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第3話 イルムが立った

 ゆらゆら、きらきら。海底まで、陽の光が差し込む。陸地が近い。


「イルム。ちょっと止まって」


 海の中、海竜のイルムの背に乗った「空びと」の少年、リーフが声を掛けた。


「どうした」


「陸に上がる前、ニンゲンの姿になって」


 大きな姿のイルム、遠くからでも「地びと」たちに見つかってしまいそうだ。その前に、変身してほしいんだ、とリーフは説明した。


「これを持って」


 リーフはそう言って、ペンダントをイルムに手渡す。


「なんだ、これは」


「ニンゲンが首に掛ける装飾品なんだけど、これからはこれをつけていてほしいんだ」


 石のついているペンダントだった。海の中でわかりにくいかもだけど、空色でとってもきれいな石なんだよ、とリーフは説明した。


「僕らの国、空の国々の魔法石だよ」


 空びとたちの国は、文字通り空の上に浮かんでいた。空高く浮かぶ性質の巨大な岩石が、空の上に九つある。それはこの世界の空に散らばって存在し、その上に空びとが住んでおり、それぞれ国を形成していた。


「僕たち空びとは、空に浮かぶ岩の上に住んでいるんだ。地上でいえば、海に浮かぶ島みたいなものだよ。地上の石や岩は空中に浮かばないけれど、僕らの国は浮かんでる。実は僕らの国を支える岩石自体が特別で、魔法の力があるんだ」


「空の国の石はすべて、魔法の力があるというのか」


 うん、とリーフはうなずいた。


「でもね、石の力にも強い弱いがあってね。石の中にはあまり使えないものもあるんだ。これはね、僕が見つけた強い石。しかも、まだ見習いさんなんだそうだけど、ちゃんと職人さんに頼んで、磨いてペンダントにしてもらったんだ。この石の力も使えば、変身できるし、つけている間は魔法がとけないはずなんだ」


「変身のために、これを付けていろと?」


「うん」


「これは空には浮かばないのか?」


 空に浮かぶ島の石の一部、かけらに過ぎないとしても浮くんじゃないかとイルムは思った。


「うん。空に浮かぶ力が、地面から離れちゃった時点で変わってるとか習ったよ。さらに、磨いたり祈ったりして、ニンゲンの力を加えると魔法の力の方向を色々変えられる、とも先生が言ってた」


 空の国には、学校というものがあって、様々なことがらを学ぶらしい。


「この石は、僕の使う魔法を強めるようにしてもらったんだ」


「ふむ。それで変身の持続性がもたらされる、ということか」


「じぞくせい?」


 難しい言葉、とリーフは首をかしげた。


「長持ちする、ということだ」


「あ、それそれ!」


 リーフは、笑顔を大きくした。

 海竜の姿の今は、首を通せない。イルムは、ペンダントを手に持っていることにした。


「変身のとき、痛みとか苦しさとか、そういうのないから安心してね」


 変身について、まるで知っているかのようなリーフの口ぶりだった。


「もしかして――、他のなにかで変身を試したのか?」


「うん。まず自分にかけてみた。僕はニンゲンだから、姿に変わりなかったけど、ちゃんと安全な魔法だってことはわかった。それから、ニンジンさんを、ニンゲンにしてみたよ。ニンジンさんはお話したり動いたりできないから、本当に見た目だけだったけど」


 ニンジンニンゲン。


「魔法を解いて台所に戻しておいたら、その晩シチューになってた。ちょっぴりフクザツな気持ちになっちゃった」


 ちょっとしょんぼりしたリーフに、おいしく食べたらニンジンも本望だ、とイルムは言っておいた。本望、も難しい言葉だったので、お前の命の一部になるのでよかったのだ、と言い添えた。

 植物でさえニンゲンの姿にできるなら、海竜の自分もちゃんとニンゲンの姿になるのだろう、とイルムは思った。それにしても、ニンジンは語呂のよさで選んだのだろうか、たまたまなのだろうか。

 じゃあ、今から魔法をかけるね、とリーフは宣言した。そして、海の底でくるくるとリーフは舞ってから、イルムに向き直り、呪文を唱えた。


「偉大なる海の竜イルムよ、ニンゲンの姿になあれ」




 ちゃぷちゃぷ、ざざーん。


 波の音が聞こえる。

 イルムは、四つん這いの状態で砂浜にたどり着いた。


 これが、手。


 変わってしまった自分の手の甲、さらに裏返して手のひらを、見つめる。リーフの手より大きく指も長くごつごつしていて、成人したニンゲンの男性の手、と思った。それから、視界に入る、濡れた長い銀色のもの。これはたぶんたてがみが「髪」に変化したものだろうと思った。水色の石のペンダントを首に掛けると、目についたのは筋肉質の胸元、足、それから――。


