第8話 マルテを襲った恐ろしい悲劇
黒い枝の向こう、小さく見える冥色の空のもとへと、たき火の煙が昇っていく。
空びとと地びとの間に生まれた少年……?
ニンゲンの姿に変身中の海竜のイルムは、マルテという少年の出自に少し驚いていた。
「二つの種族は、互いに距離をとっているのではなかったのか?」
イルムは、傍らに座っている空びとの少年、リーフに尋ねる。
「うん。でもね、長い歴史、多くのニンゲンたちの中には、そういったことも、たまにあるんだって」
リーフは、ほどよく焼けたきのこ――木の枝に刺してあぶった――を、イルムに手渡した。
「恋には、すごいパワーがあって、空と大地の間の距離もなくしちゃうんだって。マルテが言ってた」
僕にはまだわかんないけど、と付け足してリーフは笑った。
「恋」
「うん。マルテのおとうさんとおかあさんは、うんめいてきな出会いをして、恋をして――、そしてマルテが生まれたんだって」
イルムは、よく焼けたきのこに、念入りに息を吹きかけて冷ましながら、
「恋か。それは私にもわからんなあ。私も、まだだ」
と、首をかしげた。海竜の恋のシーズンは、基本的に生涯に一度で、多くても数回程度らしい。そして、子の数も一から三体程度と少なく、その代わり一個体あたりがおそろしく長命である。
「イルムもわかんないんだ。僕と一緒だね! ちなみに、マルテにはもう仲のいい特別な女の子がいるよ」
「仲のいい特別な女の子? それは親友となにか、違うのか?」
イルムは、きょとん、とした。
「ええと。恋人どうし、かな。あ。そんなこと言ったら、マルテに怒られちゃうかな」
「怒られる?」
「うん、そんなんじゃないって、マルテは言うんだ。周りの子たちがはやしたてるから、女の子を守るためにそう言ってるのかもしれないけど。でも、絶対、お似合いの二人だと思うんだ」
「ニンゲンは、子どもでも恋をするのか」
「うん。たぶん」
へえ、すごいな、とイルムは目を丸くして、よく焼けたきのこをひとかじりし、そのおいしさにまた目を丸くした。
「それではマルテの父親は、地びとの身なのに、空の国で暮らしているのか」
マルテ一家は皆、空の国で暮らしているのかと思ってイルムは尋ねたが、ううん、とリーフは首を横に振った。
「おとうさんとおかあさんとマルテは、地上で暮らしてたんだって。でも、マルテのおとうさんもおかあさんも、マルテが小さいころ、地上で殺されてしまったんだ」
「え」
イルムは驚いた。死んだ、ではなく殺された、しかも両親とも、とは――。
「どうして――」
「マルテのおかあさんが持ってた、魔法石を狙ったんじゃないかって、マルテが話してた」
魔法石――。欲が、悪いほうへ向かう、というやつか――。
イルムは、リーフの言っていたニンゲンの欲望の恐ろしさについての話を思い出していた。
「マルテのおとうさんは、マルテとマルテのおかあさんに襲い掛かろうとした悪いやつらから守ろうとして戦ったけど、殺されてしまったそうなんだ。マルテのおかあさんは、マルテを連れて空の国に逃げたんだ。でも、マルテのおかあさんは、身につけていた魔法石をマルテに渡して、マルテのおねえさんの家にマルテを預けて、一人で地上に戻っちゃったんだ。おとうさんを弔うためと、おとうさんを殺した犯人を捕まえるために」
ざざざ、と風に枝が揺れる。イルムは、マルテとマルテの家族を襲った悲しすぎる悲劇の全貌を、語り手であるリーフを熱心に見つめつつ傾聴していた。
「それきり、マルテのおかあさんは帰らなかった。結局おかあさんも――」
「なんていうことだ……!」
イルムは思わず叫んでいた。生きるためではなく、ただ物を奪う目的で同族を殺すとは、とあまりの理不尽さに呆気にとられ、そしてすぐに感情は怒りと苛立ちへと移行した。
