還章④ 戦士の里Ⅱ
日が昇る。
姫様が寝付き、それを見守っていた頃、三人が戻ってきた。
「オイラ、話を聞いてみたんだ。さっきの魔竜は、先日じっちゃんを殺した魔竜とは別だったみたいです……その竜は、二本脚で立っていたって……」
「二本脚……」
二本脚と聞くと、リザードマンを思い起こす。だが、伝承によると、リザードマンは大昔に絶滅したようだが。
「となれば、竜魔四天王か……?」
まだ、奴らの実態は掴めていない。
ただし、調査団の新たな報告によれば、彼らは眷属と呼ばれる強力な魔物を生み出すらしい。
「メルル……どう思う?」
オレはまず、予言者であり、賢者の称号を得たメルルに問う。
「そうだな、間違いないだろうね。先日に襲来してきたことは、私の予言にもなかった。もしかしたら、竜魔四天王というのは、予言に映らない……?」
メルルは勇者を見る。
「分からない……」
クソ……。この順路を選ばなければ、四天王に関わるリスクを極力減らせたというのに──いや、神託が下りないというのなら、結局はどちらも同じ……。
「もう……なんで予言に映らないんだ……」
両手でこめかみを揉むメルル。
「ううん……違和感……違和感……」
傍ら、勇者はゴンザレスに語りかけている間、オレは窓から村を眺めていた。
住居から出て、仕事を始める村民。外に出て遊び始める子どもたち。
数時間前に、魔竜の襲撃があったというのに、日常はやってくる。
ひとつ、大きなため息をついた。
「違和感が……違和感が消えないなぁ……」
まだぶつぶつと呟いているメルル。違和感──そうだ。違和感だ。
いま、見えている範囲に、違和感がある。
オレは窓を開け、村全体を観測する。
そうだとも。連続で襲撃は無いだろうと、誰もが予想する。
オレたちもそうだ。
違う。既に、襲撃は来ていた。
透明に近い、スライムのような魔物が、子どもたちを取り込み、連れ去っているのが見えた。
「総員、すぐに出るぞ! 襲撃だ!」
大声を放つ。
「なにっ……?」
オレは槍を持ち、窓から飛び降りる。
「姫様を起こしてくれッ!」
着地の衝撃を押し殺し、大声を上げる。
「退避しろ! 襲撃だ!!」
オレは魔物を追う。向かった先は森か……!?
「ワタシの子どもが居ない!」「おらの家の子も!?」
混沌だ。慌てふためく村民。
勇者、メルル、ゴンザレス、そして姫様が追いつく。
勇者が大声を上げる。
「ゴンザレスは村の防衛と、住民を引っ込めるよう誘導してくれ!」
「オイラは……オイラは……」
彼は、頭を振っている。どうすればいいのか、迷っている表情だ。
「……頼む。ゴン。魔物が何体居るか分からないんだ。この村の出身なら土地勘もあるだろ。任せたぜ」
「──オイラは……」
脚を動かしていたゴンザレスは、その走りを止める。
そうだ。何かを喪ってからでは、遅いのだ。
オレたちはゴンザレスを置いて、森へと突入していった。
「申し訳ありません、皆さん。遅れました……!」
姫様は細剣の柄に手を添えながら、謝罪した。
「いや、気にするな。休める時に休まないと。バルムンクが気付かなければ、どうなっていたか……」
メルルがフォローに回る。
「それで、バルムンク。状況は?」
「……遠目で不確かではあったが、巨大なスライムのようだった。ただ、スライム族の特徴ではない。色は無く、透明に近い──水のようだった。六人の子どもを取り込んで、森へと去って行った」
勇者は走りながら、ぼそぼそと呟く。
「スライムに近い……水……」
引き継ぐのはメルル。
「水の眷属だ。予言に映らなかったことを見るに、竜魔四天王の可能性が高い──昨夜の魔竜は、また別の眷属なんだろう」
「早々に魔王軍の幹部か……罠だろうが、行かねばなるまい」
「はい。助けましょう、子どもたちを」
姫様は決意を込めた眼でそう仰った。強いお方だ。
「──ちょっと待ってください。何かを感じる……こっちです!」
突如、右に曲がる姫様。
オレは困惑する。が、メルルと勇者は迷わず付いていく。
クソ……何も分かっていないのはオレだけか!?
