
「やはりお前がラスボスか!」
「今日こそ叩っ切ってやる!」
「新しく手に入れたこの武器で――」
「……羨ましい」
五人目のオークも手遅れな感じを醸し出しており、ポン助は慌てて立ち上がろうとするとアルフィーが顔を赤くして涙目立った。
「ポン助の馬鹿」
「え、なんでさ!?」
何か悪い事をしたのかと焦るポン助だが、それ以上に五人のオークたちからの殺意が怖かった。
(先にこちらを何とかしなくては)
そんな中、マリエラは今日も騒がしくなると思ってオークたちの料理も注文するのだった。
そして、思い出したのか手を叩く。
「あ、そう言えば私が作った料理があるから、みんなで食べましょう!」
アイテムボックスから出てくる不気味な何か。
ギリギリ完成した料理を前に、ポン助たちは本気でドン引きするのだった。
アルフィーがその料理を一口食べて、咳き込む。
「……不味い」
マリエラがショックを受けた。
「なんでよ! あれから結構頑張ったのよ! あんたたちも何か言って!」
オークたちが一斉に首を横に振った。
「すみません。メシマズは別ジャンルなんで勘弁してください」
涙目のマリエラがポン助に視線を向けた。
目に涙をため、口を閉じて泣くのを我慢している。
ポン助は、アルフィーの椅子になりながら……。
「も、持って来い」
マリエラの顔が明るくなる。
「ポン助!」
視線を逸らしながらそう言って、マリエラの料理を全部食べるのだった。
今日も彼らは平和にゲームを楽しんでいた。