レッツダンシング!
ホテルの廊下。
風呂上がりの奏帆は髪がしっとりしていた。
肌はほんのり赤く染まり、歩いて部屋に戻っていた。
「今日も沢山遊んだな~」
嬉しそうな奏帆。
オフ会込みの旅行だったが、杏里もクロエも初日に色々とあったが楽しく過ごせていた。
大浴場から部屋への帰り道。
何やら話し声が聞こえてくる。
角を曲がった先には、同じ学園の先輩――市瀬摩耶の姿があった。
(あ、先輩だ)
海で遊んでいた奏帆たちが、大雨にあい雨宿りした小屋で摩耶を見かけていた。
明人の姿も見ており、仲が良いのだろうと思っていたが――。
「おじ様、次は失敗しないでくださいよ」
「摩耶ちゃん、私は君の将来が本気で心配になってきたよ」
――聞こえてくるのは不穏な会話である。
雰囲気もどこかおかしく、奏帆は曲がり角で身を隠して会話を聞いていた。スマホを取りだし、操作をしているフリをする。
耳を傾け聞こえてくる会話は、奏帆の想像を超えた物だった。
「薬を使うなんてドン引きだよ。ポン助君が聞いたら幻滅するよ」
奏帆は目を見開く。
(ポン助――さん?)
「手段をどうこう言っていられないんです。今なら確実に堕とせるんです!」
「その発想が既にドン引きだよ」
「レアアイテム欲しさに会社の力を使うおじ様程じゃありませんよ」
背の高い中年男性との会話。
どうやら親戚か知り合いらしいが、それ以上に会話が驚きだ。
(薬? い、いったい何を言っているの?)
男性――純が額を手で押さえていた。
「ポン助君――いや、鳴瀬君には悪い気がしてきたよ」
「何故ですか! 私の恋を応援してくれるって言ったじゃないですか!」
「薬まで使うとか想像もしていなかったよ!」
奏帆は会話の内容から、明人がポン助だと知ってしまった。
クロエがナンパをされたと言っていた時、妙に胸がモヤモヤした理由に気が付く。
(そっか。あの人がポン助さんなんだ)
しかし、よく考えるとおかしい。
摩耶の様子。
そしてあの場にいた赤毛の八雲。
普段一緒にいる二人の顔が思い浮かぶ。
(もしかして、アルフィーさんかな?)
あの二人がポン助に随分と熱を上げているのはギルド内でも有名だ。
問題児の多いギルド内でも、群を抜いて問題のある二人。
会話の内容から察するに、摩耶が明人に薬を盛ることを奏帆は気が付いてしまう。
「おじ様お願いします。今日だけは見過ごせないんです。このままだと、明人――ポン助が取られちゃう」
お願いする摩耶を前に、純が考え込み渋々頷いていた。
「わ、分かった。ルームサービスの飲み物に入れておこう。目印は――」
「いえ、待ってください。それだと怪しまれるので、飲み物を入れたポットに――」
「え、本気? 摩耶ちゃん、それ本気!?」
その会話を聞いた奏帆は、スマホを見てハッとする。
(今の会話を録音しておけば良かった!)
明人に知らせなければと思ったが、急に薬云々の話をしても信用して貰えない。
何しろ、自分と明人は学園で顔を合わせたくらいだ。
(ど、どうしよう。そ、そうだ! 相談しないと!)
急いで部屋に戻る奏帆。
摩耶と純も打ち合わせを終えて離れて行く。
通路奥。
奏帆と同じように会話を聞いていた人物がいた。
その一人は、青い髪をした女性――弓だった。
ホテルにあるレストラン。
そこには、忘れ物を取りに戻った弓が大急ぎでレオナのいるテーブルに近づいて来た。
「レオナちゃん、大変。大変なの!」
「どうした? 七度目か八度目かの初恋か?」
親友である弓の大変を、また色事だと思ったレオナは落ち着いてお酒を飲んでいた。
アルコール度数の低いスパークリーンのようなお酒だ。
席につく弓は、声を抑え切れていなかった。
「違います~! ポン助君一筋です~。そ、そんな事よりちゃんと聞いてよ。見つけたの! ポン助君を見つけたのよ!」
レオナは弓を見て呆れた顔をする。
「……オークみたいな男を見つけたのか? 良かったな。一夏の思い出に誘ってきたらいい」
「違うってば! ほら、今日――小屋で鳴瀬君がいたわよね?」
「いたな。二人も女子を連れてナンパとはどうかと思ったが」
そもそも二人も女子を連れている時点で首を傾げたくなる。
親戚か、それともどちらかの友人か。
レオナはどちらも違う気がしていた。
「その二人よ! どこかで見たと思わない?」
言われて思い出そうとすると……思い浮かんだ顔が二つ。
「マリエラとアルフィーか? だが、普通はゲームで自分の顔を使わないらしいぞ。他人のそら似だろう」
弓は首を横に振る。
「私たちはそのまま自分の身体データを使ったじゃない! そんな事は良いの。それで、ポン助君の名前が出たの」
レオナもグラスを持っていた手が止まった。
「……聞き間違いだろ。それに、ただのあだ名かも知れない」
そもそもそんな偶然があるのだろうか?
