独白(その5)
フローレンス・デロレス・グリフィス=ジョイナー。
アメリカの女子陸上選手。
100メートル、200メートルの世界記録保持者。
私が初めて彼女を見たのは、1988年のソウルオリンピックだった。
ジョイナーは二十九歳。
100メートル、200メートル、そして400メートルリレーで金メダルを獲得して、三冠を達成した。
でも、私が本当に衝撃を受けたのは、記録なんかじゃなかった。
彼女の姿。
長く伸ばした爪には鮮やかなマニキュア。
長い髪をなびかせたまま、トラックを疾走する。
たぶん、メイクもしていたんじゃないかしら。
当時の女子陸上選手って、もっと禁欲的な雰囲気だったのよ。
髪は短く、爪は切り、余計なものは削ぎ落として当然、みたいな。
でもジョイナーは、そんな空気を全部無視していた。
それなのに、圧倒的に速かった。
私は、テレビの前で呆然としていた。
うわぁ……素敵。
本当に、そう思った。
まるで、草原を走る雌のチーターみたいだった。
しなやかで、美しくて、獰猛。
しかも、スタートラインに立っているだけで、とてもセクシーに見えたの。
当時の私は、高校の陸上部の短距離選手だった。
選手なんて言っても、実力は全然大したことなかったけど。
それでも練習だけは真面目にやっていたわ。
髪は耳にかからないくらいに切っていたし、爪も短く整えていた。
少しでもスピードを奪う「抵抗」を減らさなきゃいけないって、神経質なくらい信じていたの。
でも、ジョイナーを見て、全部ひっくり返った。
――なんだ。強ければ、いいんじゃない。
その瞬間、今まで髪の長さだとか、爪だとか、細かいことを気にしていた自分が、急にバカらしく見えた。
人は、強くて美しいものを見たい。
そして、強さと美しさは、両立する。
ジョイナーは、それまで誰も教えてくれなかった、シンプルで、とても大切なことを、私に教えてくれたのよ。
じゃあ、続きはまた今度。




