表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/28

第23話 守られたもの、守れなかったもの

 源三の鍛冶場から戻ってきた翌日。


 真冥は、その日採ってきたばかりのスライム粘液を瑞希の調合店へ持ち込んだ。


「最近、京ノ都からも買いに来るお客さんが増えてね。在庫が心許なかったんだよ」


「じゃあ、これで少しは余裕ができますね」


 真冥はそう言って瓶を差し出す。


 だが、瑞希の表情はどこか冴えなかった。


「……ねえ、真冥くん。万能軟膏の原料のこと、聞かれたことある?」


「いえ。誰も聞いてきませんでした」


 瑞希は、短く息を吐く。


「……そう」


 それ以上は、言わなかった。


 昼過ぎ。


 調合店の扉が、静かに開いた。


「噂で聞いて来たんですが……万能軟膏、ありますか?」


 京ノ都から来たらしい、身なりの整った男女だった。


 穏やかな声色だった。


「ありますよ。火傷にも切り傷にも効きます」


 真冥が瓶を手に取る。


「安いですね。京ノ都の薬屋よりずっと」


「仮ノ町ですから」


 瑞希が淡く笑う。


 男は瓶を眺めながら、ふと尋ねた。


「……原料って、何なんです?」


 一瞬の間。


 真冥は、何の迷いもなく答えた。


「スライムの粘液です。ちゃんと精製してますし、安全ですよ」


 空気が止まった。


「……スライム?」


 女のほうが、思わず眉をひそめる。


「……あ、いえ。その……」


 男は気まずそうに笑う。


「仮ノ町では普通なんでしょうけど……京ノ都じゃ、スライムって“不浄”の象徴みたいな扱いで」


「悪気はないんです。ただ……」


 二人は顔を見合わせる。


「噂だけで来ちゃったので……」


 瓶は、そっと棚に戻された。


「ごめんなさい」


 そう言い残して、二人は店を出ていった。


 真冥は、少しだけ困ったように呟く。


「……別に、悪い人じゃなかったですね」


「うん……」


 瑞希は頷いた。


「でもね。ああいう人が、“噂を持ち帰る”のよ」


 翌日。


 調合店の前に、明らかに場違いな客層が並んだ。


「聞いたぞ。スライムの粘液を薬に使っているそうだな」


「そんなものを、黙って売っていたのか?」


 店内の空気が、ぴんと張り詰める。


 仮ノ町の常連が声を上げた。


「効く薬だぞ。俺は助かってる」


「子どもの擦り傷も、すぐ治った」


 だが、京ノ都の客は引かない。


「効くかどうかの問題じゃない」


「不浄物を原料にした薬を使わせるのは非常識だ」


「仮ノ町の常識を、外にまで持ち出すな」


 空気が、じわじわと押し返される。


 “助かった”という声は、“常識”という言葉の前では、どうしても弱い。


 そのとき。


 瑞希が、一歩前に出た。


「……雑草という名の植物がないように、ゴミなんてものはないわ」


 店内が、しんと静まる。


「あるのは――その価値を、見つけられなかったって事実だけよ!」


 瑞希の迫力と正論に京ノ都の客は押し黙ってしまった。


 だが、そのうちの一人が鼻で笑う。


「綺麗事だな」


 それを皮切りにまた勢いを盛り返す。


「価値があるなら、なぜ隠した?」


「自分でも、後ろめたかったからじゃないのか?」


 瑞希の目が、わずかに細くなる。


「隠してないわ。聞かれなかっただけよ」


「それを“隠蔽”と言うんだ」


 正論は、ここでねじ曲げられる。


 仮ノ町の人々が、口を噤む。


 誰もが、“間違っていないのに負けている”感覚を覚えていた。


 そのとき。


「うわぁ……正論を力で潰すやつだ」


 場違いなほど軽い声が、店の外から響いた。


 振り向くと、アローラが腕を組んで立っていた。


 この場の重さなど、まるで気にしていない顔だった。


「お客さんたち、“気持ち悪い”を“正義”にすり替えるの、上手いねぇ」


