第19話 微笑と陰謀
カリュース達が下準備の打ち合わせを終わらせ、帝都ラウェルを出発した同日、サジ伯爵の所にある人物が訪れていた。
空は厚い雨雲に覆われ、その空からは、小雨が降り注いでいた。辺りは暗く、すでに日は落ちているようであった。雨の中を走り通してきた数体の馬が、伯爵邸の前に止まると、乗っていた人物達は馬から下りた。
馬から下りた人物は三人いた。全員ローブを深々とかぶっており、ぱっと見ただけでは、どんな人物であるかは、分からなかった。
だが、そのうち二人は、足元から剣の先が見えているため、騎士であろうことは、想像に難くなかった。
三人の中で最も背の高い者が馬を連れ、伯爵邸の裏に向かった。残された二人は、伯爵邸の扉の前に立つと、扉を大きく叩いた。
ドンドンと扉を叩く大きな音が辺りに響く。雨の音がより一層増したかと思えば、遠くから雷鳴が聞こえる。
雷光が一瞬あたりを照らし、夜は真昼のように白く浮かび上がった。だが、一瞬の雷光の光は、辺りを照らすには不十分であった。再び辺りを闇が支配する。
天を揺るがすかのような、雷鳴の轟音が辺りに鳴り響く。
「うむ……だいぶ近いな」
「そうですね」
ローブの二人のうちの一人が、再び扉を叩いた。カチャリと扉の鍵を開ける音がすると、扉は館の内側に向かって開かれた。
館の中は明るく照らされ、外の闇から見れば、あたかも天界ヘロンの光宮さながらであった。
扉のそばには、小男が立っていた。訝しげにローブの二人を見上げると、低い声で言った。
「どちら様ですかな……」
ローブの二人は、かぶっていたローブの頭部を取り、素顔を見せた。二人とも女であった。
一人は、長い漆黒の髪をローブの内側から背中にかけて垂らし、額には細いサークレットをつけていた。相手を見据えるようなきつい目つきは、いかにも普通の女性ではないことを物語っていた。
一方、もう一人の女性は、そんな黒髪の女性とは違い、体には装飾品は一つも身につけていなかった。髪の毛を後ろでしっかりとくくり、ローブの足元からは、ブロードソードの先が見えている。
黒髪の女は、女性にしては背が高く、隣の剣を帯びた女性よりは、十数センチは高い。
小男は、二人の顔を、動くこともなくじっと見上げていた。
「わたしは、ヴィランだ。ラーデンブルク公ヴィラン=ウィーグ=ナファイだ。邪魔をさせてもらうがよいか」
黒髪の女は、ヴィランと名乗り、慣れた様子で小男に向かって言った。
「ヴィラン公が、何故、今時分にここを訪れたのですかな」
小男は相変わらず、抑揚のない低い声で言った。その表情はより一層訝しげな色を帯びていた。ヴィランは、そんな小男の態度にむっとしていた。
そんなヴィランの心情を悟ってか、そばの女騎士は小男に向かって言った。
「公爵様には深い理由がございます。サジ伯爵に取り次いでもらえませんか?」
女騎士──エレオノールが、小男に丁寧にそう言うと、小男は、ゆっくりと頭を下げ、ヴィラン達を客間へと案内をしようとした。
ヴィランは、小男の動作を見るとすぐにずぶ濡れになっているローブを脱ぎ、それをエレオノールに手渡し、小男の後についていった。
ヴィランが通された客間は広く、天井には豪華なシャンデリアが垂れ、壁には、前教皇クレメンス六世の巨大な肖像画がかけられていた。
ヴィランは、ソファーに腰をかけると、正面にある肖像画に目をやった。
「教皇クレメンス六世か。大教皇と称されていたが、こうしてみればただの人じゃな」
ヴィランは、誰に言うとでもなくそう呟いた。小男はすでに、主を呼びに行ったため、部屋には居らず、そこには、ヴィラン一人だった。
