5-4話『ただの』
第三十区画出身。そこの武器製造の家系に生まれた狩谷 悟は、物心ついた頃からとある問題に頭を悩ませていた。
小さい頃から両親に勉学を叩き込まれ、それに応えられるように日々ストイックに努力を欠かさなかった悟。過去の自分を一言で表すなら『優秀』という言葉が似合うくらい。
そのおかげか桜木教育学校に入学して今の今まで勉強や成績に困ったことはない。教科のテストでは上位の点数を常にキープ。同じクラスの橘 水萌にはよくテスト前に勉強を見てあげている。
六年生や同じ整備委員会の生徒以外の学年は悟に対してのイメージは面倒くさがりでその上自由人という印象が絶対一回は抱く。
それでも彼が六年生として、先輩として、整備委員会委員長として慕われているのは過去のたゆまぬ努力があったから。そして学校に来てから『サボる』、『適度に休む』ということを知ったとしてもなんだかんだ『努力』という根っこの部分は抜けていないから。
そんな彼には二つ上の兄がいた。
兄も自分と同じく優秀だった。
どちらも優秀な二人の唯一の違いは、悟は努力したことで優秀になったが、兄は元より物覚えがよく優秀だった点だ。
それでもあまり大差はなく、知識量も理解力も二人とも同等といえた。
兄と特別仲が悪いなんてこともなく、普通の兄弟として育てられた悟。何か不満があるわけでも文句を言いたいわけでもない。生活に不自由はないし、家の環境が嫌いだと思ったことはない。
だけど一つ。悟には思うところが一つあった。
それは兄にしか構わない両親のこと。
通常は女より男が家を継ぐ。そしてその存在が優秀であればある程いい。
優秀すぎる兄弟。継ぐのは順当にいけば兄の方。そうすると、両親は兄にしか構わなくなった。
――悟も優秀だから。
勉強も両親が見てなくても自分一人で出来るし、なによりも兄と同じく出来る子だから。だから家を継ぐ兄の方の教育に力を入れ始めた両親。
悟は孤独だった。
何を頑張っても、努力しても、成果を出しても――『優秀』という所しか見ていない両親は全てを悟なら出来て当たり前だと思っている。
どれだけ頑張っても褒めてもらえない。言葉がもらえない。
それを見ていた使用人たちが代わりに沢山褒めてくれたけれど。使用人は狩谷家の当主の父とその母より立場は下。だから悟の心のうちを言ってはくれなかった。
執事もメイドも、寂しんでいる悟を憐れんでくれたからこそ誰よりも褒めてくれた。今思えばとてもありがたいことだが、悟が欲しかったのは言葉じゃない。
それを言ってくれる両親だった。
悟はただ褒めてほしい。すごいね、さすが、そんな言葉を両親からもらいたかった。そんな単純な思考がこの頃を支配していた。
それは第三十区画のためという一番の使命よりも強かった。
それからはただ両親の気を引くことだけを考え始めた悟は色々なことをした。
狩谷家が所有する武器製造所の機械を勝手にいじり今より性能アップを目指して魔改造。ただ、それは他の人からすればいたずらにしか見えなかったようで。悟が両親に怒られることを恐れた使用人たちによって全て何もなかったかのようにまっさら、元通りに。
そしたら今度は両親や兄を無視したり、わざとご飯を残したり。
『優秀』というレッテルを貼られているのなら、次は『悪い子』として両親の目を引こうと考えたのだ。
だがそれも効果はなし。あとから知ったのは、またもや使用人たちによって悟の印象操作が行われていたということ。
無視をするのなら、今悟は勉強を根詰めてやっていると両親に話しておいたり。ご飯を残したのなら、今悟は具合が悪くあまり食べられないと言っていたり。
発想力は悪くなかったはず。上手くいかなかったのは、陰から見守っていた使用人たちの必死の努力のおかげだったのだ。だけど昔の悟はその行動に腹を立てることもあった。
今だったら使用人たちの気持ちも分かるものだが。
何をしても使用人たちによって妨害され、それでもなお構ってくれない両親。
次は次は、と方法を考えているとき、『桜木教育学校』という言葉に出会った。
