第12話 これからのことを、君の記憶に刻んで
封印される前、イルムは海の中、自由気ままに暮らしていた。
大人の海竜になり、海の中の強者となったイルムは、生命を脅かす敵に対する警戒がほとんど不要になったためである。
それから狭い空間に封印されていた二十年は、身動きが制限されることはもちろん、生きていれば発生するはずのあたりまえの自然現象――食事や排せつ――も停止して、まさに生きているのに死んだような毎日だった。できることといえば思いを巡らすことくらい、たまに通り過ぎる目の前の生きものたちをガラス越しに見つめているような状態で、
あのエビ。あのエビで一句詠んでみるか。
と、偶然にも俳句的な発想が浮かび、
エビデンス、曲がっているから、エビでんす。
と、ものすごい奇跡的にだじゃれ――エビデンスとは、あるニンゲン国の言葉で根拠、証拠などの意、らしい。イルムが知るはずはないため、ミラクルのようだ――を思い描くこともあった。それくらい、暇で無味乾燥な日々だった。いや、案外無味でもない気もするが。エビなだけに。
それから、空びとの少年リーフの魔法によって解放され、海で跳ね、大地を駆けた。地上では、新しい情報と新しい体験、心も目まぐるしく動いた。
行動と知識の増加と心の刺激――胃袋の刺激も忘れてはならない――、無の境地のような状態から、怒涛の如く押し寄せたそんなこんなで、ニンゲンの青年の姿に変身中のイルムの頭は、冴えていた。
鳥。魔法石。なぜか私の命を狙ってきた、ニンゲン。
びゅう、風がイルムの銀の髪を揺らす。朝の緑が、鮮やかな光を届ける――。
ああ。もしかして。
イルムの中で、三つの点と点が繋がった。
「リーフ。昨晩私を襲ったあのニンゲンこそ、マルテからネックレスを奪った犯人だったのかもしれないな」
イルムは、真剣な声でリーフに告げた。
「えっ」
「あのニンゲンが、魔法かなにかで鳥を操ってマルテの様子を探り続け、クリストフが空に掲げた一瞬の隙を見逃さず、ネックレスを奪ったのだろう。そしてさらに、私がつけている魔法石も奪うために、私を殺そうとした――」
イルムは、襲撃の目的は魔法石である、そう結論付けていた。
「目的は、魔法石なんだ」
リーフは大きく目を見開き、ただイルムの言葉に耳を傾ける。
イルムの銀の瞳には、鋭い光が宿る。
「それだけじゃない、きっと――」
「きっと……?」
リーフの肩が小さく揺れる。緊張で、呼吸が浅くなっているようだった。
朝風のせいか、やけにひんやりとする――。
「あいつがマルテの両親を殺した犯人かもしれない。やつはずっと、マルテの母親の魔法石のネックレスを狙っていたんだ――」
イルムは、立ち上がる。
「急ごう、リーフ」
「え……」
「マルテが、危険だ」
ネックレスを奪った犯人は、マルテの親の仇でもある可能性が高く、とても子どもには手に負えない危険な敵である、そうイルムは判断した。マルテはネックレスを奪った鳥を追っているつもりでも、このままではそうと知らずに犯人と直接接触してしまいかねない。
エビでんすの発案の時代から、飛躍的な頭の冴えわたり具合である。
マルテ……!
息が苦しい、リーフは、マルテが危ないという恐怖と不安で、胸がつぶれそうだった。
どうして、そんなひどいことを……!
マルテの両親の命だけではなく、その形見まで奪い去り、さらには、イルムの命まで狙っていた――、そんなイルムの想像は、外れているかもしれない。しかし、当たっているのかもしれない。
リーフは、急いでテントに戻る。
短剣だ、と思った。昨晩の犯人が落としていった短剣が、手掛かりになると思った。
短剣には、柄の部分にツタのような植物を模した装飾があった。美しい短剣。とはいえ、外見からは重要なヒントは見当たらない。
「この短剣から、犯人の気配を追えるかもしれない」
リーフはイルムにそう告げ、短剣を胸元近くに寄せ、魔法の力を発動させようとした。魔法で、その持ち主の持っている波動など、短剣が秘めている情報を得るのだ。
集中しなくちゃ……! 乱れる心を、整えなくちゃ……!
