15 公爵の初恋の相手
日差しの穏やかな午後。王宮でも限られた者しか入れない温室。今朝、急ぎだと姉に呼ばれたレイルティア。そこには兄のエルヴィスもいて、重要な話なのか人払いされていた。
「レイル、そのネックレスは公爵からの贈り物かしら?」
しかし最初のうちは雑談だった。オーレリアに、ほんの少し揶揄うように言われたレイルティアは、胸元に光るネックレスに触れる。そういえばヴィクターは昨晩帰ってこなかったな、等と頭の片隅で思いながら返事をした。
「ええ、そうですが‥‥どうして分かったのですか、お姉さま。」
「エルヴィスも気付いているわよ。」
「そんなに主張が激しいと、ねえ?公爵の瞳は珍しい色だし。」
「ああ‥‥肌身離さず着けろと言うわけですね。」
ため息をつきながらレイルティアがそう言うと、オーレリアとエルヴィスは顔を見合わせた。
「公爵がそんなに情熱的だったとは。」
「ええ‥‥。それなら、心配はないと思うのだけれど‥‥。」
軽く肩をすくめたエルヴィスとは異なり、オーレリアは言葉とは裏腹に眉をひそめた。姉のその様子に、エルヴィスとレイルティアが首をかしげる。
「レイル、今日貴女を呼んだのは‥‥。」
珍しくオーレリアが言葉に詰まる。レイルティアは静かに次の句を待った。
「一昨日、クローレッド王国のライサ王女がいらっしゃったの。」
「クローレッド‥確かアステラ大公国の北にある国ですよね?」
「ここヒースとは接していないから‥‥大公国を通過してきたってことですか、姉上。」
「ええ。わざわざ。」
オーレリアは眉間に手を当てた。相当困っている様子に、エルヴィスとレイルティアが顔を見合わせた。
「ライサ王女が、陛下に詰め寄ったの。「フラーク公爵と結婚させてほしい」と。」
「「は???」」
「もちろん最初は、陛下も断ったのよ。既にレイルと婚約しているのだと。」
「最初は、って‥‥」と呟いたエルヴィスの顔が青ざめていく。
「それが昨日‥‥公爵とレイルの婚約を取りやめにする方向に陛下が揺れ始めたの。」
「‥‥レイルが公爵に嫁ぐよりも、好条件の話をクローレッド王国が持ってきたと‥?」
「そのようでね。ただ、公爵の方は断固拒否しているわ。陛下はどちらがより美味しいか吟味中よ。」
「なんてことだ‥。」
頭を抱えたエルヴィス。オーレリアはさらに言葉を続けた。
「ライサ王女が「自分が公爵の初恋の相手よ!」と声高らかに言うものだから、貴族たちもざわついていて。」
「そんなことまで‥‥。婚約者のいる相手に向かって言う事ではないでしょう。一国の王女ならなおさらです。」
オーレリアはエルヴィスの言葉に頷いた。本当はもっと色々と、大きな声で主張していたライサ王女だったが、そこまでレイルティアに伝える必要はないだろう、と長女は妹の様子に視線を向けた。その心配をよそに、レイルティアは静かに紅茶を飲んでいる
「レイルには‥‥確かな情報を伝えたくて、急いで呼んだのよ。」
面白おかしく尾ひれのついた話を他人から聞かされるより、簡潔な事実をいち早く耳に入れたかったのだ。オーレリアの言葉を聞いて、レイルティアはゆっくりとカップを置いた。
「婚約が無かったことになれば、私は王宮へ戻る事になりますか?」
「‥そうなるわ。でも‥‥。」
「すぐ、別の方と婚約となるのですね?」
「‥‥ええ。」
「わかりました。心づもりはしておきます。」
淡々と、感情無く言葉を発するレイルティア。オーレリアは少し戸惑いながらも、彼女の問いかけに答えた。
もしもヴィクターがレイルティアとの婚約を取りやめて、ライサ王女と婚約を結ぶことになれば、レイルティアはすぐに他の者と婚約を結ばなければならない。
元婚約者が現婚約者の近くにいる状態など、ライサ王女の母国、クローレッド王国が許すはずないのだ。
「レイル、公爵は‥‥!」
「大丈夫です、お兄さま。私はどこへ行ってもやっていけます。」
「レイル‥‥。」
「お姉さま、どのくらいの方がこの話をご存じでしょうか?」
「王宮に勤めている者達は既に知っているわ。その家族から社交界に広まるのに時間はかからないでしょう。」
「わかりました。」
「‥‥もし、本当にライサ王女が公爵の初恋の相手だったとしても、今公爵の婚約者は貴女よ、レイル。」
「‥‥。」
レイルティアはオーレリアの言葉に返事をしなかった。
姉と兄の視線を受けながら、レイルティアは席を立った。今日はこれで失礼します、とそう言って、温室を後にした。
ヴィクターが帰ってこなかったのはこの事だったか、と合点がいったレイルティアだったが、何故か気持ちは晴れなかった。
温室の外で待っていたフレイアと、ヴィクターが付けてくれている護衛の騎士を連れて、馬車の待つ門まで歩いていたその時。
「あら、あなたがヴィクター様の婚約者?」
背後から声を掛けられ、レイルティアは足を止めた。
鈴を鳴らしたような可愛らしい声。この国の王女に向けるには礼儀を欠いた口調。
振り返ってみれば、美しい赤毛の女性が数人の付人を連れて立っていた。まるで薔薇のようだ、とレイルティアは思った。
「‥‥ええ、そうです。クローレッド王国からようこそ、ライサ王女。」
「うふふ、お邪魔しておりますわ、レイルティア王女。噂通り、美しい方ですわね。」
「ありがとうございます。」
「ヴィクター様の邸宅にお住まいと聞いていましたが、うふふ、城へ戻って来たのですか?」
「今日は姉に誘われてお茶をしていたのです。公爵邸にはこれから帰るところですよ。」
「あら、そう。まだなの。」
淡々と返事をするレイルティアに、ライサは残念そうに口を尖らせた。
「でも、もう耳にされたでしょう?私はヴィクター様の初恋の相手。あの方と結婚するのは私ですわ。」
「はあ‥‥。」
「うふふ、だからあなたは公爵邸から出て行く準備をしていた方が良くてよ。」
「‥‥陛下から命じられればそうしますので、ご心配なく。」
レイルティアはそう返して、その場を去った。
後に続くフレイアも護衛の騎士も、レイルティアを心配していたが、当の本人は何でもないような顔で馬車に乗り込んだ。