辿り着くは、拓けた場所だ。
そこには、先ほどの魔物に飲み込まれていた子どもたちが。
「すぐに助けだすぞ」
オレは一歩を踏み込んだ。
「待て!」
叫ぶメルル。同時に、オレの肌が粟立つ。
なんだ──? 感じるのは恐れ。
上空から飛来し、地を割るのは巨大な竜。いや、それは二足歩行の竜。
その身体は濡れたように潤っている。日光が照らし、艶々と輝く。
「こいつが……」
竜魔四天王。
オレも、姫様も固まっていた。
『思い出した。その角、前に襲ってきた魔物と同じ……』
同じだ。
姫様の表情を見るに、同じ感想を抱いたのだろう。
だが、聖剣を抜く音で我に返る。オレは姫様の前に立ち、槍を構えた。
十メートルはある、二足歩行の竜は口を開く。
「アナタたちが勇者一行ですか。ははぁ、虱潰しに探していると、行き当たるものですね」
言葉遣いは理知的だった。だが、敵だ。
「ワタシは竜魔四天王。竜魔王の水の児──まずは、これを」
奴は、自らの身体から、先ほどと同系統の眷属を三体召喚する。
それらは、オレたちの頭上を跳び、森に入っていく。
行き先はまさか──。
「もう一人は里に残っているのでしょう? 興味は無いのですが……まあ、分散させるには良い手なのでは」
戦士の里に向かわせやがった。
すぐにこいつを仕留める──仕留められるのか……? どうすればいい……オレが指示を出さなければ……!
「『土壁よ。守護せよ』」
土の要塞が、子どもたちを囲った。メルルの土魔術。
「騎士! 戦姫! ここは俺と賢者が引き受ける! 村に戻って戦士を援護しろ!! 子どもたちを優先して助ける!」
信じられないような勇者の言葉が耳に届く。
「何を考えている!? 尚更、お前の方に人数を割くべきだろう!?」
そうは言ったものの、オレ自身、吐いた台詞が難しいことを知っていた。
万能かつ応用力のあるメルルと、魔特攻のある聖剣持ちの勇者を対峙させるのが効率が良い。
戦力的には、メルルを村に戻らせ、オレと姫様、勇者が残るのが良いだろう。
しかし、四天王に対して何が有効なのかが分からない現状だ。
メルルとゴンザレスが戻ってきた頃には全滅していた──なんてことは避けたい。
そして、姫様と四天王が一緒の空間にいるのは不味いと、オレの勘が告げていた。
だから、多彩な魔術を行使できるメルルと、聖剣を振るう勇者がセットだ。
反対に、この場で確定的な役割を持ち合わせていないオレと姫様が、村の援護に行くことが正しい。
だから、勇者の言っていることが正解だ。
「クソッ……貴様! 彼女には様を付けろ! それと、死ぬな。お前が死ねば結局、村どころか国まで終わってしまうからな! 賢者、頼むぞ!」
オレは姫様の手を取って、走り出す。
「……ッ! 頼みます、二人とも! こちらが片付き次第、援護に戻ります!」
眷属を追いかけるように駆ける。
鼻で笑うように、四天王は宣言した。
「おやおや、二人だけで私と戦うのですか? 流石にそれは、舐めすぎでは? ……すぐに殺して、追いかけてあげますよ」
最後に振り返ると、勇者とメルルは、拳をぶつけ合っていた。
それは、信頼の証だろう。
オレの胸に付けた、紐飾りが揺れる。
森を突っ切る中、爆発音が聞こえる。戦闘が開始されたようだ。
前だけを見る。二人を信じるだけだ。そして、託されたからには、成し遂げてみせる。
□ □ □
戦士の里に戻ると、ゴンザレスが一人で門に立ち、三体の眷属を牽引していた。
今なら、挟み込める形。
姫様にアイコンタクトを送る。彼女は意を汲み、頷いた。
「戦士! 左右のは任せろ!」
オレたちに気がついた戦士。
こちらから見て右の眷属に向かい、槍を振るう。弾力のある肉体に穂先が埋まり、切り裂いた。
反対側で、姫様の細剣が光る。刺突が眷属の肉体に穴を空け、脆弱となった箇所を斬る。左右の眷属は両断された。
「ウオオオオオオオ!!」
ゴンザレスの怒号。
恵体から繰り出される大斧の一撃は、いとも簡単に眷属を真っ二つにした。
「よくやった! すぐに援護に戻るぞ──」
「待ってください! 眷属の様子が!」
眷属は倒した。
倒したはずだった。
両断した死骸が、蠢く。分かたれた肉体のそれぞれが膨張し、一個体として復活しやがった──!
