綱渡り
『一週間のログイン停止処分とします。いいですね?』
事務的なやり取りだった。
マリエラは俯いたまま小さく頷くと、そこで現実に引き戻されてしまう。
ヘッドセットを外せば、時間はまだ目覚める時間帯ではない。
窓の外は日が昇り始めた早朝。
マリエラ――八雲は無言のままヘッドセットを横に置いて膝を抱え、そこに顔を埋めた。
最後にポン助から言われた言葉を思い出す。
「……もう関わらないって」
八雲が顔を上げると、酷く絶望した顔をしている。
時計を見れば普段目覚める時間ではない。
カレンダーを見れば、今日は休日出勤でアルバイトがある日だった。
他のシフトの女の子が休んだのだ。それに八雲は苛立っていたが、今日は何の感情も湧いてこない。
ゆっくりとベッドから出て、着替えもせずに向かったのは台所である。
女子寮になっているため、台所に行くと後輩がお弁当を作っていた。彼氏のために作っているのか鼻歌を歌っている。
八雲が手伝わされ、昨日作っておいたおかずを盛りつけているところだった。
「あ、先輩おはよ――ひっ!」
「……おはよう。これ、借りるわね」
挨拶をした後輩は、八雲が手にした物を見てギョッとした。
雰囲気がおかしいのを察し、そして酷く悪い顔色を心配している。
「こ、これから料理ですか? というか、顔色が悪いですよ。休んだ方が良いと思いますけど。あ、病院に!」
病院に言った方がいいと言う後輩に対して、八雲は笑顔を向けた。
どこか酷く寂しさを思わせる笑顔で。
「大丈夫。それと、台所は使わないから。……彼氏と仲良くね」
包丁は料理をするようになった八雲が購入したものだ。
良く切れると評判で、値段も相応にする。
どうせ使うならと八雲が購入したのだ。
部屋へと戻る八雲に、後輩が声をかけた。
「せ、先輩? 今日はなんだかおかしいですよ。あ、あの、何かあったんじゃ?」
八雲は振り返った。
「何もないわよ。大丈夫。今日はアルバイトがあるから、これから準備をするだけよ」
「ほ、包丁はいらないんじゃ」
八雲はそのまま準備をするために部屋へと戻っていく。
朝。
一週間のログイン禁止を言い渡されたアルフィー……摩耶は、両親に呼び出されていた。
テーブルを間に挟み行われたのは、会話ではなくお説教。
俯いて青い顔をしている摩耶に対して、両親は興奮が冷めやらないという感じだった。その理由が――。
「摩耶さん、聞いているの!」
母親がテーブルに手を置くが、興奮しているのか叩いた形になった。
写真やら報告書が置かれたテーブルには、摩耶と映る明人の姿があった。
父親が手を組んで冷静を装っている。
「……随分と仲が良さそうじゃないか。こんな露出が多い水着なんかを着て、男と宿泊したとは聞いていたが情けない」
明人のことを調べていた両親。
摩耶は口を開かずその写真を手に取った。
たまたま、タイミング良く倒れそうになって明人が手を握った時のものだ。
繋いでいた手の部分を指でなぞる。
父親が話を続けていた。
「あいつに任せたのが間違いだった。お前の自由にさせようと思ったが、こんな男を選ぶくらいなら見合いをした方がマシだ。おまけに警察沙汰になって……」
明人のことを貶していたが、摩耶はほとんど話を聞いていなかった。
テーブルに置かれた見合い写真。
母親が話を進める。
「年は離れていますが、それでも家柄も良く立派な会社に勤めている方です」
相手は二十代後半という年齢だった。
だが、摩耶には興味がない。
「近い内に見合いの席を用意する。卒業後は結婚をして家庭に入りなさい。まったく……大学まで出させようと思っていたのに」
摩耶は優秀だ。
それこそエリートと呼ばれるくらいに優秀だ。
だから、両親も良い大学を卒業させるつもりだった。
留学させても良かった。とにかく箔を付けて、もっと良い相手を見つけるつもりだったのだ。
それが、明人のような平均前後の凡人となど……両親には認められなかった。
母親が両手で顔を隠す。
「本当ならもっと家柄も良くて、立派な男性と結婚して欲しかったのに」
今の摩耶では、見合いの席を用意した男性しか選べなかったと泣いていた。
