第5話:貸しを作れ
――久光視点――
薩摩屋敷 応接間
上座には三つ葉葵をそこかしこに使用した装束をまとった若者。
なにやらまわりを密かに観察している様子。
武者隠しの藩士に気づかれたか。
やはり儂の目は曇ってはおらぬ。
油断はできぬ。
儂も帯刀に目配せして、人払いをする。
「先程は我が藩の者共がご無礼をおかけし誠に申し訳ございませぬ」
謝って済むものではない。
将軍家を牢に入れるなど、天地がひっくり返ろうともあってはならぬ。
この若い将軍は何を要求してくるのか。
恐ろしい。
「よい。それは水に流そう」
譲歩か。
どんな過大な要求がなされるか。
「そのかわり⋯⋯」
来た。
覚悟を決める。
「薩摩には砂糖があったな。それを所望いたす」
「砂糖? 黒糖のことでありましょうか」
「うむ。それじゃ。余もそれがほしい。が、薩摩の手を煩わせるのは気が引ける。故に」
ごくり
「琉球に幕府の交易所を設けようかと思う」
なんと。
琉球口の交易に幕府が手を伸ばすと?
「それが受け入れらぬとなれば⋯⋯」
どくんどくん
「奄美でもよい。甘味、甘みとはよく言うたものじゃ」
奄美⋯⋯、だと?
わが薩摩の領国ではないか。
そこに幕府の役所を建てるなど、宣戦布告にも等しいではないか!
その宣戦布告を単身、将軍自らが敵地に乗り込んで伝えるとは。
我らがひっ捕らえてそれを材料に幕府と交渉し⋯⋯。
いや、それすらも計算に入れてのことか?
薩摩の横暴ぶりを天下に知らしめてのお取り潰し。
自分の身を餌に、関ヶ原の折最後まで徳川に屈しなかった我が薩摩をここでねじ伏せようとしている!?
「余も甘味は好きではあるが、和宮が甘みを欲する故」
朝廷の御威光も使うとは。
まさか、有栖川の宮まで根回しが済んでいると匂わせているのか?
「恐れながら、上様。奄美はわが薩摩の領国。幕府の手を煩わせるような仕置きはしてはおり申さず」
「うむ。あいわかった。では⋯⋯」
こ、今度はなんじゃ?
「甘みを幕府に収めるだけで良い」
「奄美を渡せ、と!?」
この将軍はなんということを。
「いや、菓子じゃ」
「貸し、ですと?」
「そうじゃ。菓子を作り、近いうちに持って登城いたせ」
貸しを作る?
牢に入れたことを、水に流す代わりに貸しとする気か?
そして、もっと深刻な条件を突きつけるために御城に参れと?
「それは某の一存では決められませぬ。藩主茂久と相談いたし」
逃げねば。
一旦、時間を稼がねば。
大原卿とも相談をして、此度の勅命に留保条件をつけるなどして⋯⋯
「なるほど、久光では駄目なのか。では藩主に直接言い渡そう」
「そ、それだけはご容赦を」
とんでもない。
そんな事を許せば、この国父たる儂の存在が消し飛んでしまうではないか!
「まあよい。では黒糖を月に一度、我もとへ届けよ」
急な譲歩。
これもなにかあるに違いない。
黒糖の売上の何割かをよこせということか?
「駄目か? では三月に一度でもよい」
「どのくらい差し上げればよろしいでしょうか」
恥をしのんで聞いてみる。
「うむ。家臣にも分ける。最近は家臣の口も寂しいと聞く。朝廷もじゃ。たまには甘味を差し上げたい」
いったい幾ら献上すればいいのだ?
月百両では足りん。
月千両か!?
「難しそうな顔をするな。ではこうしよう。久光、その方、国元へ帰るまでに登城いたせ。そのときに菓子折りを持参。それが美味ければ此度のことは水に流そう」
また譲歩か?
菓子折りだと?
しかも儂が登城。
その際に、儂も牢屋に入れて、晒し者にする。
幕府は今回の勅命には従うが、裏でこそこそやっているものはこうやって処分する、と日ノ本中に喧伝するつもりか?
「焦らずともよい。じっくり考えて、よき物をつくり持参いたせ」
勅命に対する答えは、長期戦にするという宣言か。
恐ろしいやつ。
なんという若者が将軍についてしまったものか。
日ノ本に幸いをもたらすか。
はたまた、薩摩をはじめとする雄藩と干戈を交える暴君となるか。
そして外国との交渉も豪胆な道を進むのか。
実際交渉して見て、話と全く違う人物であることを実感した。
恐るべき交渉術。
「久光」
「な、何でございましょう」
「ちと、厠を借りたい」
「は?」
「憚りじゃ」
「はっ。帯刀」
そしてこの緩急の付け方。
まさに深謀、いや神謀!
恐るべし。
徳川家茂公!




