打ち合わせ
……ついに魔王が覚醒したかと思いましたガクブル。
イーノックがアシュリーを抱えて走り去り、ブルースは地面に転がって失神し、私はどうにかユージーンを正気に戻すべく、リオン君元気体操までやってのけたんだけど、それでも効果がないから傷の治った素肌を見せようとしたら、そこでようやくいつものユージーンに戻ってくれた。あと、絶対に人前で服は脱ぐなと説教された。ほっぺが赤くなってて可愛かった。
「ほんっとうに許せない。許したくない」
今も失神したブルースの頭をげしげし蹴りながらユージーンが呟いている。
「やめなよジーン。ご褒美になっちゃうよ」
世の中そういう種族がいることを、私は知っている!
「じゃあ魔法使っていーい?」
こてん、と首を傾げたユージーンの目が、光を失って澱んでいる。
「駄目! それよりもさ、この制服、直せないかなぁ? カニンガム夫人に見つかりたくないんだよね……」
隠していても見つけそうな主婦力の高さを感じるよね、カニンガム夫人。
「スペル使ったら?」
「スペル?」
「襟についてるやつ」
まだ服を直すようなスペル、習ってない。そう言おうとしたら、襟をとんとん、と指さすユージーンに、はっと気づいた。制服のサイズを変更できるくらいなのだ。ちょっとした穴くらい塞げるのでは!
「いい考えだね! ジーン!」
スペルに魔力を通してみる。小さい光を放った後、胸元に空いた穴が綺麗に縫い直されていった。すごいな、スペル!
だが、残念ながら血の跡は消えていない。
「うぅぅん、水洗い……?」
お手洗いでごしごしこすり洗いすれば、血の跡は誤魔化せるかも? それで何事もなく寮に帰った後、改めて洗濯機で制服を洗えばいいのでは。
「諦めてカニンガム夫人に打ち明けようよ。せめて寮生活だけでも居心地悪くなっててもらわないと、この気持ちが治まらないよ」
「カニンガム夫人に言っちゃったら大事になって、ブルース退学になっちゃうよ! ちゃんと教育して世の中に解き放たないと、魔法を使えない人に迷惑かけちゃうよ!」
「……別に、僕は……」
もしかしたら、死属性を賜ったことで去って行った、魔法を使わない周囲の人を思い出したのかもしれない。ユージーンはたぶん、そんな人たちのことなんて気にしないって言おうと思ったんだろう。でもそれを言葉にさせる気はない。
「ジーン、弱い者いじめをブルースに許してたら、こいつ、もっとずっと危険な人間になっちゃうよ。今なら世の中の、それに僕らの役に立つように、成長してくれるかもしれないのに」
「……本当に、リオン君の役に立つと思う? こんなに頭悪いのに?」
ユージーンさん、けっこう辛口ですよね……。
「人間は、成長する生き物だよ。少なくとも僕は、そう思っていたいよ」
そう言うと、ようやくユージーンは諦めたのか、ブルースの頭から足を退けてくれた。そして自分のマントを外して、私に渡す。
「これで胸元覆えばいいよ。僕が暑くてリオン君にマント持たせたっていう風に見えるんじゃないかな。それで部屋に戻らず直接に洗濯室に行って、洗えばいいよ」
「ありがとう、ジーン!」
いそいそとユージーンのマントを右肩に広げて乗せる。ユージーンから任されたマントを持っているのがだるくて、肩に乗せてます風である。
「……僕、絶対にこいつは許さない」
「たぶんねぇ、ブルースって僕を過大評価したんだよ。自分に勝ったすごいやつだって思い込んで、ブルースの攻撃なんてなんでも無効化できるって思っちゃったんじゃないかな。不幸な事故だよ、ジーン。ブルースに敵意とか、害意はなかったんだから」
脳天気に別れの挨拶代わりの銃弾を放っただけなのだ。たぶん肺とかやられてた気がしてならないけど、アシュリーのおかげで無傷だし。