水の竜魔四天王の眷属が六体──! 武器での攻撃に意味はない──!
「これでは手が空かんぞ! ゴンザレス! 村人を退避させろ!」
瞬間、眷属の一つが門を破壊し、村に侵入した。
沸く悲鳴。
眷属の突進が、村人に襲いかかる──ゴンザレスがその身を挺して、受け止めた──!
「無事か!? 戦士!!」
目の前にいる二体の眷属を相手取る。魔物の頭上に跳び、中心に槍を突き刺した。
これで一体は行動不能にできる──! 姫様の背後を襲う眷属を蹴り飛ばして──腰の短剣を構えた。
礼を仰られた姫様は、細剣の鞘で眷属の突進を受け流す。
「無ッ事、でッす! 戦士の腕輪が無ければ、終わってた──!」
ゴンザレスは大斧の斧腹で、眷属を押し込む。
彼の後ろには、村人たちが立っていた。
「はやく──!」
前に出たのはヴァルガンと、村の若者たちだ。
「お、オラたちも手伝う!」
「駄目だ! 下がって!」
オレが蹴飛ばした眷属は、対象を姫様から村人に切り替え、跳ぶ。
ゴンザレスはそれを掴み、叩き落とした。
だが、これでゴンザレスの前に居る眷属は三体。
クソッ、オレたちの前にも一体ずつ。ここで抑えこんでいるのが限界だ。
三体と対峙するゴンザレスは、村人を護るために、突貫をした。いくら巨体だからといって、無理がある──!
質量に押しつぶされていくゴンザレスは、気合いを入れるように、叫んだ。
「オイラは、仲間も、村も、ぜんぶ、護るんだ!!」
オレは無理があると言った。それは失言だった。彼の決意と覚悟を愚弄していた。
儀を成し遂げた戦士、ゴンザレス。彼は尊敬に値する男だ。
ゴンザレスの後方から、何かがやってくる。
それはヴァルガンと、村の若者たち──否、老人までもだ。二十数人が、簡易的な盾を構え、眷属に体当たりをした。
「!? 危ねえから下がってくれ!」
先に啖呵を切るのはヴァルガン。
「ちくしょう! オラだって、『戦士の里』の戦士だ! おめえばっかに良いところ取られてたまるかよ! オイ! 若え野郎を中心に、防御陣営を展開しろ!!」
雄々しい怒号が響いたあと、陣形が展開される。
眷属は負けじと、その質量を、盾ごと押しつぶすように押しつける。
雄叫びを上げ、対抗する者たち。
「みんな……!」
感嘆の声をあげる彼の腕輪が、強い光を帯びる。
「おめえのじっちゃは、いつもこう言ってたろ! 『ワタシたちは戦う者であり、護る者でもある』ってよぉ!」
腕輪が、光輝いた。
「──! そうだ、オイラは戦う者であり、護る者なんだ──! 護る人は、オイラ自身が決める──!」
眩い光は、腕輪に付けられた、『結束の紐飾り』の水晶に吸い込まれた。
「力を、感じるよ──じっちゃん! オイラは戦って、戦って、戦って護る!!」
腕輪を前に構えたゴンザレス。
彼の前には、まるで聖光で形作られたような盾が張られていた。
襲いかかる眷属たち。
彼は全身の力を込めて、構えたままの盾でぶん殴った。
その光の盾は、輝きを強く放出して、眷属どもを灼き尽くす。彼の目の前の三体は、消滅した。
眷属クラスは、聖剣による攻撃でしか消滅しない。
だが、光の盾は確かに、眷属を灼いたのだ。
ゴンの腕輪は、神の聖遺物に並ぶモノへと進化した──!