それはたまたま両親が話題にしていた言葉で、話は色んな人から聞いたことはあった。第九区画主力軍隊の『中将』についている偉い人が反乱を起こし、土地を半分以上奪った。そこの土地では全区画から人を招集していて、その偉い人の私利私欲のために使われているとか。色々嘘も交じってそうな噂話程度だが聞いたことはある。
その秘話と噂話。それが桜木教育学校のことだと知ったのはその時。
悟は思った。自分が桜木教育学校に入学すれば、両親は焦るし引き留めるだろうと。
悪い噂と共に桜木教育学校に入学し卒業したものは戦地で活躍しているとも聞いたことはあるが、常識と異なることをするのだから、どうせ中身は汚く悪い噂そのものなんだろうと思った。
こんな考え方をするようになってから当初の目的の根源だった『褒めてもらいたい』という願いは既に消え失せ、両親に『構ってもらいたい』、『ただ自分を見てほしい』と思うように。
この頃行動力抜群だった悟はすぐに桜木教育学校に入学することを決めた。誰かに話せば即断られるだろうと考えたため、桜木教育学校の入学手続きは――全て悟自身でやった。
そして入学式翌日までばれなかった当日。制服に身を包み訳を話すと周りは、慌てている使用人たち。心配そうな目で見ている兄。――鋭い瞳で何も言わず、ただ悟のことを見つめている両親。
そんな怖い目で見る両親の心理は分からなかった。悟の中にあったのは、ただ『成功』したという達成感。これで両親は自分を見てくれる。そう思った。
だけど、一年生になって初めての夏休み。夏休みは自分の区画に帰るルール。帰った悟はただ楽しみだった。
心配、説教、感動の再開、どのシチュエーションも頭によぎった。
だけど帰ったとき、両親の対応は――悟が思い描いていたどれでもなかった。
出迎えてくれない両親。使用人たちの心配そうな瞳に囲まれて帰宅した悟はすぐに両親の元へ。
――両親の瞳に、自身は映っていなかった。
チラッとこちらを見るだけで何も言ってくれず、表情はなんだか、汚いものを見るような。
期待も信頼も無くした。ただただ無表情の両親。
自身の部屋に戻るときに久しぶりに会った兄の表情も、とても冷たくて、冷酷な。
心配もされず、怒られもせず、何も言わない。
やっと、気付いた。もう遅い。手遅れなんだと。
悟のしてきたことが積み重なって、なんとかその瞳に映ろうと頑張っていたのに。もう何をしてもその瞳はこちらを向いてはくれない。
ただ構ってほしかった。――ただ、自分を、見てほしかった。
そしてようやく、気付いたのだ。
「そっか。オレがほんとの悪い子になっても、出来の良い兄ちゃんがいれば、オレはもう――どこにも映らないんだね」
自分を見てもらおうとたゆまぬ努力の末に残ったのは、期待も信頼も無くした。――最初と同じく、ただの孤独だったのだ。
そんな手遅れな絶望を暖かく包んだのは、皆の存在――。
学校に来てから――熱い友情を知った。
「はっ、やるな、悟!」
「へへっ、そっちこそね、龍輝!」
「長引くのは想定外だぜ。安全委員会で強さも技術も学んでるのに」
「それならオレだって負けてないもんね。毎日色んなことを知って強くなってる!」
「おー! 予想以上の熱い組手! 熱いバトルですね! 二人とも、どっちも頑張れ~です!」
「勝つのは俺だ!」
「勝つのはオレだ!」
――恋を知った。
「なあ、水萌。――オレ、お前のことが好き」
「…………」
「えっと、水萌は……」
「……私も。私も、悟のことが好きっ!」
――仲間を知った。
「こっちは終わったよ、悟。あとは龍輝と呉羽を待とうか」
「今回の任務は結構きつかったね。でも、成功してよかった」
「渚、お疲れ。未舞……結構怪我してんね。ごめん、もっと上手く援護出来ればよかったんだけど」
「ううん、いいの。サポートなのに前出ちゃった私の責任だから。それに、いつだって悟の狙撃は的確だよ。さっきは助かった、ありがとう!」
「もうじき水萌も合流するだろうし、応急処置ぐらいはしておこうか。その時に見てもらおう」
「オレは念のため龍輝たちのとこ見にいくわ。問題なかったら一緒に帰ってくるからさ」
龍輝、呉羽、水萌、渚、未舞。一年生からずーっと一緒にいる仲間。友達。