「……アシュリー様に、お礼言わなきゃ」
脱兎の勢いで去って行ったアシュリーとイーノック。小柄なアシュリーだけど、彼を担いで走れるなんて、イーノックはやはり高学年だけあってすごい体力である。
「うん。アシュリー様とジーンが仲良くなってくれたら、僕も嬉しいよ」
そう言うとちょっとだけ落ち込んだ顔になった。今まであんまり仲良く振る舞えなかったからね。でもしょうがないよ。猫だって新しい猫が来たら、よっぽど相性がよくない限り、威嚇しちゃうものだし。ジーンの威嚇なんて可愛いだけなんだから、気にしないでいいんだよ。
失神したブルースをどうしようと思っていたら、まだ来ない私たちを探しに来てくれたらしい、シーマン先生が回収してくれた。大きいし重いし、本当に助かった。
カニンガム夫人の目をごまかして無事帰寮し、ジャックたちには言わないでおこうと、何食わぬ顔で食堂に座ったその時だった。
「り、リオン、これ、食べないか?」
あからさまに挙動不審なブルースが、メイン料理ののったお皿を持って、私たちの机にやって来てそう言った。そりゃ、なるよね。しーん……、って。
「いや、要らないです。自分で食べてください、ブルース様」
「ぶ、ブルースって、もう、呼ばないのかっ?」
ぶわっとブルースの目に涙が盛り上がった。あ、駄目だこの人。今のメンタルゆるふわプリンだわ。
「えぇと、じゃあブルース先輩」
「で、でもっ」
「さすがに先輩を呼び捨ては勘弁してくださいよ……」
「リオン君になにか苦情でも?」
ひやりとしたユージーンの声に、ブルースがびくりと震えて、
「せ、先輩つきでいいっ」
と、まるで苦渋の決断みたいな言い方で納得した。
「あと、僕自分のご飯だけで手一杯なので、先輩が食べてください」
「でも、でもお前、あんなに血が出てっ」
おぉ、失った血液の分、補給できないか考えた結果のメイン料理献上だったのか。なんか一瞬で成長してない? それとも親しい人にはこれくらいの気遣いはできるタイプの人だったんだろうか。
「ありがとうございます。でも、消化できる以上の量食べても苦痛なだけですから。お気遣いなく」
「そ、そう、か?」
しょんぼりとお皿を引っ込めるブルース。
「……先輩も一緒に食べます?」
まぁ断られるだろうと思うじゃん。そうしたらブルース、ぱぁぁっと顔を輝かせて頷いてくるんだよ。
「えぇぇ、リオン君、なんで?」
「ごめん、断られるだろうと思ってた」
「もうっ、リオン君は優しすぎるんだから」
そう言いながらユージーンはブルースをちらりと見て、
「その辺の椅子、一つ取ってきたらどうですか? ご自分で」
と提案? 指示? した。その指示に大人しく従うブルースを、ジャックたちだけじゃなく、食堂中全員が、すんごい目で見ている。今の時間帯は低位貴族や平民の多い時間帯なんだけど、明日には学園中にブルースの異常が知れ渡りそう。まぁ、彼がなにかしたという物証はない。っていうか、今の状態だと私たちーーというか私ーーがブルースになにかやらかしたって思われるのでは。なんにも! 物証はない! だから私は無罪だっ!
「リオン君の隣は僕ですから。先輩は僕よりリオン君の近くには寄らないでください」
ツンツンしているユージーンがそう指示ーー命令?ーーし、ブルースは従順に頷いた。
「ジーン、それご褒美になっちゃうかも」
「リオン君の言うこと、時々難しくてよく分からないけど、この人がリオン君の近くに来るなら、僕、ちゃんと見張っていたいんだ」
見張りが増えたな、ブルース。こんなに可愛い受け君に見張られるなんて……性癖、歪まないだろうか。リオン君心配。
そして食べていいって言葉をまるで待っているみたいに、ユージーン越しにじっとこちらを見てくるブルース。犬かな。ステイされてる犬なのかな?
