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5話 帰還とそれから

 騒音は崖下の窪地から聞こえてきているようだった。


 その場所を見下ろすと、鬱蒼と生い茂る草や木々の奥からその下の光景が歪んで見える、奇妙な空間があった。


 だがその空間はだんだん狭く収縮していっているようだ。騒音も近づいて大きくなってきていると思ったのに、いまは弱まってきていた。


「時空の渦が閉じかけてる……」


 期待と不安が入り混じった声でシャルは言う。


「閉じたらもう開かないのですか?」

「同じ場所にすぐに発生する確率は低いな」

「でしたら早く行ったほうがよろしいのでは? シャルさんの予想通り、騒音獣の正体は時空の渦なのですよね」

「でも、それが未来――オレのいた時代に通じているかはわからない。また全然違う時代に飛ばされるかも」


 迷いを断ち切るように、シャルはかぶりを振ってこぶしを握り締めた。


「いや、この機会を逃したら次があるかわからねえ」


 そしてミローディアに笑いかけた。


「ディア、世話になったな」

「いえ、お礼を言わなければならないのはこちらのほうで――」


 別れの挨拶をしようとしたとき、背後から枝を踏み鳴らす乱雑な足音が聞こえた。


「貴、様……っ、よくも歌姫を」


 衛兵のひとりだった。あの状態から意識を取り戻してここまで追ってくるなんて、相当強靭な肉体と精神力を持っているのだろう。さすが天下の奏楽団の衛兵だ。


 壁の中にいたときにその強さを感じられればこれほど頼もしいことはなかっただろうに、いまの彼はシャルにとっての障害だ。


 剣の切っ先をシャルのほうに向け、その鋭い眼光からはなにをしてでも討伐するという意志が見て取れた。


 こうなると、どれだけ訴えても聞いてもらえなさそうだ。


「響奏で止めます。シャルさん、行ってください」

「あ、ああ」


 なにか言いたそうにシャルはこちらを振り返りながら、崖下へと降りて行った。


 ミローディアもまだ言いたいこと、伝えたいことは残っている。だけど、そうも言っていられなかった。


 響奏を歌う。だが衛兵は一度響奏を破ったからか、鈍い動作ながらもシャルのほうへと進んで行った。


 崖から降りたら追いつかれる。もしくは下の人間を狙って剣を投げられでもしたらおしまいだ。


 ――シャルさん!


 叫びたいのを我慢して歌い続けるが、崖の手前まで来た衛兵は剣を振りかぶった。


 直後、ドン、と轟音が鳴り響いた。衛兵の剣はなにかに弾き飛ばされ、響奏が完全に効いたのか衛兵は地面に倒れた。


 ミローディアは歌を止め、崖下を見下ろした。そこには先程よりも少し大きくなった時空の渦が、揺らめいていた。少年の姿は、もうなかった。


 間に合った。シャルは無事に時空の渦の中に入れたのだ。


 そのためにここまで来て、目的を達成できた。それなのに、ミローディアはなんだか泣きそうだった。


 しばらく呆けたようにそこに座り込んで閉じていく時空の渦を眺め、やがてミローディアは立ち上がった。


 シャルは本来いた時空に帰って行った。歌姫にとっての非日常は、終わりを告げた。




 奏楽団に連れ戻された後、案の定こってり説教をされて、その日は自室から出ることを禁じられた。もっとも外を出歩く、森を歩くなどという慣れないことをしたからか、部屋に戻ってベッドに入ったら、すぐさま深い眠りについてしまったが。


 翌日、稽古のための部屋に移動する途中のミローディアに、かけられた声があった。


「昨日はご活躍だったようですね」

「ラトさん」


 奏楽団の客人が近づいてきた。


「活躍って……昨日のことをどう聞いているんですか」

「歌姫が先日忍び込んだ少年に誘拐された――そういうことになっているようですが、実際は違う。君は渡された箱を使って奏楽団を抜け出し、少年が住む街で響奏を披露した。そして――」

「ま、待ってください。どうして知っているんですか」


 やはりラトは魔法使いだったのか、という説が強化されつつあったが。


 ラトはまっすぐにミローディアを見て、


「ようやく君としっかり向き合えるな、ディア」


 いままでただひとりにしか教えていない呼び方で、目の前の少女を呼んだ。


 ラトはシャルのことを知っているようだった。ミローディアが昨日体験したことも少なからず承知していそうで、ということは。


「ええと、シャルさんのお知り合いだったのですか?」


 それなら説明がつくのではないかと問いかけたのだが、ラトは堪えきれなくなった様子でふき出した。ひとしきり肩を震わせて笑ったあと、顔を上げて話し出した。


「シャルのその後について教えてあげよう。シャルは本来の時間に帰ったが、この時代で触れた響奏に心奪われていた。録音したものを使って研究し、やがて気づいた。響奏の中には時間を跳躍させる効果を持つものがあると。その響奏を制御できるようになり、この時代に来た。響奏の中心地である奏楽団に入り込んで」


「――もしかして、ラトさんが」


 あの少年の将来の姿だというのだろうか。そういえば、長い前髪の間からのぞく彼の瞳は青灰色をしていた。


 別れたくないと思った大切な人が、いまここにいる。まったく同じではなく、大人に成長した姿になって。


 納得が行くにつれて、胸が熱くなった。


「か……髪黒いじゃないですか!」


 だけど驚きのあまり、真っ先に口をついて出たのはそんなことだった。我ながらほかに言うべきことがあるだろうに。


 別れたときは寂しかったとか、再会できて嬉しいとか。――考えがまとまらない。ふとした拍子に涙がこぼれそうだった。


「変装だよ。過去のシャルが未来を知ってはいけない。オレとシャルが同一人物だと気づかれて、ディアになにか言われたら不都合だったからな」


 それにしても、とラトは自分の髪をつまんだ。


「髪を染めたくらいでごまかせるとはね。そんなに老けたか?」

「着ているものも高価そうに見えますし、雰囲気も違いますし……」

「そうか? 精神的にはあの頃とそこまで変わったつもりはないんだが」

「ラトさんにとってはそうでも、その……大人びて格好よくなりました」


 その評に、ラトは照れくさそうに目を細めた。


「そんなわけで、しばらくこの時代で研究することになるが、よろしく頼む」


 笑顔で手を差し出され、ミローディアはその手を取った。


 どうやら彼とのつながりは、まだ切れたわけではないらしい。いつか未来に帰るときが来るとしても、まだしばらくは近くにいてくれるのだ。


「ディアには感謝しているよ」

「そんな、私はなにもしていません」


 シャルとの出会いで得たものに比べたら、ミローディアはシャルに迷惑をかけてばかりだった。


 だが、ラトは言葉を続ける。


「ディアからすればついさっき、オレからすればあの日あの時――ディアの歌は遥か彼方まで響き渡った。その響奏はこの時代と未来の時空をつなげたんだ」

「じゃあ、先ほどの説明にあった時間を跳躍する響奏って」

「ああ。ディアの歌だよ。でもそれだけじゃなく」


 あの時、君に会えてよかった。


 ラトはミローディアの耳元で、そう囁いた。そして懐からなにかを取り出し、ミローディアの手に握らせた。


「これは……」


 包みを解くと、それは昨日の昼前に露店で見かけた装飾品のひとつだった。


「響奏で時間移動できるようになってよかったよ。こうしてあのとき渡しそびれたものを贈れるんだから」

「ありがとうございます。では――」


 装飾品を受け取り、大きくなってきた鼓動の音を聞きながら、ミローディアは言った。


「私も伝えそびれたことがあったので、聞いてくれますか?」


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