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EWIG(エーヴィッヒ)――帝国騎士と病床の白髪の友が織りなす、戦乱を生き抜く長編戦記【全99話完結】  作者: 黒わんこ
第三巻 第六章 『解放』

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第39話 影に集う者

 一方、スラム街の奥に逃げ込んだローブの男は、クルゴスが伝令のスクロールを読んでいる時、薄暗い地下道を通っていた。

 

 低い天井の地下道は、壁には辺りに漂《ただよ》う湿気のため水滴が張りつき、床には深さ一センチほどの水の流れがあった。


 ひちゃぴちゃと地下道を通る音がする。ローブの男は例の青年を抱え、その前を、ローブの男を家に招き入れた女性が松明《たいまつ》を持って歩いていた。


 「なぁあんた。一体どこから来たんだい?」


 松明を持った女性は、大きな声で言った。その声は地下道の中に陰々《いんいん》と響いた。

 ローブの男は、相変わらず黙ったままである。


 「あたしゃ、バラコア。みんなバラコアのかぁさんって呼んでるよ」


 バラコアと名乗った女性は、大きな声で笑いながら言った。


 彼女の体は大きく、いかにも「おかみさん」といった風体である。元気な威勢《いせい》のよい声は、周りの者達を和ませる不思議な力があった。


 ローブの男は、黙ったままバラコアの後ろをずっと付いてきていた。

 彼らのかわす会話のほとんどが、このようなバラコアの一方的な話しかけであった。

 

 彼らは、地下道を進むうちに、右手の壁が大きく窪《くぼ》んでおり、その先に階段があるところに出た。バラコアは、


 「さぁ、ここだ。もうすぐだよ。しっかりするんだよ、ビトラ」


 ローブの男が抱えている青年に向かって、そう言った。

 そして、壁の奥の階段を登り始めた。


 ローブの男は、素早く後ろを確認すると、バラコアの後に続いて階段を登った。

 

 階段はそう長くはなかった。途中から地下道のような湿気がなくなり、壁には、ぽつんぽつんと松明《たいまつ》も掛けられていた。

 

 バラコアは、空いている松明台《たいまつだい》の上に、手にしていた松明を掛けると、後ろを振り返った。


 「もうすぐ休める。さぁ、早くおし」


 そう言うと、さっさと階段を登っていった。

 ローブの男は、バラコアに促《うなが》されると、少し足を速めて階段を登った。

 

 しばらく登ったところに終点はあった。階段が途切れ、左側に木製の扉があるところに出た。

 その奥には、まだ階段が続いているようであったが、バラコアは、扉の前で立ち止まり、何か合言葉のようなものを扉の小窓に向かって言っていた。


 ローブの男は、バラコアの後ろに立って、扉の小窓から見える目に注目した。

 

 小窓から見える目は、ローブの男を目にすると、胡散臭《うさんくさ》そうな様子を見せた。


 「何をやってるんだい。この人はビトラの恩人《おんじん》だよ。さっさと開けとくれ!」


 バラコアは、扉を蹴飛ばした。そうすると中から男の声がした。


 「分かったよ。開けるから扉を壊さんでくれよ、バラコアのかぁさん」


 声の主と思われる人物は、小窓をぴしゃりと閉めると、鍵をじゃらじゃら言わせながら、扉を開けた。

 

 開けられた扉の中は広い部屋になっており、何人かの男女がいた。


 「さぁ、早く入りな。やつらに見つかるとやばいぜ」


 そう言ったのは、扉を開けた男である。

 

 彼は、小柄な体を扉から覗《のぞ》かせると、辺りをうかがい、手招きをしていた。

 バラコアは、ローブの男の手を引くと、すぐに部屋の中に入った。


 扉の前にいた小男は、誰も見ていないことを確認すると、さっと身を部屋の中に隠し、再び扉を固く閉ざした。



 部屋の中には、先ほど扉を開けた小男、机のそばに座っている老人がいた。

 ベッドの前には、白い服を着た小さな眼鏡をかけた男と、同じく白い服を着た若い女性がおり、暖炉《だんろ》のそばには、筋肉質な体を持ち、頭を完全につるつるに剃《そ》っている巨漢がいた。