老人が呟く。
「おお──『戦士ロイヤーの導きは、護る為に』。ロイヤーの、再来じゃ!」
歓声が沸いた。
それは良いが──
「戦士! こっちも手伝ってくれ!」
「はい!」
再び戦士が構える。だが、その光でできた盾は、先程のものより幾分か小さい。
「なんでだぁ!?」
「いいからぶつけてみろ!」
その光は、眷属を灼くものの、消滅とはいかない。
だが、やりようはある。
「戦姫! そいつを細切れにしてください!」
「こ、細切れ!?」
「ほら、料理指南でもやったでしょう!?」
「うう……武器と調理器具は違いますよう……でも!」
素早い身のこなしで、眷属の体勢を崩しながら跳ぶ。そして空中で細剣を振るった。
眷属の弾力ある身体が、見るも無惨に細切れとなる──これが分裂したら、とんでもないことになるなと、我ながら浅ましい提案に後悔した。
「戦士! すぐに灼き払ってくれ!」
「うす!」
聖なる盾光が放たれ、肉片を全て灼き尽くすことに成功する。
「次はこちらを!」
姫様が跳ぶ。閃光のように距離を詰める彼女。
彼女の細剣捌きに合わせ、短剣を振るい、助太刀をする。
同じく細切れとなった肉片に対して、戦士を呼ぼうとした。
既に、戦士は行動を完了していた。
いつの間にか、オレの口からは笑みが溢れる。
「息が合ってきたな!」
胸の奥底から炎が噴き出す。柄にもなく、心が奮い立ったのだ!
最後の一体は、オレの槍によって行動を制限されている。
五体の仲間が、既にこの世から消滅させられたことに気がついているのか。その身じろぎは、命乞いに見える。
「逃すわけにはいかない」
俺は一飛びし、槍を引き抜く。空で槍撃を振るう。
着地した頃には、眷属の肉体を千々に裂いていた。そして、盾光によって消滅された。
「騎士さん、戦姫さん。どうやら、オイラが受け、溜め込んだダメージによって盾の大きさが変わるみたいです」
「そうか。仲間の盾となり、戦うための力とする。まさに戦士を体現した姿となったのか。……そして、オレはまず、謝らなければならない。先程、村人を護るためにあの眷属どもに突貫しただろう。いくらなんでも無理があると、そう思ってしまったのだ。すまない」
オレは彼に、頭を下げた。
「ちょちょちょっと、やめてください!」
「君は正しく、『戦士』だ」
一瞬、呆けた表情になる彼は、
「──はい。オイラは、戦士です」
決意の表情で、決意を持って、言い切った。
再び笑みが溢れる。オレの中の何かが一つ、収まったようだった。
ん? 姫様が口を押さえて、驚くような表情を浮かべている。
「バルムンクがここまで褒めるって珍しいですよ!?」
肩を落とす。オレの評価は、中々低いところからスタートしていたのか。
もう少し素直になろうと、努力を誓う。少なくとも、仲間の前では。
束の間、村民がオレたちの元へやってきては、拍手をし、握手をせがまれた。
姫様を見て泣いていた子どもがいる。
「お姉ちゃん……」
その言葉で、姫様は身じろぐ。オレは姫様の前に立とうと──。
「──かっこうよかった! 助けてくれてありがとう!」
「……! ──ええ、ええ! 頑張りました!」
元気に、姫様は返す。オレが前に立つ必要は無かったのだ。
この方は、強い。
いや、最初から彼女は強かった。
十年前、出会った時から。
そしてオレは──オレのやることは──。
いかん。浸っている場合ではない。
「それどころではなかった──! 勇者の援護に行きましょう! ゴンザレスは──」
「オイラも行きます!」
その言葉に頷き、森へと駆けていく。
激戦の爪痕が、辺り一面に刻み込まれていた。
会敵した場所から離れた地点まで、木々が無残に薙ぎ倒されている。
葉を滴る水滴。そして、辺りには焼き焦げたかのような匂いがする。
──物音。
武器を構えたオレたち。
草陰から現れたのは──水の眷属!
