第7話 朝比奈愛羽――私だけにメロメロになって♡
練習が終わったあと。
私は誰よりも早く壁際へ駆け寄ると、震える指でスマホを手に取った。
画面には、先ほど届いた更新通知が残っている。
怖い。
それでも、逃げてはいけない。
何度も自分へ言い聞かせ、意を決して通知をタップする。
そして私は――先輩が物語の中に隠した本音を開いた。
「……嘘」
そこに書かれていたのは、私が期待していた展開とはまるで違っていた。
先輩は、私のことが好きなはずだ。
物語の主人公だって、私をモデルにした太田陽花だけを愛しているはずだった。
そう信じていたのに。
月城星奈に抱きしめられた瞬間、主人公は太田陽花のことを忘れた。
彼女の温もりを心地いいと感じて、自分の本当の気持ちさえ分からなくなっていた。
「そんな……」
これは、ただの物語じゃない。
現実では言えない先輩の本音が、主人公の言葉として綴られている。
つまり――。
先輩の心は確実に、夜吹先輩のほうへ傾き始めていた。
昼休みから灰色に染まっていた私の世界から、最後に残っていた光まで消えていった。
◇
パクッ。
パクッ、パクッ。
「先輩のバカ……!」
放課後。
私は駅前にあるスイーツバイキングのお店で、テーブルいっぱいに並べたケーキを片っ端から口へ放り込んでいた。
ショートケーキ。
モンブラン。
フルーツタルト。
どれも甘くておいしいはずなのに、今日だけは少しも心が満たされない。
「先輩のバカ。鈍感。浮気者……!」
「ねぇ、愛羽。さすがに食べすぎじゃない?」
向かいの席から、呆れたような声が飛んできた。
声の主は、チアリーディング部の先輩――夕風琴乃先輩。
夕焼けを思わせる鮮やかなオレンジ色の髪を、背中まで伸ばした美少女だ。
私たちは同じ神巫中学校の出身で、琴乃先輩は当時、昼咲先輩と同じクラスだった。
二人は意外と仲がよく、私が知らない中学時代の先輩を知っている数少ない人物でもある。
「こ、琴乃せんばぁ~い! 聞いてくださぁ~い!」
「ちょっと! 食べながら話さないで! 何を言ってるのか全然分からないから!」
私は口の中のケーキを慌てて飲み込むと、勢いよく席を立った。
「私の昼咲先輩が取られちゃうよぉ~!」
「うわっ! ちょっと、愛羽!」
向かい側まで回り込み、そのまま琴乃先輩へ泣きつく。
そんな私の頭を撫でながら、琴乃先輩は深いため息をついた。
「あのさ。可哀想だとは思うけど、今回ばかりは愛羽の自業自得じゃない?」
「ひどい!」
「もっと早くアプローチすればよかったでしょう?」
「だってぇ……」
「しかも愛羽には、昼咲君が何を考えているか全部書かれた“最強の攻略本”があるのよ? どうして本人をモデルにしたヒロインが負けそうになってるのよ」
「うぅ……」
「私も愛羽に教えてもらって、たまに昼咲君の小説を読んでるけどさ」
琴乃先輩は、テーブルに置かれた私のスマホを指さす。
「正直、その攻略本を持ってる愛羽に勝てるとしたら、あんたが言ってた“もう一人の常連読者”くらいでしょう?」
「だって……ひっく……」
反論できない。
涙目になりながら琴乃先輩を見つめると、彼女は少しだけ表情を緩めた。
「でも、私はちょっと嬉しいけどね」
「何がですか……?」
「愛羽が、ちゃんと恋してること」
「…………」
「愛羽って、昼咲君と仲よくなる前は、黒髪のショートヘアで、もっとボーイッシュな感じだったじゃない?なんか恋愛なんて興味ありませんみたいなさ?」
「あっ、それは琴乃先輩も同じだったじゃないですか」
「そういえば、私もか」
「はい。黒髪ショートでボーイッシュだったから、勝手に親近感を持って声をかけたんです」
「そうだったの?」
「でも今では、弱った後輩に正論を突き刺すだけの女になってしまいました」
「はいはい。悪かったわね」
琴乃先輩は苦笑しながら、自分の皿に載っていたケーキを差し出してくる。
「ほら。私のダークチョコレートケーキ、あげるから元気出しなさい」
「いりません」
「即答!?」
「私、チョコレート嫌いなので」
「いや、愛羽の大好物でしょう?」
「今日から嫌いになりました」
黒い。
黒といえば、暗い。
暗いといえば、夜。
夜といえば――夜吹先輩。
そんな小学生以下の連想によって、私は生まれながらの大好物を拒絶した。