じっと肖像画を見つめるヴィランの目には、不思議な色が宿っていた。
窓は閉められ、赤いカーテンがかけられている。その窓は、ガタガタと揺れ、外は相当な風雨であることが推測できた。
ヴィランは立ち上がると、窓のそばに行きカーテンを軽く開けた。
雨が窓にたたきつけられるように降り、外にはただ、深い闇がひろがっているだけであった。
時折、雷光が辺りを照らし、庭に置かれている像が、雨の中でひっそりと立っているのが見られた。雷光に一瞬照らされる石像群は、その影だけを見る者の目に映した。
ヴィランが、しばらくそんな外の状況を見ていると、客間の扉が開いた。
扉から入ってきたのは、さきほどの小男に加えて、この館の主である、サジ=ベルダント伯爵、その後ろからは、ローブを手にしたエレオノールと、厩から戻ったリューベックであった。
ヴィランは、窓のカーテンを閉め、ソファーに戻った。リューベック兄妹は、小男と一緒に扉のそばに立った。
「これはこれは、ヴィラン公。こんな夜分に、我が館に何かご用ですかな」
サジは、柔らかな微笑を浮かべながら、そう口を開いた。
サジは老人と言える年の男である。中肉中背の男で、顔には深いしわが刻まれている。その目つきは、狼が獲物を狙うように鋭く、そして危険なものであった。
今でも、顔には微笑こそ浮かべているが、決して目は笑ってはおらず、じっと相手の様子を見つめ、隙があらば食いかかるような──そんな様子であった。
細く薄い唇は、言葉を選んでいるのであろうか、しきりに動いていた。
「おぬしの所を訪れるのに、理由が必要なのか、伯」
ヴィランは、サジの言葉にそう答えた。
「いえいえ、ラーデンブルク公爵様が、わざわざ私のような、一介の小貴族の元を訪れていただいたのです。理由など、必要ございましょうか」
サジは、深く頭を下げると、ヴィランの手をとり、軽く接吻をした。
「しかし突然のご来訪、何の用意もしておりませぬ故、その辺りのことは、お許しのほどを……」
「かまわぬ。わたしが勝手に来ただけじゃ。かまわぬでもよい」
「それは、もったいないお言葉でございます」
サジは、小男に目で合図した。その合図を見た小男は、客間から音も立てず出て行った。
「ひとまず、お部屋の方は至急用意させております故、しばらくここでお待ち願いますでしょうか」
「うむ。手間をとらすな」
「いえいえ、ごゆっくりと、心ゆくまで滞在していただければ、光栄のいたりでございます」
「そうか」
ヴィランは、顔に何の表情を出すこともなく、ただ、サジの言葉に軽く返事を返しているだけであった。
先ほど出て行った小男が、今度は、手に極上のレーム酒とグラスを持って入ってきた。そして、それをテーブルの前に置くと、静かにグラスにレーム酒を注ぎ、再び後ろにさがった。
「わたくしは、お部屋の準備をさせていただきます故、これにて失礼いたしますが、何かご用がございましたら、お呼び下されば、すぐにでもこちらに参ります。
では、ごゆっくりとおくつろぎ下さいませ」
サジは、深々と頭を下げ、小男を従えて廊下に出た。
廊下に出たサジの表情には、すでに先ほどの微笑はなかった。
「カリ。ヴィラン公にわしのことが気づかれぬよう、しっかりと手をまわすのだ。よいな」
「はっ」
小男は、低い声で返事した。こもるような声である。
「あの公爵、何を思ってわしの所を訪れたかは分からぬが、あまり長居をされると、わしらのことに気づかれかねぬ。
家宝の一つでもくれてやって、さっさと追い返さねばな……」
サジは、そう独り言を言うと、音もなく広い廊下を歩いて行った。
老獪な伯爵の背中は、闇に溶け込むように廊下の奥へと消えていった。