「構えろッ!」
オレの声に合わせ、二人は構える。
だが──眷属が飛びかかろうと躰を躍動した瞬間──霧散した。
何も無かったかのように、消滅したのだ。
眷属の消滅。
それは、主である四天王が死亡したということに他ならない。
だが、安心するにはまだ早い。直ぐにでも確認に向かわねばと、我先に駆け出した。
頼む。誰も喪わないでいてくれ。
絶対にこれを口には出さない──出しはしないけれど。
──オレはまだ、お前らの馬鹿話を聞きたいと思っているのだ。
拓けた場所に辿り着く。拓けたとは言っても激戦の痕を見れる程に、原形を留めていなかった。木々は燃え朽ち、薙ぎ倒され、地は割れている。
まず、目についたのは、中央に刺さっている聖剣だ。
剣戟の際に弾き飛ばされたのか、斜めに刺さり、光によって煌めいている。
そして、それはまるで、後世にも継がれていく絵画のような光景だった。
聖剣の傍ら、メルルの膝の上に頭を乗せ、勇者が倒れている。
一方の彼女は、慈母の表情で、勇者の頭を撫でていた。
細長く、磨き上げた陶磁器を想起させる指が、勇者の黒髪を梳いていく。
最も印象的だったのは、彼女らの周りを、六人の子どもたちが輪となって囲っていることだ。
子どもたちは、歌を紡いでいて──それは鎮魂歌のようにも聞こえるし、讃歌のようにも聞こえた。
まるで、一際煌めく星を囲う、小さき祝福の星々。
──息を呑んだ姫様とゴンザレス。
空気に消え失せるほど小さなその音によって、オレは意識を掴まれ、現実へと引き戻される。
いかん。オレがしっかりとしなければ。ずうっと見ていたいとすら、思ってしまった。 ……咳払いからスタートをしよう。
「……ごほん。ご苦労だった、二人とも」
「おわぁっ!?」
「きゃっ!」
飛び起きる勇者。狼狽えるメルルを見るのは初めてかもしれない。
立ち上がった勢いで勇者の腰を蹴るメルル。痛そうに腰を押さえた勇者に、子どもたちが飛びかかった。
笑い声と、呻き声が流れる。
静寂と混乱の差が激しすぎるな……。腰に手を当て、ため息をつく。
真横からの視線に気がついたので、確認をする。
姫様とゴンザレスが、抗議の目でオレを見ていた。
「じー……」「バルムンクさん……」
「……すまん」
□ □ □
そうしてオレたちは、子どもたちを連れて『戦士の里』に帰還した。
村民は騒がしく迎えてくれる。
どうやら、大仰な宴を催すようだ。
オレたちは宴の主賓として、招待される。
ふらふらになっている勇者を肩に担ぐゴンザレス。
今回ばかりは、奴も飄々とした態度も取れないようだった。後方を歩いているはずのメルルを見ると、姫様の肩を借りている。
疲労具合がうかがえるその表情を見るに、やはり彼女も、今回の四天王討伐では大層な活躍したようだ。
すぐさまお互いの戦闘状況を共有したいところだが……今は良いだろう。この宴で彼らの疲労が回復してくれれば良いのだが。
オレは久しぶりに、肩の力を抜くことができた気がした。
数時間が経過し、煌めく星々が顔を出す。
オレは杯をゆっくりと傾けている。中身は、『戦士の里』の酒だ。
下唇に液体が触れるのを感じたら、舌先ですくうように舐める。
舌が痺れる感覚の後、芳醇な香りが鼻孔を走る。こうして、人々に囲まれながら酒を飲むのも悪くないと感じた。
オレは横目で、斜め前の席を見る。
屈強な漢たちに挟まれ、肩身を狭くしているのは、眉が垂れ下げて、疲労で皺くちゃな表情の勇者。珍しく口を開かず、両側から話しかけられる言葉に頷いているだけだ。
……仕方がない。
オレは杯を持ち、立ち上がる。
「おい、勇者。話がある」
「──? なんだよ突然」
オレは奴に背を向けて、歩き始める。
「ここで話すことでもない、来い。悪いが勇者を借りるぞ」
と、勇者を連れてやってきたのは、ゴンザレスの家の裏だ。
雑多に置かれている椅子に腰を下ろす。
「なんだよ。話って」
本当に鈍い奴だ。……いや、オレが言葉足らず過ぎるのか?