 京ノ都の男が睨みつける。


「部外者は黙っていろ」


「はいはい。じゃあ“権威”を連れてきましたよっと」


 アローラが指を鳴らす。


 淡い光とともに、白い外套の女性が姿を現す。


「天界管理局、アステリアです」


 彼女は冷静に告げる。


「スライム粘液の外用利用に関する安全性検証は、すでに正式に完了しています」


 タブレットに、“有害性なし”の刻印が浮かぶ。


「人体への有害性は確認されていません」


 空気が、一気に変わる。


 仮ノ町の人々がざわめき、京ノ都の客たちは、明らかに言葉を失う。


 アローラは、肩をすくめた。


「ほら。“正論”じゃ足りない世界だからさ、こういう“裏付け”が必要になるわけ」


 瑞希は、その光景を、静かに見つめていた。


 正しかったから、勝ったわけじゃない。


 “天界”という名前があったから、通っただけ。


 ――それでも。


 守られた薬と、守られた人たちが、ここにいる。


「……安全だと、天界が認めているなら……」


 誰かが、苦し紛れに呟く。


 それ以上、責め立てる言葉は出てこなかった。


 一人、また一人と、京ノ都の客たちは店を出ていく。


 その背中には、“納得”というより、“引き下がらされた”感が滲んでいた。


 アローラは、去っていく背中に向かって、ぺろっと舌を出す。


「あっかんべー。“正しさ”じゃなくて、“肩書き”に負けた気分はどう?」


 仮ノ町の常連たちが、苦笑しながら肩をすくめる。


「……性格悪ぃな」


「でも、ちょっとスカッとした」


 瑞希は、ようやく息を吐いた。


 勝ったわけじゃない。

 ただ、守られただけだ。


「……ありがとう」


 アステリアは首を振る。


「いいえ。これで終わりではありません。京ノ都では、今日の件は必ず話題になります。“気持ち悪い”という感情は、証明書では消えません」


 瑞希は唇を噛んだ。


「……やっぱり、正しいだけじゃ、足りないんだね」


「当たり前でしょ」


 アローラが、軽く言う。


「だから“場所”を増やすのよ」


 瑞希と真冥が顔を上げる。


「仮ノ町支援所でも、この薬を扱う。同時に、この店には天界の証明書を貼る」


 アローラは、壁の一角を指差した。


「“個人商店の怪しい薬”じゃなくなる。それだけで、躊躇する連中は減る」


 アステリアはギョッとした顔でアローラを見た。


「姉さん!そんな話は聞いてません!」


「そりゃそうでしょ。今決めたんだから」


 全く悪びれる風も見せず、アローラはアステリアの肩を叩く。


「後の手続きよろしくね」


 アステリアは目眩を必死に堪えて、


「わ、わかりました。その申請も何とか私が取り付けましょう……」


 アローラはそんなアステリアを気に留めず、カッカと笑う。


 瑞希は、しばらく黙っていたが、やがて静かに頭を下げた。


「……ありがとう」


 その様子を、真冥は見つめながら、ぽつりと呟いた。


「善意って……時々、人を傷つけますよね」


 瑞希が、はっとして振り返る。


「僕、悪いことを言ったつもりはなかったです。ただ……いい薬だって、勧めただけで」


 少しだけ、言葉を探してから、真冥は続けた。


「……でも、いいことを、いいって言うのは、悪いことを、悪いって言うのと同じだと思うんです」


 一瞬の沈黙。


 アローラが、ふっと笑った。


「厄介な子だね。ほんと」


 瑞希も、小さく笑う。


「……でも、その厄介さがなかったら、私は今も調味料しか作ってなかった」


 瑞希は、棚に並ぶ万能軟膏を見つめる。


「誰かが傷つくかもしれない。それでも――私は、この薬を作り続ける」


 真冥は、静かに頷いた。


 世界は、まだ変わらない。

 偏見も、消えない。


 それでも――


 善意を諦めない者たちの居場所は、確かに、ここにあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