「えぇと、おあがりください?」
これでいいんだっけ? と内心首を傾げながらそう言うと、ブルースが食事を開始ーーというか、再開した。
「これ……まさか、明日からも……?」
愕然としてそう呟くと、隣のユージーンから、
「もう、リオン君ってばそういうところはぼんやりしてるんだから!」
と、お冠の声がして、
「なぁ、これどういうことなんだよ?」
と、明らかにお前が元凶だろ、という顔をしてジャックが問いかけてきた。あのカールでさえもぐもぐ口を動かしながら私を注視している。やだ、そんなに変!? ……変、だな。伯爵家のご子息が平民のいる机の末席に座ってご飯もぐもぐなんて、尋常じゃない非日常だわ。
「……えぇと、後で、話します……」
でも私が元凶じゃないよ! アホなブルースがやらかしただけなんだよ!!
部屋まで送ると言い出したブルースを丁重に階段の上に送り出し、それからみんなでユージーンの部屋に集まることになった。どうしてユージーンの部屋かって? 私の部屋に集めようとしたら、ユージーンさんがぷりぷりしたままご自分の部屋に集合な、と決めてしまったのだ! 可憐な受け君のプライベートスペースに踏み込めるときめきと、その秘密を暴くのが複数人ということにものすごいジレンマを感じる。聖地はさぁ! もうちょっと厳重に守られてないといけないと思うんだよ! でも今がチャンスっていう、自分の心の声も消せなくてさぁ!
……ごめんなさい、将来の攻め君。ユージーンの初めてを複数人で奪ってしまいました……。
「ーーどういうこと? あの人、学園内で魔法使って、リオン君に怪我させたってこと!?」
カールがカールさんに変身している。端的に言うと、怖い。
「なんで先生に言わないんだ? っていうか、なんでお前、動けるんだ?」
若干の気味悪さを漂わせたジョン。ちょっと! 気遣いが足りてないですよ!?
「アシュリー様が治してくださったんだよ! アシュリー様、希少属性ってことで分かってなかったけど、僕を治したってことで、治癒属性だって分かったんだ。……あ、お祝い言わなきゃね! なにかお祝い贈りたいけど、僕があげられるものでほしいものなんてないよねぇ」
「治癒属性……つまり、歩くポーションってこと? すげぇけど、代用できるんじゃね?」
お、失礼だけどいいところに気づきましたね、ジャック君。
「それは今から検証できるようになるんじゃないかな。僕が思うに、ポーションで治せるものと、アシュリー様で治せるものには違いがあると思うんだよね」
どっちかは病気が治せないとか。どっちかは欠損が治せないとか。あ、エリクサー様は病気も欠損も治せるんだっけ? でもポーションは怪我だけだよね。ならエリクサーは例外として、怪我の方がポーションで治癒魔法が病気とかの使い分けできるとか。それとも魔法の方は呪いとか? それか、幽霊とかの非物質系モンスターに特効があるとか。たぶん非物質系モンスターにポーション投げても効かないと思うんだよね。エリクサーなんてもったいなくて投げたくないしね。ママはじゃらじゃら持ってたけど、国有数のダンジョンアタッカーだからね、あの人。
「なるほど、つまりアシュリー様がリオン君を治してくれたから、ブルースは無罪放免にしたってこと?」
カールさんまでブルースのこと呼び捨てにし始めましたよ!