父親が母親の背中をさする。
「見合いの席は顔合わせのようなものだが、準備はしておきなさい。それと、結婚は決定事項だ」
結婚という言葉に小さく肩を揺らした摩耶だが、両親に返事をする。
「分かり……ました」
俯いて表情は見えないが、立ち上がるとその場を後にした。
摩耶が出ていくと、父親がテーブルの上の資料を見て溜息を吐く。
「こんなろくでもない男に引っかかって」
母親が激怒した。
「だから貴方が理事をしている学園に通わせたくなかったんです! まだ、相応の学生なら今後もありますから様子を見られました。けど、こんな……」
明人の情報がグラフで表示されている資料は、どの才能も平均前後。
資料は高校入学前の物だった。
「分かっている。二学期はクラス替えも考えている」
「退学にしてください! ソレが駄目なら、摩耶を転校させてください! あの子の将来がこんなところで駄目になるなんて」
父親が「転校は駄目だ。だが、退学も難しい」そう言っていると、使用人が台所で慌てていた。
母親がそちらを見る。
「なんですか、騒々しい!」
エプロンをした女性が頭を下げてきた。
「申し訳ありません! あの……台所の包丁が一本見当たらなくて。それで、いったいどこにやってしまったのかと」
父親が不満そうにしていた。
「包丁一本で騒ぐんじゃない! それから、しっかり管理しておかない君たちの責任だ。まったく……こっちはそれどころじゃないんだ!」
普段はもっと落ち着いた態度を見せるが、摩耶の件で二人はカリカリしていた。
だから、使用人の「そ、その、お嬢様を台所でお見かけしたのですが」という言葉を聞いていなかった。
目を覚ましたライター……純は大慌てで連絡を取っていた。
「あぁ、私だ。……やはりそちらも駄目か」
連絡を取ろうとしているが、どうしても八人と連絡が取れない。
ギルメン専用のチャットで呼びかけても返事もない。
明人を中心に、暴れ回った七人との連絡がつかないのを、純は冷や汗をかきながら心配していた。
通話をしている相手はブレイズ――直人だった。
『仕事で抜けられません。手の空いているギルメンもいない事はないんですけど、数が少なくて』
割とギルドメンバーたちは忙しい。
現実世界で頑張っているようで何よりだが、問題は今だ。
「なんとかしよう。急いで探さないと本当に死人が出てしまう」
通話が終わると、純は吐き捨てるように言うのだった。
「くそっ! ソロリの奴、なんて事をしてくれたんだ!」
ソロリのチャットでの書き込みは、イラスト付きで。
『メンゴ、メンゴ』
だった。
過去のデータから見つけた謝罪しつつ相手を煽る言葉らしい。
それに余計に腹が立って純を苛つかせた。
「おかげでこっちは友人の子が道を踏み外そうと――なんだ?」
電話がかかってきた。
相手は摩耶の父親だった。
「もしもし?」
『俺だ』
「いや、分かっているが? というか、こんな朝から――いや、都合良いな!」
すぐに純は摩耶のことを聞くのだが。
「……み、見合い!?」
『形式上は、な。卒業と同時に結婚させる。これは決定事項だ』
純の頭の中はフル回転していた。
摩耶、見合いを言い渡され結婚決定。
↓
自棄になる。
↓
明人を刺す。
↓
見合いがなくても刺す。邪魔な奴も刺す。
↓
一緒に死ぬ。
観光エリアを火の海にした女だ。
あの時の様子から、何かしでかすとは容易に想像できる。
「ば、馬鹿野郎」
『これもお前のせいだぞ! 驚いたのはこっちだ。あんな男にたぶらかされて……』
「ば~か、ばーか、ばぁぁぁかぁ!」
『お、おい、どうした?』
純は一度深呼吸をして、摩耶の父親と話をした。
「それよりも、だ。摩耶ちゃんの様子はどうだった?」
『様子? そ、そう言えば……相手の男の写真や資料を用意していたから、青い顔をしていたな。なんというか、生気がないというか……まぁ、こういう状況になって、ようやく自分が何をしたのか分かったんだろ』
(それ、落ち込んでいるのは間違いないかも知れないが……いや、あの摩耶ちゃんだぞ。観光エリアを火の海にした摩耶ちゃんだぞ!)
