メンドーサ子爵領の備え
「お父様、現状はどうなってますのっ」
メンドーサ子爵領の領主の館へと転移したシャリルは、魔力の使い過ぎで血の気が下がっていたものの、その足で領主である父の執務室へと赴いていた。
先触れはおろか、ノックすらしないままに扉を開く、貴族らしからぬ振る舞いだが、それを批難する声はない。
魔物の暴走は、隣国との戦のない帝国にとって、戦争に等しかった。数百、数千規模で攻め寄せる魔物を駆逐するには、戦術の域を越えて戦略として取り組まなければならないのだ。
子爵領の戦力は、帝国の常駐軍が20人に、子爵子飼いの従士が5人。そして子爵本人と夫人、2人の息子がC級魔術師として計上されている。シャリルの下に妹が1人いて、同じくC級の魔力を持っているが、まだ戦闘経験は無く、暴走という非常時での初陣は考えられていない。
「シャリル、戻ってくれたか。アイラも務め、ご苦労である」
机に広げられた地図を見ていた子爵は顔を上げて娘を迎えた。その瞳が俺にも向けられたが、誰何されること無く、再び地図へと視線が落とされる。
「今回の魔物はオークだ……」
「なんですって!?」
子爵の鎮痛な声に、シャリルも声をあげる。
暴走で大量に発生する魔物は、ゴブリンやコボルトといったダンジョンでいうと1、2階に出るものがほとんどだ。
しかし、オークと呼ばれる魔物は、ダンジョンで言うと7階クラス。人間より少し高いくらいの身長に、脂肪を蓄えた肉厚の身体。それを支える筋肉を持ち、かなりの戦闘力を持っている。
もう一人の記憶で言うなら、大相撲の力士に近い。100キロを越える巨漢で相手を吹き飛ばす力、それを支える強靭な足腰。魔力を持たない人間では足止めすらできない相手だ。
C級魔術師なら一対一で遅れを取ることはないが、暴走では数で襲い掛かってくる。幸いなのは足はそこまで速くなく、長距離の攻撃手段を持たないことか。
「数は?」
「確認しただけで数百。千に届くかは不明だ。空からでは森に潜む数は分からんからな」
元々は広域巡回士が子爵領の南西部の山で異変に気づいて調査を開始。それが三日前の出来事で、昨日一番近い村までオークの一団が降りて来ていた。
民衆の避難は終わっているものの、畑は蹂躙されており、倉庫の蓄えも漁られているだろう。
オークはその巨漢から、食欲も旺盛である。家畜はもちろん、人間ですら食糧と認識しているたちの悪い魔物だ。
「今のところ、タジク村で足止めできているが保って半日。今は街道沿いに防衛線を築いている」
メンドーサ子爵領は周囲を山で囲まれた盆地だ。その山中で魔物が大量発生し、麓に降りてくるのが暴走として認知される。
周囲の山から流れる川があり、ほとんど起伏のない土地は耕作に向いていて、帝国にとっても貴重な生産地と言えた。
魔物が山からやってくるのは分かっていて、その理由は餓えによるもの。経験則からある程度の食糧があれば進軍が止まる事が判明し、山に近い村には糧食を蓄える倉庫が設けられている。
作物を作る上でどうしても出てしまう品質の悪い麦や米などを餌として蓄えてあるのだ。
その餌に食いついている間に、帝国へと援軍を要請しながら対応に当たるのが、子爵領の伝統となっている。
「うちの従士と帝国軍により、土壁を作って防衛線として、魔物を集めるように誘導する」
「わかりました」
「シャリルはまず魔力を回復させておけ。オーク共が動いたら知らせる」
その指示に頷いたシャリルはアイラを伴い行動を開始する。自分の役割は戦略兵器だと自覚して、必要な時に必要な破壊をもたらすために準備を行う。その心構えができていた。
「さて、そこの君がレントだな」
「え、あ、はい」
「飛行魔術は……使えそうもないな」
「はぁ」
風魔法でも高度な技術を要する飛行術、人体を浮かばせるだけの浮力を常時発動させるには、相当な魔力が必要だった。
C級でも特性が無いと習得不可能な魔法を俺が使えるはずもない。
「馬は乗れるか?」
「た、多少は……農耕馬なら」
「何、扱いはさほど変わらん。この地点へ急いでくれ。息子のエリオットが指揮をとっているから、現場で指示を受けてくれ」
「え、あの、俺に拒否権は……」
「対応が遅れれば農村が潰れていく。それを見捨てて、多くの者に被害を出す覚悟があるなら何もせずにその辺にいても構わない」
「お、俺の魔力じゃやれる事なんてありませんよ……」
「魔力のない民兵も随所で働いている。それは自分がやらなくてもいい事かもしれないが、それでもやれる事があるならやりたいからだ。確かに君はこの地に所縁もない者だろうが、彼らよりも確かな力がある。強い者は弱い者を守るのが義務ではないか?」
貴族の義務に繋がる考え方か。俺はまだ庶民でその義務はないが、それだけに蹂躙される農村に近い立場。力があるならそこに手を貸す行為に否はなかった。
「了解しました。現地に向かいます」
子爵が目配せすると、控えていた兵士の1人が俺を厩舎へと案内するべく先導して歩き始めた。
俺は慌ててそれについていく。極力無駄を省いたやりとりは、そこが戦場である事を実感させられた。