姫様から『褒めるのは珍しい』と言われたことを思い出す。
振り返れば、部下を始めとして、しっかりと人を褒めたことが無かった。だから、オレに近づく人間は少なかったのだろう。
出来ることから、始めたいと思う。……姫様からの評価も上げたいからな。
「……いいや、お前が窮屈そうにしていたから連れ出しただけだ」
「────」
「なんだ。迷惑だったか?」
「あ──……いや、助かる。……助かったよ、バルムンク」
と、勇者は対面の椅子に座り込んだ。
「なんというか……明確な分断作戦ってやったことがないだろ? 慣れていないからか、思っていたより疲弊していたみたいだ」
勇者の杯が、その喉に傾けられる。負けじとオレも倣った。液体が喉から胃を通るのが感じられる。熱く、火傷しそうな感覚。頭がぼやけていく。
思わず咽せてしまう。
「ごほ……すまん。──だが、あの状況で最適な指示だった。メンバーの振り分けも間違いがない。オレでは、すぐに対応できなかった」
ただ、少し違和感のある言い回しだ。分断作戦自体は初めてだ。
しかし、『戦士の里』に辿り着くまでは、ほとんど勇者だけが剣を振るっていた。一人でもやれる自信がある故の判断かと。
「お前だけの方がやりやすいと言いたいのか? 弱点の分からない四天王相手なら、メルルが居た方が効率は良いだろう?」
「もちろん。結果的には、彼女の『複合魔術・雷撃』が決め手となった。だけど危なっかしいシーンはいくつもあった。オレ一人なら気にすることは無いけど、仲間は護らないといけない。だろ? バルムンクだって、戦闘中も姫様を気にしてばっかじゃんか」
「それはそうだが。……だが、一人で戦うというのは無理がある。もし、お前が死んだらどうする? 聖剣の担い手は居ない──」
その言葉を口にすると、心の底から何かが軋む音がする。聖剣に否定された、掌の傷が疼く。
「──居ないんだぞ。それこそ魔王軍の思う壺だ。もう、お前の身体はお前だけのモノじゃない」
「まあ、な。でもさ──」
彼の表情が一変する。
疲労の表情では無い。奥にある──暗く、沈んだ眼の奥。暗闇だ。
勇者の頭がだらりと下がって、俯かれる。
彼の過去に何かがあった。それだけは分かる。分かってしまう。
「喪いたくないんだ。もう、何も喪いたくない」
ぽつりと、呟く。耳に届くか届かないか、分からないくらいの声量。
彼が言った、『喪ってからでは遅い』と言う言葉が、脳裏を走った。
「……オレが言えることではないが、もう少し仲間を信頼してくれ」
勇者の頭が、おもむろに持ち上がる。その目は、オレの胸元を見つめていた。
──?
自身の胸元を見ると、姫様の『結束の紐飾り』と同じ位置に付けられた、オレの紐飾りがあった。オレは無意識に、指先で紐飾りに触れていた。
それを、こいつは意外に思ったのだろう。
「ああ──そうだ。『結束の紐飾り』を渡してきたのはお前だ。信じて貰わなければ、意味が無い」
「そう……そうだな。ごめん──なかなか、弱音を吐けなくて」
「……だろうな。勇者の責務というのは、重いものだ」
自分で言って、嫌になる。
今も心の底が軋む癖に、一丁前に勇者の責務について考えようとするなど。
「もし、誰にも話せないと言うのであれば……オレに相談し──しても構わない。だが、最後の最後の手段だぞ。オレも考えることがたくさんあるからな。……断じて、仲良くしようという訳ではない。お前のパフォーマンスが落ちると、姫様が危険に晒されるからだ」
相談しろと、言い切ることは出来なかった。まだ、自尊心が邪魔をする。
勇者の表情は驚愕に満ちている。直後、今にも泣きそうな顔をした。
大樹の前で出会った時を思い出す。
「……頼りにさせてもらうよ。騎士団長殿」
「──ふん」
照れくさいという感情が湧き上がる前に、椅子から立ち上がる。
先ほどのテーブルでは、ゴンザレスの名前を連呼する大声が聞こえる。
「戻るか」
「だな」
並んで先ほどの道のりを戻って、そう言えば。と、聞きたいことがあったのを思い出した。
酒を喉に通す勇者に聞いてやる。
「ああ、聞きたかったことがあったのだ。お前、メルルと仲が良いようじゃないか。何処までいっているんだ?」
口に含んだ酒を目の前に吹き出す勇者。
「な、なんだよ急に! そんなんじゃないって──」
ははは。初な奴め。突っつける話の種が増えたみたいで、口元の笑みが抑え切れん。
「……バルムンクこそどうなんだよ。姫様と仲が良いだろ」
「オレたちは主従関係だからな。邪な気持ちは抱かんし、彼女もそんなことは思っていない」
心臓が高鳴ることもある。と、言うわけにはいかなかったし、これからも言うつもりはない。
「ふぅん。じゃ、本人に聞いてみよっかな」
「何を貴様ッ!」
首根っこを捕まえようとしたオレの右手をぬるりと躱し、大騒ぎしているテーブル──姫様が居る──に走って行く勇者。
「おまっ、本気か!?」
「どうだろうなー!」
クソッ! やっぱり、あいつは嫌いだ!
