8階に突入
「うおっと」
8階に到着して足を踏み出すと、ふくらはぎの辺りまで水に浸かった。一歩踏み出すごとに深さが増していき、ついには腰の辺りまで浸かってしまう。こうなるとかなり動きに制限がかかる。何より、下着までぐっしょりで気持ちが悪い。
とはいえ水上歩行などを魔法で行うと、魔力の消費が心配にもなってくる。まだまだ余力はあるつもりだが、本番は10階のミノタウロス戦だ。極端な魔力消費は控えたい。
「仕方ない、歩くか」
腰まである水は、真水ではなく潮の臭いがまざった海水のようだ。あっちの世界では、マーマンなどとも共同戦線を張った。また彼らのような敵だと厄介だなと思う。
マーマン自体、水中での機動力はまさに水を得た魚。こちらが身動きを取りづらくなっている中、縦横無尽に囲まれては遅れをとることは必至。彼らの得意とする銛や三叉の矛などは直進性に優れ、水中での戦闘にも向いている。
もちろん、魔法によって宙に浮かんだり、結界で阻んだりと対処方法は幾つか思いつくが、いずれも魔力消費は大きくなる。温存方針をどこまで守れるか、守ろうとしすぎてジリ貧になるとそれもまた本末転倒。負けるとは思わないが、無駄は大きくなるだろう。
「まあ、まだ彼らと決まったわけじゃない」
そう思いながらザブザブと水を掻き分け進んでいく。水の魔法で水流を僅かに起こすことで、多少は動きやすくなる事を掴んだ頃、それは現れた。
始めは海藻でも絡んだかと思ったが、次の瞬間には凄い力で締め付けてきた。
「なっ」
足に巻き付くように絡む何かに引っ張られ、バランスを失い転倒する。腰まであった水に引きずり込まれ、何とか確保した視界には、足に絡むというか巻き付いた吸盤付きの触手。軟体動物か。
先手を取られたことで、様々な事で遅れを取った。片足はがっちりと拘束されて、ギチギチと締め上げてくる。振りほどこうにも幾つもの吸盤で張り付き、容易には解けそうにない。
更に水中へと潜らされた事で、呪文を唱える事ができなくなった。魔法陣を利用した無詠唱でも、最後の発動キーワードは口にする必要がある。
後は武装である斧だが、元々は重さを利用して殴る武器。水中では抵抗が大きく取り回しにくい上に、勢いを付けて振ることもままならない。
(バイキングの武器が斧とか、誰が決めたんだっ)
異世界でみた海賊のイメージが脳裏に浮かぶ。確かに狭い船上で振り回すなら、柄の短い斧は有用だ。帆船などの縄を切るにも向いているし、投げて使えるのも距離のある船上戦では使えるだろう。
しかし、一度水の中に落ちると、斧の有用性はほとんど使えない。重たい刃はそれだけで足かせとなって動きを制限する。
足に絡んだ触手を斧で切ろうとすれば、自分の足ごと切ってしまいそうだ。刃を押し当てて押し切るには、刃が鋭くないし、そもそもバランスを失った状況では力が入らない。
(短刀くらい持っておくべきだった……)
後悔先に立たず。手持ちがないから、多少は強くなったからと、準備を怠ったツケが回ってきていた。
後やれることとなると、魔力を込めた肉体で対抗するだけだ。今までよりも更に手足に魔力を流し、筋力を補強すると、触手を掴んで力任せに引っ張る。
(いだっイダダダダッ)
軟体動物の方も剥がされまいと吸盤で吸い付き、絡まる力が強くなる。ジャージがまくれ、素肌に張り付いた吸盤を引き剥がそうとすると、俺の皮が剥がれそうだ。
俺は触手に爪を立て、指を食い込ませるようにして力を込める。柔らかで弾力のある表皮は、指を呑み込むように変形するが、それも限界を迎える。