持ち主が最後に触れた時間が短ければ短いほど、物体から持ち主の情報や現在の行方を探る精度が高くなる。リーフは焦りながらも急いで集中しようとした。
血だ……!
リーフの心に、飛び込んでくる恐ろしい情報。飛び散る、赤。悲鳴。それはあまりに残酷な光景。
短剣から、複数のニンゲンや動物を傷つけてきた過去が伝わってきてしまった。
あまりの恐ろしさに、リーフは短剣を投げ出しそうになった。
マルテ……!
マルテを想い、かろうじて、留まる。
体が、震える。歯の根が合わず、悲鳴が漏れそうになる。リーフは、黙って耐えた。
僕の知りたいことは、短剣、お前の過去じゃない……! 僕は、お前の持ち主の気配、それから現在の彼の居場所を知りたいんだ――! お願い、教えて……!
短剣に心の中で語り掛けてから、リーフはハッとした。
短剣も、苦しかったのかもしれない。ほんとは、誰かを傷つけたり、命を奪ったりなんて、したくなかったのかもしれない。だから、僕に訴えかけてきたんだ――。
なにかを切ったり削ったりするために生まれた短剣。でもこの短剣は、生きものの命を奪うんじゃなくて、なにかの作業として、人の生活を手伝う道具として使われたかったのかもしれない、そんなふうに思えてきた。
人や動物を傷つける手段だったとしても、それは持ち主を救うため――。
短剣が、そんなことを考えている、リーフにはそう思えて仕方なかった。
「ごめん。短剣。君の気持ちは、わかったよ。大丈夫。君はもう、そんなひどいことしなくていいんだよ」
リーフは、短剣にそう語り掛けた。不意に、涙もぽたり、と流れ落ちてしまった。あたたかい一滴が、短剣の、剣身に届く――。
あ……。
目の前が、開ける感じがした。突然、リーフの中に流れてくる新しい情報。それは、犯人の波動。
「ありがとう……! 教えてくれて……!」
リーフは、掴んだ波動を胸に記憶した。すう、と息と心を整える。
「刻みし波動、等しきその波の行方、我に示せ……!」
リーフは、呪文を唱えた。そして、心の目で、探る。
南……。
気配を消しているようで、詳細な情報はわからない。でも、南、と心の中にはっきり浮かんだ。
「わかった……! ここから南の方角だ……!」
イルムのほうを振り返る。心配そうな、イルムの視線とぶつかった。
「リーフ」
イルムには、短剣とのやり取りはわからないはずだった。しかし、イルムはとても悲しそうな、案ずるような顔をしていた。
ぽつり、イルムは尋ねる。
「リーフ。辛かったのだ、な……?」
うん、とリーフはうなずいた。
イルムは、リーフを抱きしめていた。
たぶん、わからない。でもたぶん、わかっている。
イルムはなにも聞かないので、リーフもなにも言わなかった。
わからなくてもいい、ただ傷ついた心を癒したいのだ、そんな穏やかで静かなぬくもりに包まれていた。
手早く、出発の準備をする。
たき火の始末もしっかりして、リーフはテントや余った木の実少々をリュックにしまい込む。
「では――」
「あ、ちょっと待って。イルム」
出発しようとするイルムに、リーフが声を掛けた。
リーフは、リュックからタオルを取り出した。冒険の必需品だ。
ぐるぐると、タオルを巻く。短剣の、剣身に。
そして、短剣に向かって語り掛けた。
「君は、これから僕の冒険のお供だ。これまでのことじゃなく、これからのことを、君の記憶に刻んで」
ちょっとした魔法も使い、タオルは鞘になった。そして、腰のベルトに固定するようにもした。
「その短剣、使うことにしたのか」
イルムが、問う。
「うん……! もうこの短剣は、あいつの短剣じゃないよ! ロープを切ったり、木の枝を削ったり……。これからは、そんな便利で素敵な道具になるんだ……!」
リーフは顔を輝かせた。新しい鞘の中、目には見えないけれど、短剣が少し光ったような気がした。
「ニンゲンの知恵は、道具を作ること、使うこと、なのだな」
イルムも、新しい冒険の仲間を気に入ったようだった。
リーフとイルムは、南へと急いだ。