□ □ □
テーブルに戻ると、ゴンザレスが男衆に胴上げをされていた。
何度も空に浮かされる彼の表情は、笑っている。
席についたオレと勇者。今度は、隣同士だ。
姫様をちらりと見ると、彼女はゴンザレスの両親と談笑をしている。すると、オレの右肩が一気に重くなった。
杯の水面が揺れて、こぼしかける。
振り返ると、メルルがオレの右肩と勇者の左肩、それぞれに腕を乗せ、体重をかけていた。
勇者はふっと笑う。
「なんだよ!」
「ん~? 別にぃ? 二人でどんな話をしてたのかなって、気になっただけさ」
オレはじろりと、メルルの顔を睨んだ。
「重いが?」
心外だと言うように、彼女は拳を振り上げる。
「なっ!? おいバル、そりゃ失礼だろ!」
グッ……メルルに頭を殴られた。
言葉と言うのは難しい。
ケラケラと笑う勇者。
そんなオレたちの席に、ゴンザレスの両親を連れて、姫様がやってくる。
「皆さん! お話したいことがあるんですって」
「お話……? どうされました?」
紳士とご婦人は恭しく頭を下げた。
「この度は、戦士の里を救ってくださり、ありがとうございました」
オレも、礼儀は礼儀で応える。
「いえ、当然のことをしたまでです。ゴンザレスを褒めてやってください」
いつの間にか胴上げは終わっていた。ヴァルガンと子どもたちがゴンザレスを連れて来た。
ゴンザレスの肩に腕を回すヴァルガン。
「なあ、ゴンザレス。おめぇはどうすんだっけ?」
「うん──オイラは、みんなと一緒に行きたいんだ。里を護るのはヴァルガンたちに任せる。オイラは、世界を救いにいくよ」
「いいのか!?」
勇者が声を出した。その表情は喜びに満ちている。
自分で選べと言っておいて--。
だが、里はどうするのだと、問い正したかった。
ヴァルガンが、オレの思考を読んだかのように返答した。
「ゴンザレスは護る戦士だ。護られる対象がいてこそ、力を発揮する──それが、今回の防衛戦で良く分かったよ。だがな、オラたちも戦士だ。お互いを護り合うから問題ねえ。おめえは勇者様とリリスたちを護ってくれ」
「様をつけろ」
即座に訂正させ、一唸りするヴァルガン。
ご婦人が言葉を紡ぐ。
「ゴンザレス……」
「かっちゃん。……ごめんだ、村を護ろうとしなくて。でも、後悔はしない。今は、大事な仲間たちを護りたいんだ」
ふぅと息を吐いたご婦人は、慈愛の目でゴンザレスを見つめた。
「いいのよ、あなたは大人になったわ。あんなに人に合わせてばかりだったのに……。こちらこそごめんなさい、引き留めてしまった。──おとっさんもきっと、喜んでいるわ」「かっちゃん……オイラ、絶対に世界を救うよ」
感慨深い空気の中、子どもたちがその静寂を破り出す。
「ぼくね! 勇者様と賢者様みたいになりたいよ! かっこよかったんだから! バーン! ってして、バリバリ~って雷みたいなのが!」
「そんなこと言ったら、あたしはリリス様みたいになりたい! あんなに美しく動けるなんて」
「やっぱぼくぁ騎士様の槍捌きを真似したいなぁ。槍投げがかっこうよかったよぉ」
オレたちの足下でたむろする子どもたち。
優しげな眼差しを向け、子どもの頭を撫でる姫様。
子どもを高く持ち上げる勇者。
肩に子どもたちを乗せたゴンザレス。
魔術で、空に光の軌跡を出現させるメルル。
子どもたちは笑顔だ。
そんな中、紳士がオレに話しかけてきた。