『あ、ちょっと待ってく。……なんだ? まだ見つからない? 今は忙しいから後にしてくれ。――すまない。こっちの話だ』
「何かあったのか?」
『いや、なんでもない。朝から一本包丁が見つからないだけなんだ。まったく、しっかりして欲しいね』
純は思った。
(これはかなりまずい状況じゃないのか? どうしたら良いんだ! 摩耶ちゃんと包丁……もう答えが出ている状態じゃないか!)
慌てる純のところに、妻が部屋をノックしてドアの向こうから声をかけてきた。
『あなた、時間ですよ。今日は大事な会議の日でしたよね?』
「ひゃ、ひゃいっ!」
声が裏返ってしまった純は咳払いをした。
「いいか、とにかく馬鹿なことは止めろ。それから、ポン助――相手の子には何もするな。いいか、絶対だぞ!」
『お前の知り合いか? 接点なんかないだろうに。というか、ここまでされて黙っているなんて出来るか』
お前の娘の方が酷いことをしているんだよ、と言い返しそうになった。
純は深呼吸をして。
「とにかく手を出すな。分かったな?」
そう言って通話を終えると、ギルメン戦用のチャットルームに書き込みを残す。
『誰か助けて。ギルマスが死んじゃう』
アルバイト先。
昼の休憩時間を五分ほど過ぎていたが、男子中学生はバックヤードでスマホを片手に友人たちと話をしていた。
「でさ、そいつがチョロいんだよ。おっさんみたいだけど、中身男なのにバンバン貢ぐの。結婚できる条件に友好度があるじゃん。――そう、それ! おかげで女物の装備がガンガン揃って笑うわ。もう少ししたらアバターも作り直して男に戻るけど、それまで俺は“アイちゃん”で稼がせて貰うわ」
相手がゲラゲラ笑っている声が聞こえてくる。
「バイト? いや、最悪だって。女子高生の婆がいるけど、見た目は合格なのに口五月蝿くてさ。あ~あ、夏休みにアルバイトなんかするんじゃなかったぜ」
高校生になればアルバイトも社会勉強として出来る。
中学生の夏休みは、それを前もって体験しようというものだった。
お金欲しさに参加した男子中学生は、アルバイトで得たお金はプリペイドカード……全額課金するつもりであった。
その前に、女性アバターでレアアイテムを貢いで貰い、給料が出たらアバターを作り直し、ガンガン課金していくつもりだったのだ。
「今日? あぁ、その婆なら来ているけど……なんていうか近づけないんだよな。黙々と仕事はしているけど、声かけても反応がないんだ。だから、こうやって外で暇つぶし中」
男子中学生が通話を終えると、結婚したプレイヤーからメッセージが届いていた。
「うわ、メッセージがもう来たよ」
内容は今日のログインに関するものだった。
「え~っと『私も嬉しいわ。一緒にクエストを達成しましょうね』と」
返信をすると、すぐにメッセージが――。
「勘弁してくれよ」
男子中学生はイライラしていた。
明人のアパート。
摩耶はインターホンを押し続けていた。
十分、二十分と時間が過ぎた頃だ。
隣の部屋から私服姿の学生が出て来た。
明人と同じように学園に通っている男子生徒だった。
「あれ、もしかして生徒会の人? そこの部屋の奴なら朝から荷物を持って出かけたよ」
摩耶は教えてくれた男子生徒にお礼を言う。
「ありがとうございます。なら、私はこれで」
男子生徒は摩耶の恰好を見てギョッとした。
摩耶の恰好は多少部屋着とかそういう恰好で、スリッパだった。別に夏なので問題ないと思うが、問題は右手だった。
摩耶が離れていくと、男子生徒は冷や汗を手で拭う。
「な、なんで包丁なんか持っているんだよ。え? もしかして隣の奴と? だ、だって朝は赤毛の女が来ていたような」
蝉が鳴く季節。
蒸し暑い中で、男子生徒は朝から恐怖で震えた。
夜。
明人はバイト先の前に来ていた。
八雲に会うためだ。
「う~ん、陸に相談したけど……本当にこれで良いのかな?」