レオナは怪しむが、心のどこかで可能性が高いと思ってしまう。
「でね。でね! ……たぶん、アルフィーちゃんだと思うんだけどね。薬を盛るとか話をしていたの」
レオナがしばらく思考し、そして持っていたグラスの酒を飲み干すと立ち上がった。
「……行くぞ」
弓が頼りになる姿を見せたレオナについていく。
「流石はレオナちゃん。私の恋を応援してくれるんだね」
レオナが振り返った。
「はぁ? 私はパパを――違った。ポン助君を助けに行くだけだ。あの飢えた猛獣みたいな二人の側になんて置いておけるものか。ついでにお前も近付くな」
「なんでよ! レオナちゃんのファザコン!」
「脳内お花畑は黙っていろ」
騒がしい二人がレストランを後にすると、近くのテーブルでは唖然としている集団がいた。
ブレイズ――直人たちだった。
「まずいって。絶対にまずいって!」
「ギルマス、ついに食われるのか……」
「あの二人、もしかしてノインさんとフランさんじゃない?」
二十代の若者たちの集まり。
レストランを出て集団で相談していた。
聞こえてきた弓とレオナの会話を総合すると、明人がポン助であるらしい事を全員が察していた。
そして納得してしまったのだ。
(あの二人から逃げるためにナンパしていたのではないか?)
――と。
直人が冷静に考える。
「……例えば、あの二人が無事にポン助君を助け出したとしよう。その後どうなると思う?」
全員が嫌な予想しかしない。
「違う二人に食べられる」
「いや、パパって言っていなかったか?」
「どっちでも同じじゃないか? ろくな事にならないって」
直人が頭を抱えた。
「そうだよな。あの二人に助けられても意味がない」
冴えない女性が小さく手を上げた。
「あ、あの。ギルマスがあの高校生だって言うのは分かりましたけど……他の子たちというか、レストランにいた女性も、女子高生も綺麗でしたよね? 男の人的には有りな話じゃないんですか?」
男たちが視線を逸らした。
「外見だけが良くてもね」
「後腐れないなら有りかも知れないね」
「一度手を出したら絶対に逃さない、って感じがするな」
直人は助けたいと思った。
しかし、ポン助がどこにいるか分からない。
そもそもリアルでは面識がほとんどない。
以前、オフ会の時に顔は見て、もしかしたらと思っていたのだが……。
「とにかく、もしもパンドラで会って何かあった雰囲気が出ていたら……優しくしよう」
全員が暗い顔をして頷く。
誰かが言った。
「リアルで血の雨が降るのか……そもそも、ギルマスってメンテナンス明けにログインできるのかな?」
離している直人たちの横を、家族連れが通り過ぎる。
その家族は冴木家。
星が驚いた顔をして横を通り過ぎるのだった。
「大変だ! 大変だよ、二人とも!」
星が呼び出したのは七海と雪音だった。
相談したいことがあると呼び出したのは、ホテルにある休憩所のような場所だ。
七海が星を見て少し驚いている。
「……星君、なんだか私服が女の子っぽいですね」
以前からボーイッシュと言えるような服を着ていたが、男らしさを目指すあまり露出が多くなって逆に卑猥になるのが星だった。
しかし、今は以前よりも女の子らしい服装になっている。
「お、俺の服はどうでもいいだろ。姉ちゃんのお下がりだから……って、今はポン助兄ちゃんだよ。あの鳴瀬兄ちゃんがポン助兄ちゃんだったんだ!」
その話に雪音が驚く。
「ふぇ!」
七海は考え込んでおり、星に話すように言うのだった。
「ポン助さんの中身が分かったとして、それをあんまり言いふらしたら駄目ですよ。それだけですか?」
雪音が驚く。
「七海ちゃんの反応が薄い。え? もしかし、八雲先輩はマリエラお姉様?」
一人で考え込んでしまう雪音を放置し、星は続けるのだ。
「俺だってそれくらいの常識は知っているよ。けど違うんだ。姉ちゃんたちが……姉ちゃんたちが、ポン助兄ちゃんを食べるって言うんだ! ポン助兄ちゃんが殺されちゃうよ!」
中学生組――雪音を除いた二人が衝撃を受ける。
「そ、そんな。いくらあの二人でも、食べるなんてことは」
「俺だって耳を疑ったんだ。けど、確かに聞いたんだよ。それに、マリエラ姉ちゃんたちだけじゃないんだ。ノインの姉ちゃんたちも食べるって」
二人が青い顔になる。