ツプッと皮を裂く感触に風船が割れるように裂け目が広がり、触手が千切れた。それでも足に残った部分は緩む気配は無く締め上げてくる。ただ引っ張られる事はなくなったので、しばしそのままにしておき、触手の主へと向き合った。
余り見通しの良くない水の中、その奥でキラリと双眸が覗いていた。僅かな光に反射するそれは、暗闇でも見通すのに長けている証拠。俺は次の攻撃に備えつつ、一度水面を目指す。
即座の追撃が無いのを確認してから、水中から顔を出し、用意していた呪文を唱えた。
「水を大気と見なし、呼吸させよ。水中息吹」
水中でも息ができるようになる魔法を唱え、攻撃に備える。
「音響知覚」
更には視覚ではなく聴覚で相手の気配を察する能力を強化する。異世界で潜水艦が音を頼りに戦うのを思い出していた。
すると迫りくる気配を音の波として知覚できる。空気よりも確実な波として伝わる水中では、音響知覚はかなりの精度となって距離を伝えてくれた。
「冷気よ、我が手にて剣を型取り、敵を屠る刃となれ。氷刃剣」
軟体動物の柔らかな体に対して、鋭い刃が欲しくなり、魔法で形作る剣を形成。かなり魔力を消費してしまったが、そろそろ万全を期さないと勝てないらしいと覚悟を決めた。
迫りくる気配と迎え撃つ。
水をかき分ける僅かな音、波を感知して、敵の姿を見る。複数の触手で水を掻くようにして進むそれは、イカかタコ。やがてそのシルエットには、丸い頭部を確認できた。
(タコか……確か、キラーオクトパスというのがいたな)
殺人蛸と命名されたそれは、足の長さを含めれば、体長3mを越え、長い触手を使って標的を絡め取り、絞め殺す。
また口吻には毒針すら隠し持ち、しぶとい相手を黙らせるトドメの一撃とする。
絡みつかれると厄介だ。
そこは右手に持つ氷の剣で対処する。伸びてくる触手を切り払い、更には相手の体温を奪っていく。
体温を奪われたタコは、徐々に動きを鈍らせていった。それはジリ貧になるとタコも思ったのか、1本1本を交互に繰り出してきていた攻撃から、全身を使った波状攻撃を繰り出してきた。
足の数では圧倒的に不利、2本、3本と払っているうちに、触手に絡みつかれてしまう。するすると本体である丸い頭が迫り、危険な毒を持った尖らせた口が迫る。
(こんな奴がファーストキスとか御免こうむるっ)
しかし、右手は氷の剣ごと触手に絡め取られてしまっている。後は左手で対処するしかない。指先を揃えて伸ばし、貫手の形で弓を引くように半身になりながら肘を畳む。
迫りくる口付けに対して、俺が狙うのは眉間……というか、目と目の間。タコの丸みを帯びた頭は、実際の所胴体であり、実際に主要な器官が集まっているのは、目と目の間付近。急所と呼べる場所となっている。
異世界のテレビで、そこへ噛みつき息の根を止めるという芸人を見て知識を得た……この世界でも通用するかは謎だが、姿形が似ているので、大丈夫だろう。
魔力を指先に集め、引き絞った腕を鋭く打ち出す。振り回す動きは水の抵抗が大きいので、突きの一手。タコの毒針とすれ違いながら、狙いを外さず指先がタコの眉間を捉える。
触手は長いが、口吻と毒針はそこまででもない。俺の腕の方が先に相手へと到達し、主要な器官を打ち据える。
「獲ったどーっ」
そのまま腕を突き上げ、水中から掲げて叫んでしまった。
その体はやがて消え去り、残ったのは魔石と1本の触手。
「タコの足か……料理に使えそうだな」
リオに届けたらまた何か懐かしいレシピを再現してくれるかもしれない。俺は背負っていたリュックにしまい込む。
後に生臭さが残って、リュックを買い直す羽目になるのだが、この時はまだ知らない……。