朝から陸と会って話をしていた。
観光エリアが崩壊した話で盛り上がったわけだが、問題はその後だった。
陸が真剣な顔で明人にアドバイスをしたのである。
どうやら、陸も重婚の話は知らなかったらしい。
知っていたら、あんな解決策は言わなかったと謝られた。
さて、明人がアルバイト先で待っていると、後ろに気配を感じて振り返った。
疲れたような表情をして立っているのは――摩耶だった。
右手を後ろに隠している。
「あ、委員長――じゃなかった、摩耶」
明人が手を振ると、摩耶が笑顔で近付いてくる。
すると、店のドアが開いて八雲も出て来た。
「先輩! えっと、丁度いいので話をしませんか?」
笑顔の八雲が頷くと、三人で近くの公園へと移動する。
公園には人の気配がなかった。
ジュースを買った明人は、八雲と摩耶にそれを渡して自分もベンチに座る。
明人を挟んでベンチに座る恰好になった。
二人はニコニコして明人の話を聞いている。
「あの、今日は本当にごめんなさい。相談をしなかったのは、面倒になるから止めておくように言われたんです。それで、後から能力重視で、って事で教えようと」
摩耶が笑顔だった。
「……いいのよ。もう、どうでもいいの。ごめんね“ポン助”。私が悪かったわ」
明人は安堵する。
「良かった。あぁ、でも僕も悪いから気にしないでね。それで、相談なんですけど」
八雲も笑顔だ。
「うん、なんでも言って。でも、私も一つ聞いて欲しいお願いがあるの」
明人は首を傾げたが頷く。
「僕に出来る事なら構いませんよ」
明人の見えない位置で何か鈍く光る物が見えた気がしたが、持っていた荷物かアクセサリーだろうと気にしなかった。
もっと二人が殺気を放っていれば気が付いたかも知れない。だが、今の二人にあるのは……殺気を通り越した何かだ。
「う~ん、なんて言えばいいのか……怒りません? というか、ドン引きしません?」
八雲が笑顔で頷いた。
「大丈夫。今なら何でも受け止めて上げられるわ。だから、言ってみて?」
摩耶も同じだ。明人に密着する。
「そうよ。私たちはずっと一緒だったじゃない。これからもずっと一緒だからね」
街灯はあるが薄暗い公園。
明るければ、その光の消えた瞳も見えたかも知れない。
「そ、そう? まぁ、丁度良かった。なら――」
二人が明人の見えない位置で片手を動かしていた。
「――二人とも! 僕と結婚してください!」
二人が驚き、そして一瞬にして目に光がもどった。
金属が落ちる音が聞こえ、公園に響き渡る。
虫の音が聞こえる公園には、不釣り合いな音。
「え? なんで包丁?」
二本の包丁を交互に見るポン助は、立ち上がった八雲と摩耶を見る。
二人とも泣いていた。
「ご、ごめんね、“ポン助”――私、私!」
「どうしたんですか、先輩!? あ、もしかして嫌でしたか? す、すみません。えっと、これは――」
「嫌じゃない。嫌じゃないから! 私……目が覚めたわ」
明人の手を握る八雲。
摩耶はポン助の背中に抱きついた。
「ポン助……ありがとう。本当にありがとう! 絶対に幸せになろうね?」
「う、うん? 僕としては幸せだけど……あれ、いいの? 重婚だよ」
八雲が涙を拭う。
「そんなのどうでもいい。ポン助と結婚できればなんでもいいの」
摩耶も同じだった。
「うん。そんな法律上の関係なんか私たちの間には無意味だから」
明人は首を傾げるが……。
(納得してくれるなら良いのか? まぁ、ゲームの話だし、二人も重婚の話は聞いているだろうから大丈夫かな? それよりも、包丁がなんでこんな場所に?)
情報屋に自分も聞いたのだから、他のギルドメンバーも聞いているはず。
ポン助はそう考えていた。
(まぁ、リアルで重婚しろとか言ったらクズ扱いだし。そもそも話しに乗ってこないから勘違いをしている訳もないよね)
ポン助は本当にギリギリのところで……命を繋いだのだった。