皆の存在と学校の思い出が絶望を上書きした。
最初はただ見てもらうためだけに。ただそれだけのために選んだ学校。
いつしかその目的は薄れていって皆のこと、思い出を手放したくないと思うようになった。
ただこの時間が楽しい。愛おしい。
広そうに見えて狭い世界で必死になって努力をするよりも、二層の壁に囲われている狭いようで広い世界で皆との思い出を紡いでいきたい。本気でそう思うようになった。
一年生の頃の自分が見たらどう思うだろうか。あの頃の価値観を身に纏っていた自分が見たらどう思うだろうか。
おそらく敵意を向けられ、理解出来ないといった表情で自分を見るだろうと思う。
――だけど、気付けばもう離れられなくなってしまった。離れたくないと思ってしまった。
暖かい空気に。楽しい毎日に。学校で学んだ、出会えた皆に――。
◆◇◆◇◆◇
話し終えた悟の表情はすっきりとしていた顔だった。
内容はとても後悔が残りそうな話ばかりだったのに、当の本人は何も気にしていなさそうで。諒にはそれが少し不思議だった。
自分に置き換えれば、両親や皆が自分にもう期待していないということ。つまりはもう自分は第二十四区画の役に立てないということ。悟がしてきたことを考えれば、どれだけ更生した姿を見せても、失望されれば二度と覆らない。
だけど、仲間――今の六年生の面々のことを語るときは表情が柔らかくなって、優しいものになっていた。
――そこの部分だけ、共感出来そうになってしまった。
今自分を悩ませているものは、正にそれなんだろうと思うから。
「まあ、こんな感じかな」
「えっと、ありがとうございます」
素直にお礼を言う諒が珍しいのか、不思議な顔をする悟。その顔がへにゃっと柔らかくなって、自嘲するように、
「話を聞けば分かると思うんだけどさ、オレってただの――構ってなだけなんだよね。さっきは先輩として少しかっこつけて色々話しちゃったけどさ」
悟の言う通りで、話に出てきた小さい頃の悟はなんだかただの子供みたいだった。ありえないけど使命を忘れて、ただ親に褒められるために一生懸命になったり、成功しなければへこんで。
「さっきは色々なこと言っちゃったし責めるみたいな言い方もしちゃったけどさ。オレが言いたいのは、諒が感じた感情や想いにもっと素直になっていいと思うよってことなんだよね」
「素直に……」
「今のこの国の事情とか敵とか置いといて、今諒が感じてる想いは悪いものじゃない。むしろ、もっと当たり前に、身近に感じていいものなんだよ、きっと。――いや、絶対」
そう言われると余計に分からなくなってしまう。むしろそう感じてることこそ自分が変わってきている証拠なのだと思う。
友情とか思いやりとか。それが他区画の人間に対して感じるなんて。敵も同然の相手に絶対にありえない。と、思っていたはずなのに。
「やっぱりショックだった? 信じられない?」
俯いて考え込む諒を心配と優しい声色と共に声を掛ける悟。
「……分からないんです。本当ならそう思うのは絶対いけないことなのに。狩谷先輩も小豆沢先生も、他の大人も、そう思ってしまうことを否定しないで肯定するから。余計に……分からなくなります」
「そっか」
「でも狩谷先輩の過去を聞いたとき、仲間とか友達とか。そこだけ、分かりそうな気がしたんです。絶対、駄目なのに。だから本当に分かんなくなってる」
自分は第二十四区画のために働く存在。それだけの役割があるだけ幸せなはずで、区画のために尽くせることは何よりも名誉なことで光栄なことなのに。
敵に情を持ってしまった。意識が芽生えてしまった。周りの皆は自分と同じのまだ十三歳の子供で、楽しいことは楽しいし、嫌なことは嫌で。――なにより皆でいる方が、一人より楽しい。
――一年三組の皆のことが■切な存在だと、そう思ってきているのだ。
使命がなければ皆ただの友達。もし近所に住んでいたとして、一緒に遊んでいても不思議じゃない。
皆は敵ではなく、使命がなければ皆は皆。何者でもなくなる。敵対も、嫌悪も、距離を取る必要もない。
だけど生まれてから今の今まで教えられてきたものが今諒が感じているものを否定する。
