【01】婚約者が「恋愛物語」の主人公になっていた
晴れた空、そよぐ緑の柔い風。
レオールの街で一番人気の、おいしいガレットを出す評判のカフェ。恋人たちの逢瀬にぴったりのテラス席で、私、イレーナは――
「僕は真実の愛に出会ってしまったんだ、もう君を愛することは出来ないっ……!」
壮大にフラれた。
将来を誓い合った男性に、大声でもって婚約解消を宣言された。
「ちょっと待ってクレイ、いったん席に座って! 人が見てるから!」
手にしていたナイフとフォークを皿に放り捨てて、私は彼の袖を引っ張った。
テラス席の全ての客が、何だ何だとこちらを見ている。好奇の視線が矢のように降り注ぐ中、金髪を陽光に煌めかせて両手を大きく開いたクレイは、まるで照明を浴びた役者のように目立ちに目立っている。
ついでに、その向かいで中腰になっている私自身も望まない視線を集めている。
「一体どうしちゃったの? あなた男爵家の次男坊なんだから、もうちょっと弁えた行動ってのを……」
「立場なんか関係ないんだ! 確かに君はレオールを代表する商家の娘、僕はブラン男爵家の男……
血筋でもって発生するしがらみが多く在ることは分かっている。お互いに辛い立場だということも理解しているよ!」
「いや別に私は辛くないんだけどむしろこの状況が辛いの、目立たないで! 座って! ちゃんと聞くから!」
思いっきり袖を引くと、その勢いでなんとかクレイは席に戻った。良かった、これでも座らないようだったら足払いでもかけなければならないところだった。力づく的な意味で。
「落ち着いて話してね。大きい声は無しよ」
念を押すと、クレイはウッ、と、分かったんだか分からないんだか不明のうめきを漏らした。そしてテーブルに突っ伏した。押しやられた皿が落ちないように支えたのは私の機転だ。この店は食器のセンスがいいのだって売りなのに、こんな珍事で粉々にされたらたまらないだろう。
はあ、と、思わずため息が出る。改めて彼と向かい合う。
「で…… 婚約を解消したいの? 本気で言ってるの?」
私は念を押すつもりで問いかけた。
四年間お付き合いをした彼は、ブラン男爵家はレオールでも名の通った貴族。
一方の私は爵位こそ持っていないけれど、スレヴァリ商会といえば知らない者は居ない程度の大きな商家だ。
上流階級の出入りも当然するし、財産だけで考えれば、そこいらの貴族よりはよほど蓄えを持っている。その長女と次男の婚約にどういう意味があるのか、さすがに分からない人ではないはず。
男女としての仲だって決して悪くはなかった。私は彼が好ましかったし、むこうもそう思ってくれていると疑ったことも無かった。一人でそう思い込んでいるだけ、だったのかもしれないけれど……
ともかく、お互い家柄という背景がある身。そのあたりを承知の上で婚約解消を願っているのか。私の問いに、彼はこくりと頷いた。
「君を嫌っているんじゃない。僕は導きの声に耳を澄ませ…… そして気が付いてしまったんだ、君への愛よりも更に大きな、抗いがたい存在があることに!」
「うん、つまり浮気をしていたのね。で、私じゃない方を選んだって言いたいわけね」
理解した時、彼のことを好ましい、と感じている部分の感情がすうっと下がっていくのを感じた。
浮気相手と比較されたうえに敗北したなんて腹が立って仕方がなくなるはずなのに、不思議とそうは思わなかった。
それよりも婚約者――いや、元婚約者の興奮状態に対する驚きの方がよっぽど強い。
「クレイ…… いったいどうしちゃったの?」
彼は大人しいタイプで、あんな風に声を荒げた姿を見せたのは初めてだった。
そういう意味で言葉を失った私を、クレイ悲しんでいると判断したのか、またあのウウッ、という悲劇のうめき声をあげてから立ち上がった。今度はもう制止しきれない。椅子がひっくり返ってもおかまいなしだった。
「っ……すまない、君を傷つけるつもりはなかったんだ! だが!!」
クレイの手が生垣の向こうへ伸ばされる。
自然とそちらを向くと、そこには淡い水色の可愛らしいワンピースを纏った巻き毛の女性が、手を祈りの形にして立っていた。え、誰?
「神に誓って僕はもう嘘をつけない、いや、つかない! リリーこそが僕の運命の相手だったんだ!!」
「クレイさん……!」
女性が感極まった表情で名前を呼ぶ。
なるほど、彼女がリリーさん。きらきらおめめを潤ませて、感動のあまり泣き出す寸前の彼女がリリーさんなのね。
彼女は生垣をわっさと乗り越え(店の被害が甚大すぎる)、そのままクレイに抱き着いた。そのまま嬉しい! とか、素敵! とか言っている。
クレイはというと、憂いを帯びた、笑っちゃうくらいのキメ顔で彼女の髪を梳いていた。頭よりも、スカートの裾に絡まってる生垣の草とか葉とかを払ってあげた方がいいんじゃないだろうか。けっこう上等な生地よね、それ。
でも、クレイはそうしなかった。前髪をなびかせて、あんまりといえばあんまりな状況に真顔になっている私を痛ましげに見つめ、言った。
「せめてもの誠意に、きみのパパにはありのままをお話しておく。それくらいはさせてくれ。
じゃあ…… さよなら、イレーナ。美しい思い出をありがとう」
と。
さっと踵を返して、二人は生垣の向こうへと去っていった。
取り残されたのは私一人。
未払いの伝票だけが、テーブルの花瓶に挟まって、空しくかさかさと揺れていた。
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