食べられる、という言葉をそのままの意味で受け取ってしまっていた。
唯一、気が付きそうな雪音だけは悶々としている。独り言を呟き、自分の世界に浸っていた。
「私はリアルも仮想世界でもお姉様に……も、もしかしてコレが赤い糸? あぁ、私は一体どうすればいいの!」
星が涙目になる。
「ポン助兄ちゃんを助けないと……本当に殺されちゃうよ」
七海がそんな星を抱きしめる。
「だ、大丈夫です。すぐに探しましょう。まずはホテルの人に話をして――」
そのまま一人の世界に浸っている雪音を引っ張り、三人はホテルの関係者に事情を話すのだった。
純がロビーに向かうと、ホテルの従業員が困った顔をしていた。
「どうかしたのかね?」
「しゃ、社長! い、いえ、実は先程子供たちが来まして」
中学生たちが来て、殺人事件が起きるかも知れないと言いだしたらしい。
三人には女性従業員が事情を聞くため別室に連れて行ったらしいが、話を聞く限り勘違いをしているように思えたようだ。
「しかし、放置して何かあってはいけません。出来れば穏便に済ませたいのですが、支配人が席を外しておりまして」
もう少しすれば戻ってくるが、どうした物かと悩んでいたらしい。
「ふむ、少し話を聞こう」
そういって詳しい話を聞くと――純は驚く。
出て来た名前は鳴瀬明人――ポン助だった。
従業員が苦笑いをしている。
「食べられる、っていう意味は多分……まぁ、そういう意味なのでしょう。それより、そのお客様は確か社長の――」
純の思考は加速していた。
(待て。待て! 今、名前にノインとかフランとか入っていたぞ。もしかしているのか? あの二人がここに!? ちょっと待て……あの二人がポン助君に気が付いて血の雨が降る?)
純は最悪のシナリオを考えた。
摩耶と八雲をこのまま放置するのも危険だと思っていたが、そこに新たにゲーム内でポン助に思いを寄せている女性陣が絡む。
(本当に殺傷沙汰が起きてもおかしくないじゃないか! そもそも、摩耶ちゃんがそれをしない可能性が低い! ど、どうする私!)
レアアイテムに夢中になって、殺人事件を見逃したとなれば大変な事になる。
純は戸惑う従業員を前にして。
「……この話、私が預かろう。取りあえず、手の空いている従業員はいるかな?」
そう言うのだった。
何やらホテルの中が騒がしかった。
杏里とクロエを連れた奏帆が、従業員が妙に足早に廊下を歩いている姿を何度も見てしまう。
クロエが気になったようだ。
「何かあったのかしら?」
杏里は笑いながら。
「もしかして殺人事件とか? ほら、オープンしたばかりの高級ホテルで、夏休みだとなんかそういうドラマみたいよね」
奏帆は苦笑いだ。
「サスペンスとか、そういうドラマですね。まぁ、舞台としてはありそうですけど」
クロエは理解できていない。
「……推理物の映画とかに出てくる感じ? なんとなくイメージできないけど、この慌ただしさは事が起きたのかしらね?」
アンリは首を横に振る。
「いや、流石にないって。でも、これで警察が来ていたら確定だよね」
三人で探しているのは明人たちの部屋だ。
奏帆は大慌てで戻ったのだが、肝心の明人たちの部屋を知らなかった。
そのため三人で探しているのである。
と、言っても見つけられるとは思わないが、杏里もクロエもノリノリで探そうと――妙にやる気を見せている。
奏帆が通路の曲がり角で。
「部屋一つ一つを調べるなんて出来ませんし、廊下で出会うなんてとても――」
ただ、曲がった場所でホテルの従業員たちが話をしていた。
「いたか?」
「いません」
「……あの、もしかしてもう既に」
「縁起でもないことを言うんじゃない」
「けど」
「とにかく探しましょう。鳴瀬明人様だ。男子高校生で背丈は――」
ただらなぬ雰囲気に、三人は息を潜めていた。
聞こえてきたのは明人の――ポン助の名前である。
杏里が口元を押さえていた。
「え、今のって――」
奏帆がオロオロとしていると、クロエが冷静に言うのだ。
「とにかく私たちも探しましょう。この雰囲気、ただ事じゃないって思っていたけどまさかポン助君が」
杏里が涙目だった。
「わ、分かった。探す。急いで探す」
クロエが指示を出す。
「手分けをして探しましょう。この階にはいないみたいだし、なら私たちは――」
徐々に話が大きくなっていく。