第8話 貧乏令嬢、家庭菜園を作る
「よーし、こんなところね!」
テレンスが用意してくれた鍬を使って、グローリアはあっという間に庭に家庭菜園を作り上げた。
貧乏生活において、自給自足は欠かせない。実家に住んでいた頃は、色々と野菜を育てたものである。
グラッドストン伯爵家の財政を考えれば、家庭菜園の必要はない。
しかし、家庭菜園で得られるものは野菜だけではないのだ。
「精一杯育てた野菜がちゃんと収穫できる喜び、そしてその野菜を食べる幸せ……この経験を、ブラッドリー様にも味わってもらいますわよ!」
◆
「家庭菜園を作った。……から、明日から水やりを手伝え?」
「ええ。毎朝、わたくしと一緒に水やりをしましょう。ブラッドリー様が屋敷を出る前に、今度こそちゃんと早起きをしますわ」
訓練から帰ってきたブラッドリーを強引に庭へ連れ出し、家庭菜園を披露する。
一日で作り上げたことに驚愕しつつ、ブラッドリーは首を傾げた。
「……なぜ、こんなものを作ったんだ。野菜に困ってはいないだろう」
「言ったじゃありませんか。わたくしが、幸せを教えてさしあげると」
「お前の言う幸せが、この家庭菜園なのか?」
「ええ!」
グローリアが力強く頷くと、ブラッドリーは不思議そうな表情になった。
「ブラッドリー様。自分で育てた作物が実ることは、とても幸せなことなのです」
「……そうなのか」
「ええ。育てた経験はあります?」
「ない。昔から、俺は剣の訓練ばかりだったからな」
そう言うと、ブラッドリーはしゃがみ込んで菜園を覗き込んだ。
彼が覗き込んでいる部分には、水をあげれば簡単に収穫できる初心者向きの野菜を植えてある。
「ブラッドリー様。幸せというのは、案外身近にあるものですわ」
◆
「では、ブラッドリー様。水やりをしましょう!」
翌日、気合で早起きしたグローリアは、作業着に着替え、庭園でブラッドリーを待ち構えていた。
やってきたブラッドリーが、グローリアの姿を見て目を見開く。
「……その格好はなんだ?」
「作業着ですわ。水やりの後、わたくしは他にも作業がありますもの」
「そんな格好をするのは嫌じゃないのか?」
「ブラッドリー様。わたくしをその辺の貴族令嬢と同じにしないでくださいませ。超ド級の貧乏令嬢ですのよ」
グローリアが胸を張ると、ブラッドリーが小さく笑みをこぼした。
「胸を張るようなところじゃないだろう、それは」
あまりにも自然で、一瞬、彼が笑ったことをスルーしそうになってしまった。
(ブラッドリー様の笑顔、素敵すぎる……!)
グローリアが身悶えていると、ブラッドリーが手のひらを地面に向けてかざした。
数秒後、彼の手のひらから水道を捻ったかのように水が出てくる。
「わっ、ブラッドリー様、これは!?」
「水魔法だ。こんな少量を出すのは初めてだ。かえってやりにくいな」
そう言いながらも、ブラッドリーはあっという間に水やりを終えてしまった。
グローリアはいつも、桶やじょうろに水を溜めて水やりをしていたのに。
「すごい……」
「魔法を見たことがないのか?」
「ええ。だって、田舎には魔法を使える人なんていませんでしたもの!」
魔法は神様から与えられた祝福だ。
魔法を使える人間は少ない。だからこそ評価され、騎士団には魔法を使える人が多く集まっているのだという。
(……もしかしたら、パーシヴァル様は魔法が使えなかったのかもしれないわね)
なんてことを考えていると、ブラッドリーにグローリア、と名前を呼ばれた。
「ブラッドリー様!? い、今、わたくしの名前を……」
「名前くらい呼ぶだろう」
と言いつつ、ブラッドリーの頬はわずかに赤く染まっている。
「ええ。でもわたくしは、ブラッドリー様に名前を呼ばれると幸せな気持ちになりますわ」
「……そうか」
「ええ。ですから、もっとわたくしの名前を呼んでください。それはもう、うるさいくらいに、四六時中!」
大きく手を広げて伝えると、ブラッドリーはまた笑った。
思ったより、彼は本来よく笑う人間なのかもしれない。
「そうですわ! 野菜がとれたら、アイリーン殿の家にも持っていきましょう。きっと喜んでくれますわよ」
自分が作った野菜を自分で食べるのも幸せだが、自分が作った野菜を誰かが喜んでくれるのもまた幸せだ。
「……ハワードは、お前に感謝していた。妻の友達になってくれてありがとうと。あの後、しつこく俺に言ってきたくらいだ。絶対に離婚するな、と」
「まあ」
「……あいつは、妻の人間関係で長い間悩んでいた。俺達が口出しできる領域ではないからな」
確かに、あからさまにいじめられていればまだしも、避けられている……という程度なら、夫であるハワードが介入することは難しいだろう。
「俺からも礼を言う。お前のおかげで、俺の副官が仕事により集中できるようになった」
少し遠回しな言い方だが、結局のところ、友達の不安を解消してくれてありがとう、ということだろう。
(ブラッドリー様って、素直じゃないのね)
幸せになるべきじゃないという思い込みが彼をそうしているのかもしれない。
「ハワード様が仕事に集中できるようになって、ブラッドリー様も嬉しいんですわよね?」
「……ああ」
「それも、幸せの一つですよ、ブラッドリー様」
満面の笑みを向けると、ブラッドリーは驚いたように目を見開いた。
「ブラッドリー様。幸せを感じずに生きるというのは、思っているよりも難しいことなんですの」
たとえば、朝予定通りの時間に起きることができただとか。
朝食に出てきたパンが焼き立てで美味しかっただとか、新しいジャムを試したら最高だったとか。
日常のいたるところに、小さな幸せが潜んでいる。
だから生きている限り、幸せと完全に無縁になることは困難だ。
「……そうなのかもしれないな」
「ええ、きっと、そうですわ!」
既に水やりは終わっている。にもかかわらず、ブラッドリーはなかなかその場を動こうとしなかった。