「イルムーッ、これを体に巻いてっ」


 リーフが海藻を引っ張ってきていた。魔法で服に変えるからね、とりあえず服の代わりにしてね、などと元気よく叫びつつ。


「あ、ああ」


 海藻を巻く。リーフが呪文を唱えると、たちまちイルムにぴったりの衣服になった。地びとの最近の流行の服だよ、とリーフは言ったが、イルムにはなんのことやら、だった。


「さあ、イルム。立ってみて」


 座っている状態のイルムに、わくわくした様子のリーフが声を掛ける。


 不思議だ。リーフが大きくなったのか、私が小さくなったのか。ああ、私が小さくなったのか。リーフを見る感覚が違う。


「イルム。大丈夫? 立てる?」


 イルムが少しぼうっとしているようなので、リーフはイルムの具合を心配したようだ。イルムは、大丈夫だ、なにも問題ない、と答えた。


 立つ。二本足で。


 ゆっくり、立ち上がってみる。足で立つとは、こんな感じだろうと想像しつつ、足に力を込めた。

 ちょっとだけふらついたが、ニンゲンとは異なる、ずば抜けた勘と身体能力で、すぐに立て直した。


「おおっ、イルム、すごいね、大丈夫だね!」

 

 リーフが歓声を上げ、ぱちぱちと手を叩いて祝福してくれた。

 足の裏に感じる、砂のほのかな熱。少し、緊張した。


「世界が――」


 イルムは見た。陸の様子、遠くに見える木々の緑、山――。


 広がった。世界が。どこまでも。


 イルムが初めて見る風景が広がっている。


「イルム、歩いてみて」


 リーフに促されるまま、歩こうとイルムは思った。しかし、手足をどう動かせばいいのか勝手がよくわからなかった。リーフが歩いて見せたので、それを真似した。ちょっと妙だったが、少しずつ学んでいく。潮風が、日差しのぬくもりが、砂に少し足が沈むが揺るがない大地が、応援してくれているように思えた。


 大地を歩く。なんというか……、面白いな……!


 初めての感覚に、瞳を輝かせた。


「走れる? 走ってみようよ」


 リーフがにこにこと、誘う。


 走る――。


 リーフは、イルムの返事を待たず、もう駆けていた。金の髪を風に揺らしながら。


 走る――!


 イルムも駆けた。裸足のまま、走る。コツを掴めず、初めはぎこちなくバランスを崩しそうになったが、それも束の間、すぐにリーフを追い抜いた。


 海の中と、全然違う……!


 思ったより、進まない。思ったより、大変。でも、と思った。


 もっと走ってみたい……!


「イルム―、速すぎるよー」


 リーフの小さくなった声を耳にしながら、イルムは夢中で駆けていた。




「これ、靴ね」


 息を切らしながら、魔法で作った靴をリーフは差し出した。原材料は流木らしい。木製のはずだが、海藻が服になったように、見た目はちゃんと革靴になっていた。


「不自由そうだな。要るか?」


「要るよー。足を守ってくれるし、このほうが歩きやすいよ」


 リーフに勧められ、履いてみる。面倒な気もしたが、その場で足踏みしてみると、確かにあったほうがいい気がしてきた。


「ふむ。ニンゲンは頭がよいな」


「でしょー? キノウテキっていうんだって! 空びとも、地びとも、賢いんだよー」


 どちらも靴を履いてるよ、ほかにも便利なこといっぱいあるよ、と得意げに笑い、それにしても、とリーフは先ほどの駆けっこを振り返る。


「砂浜で靴もなくて走りにくいはずなのに、イルム、速いんだもんー。きっとマルテより断然速いよ! まあ大人と子どもじゃ、違うかあー」


 リーフは残念そうに言っていたが、顔は嬉しそうだった。


「イルムとの駆けっこも、楽しかったよ!」


 リーフは両腕を頭の後ろに回して指を組み、えへへっと笑った。


 マルテ。


 地上に来たのは、マルテを探すため。新しい体験の連続につい忘れそうになったが、イルムは海で交わした契約を思い出す。


「マルテの詳しい話を、教えてくれ」


 イルムが、リーフの親友マルテのことを尋ねた、そのときだった。


「うわあああ……!」


 少し離れた岩場のほうから、誰かの叫び声が響く――。

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