「本当に面倒くさい恋の病ね……」
琴乃先輩が呆れたように呟く。
「というか、愛羽って昔はもっと積極的だったじゃない?」
「そうでしたっけ?」
「わざとチアのスカートをひらつかせて、下に履いてる練習用のショートパンツを昼咲君に見せたりしてたでしょう? 反応を見て楽しんでたじゃない」
「ぶふぅっ!」
口に含んでいたコーラを盛大に吹き出した。
「ちょっ、汚い!」
「あ、あれは見られても大丈夫な練習着だったから!」
「そういう問題?」
「あの頃はただ、先輩の反応が面白かっただけで……!」
本当は、少し違う。
先輩をからかえば、私だけを見てくれる。
呆れながらも笑って、名前を呼んでくれる。
それが嬉しかったから、何度も同じような悪戯を繰り返していた。
(昔の私、かなり大胆だったんだ……)
今も同じようにできるだろうか。
先輩へもっと近づいて。
冗談ではなく、一人の女の子として意識してもらう。
「琴乃先輩……」
「なに?」
「どうしよう。このままじゃ、本当に先輩を取られちゃう……」
「う~ん……」
琴乃先輩は腕を組み、しばらく考え込む。
そして、あっさりと答えた。
「簡単よ。愛羽からアプローチすればいいじゃない」
「それができないから困ってるんですよ!」
「愛羽は肝心なところで口下手なんだから、言葉で伝えられないなら行動で示すの」
「行動……?」
「さっきみたいに、スカートをひらつかせたり」
「わ、私、そんなえっちな女じゃないもん!」
「今のは一例よ」
琴乃先輩は人差し指を立て、真剣な顔で私を見つめた。
「いい、愛羽? 恋愛は戦争なのよ」
「戦争……」
「待っているだけじゃ何も変わらない。欲しいものがあるなら、自分から動かなきゃ」
そして琴乃先輩は、なぜか得意げに胸を張った。
「題して――先輩メロメロ大作戦!」
「先輩メロメロ大作戦……!」
名前は恐ろしくダサい。
でも、言っていることには一理あった。
私はこれまで、先輩が絶対に自分を好きだという自信に甘えていた。
自分から気持ちを伝えなくても、ずっと私だけを見てくれると思い込んでいた。
だから、何もしてこなかった。
けれど、もう待っているだけでは駄目だ。
私から行動して。
夜吹先輩よりも、もっと先輩をドキドキさせて。
私以外、何も見えなくなるくらいメロメロにするんだ。
「琴乃先輩」
「なに?」
「やっぱり、そのダークチョコレートケーキください」
「……あんた、本当に単純ね」
琴乃先輩から受け取ったケーキを、一口で頬張る。
「う~ん! 大人の控えめな甘さ♡」
「もう立ち直ってるじゃない」
口いっぱいに広がった苦くて甘い味は、いつもより少しだけ大人の味がした。
こうして私は――。
大好きな先輩を振り向かせるため、人生初の恋愛作戦を開始した。
◇
一方、その頃――
昼咲瑛太視点。
(一体、どうしてこうなったんだ……?)
激しい雨が、公園へ容赦なく降り注いでいる。
制服も髪も、すでにびしょ濡れ。
けれど今の俺にとって、そんなことはどうでもよかった。
問題は――。
「瑛太君、寝心地はどう?」
「い、いや……悪くはないけど……」
俺が今、あの公園の球体遊具の中で、夢花ちゃんに膝枕をされていることだ。
後頭部に伝わる、柔らかな太ももの感触。
見上げれば、すぐそこに夢花ちゃんの顔がある。
雨宿りをしていただけのはずなのに。
本当に、どうしてこうなった?
「そういえば瑛太君。覚えている?」
「何を?」
「昔、私たちと一緒に遊んでいた子のこと」
夢花ちゃんは懐かしそうに目を細める。
「黒髪を短く切った男の子」
「ああ……そういえば」
言われた瞬間、遠い記憶がぼんやりと蘇った。
俺と夢花ちゃんがよく遊ぶようになるよりも前から、この公園で一緒に過ごしていた友達。
短い黒髪に、少年のような服装の男の子。
活発で口が悪くて、それでも誰よりも面倒見がよかった。
「そういえば、いたな……」
夢花ちゃんに言われるまで、すっかり忘れていた。
「あの子、今頃どうしてるのかしらね?」
「さあな。元気にしてるといいけど」
球体に開いた丸い穴から、冷たい雨が吹き込んでくる。
夢花ちゃんの髪が風に揺れ、俺の頬を優しく撫でた。
このときの俺は、まだ知らなかった。
幼い頃、一緒に遊んでいたその男の子が――。
すでに俺のすぐそばにいることを。