 「さぁ、早くビトラをそのベッドに寝かせておやり。

 グレーベ先生、手当を頼むよ」


 バラコアは、ベッドのそばにいた白衣の男に向かってそう言った。


 「あいよぉ。でも一体どうしたんじゃ、随分傷だらけになっておるがのぉ」


 グレーベと呼ばれた男は、小さな眼鏡を軽く持ち上げながら、ベッドに寝かされたビトラ青年を見た。


 「こりゃいかん。早く手当をせねば傷口から悪い悪魔が入りよる。

 ファルコーネ、そこにある薬瓶《やくびん》をとっておくれ」

 「はい、先生」


 そう答えたのは、白衣の男の横にいた女性である。


 「この眼鏡をかけたのが、グレーベ先生。ラムセス市のスラム街で唯一の医者だよ。

 そして、その隣にいるのがファルコーネ。グレーベ先生の助手をやっている女の子だよ。

 若いのにしっかりしていてねぇ」


 バラコアは、そう彼らを紹介した。


 グレーベは、ビトラの手当を優先し、ローブの男にはあまり気を掛けていなかった。

 ファルコーネは、薬瓶をグレーベに渡すと、ちらりとローブの男を見て、小さくうなずくように挨拶をした。


 グレーベは、五十代の半ばほどの年である。薄くなった頭を、髪の毛を必死に広げて隠しているのが、背の高いローブの男には丸見えであった。

 

 隣のファルコーネは、まだ十八か十九ほどの年のようであった。張りのある奇麗《きれい》な肌や唇が、まだ女性ではなく、少女といった様子をあらわしていた。


 「これでよしと。でぇ……」


 グレーベは、ビトラの手当を一通り済ませると、そばにある椅子に座り、ローブの男を見上げた。そして、言った。


 「あんたは何者かのぉ」


 口調は穏やかである。だが、眼鏡の奥にある瞳は警戒《けいかい》の色を帯びていた。


 「そうだ、てめぇは何者なんだ」


 そう言ったのは、暖炉《だんろ》のそばに座っていた巨漢である。


 彼は、ゆっくりと立ち上がると、威圧するようにローブの男の胸《むな》ぐらをつかんだ。

 巨漢はローブの男と同じぐらいの背の高さである。だが、横幅はローブの男の倍はあるように思えた。

 

 すさまじく発達した胸筋は厚い胸板を形成し、太い腕は丸太のようである。彼は、ローブの男を持ち上げるように腕を上に上げた。


 「やめなよ、あんた」


 バラコアは、巨漢に向かってそう言った。だが、巨漢はそんなバラコアの言葉を耳には入れていないようであった。

 巨漢は、ぐいと腕を上に上げ、ローブの男を宙吊《ちゅうづ》りにしようとした──が、上がってはいなかった。


 ローブの男は、自分の左手で胸ぐらを掴《つか》んでいる巨漢の手を握り、そのまま巨漢を押さえつけているのである。

 巨漢の顔つきは次第に本気になっていった。


 「ぐおおぉぉぉぉぉ!!」


 部屋の中に巨漢の力む声が響く。だが、一向にローブの男は、持ち上がらなかった。


 しばらくそんな状態が続いていたが、巨漢は次第に息を切らしてきた。それを見計らって今度はローブの男が動いた。


 彼は、右手を巨漢の手の下側から握った。ちょうど、左手と右手とで、巨漢の手を挟むようにである。そして、自分の右肩を巨漢の顔に向けて振った。すると、今まで不動であった巨漢の体が傾いた。

 巨漢は、ぐあぁぁぁぁっという声とともに、前のめりに倒れ込み、完全にローブの男によって固められてしまっていた。


 「ほら言わんこちゃないよ。あんたみたいな、ただの筋肉ダルマではこの人には勝てっこないんだよ」


 バラコアは、軽く笑いながらそう言った。巨漢は、ぐぅぅぅぅっとただ唸《うな》りながら、しゃがみこんでいるだけだった。

 

 「もう離してやったらどうかね」


 そう言ったのは、テーブルのそばに座っていた老人である。


 ローブの男は、その言葉を聞くとすぐに巨漢の手を離した。

 

 巨漢は、どさっと尻もちをつくと、胸ぐらをつかんでいた方の手の手首をさすりながら、冷や汗を拭《ぬぐ》った。


 「私の名前は、タホス。このような無力な老人だ……」


 タホスは、軽く両手を上げ、降参の意思表示をした。


 「このでかぶつは、あたしの夫で、ガスク。こんな筋肉ダルマだけど、人よりはずっと力があるよ」


 バラコアはそう言いながら、ガスクの頭をげんこつで小突いた。


 「わかったよ、かかあ。よろしくな、あんた」


 ガスクは、やや苦笑ぎみに、ローブの男に手を差し出した。

 ローブの男はその手を握り、軽く握手《あくしゅ》をかわした。


 「ガスクが失礼なことしたのをお詫《わ》びします」


 タホスは立ち上がり、ローブの男に向かって頭を下げた。そして言葉を続けた。


 「あなたは、一体何者なのですか?」


 ここにいる誰もが知りたがっていることを、彼は尋《たず》ねた。彼らは、じっとローブの男を見つめた。


 その問いへの答えが、止まっていた彼らの運命の歯車を大きく回し始める。

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