09 姉二人
ヴィクターはレイルティアの希望通り、可能な限り彼女を城外へ連れ出した。オペラ、演劇、レストラン。馬車から見る街並みを、レイルティアは飽きることなく眺めていた。そんな彼女を、ヴィクターは愛おし気に見つめていたが、それをレイルティアが知っていたのかは分からない。
貴族街と呼ばれる場所を回り切るだけで、3か月はあっという間に過ぎた。
そしていよいよふたりの婚約式当日。レイルティアは早朝に起こされ、全身をこれでもかと言うほど磨き上げられた。前日の夜から念入りに世話をされていたので、レイルティアの準備が整う頃には、それはもう頭の先からつま先まで輝くような美しさだった。フレイアを含む侍女やメイドたちが、その出来栄えに感嘆の溜息をついた。
デビュタントの時の準備など、序の口だったのだな。等とレイルティアが内心苦笑を漏らしていた時、フレイアが来客を告げる。
「レイル様、王太子殿下とアステラ大公妃陛下がお見えです。」
「お姉さま方が?お通しして。」
アステラ大公国は、レイルティアの2番目の姉であるヘーゼルが嫁いだ東の隣国である。ヘーゼルは10歳にも満たないうちにアステラ大公国へ嫁いでいた。レイルティアとは父も母も同じとする姉妹であるが、異母姉の王太子オーレリアとの方が過ごした時間は長かった。
ただ、ヘーゼルは、祝い事の度によく来賓として来ていたので、嫁いでそれきり、というわけでもない。
「レイル、婚約おめでとう。」
「おめでとうレイル!こんなに綺麗になって!」
「ありがとうございます、お姉さま方。」
フレイアに案内されたふたりが、レイルティアに祝いの言葉をかける。
「お久しぶりですね、ヘーゼルお姉さま。お元気そうで何よりです。」
「もう!レイルまでそんな堅苦しくならないの!オーレリアお姉さまが私達の分までしっかりしているんだから!」
「相変わらずね、ヘーゼル。でも安心したわ。」
「そりゃあ私ですもの!どの国でも美しいものは大切にされるのよ!」
ふふん、と可愛らしく鼻を高くするヘーゼルは、誰もが見とれるほどの美女だ。幼少の時ですら、その美しさは完成されていたが、成長するたびに、年を重ねるほどに、彼女の美しさは磨かれていった。そんなヘーゼルを、夫であるアステラ大公は溺愛しているようだ。彼女が度々帰国しているがその証拠でもあった。ヘーゼルの望みを断れないのである。
オーレリアとヘーゼルは、来客用のソファに腰を下ろした。レイルティアもその向かいに座る筈なのだが、婚約式用の衣装が崩れてしまうため、化粧台の椅子に座ったままである。姉二人は、「レイルはそのまま、動かないでいなさい。」「一度立ち上がると座れなくなるわよ!」と声をかける。経験からの助言である。実はふたりとも、衣装を直してもらうのに一苦労した経験があったのだが、レイルティアは知らない。
フレイアが紅茶を出し、ふたりはレイルティアの婚約者の話をし始めた。
「よくフラーク公爵は婚約を了承したわね?」
「デビュタントでレイルの事を見初めたそうよ。」
「あら、さすが私の妹だわ!こーんなに美人なんだもの!」
うふふ、と嬉しそうにヘーゼルが笑う。レイルティアは鏡に映る自分を見つめて、まあ確かに、等と思った。
「でもほらお姉様、フラーク公爵といえば諸外国を渡り歩いていらしたでしょう?」
「そうね。」
「ヴィ‥‥公爵様は外国にらしたんですか?」
ヘーゼルとオーレリアの話に、レイルティアは驚きを漏らした。
「あら、知らないの?レイル。」
「え、ええ。‥有名なお話のようですね?」
「そりゃあそうよ!顔も良く地位もある公爵が、結婚もせず外国を飛び回っていたんだもの!」
「飛び回って‥‥。」
初耳である。本人からはもちろん聞いたことは無かったし、彼女にそれを教えてくれる友人はいない。それに、噂を耳に出来る社交も、レイルティアは参加したことが無かった。
「そう!でも、もう落ち着いたようね。レイルとの婚約が決まってからはずっとヒース王国にいたのでしょ?」
「はい。」
「毎週のように、レイルを連れ出しているわ。」
「あら!仲が良いのね!その衣装も公爵からでしょう?」
「そうですが‥‥なぜ?」
こてん、と首を傾げたレイルティアに、ヘーゼルは楽しそうに笑う。
「うふふ、レイルったら!」
「‥‥黄金も黒も、フラーク公爵の色でしょう?」
「そこにレイルの瞳の色を入れるところがまた‥‥ねぇ?」
「ええ、公爵は本当にレイルを思ってくれているようね。噂は当てにならないものだわ。」
オーレリアも楽しそうだが、レイルティアのドレスに向ける視線には若干の呆れが混じっていた。オーレリアはここ3か月のヴィクターの行動を見て、確信を持っていたのである。そしてそれが、かなり重めも感情ではないか、とも薄々気づいており、レイルティアのドレスを見て気のせいではなかったか、と思ったのだ。
「‥‥‥?」
しかしレイルティアは、姉二人の言葉をいまいちよく理解していなかった。
「年の割に落ち着いていると思っていたけれど、こういう事には疎いのね?」
「レイルは社交界には出られなかったけれど‥‥恋愛小説とか、読んだことないのかしら?」
「恋愛小説‥‥」
「「ないようね。」」
末の妹の反応に、姉二人は声を揃えた。それからオーレリアは控えていたフレイアに視線を向けて、彼女を呼んだ。
「フレイア。」
「はい、王太子殿下。いくつか用意しておきます。」
オーレリアの言わんとしている事をすぐに察したフレイアが、承知して頭を下げる。
「私のオススメを後で教えてあげるわ!」
「ありがとうございます、大公妃陛下。」
三人を見ているレイルティアは、仲間外れになった気がして少々不満げだった。「恋愛小説などを読んだところで、自分に恋だの愛だのが分かる筈も無いのに」と心の中で呟いた。概念としては知っているが、それでも自分がそれを理解できる未来が一切想像できなかったのである。