「戦いが終わったら、良ければまた寄ってください。そのときには、もっと盛大な宴を開きます」
「──ええ、是非」
ご婦人が、リリスの手を取った。
「リリス。……ずっと言いたかったことがあってね。あなたを拾った夜、そのキラキラとした瞳を見て、ああ──夜空みたいだな──って、そう思った。それで私は、綺麗な星の夜という意味の言葉を、名前として贈ったの。……あなたがどんな選択を取っていくかを、私たちが決めることはできない。それは、あなたの本当の親もそう。でもね、いつでも帰ってきていいんだからね」
その言葉を聞いて、姫様が眼を見開いた。
そして、ご婦人の手を両手で包む。
「……名前をくださって、ありがとうございます。──また、帰ってきます!」
彼女は、その小さなお顔からこぼれるような笑顔を見せた。
こうして、『戦士の里』で起こった諍いは終わった。
□ □ □
戦士の里を出立する。
ゴンのご家族が、ひと月以上は保つであろう物資を持たせてくれた。
メルルとゴン、勇者が物資のありがたみについて放談する声が聞こえる中、オレは地図と睨み合っていた。
もう間もなく、『ルーカス砂原』に踏み込む事となる。
『ルーカス砂原』。昼は灼けるように熱く、夜は凍えるほどに寒い。そんな地域だという。
「ねっ、バルムンク?」
姫様のお声だ。
「ん? すみません、姫様。なんでしょう?」
「『戦士の里』は、如何でしたか?」
ふむ。どうだったか、か。
「郷土料理が好みでした。実は、あまり食に関心がないのですが、新鮮だと感じました。オレに酒が飲めれば、なお良かったのでしょうが……」
「ふふ。この戦いが終わったら、お酒の訓練をしましょう! 私も付き合います!」
確かに。姫様もあまり酒を呑まれない。だが、彼女に失態を見せたくはないのだが……。
「……善処します」
「そういえば……いつの間にか、私に対しても『オレ』って……」
いかん。油断していた。なんたる不敬!
「申し訳ありません、思わず……」
姫様はへらりと、少女のような笑顔を見せる。
「ううん! そっちの方が、格好いいですよ! 私にもそうしてください、みんなが羨ましかったんですから」
「かっ──!?」
頭を振る。
彼女は、何事かと首を傾げた。
どくんと跳ねる鼓動。
……オレもまだまだだ。
「──失礼。それよりも、まずは砂原を超えねばなりませんね。風に舞う砂がお口に入るといけません。こちらをお巻きください、失礼します」
オレは懐から一枚のハンカチーフを取り出した。こんなこともあろうかと用意していた、長めのものだ。
姫様の美しい唇に眼を奪われ──るも、努めて冷静を装い、手早く巻き終える。
「これで大丈夫です。砂原の移動中は、なるべく押さえていてください」
彼女が無言で、何度か頷く。
目が泳いでいるのに、オレは気がつかなかった。
まだ放談を続けている連中にも声をかける。
「すぐに砂原だ! 各々対策を済ませておけよ!」
……ここを超えれば、ウェルバインド領に辿り着く。
無意識に、腰の短剣へと手を伸ばした。
灼熱の太陽が照りつけ、砂の混ざった乾いた風が肌を灼く。
視界の果てまで広がる砂丘は、まるで波打つ大海原のように、オレたちを飲み込もうとしていた。
ご覧いただき、誠にありがとうございます。
感想や評価、ご指導ご鞭撻を賜れば幸甚に存じます。