では、マルテが地上に降りたのは――。
「マルテは、自分の両親を殺した犯人を捕まえるために、地上に降りたのか……!」
マルテは復讐を果たすために単身地上へ降り立ったのだろうと、そうイルムは推測した。
「ううん、違うんだ」
「違う?」
「うん。子どものうちは、犯人を捜すのも捕まえるのも無理だって、マルテも知ってた。マルテのおかあさんのおねえさん、つまりマルテを引き取ってくれたマルテのおばさんやおじさんたちも、今でも時々地上に来て犯人捜しをしてるけど、わからないままなんだ。マルテは、犯人を追うのは、自分がせめて学校を卒業してからって言ってる。もっとも、捕まえたとしても、地びとの犯人を空の国では裁けないんだけど――」
「さばく?」
海竜であるイルムは、「裁く」がどういうことを意味しているか、わからない。
「ええと。悪いことをしたひとの罪を、裁判ってもので決めるんだ。本当にその人が悪いことをしたかどうか、とか、どのくらいの悪いことをしたのか、とか」
リーフは、裁判というもの、それからそのあと裁判を受けた者がどうなるのかを、学校や家などで教わった範囲で説明した。もっとも、リーフは空びとなので、空の国の社会の裁判の話だった。地びとは地びとで、きっと決まりは違うと思う、と一応付け足した。
なるほど。ニンゲンは、様々な決まりを作って社会を成り立たせているのか。
あまりの複雑さ、奥深さに感嘆し、イルムは色々質問したくなったが、話が逸れてしまうのでやめておいた。
「復讐でないとしたら――、マルテが地上に向かった理由はなんなんだ?」
月が、静かにイルムとリーフを照らしている。足元の虫が、唄を歌っている。
「マルテのおかあさんの形見の、大切な魔法石が盗まれたんだ」
「え」
虫の声が、止まった。リーフはイルムを見上げ、ゆっくりと告げた。
「鳥に」
「えっ、鳥!?」
うん、とリーフはうなずいた。
「マルテは、鳥に盗られた大切な形見の魔法石のネックレスを、取り返すために地上へ行ったんだ」
とりにとられたとりかえす――!
イルムは、意外過ぎるリーフの答えに混乱した。頭の中、呪文のように繰り返す。「とりにとられたとりかえす」。
「イルム。もしかして今、鳥と虎を思い浮かべてない?」
図星だった。鳥に虎れた鳥かえす。海竜のイルム、なぜか虎を知っていた。虎のうわさ、広く海の中まで轟く。
「どうして、そんなややこしいことに――」
鳥が、どうしてネックレスなんかを盗ったのだろうか。そして、どうやって盗ったのだろうか。鳥は、地上から来たやつで、空の国から地上に飛び去ってしまったんだろうか。様々な疑問がイルムの頭の中に渦巻いていた。
「たぶん、普通の鳥じゃない。操られていたんだと思う。魔法で」
「魔法……? ということは、鳥に魔法石を盗ませたのは、空びと……? でも空びとは、魔法石が珍しくないし魔法石に関する欲はないから、盗まないんじゃ――」
「うん。そのへんは、僕らにもわからない。ただ、鳥は地上へ降りて行った。そして、マルテは鳥を追うことを決めたらしいんだ」
「ふうむ」
鳥の背後にいるのは、空びとか、地びとか。それとも、背後なんてものはなくて、ただ鳥は好奇心で光る石を持って行ってしまっただけなのか。
イルムは腕組みをし、不可解な話に考え込む。
謎だ。まあ、そもそも、もともとニンゲンをよく知らん私が考えたところで、答えなど導き出せるわけがな――。
スヤア。
疲れが出てしまったのか、考えるのに疲れたのか。イルムはたき火の前に座って腕組みをしたまま、居眠りをしてしまった。
イルムの浅い夢の中、空色の石の前、謎の鳥と虎が踊っていた。