それが諒にとって正義だと、周りは全員敵で、正常なのは自分の区画だけだと信じていた。あの頃の自分がいるから戸惑いも困惑も捨てられない。
自分の区画が絶対だと、一年三組の皆は全員敵だと断言出来ない。どうしても今までの思い出を振り返ると躊躇してしまう。
「分かんないならさ、もっとこの学校も三組の皆のことも知っていけばいいんだよ。知ってしまえばどっちにしても答えは出る。だから全部知るまで、ちゃんと断言出来るまで。今の諒の気持ちに蓋をしないでおいてよ」
「……知っていく」
そうだ、と納得した。
分からないなら、分かるまで知って知って知りまくって、分からないことを分かるようになればいいと。
この学校での生活は六年もある。一つの答えをちゃんと納得できるようになるための期間としては充分すぎるくらいだ。
「分かりました。――僕、決めました」
「うん、敢えて答えは聞かないよ。頑張ってね、諒」
答えは聞かずに、まるで諒のことを信じてるみたいに笑顔で答えた悟。
そう真剣な意気込みを笑顔で応援されると、敵なのに少し恥ずかしさが込み上がる。だけど諒は決めた。決めたのだ。
「あ、そうだ。たまーに二人でまたここで勉強しよっか。元々諒は整備委員会に入りたかったんでしょ? もう委員会変えれないけど、教えるくらいならオレは全然いいし」
「え、本当ですか!?」
悟のいきなりの提案にずいっと距離を近づけ、興奮気味に本当かの返事を求める。この提案が嘘だよの一言で片付けられたら諒は本当に悟をしばく。本気で。
敵だとか仲間とか以前に諒は武器製造の家系。その手の言葉にはやっぱり敏感になるらしい。
「うん、いいよー。でもオレも諒の委員会あるし、六年生だから色々やることもあるから、勉強は二つの委員会が休み且つオレも暇な日になるから頻度は少ないだろうけど」
「僕は全然いいです。学べるだけいいので。……あの、本当ですよね? 嘘じゃありませんよね? 同じ武器製造の家系なら分かりますよね、僕の気持ちが!」
迫る諒に物怖じもせず淡々と話す悟に心配を覚える。だってこの人は先輩とはいえ、面倒くさがり屋で自由奔放な人なことに変わりないのだから。
「分かる分かるって」
「約束ですよ!」
あははーと笑いながら答える悟に百パーセント信頼は出来ないが、約束の指切りに悟は応じてくれた。とりあえずは信用しておこうと思う。
◆◇◆◇◆◇
「諒くん諒くん」
狩谷 悟とのお話から翌日。
図書委員会の活動がある諒は図書室に集まったのち、今日やることの確認をしたあと恒例の本戻しを図書委員の皆と協力して終わらせていく。
戻す本棚が違うため、皆と離れて一人で作業しているところにひょこと現れた結城 来陰は小さく手を振りながら諒に話しかけた。
「はい、なんですか?」
「狩谷先輩とは、どうだったのかなって」
下の本棚に戻すためにしゃがんで作業している諒と同じく来陰もしゃがみ、目線を合わせて問いかける。
諒は少し考え込んだあと、
「まだ完全には分からないことだらけで。でも図書委員会とか整備委員会とか以前に、狩谷先輩は色々なことを教えてくれました」
「うんうん、なんだか今日の諒くん、すっきりした顔してる。私にはそれが少し……安心」
色々なこと、その言葉の真意を理解しているみたいに微笑む来陰。
この人のことも少し分かってきた気がする。ただの臆病な人だと思ってたら、ちゃんと先輩なんだなと思ったり。
「まだまだ分からないことだらけですけど、今はとりあえず分かるまで――この気持ちと一緒に過ごしてみようかなと思います」
「! うんっ……私もそれがいいと思う。それに……」
そう言って来陰はポケットから、あの後ちゃんと洗濯して返した『あの時』のハンカチを取り出し、ニヤッと、まるで小悪魔みたいに、
「また諒くんが泣きそうになったら貸してあげるしね♪」
「だっ、だから、あれは涙じゃなくて汗です、汗! ……来陰先輩もそういうこと言うんですね」
「あはは、愛里に似たのかな」
「愛里って……入学式の日に歓迎の挨拶をしてた……夢咲先輩ですっけ」
「うん、私の友達だよ」
そう言って笑う来陰の新しい一面は、臆病とは間反対のものらしい。