「まぁ、そう」
「それって危なくないかな? また同じことがあって、すぐ側にアシュリー様がいてくれるとは限らないよね?」
「僕もそう思う。だからちゃんと先生に報告して、退学処分とかにしてもらった方がいいと思ったんだけど、リオン君、あいつを教育するんだって言って。いずれ僕らの役に立つかもしれないからって」
「役には立つかもなぁ。だってあいつがいたら、俺たちゆっくり飯食えるかもしれないし」
ジョンの言葉にちょっとだけカールが心を揺らしているのが分かった。
「あいつと一緒だぞ?」
「でもあいつ、大人しかったじゃん。いつ文句言われるか分からなくて、びくびく食うよりも、あいつがいるってだけでゆっくり食える方が、この先長いんだし、楽じゃねぇ?」
そんなにゆっくり食べたかったのか、ジョンよ。
「……お代わりだって、できるかも……」
あ、カールさんからカールが戻ってきた。そうか、あれでもちょっぴり足りなかったんだね。
「あんまり遅いと、人気のあるメニュー少なかったりするもんな。今よりちょっとだけでも早かったら、もっと食えるかも?」
ジャック、この前つけ合わせのソーセージがちょっとだけでしょげてたもんね。
「……リオン君、最近あいつのせいでゆっくりご飯食べられてなかったし……そうか、じゃああいつがいればゆっくり食べられるのかぁ」
「気遣ってくれて嬉しいよ、ジーン!」
たぶん食べるのが遅いんだと思う! でも一人っ子でママと夕食食べるのに慣れてたら、そんなに焦る必要もなかったっていうか。咀嚼機能に問題はないんだけど、嚥下に時間がかかるんだと思う。その辺はともかく、ユージーンがブルースの存在意義を認められるなら嬉しい。可愛いんだけど、ずっとぴりぴりしているのは、ユージーンにとってしんどいと思うのだ。私が原因だって分かってるから、余計に心穏やかになってほしい。
「事情はまぁ、分かった。思う所はあるけど、これからのあいつがどういう振る舞いするかで決めてもいいかな」
「……もし今後彼の行状が悪くなった時、今隠してたのをその時に言い出しても信用されないんじゃないかって思ったんだよね、僕。だからーー相談したっていう、実績は作っておいてもいいかな?」
受け入れてくれたジャックと、食事につられながらもまだなにか考えているらしいカール。
「ちなみにどういう実績とか、聞いてもいいかな?」
カールさんの腹黒さというか、過激さがいまいち読み切れないので、慎重な姿勢にはなるよね。
「とりあえず、リオン君の様子が変だったことをカニンガム夫人に密告する」
「えっ」
ちょっと! もう最終兵器じゃんか!
「大丈夫、証拠がないからどうにもならないよ。その上で、シーマン先生だっけ? ユージーン君にはその先生に、実は昨日、ブルースとリオンの間で衝突があったみたいだってことを言っておく。もし今後もなにかあったら、相談に乗ってもらえますか、みたいな感じで」
「分かった。ありがとう、カール」
「そこまでしないといけないかなぁ?」
「リオン君がブルースを成長させようとするのはいいと思うよ、どんな悪人にだってやり直す機会があれば、真っ当な道に戻れるかもしれないし。でもそれと、その悪人を信じ切ってなんにも対策しないのとでは、話は違うと思うんだ。僕たちの信頼を裏切った時が、悪人の最後だって知らしめないとね」
うふふふふ。
カールの笑顔が清々しい。私なんかよりもカールの方がずっと怖いこと、ブルースはちゃんと分かっているんだろうか? ずっともぐもぐなにかを食べてた愛玩系とか、勘違いしてやしないだろうか。あの子アホだから、リオン君心配……。
「お前、ほんっとーにカールみたいなやつがついててくれてよかったよな」
ジョンが偉そうにそう言うので、
「何を言ってるんだい、カールはジョンの友達でもあるじゃんか。つまりジョンの力にだって、僕にこうしてくれてるみたいに、してくれるに決まってるじゃないか」
「……その点どうよ、カール?」
面白そうなジャックの言葉にカールは、
「ジョンが自爆した場合は、僕は他人のふりするから」
と、きっぱりと宣言した。容赦ない。そしてジョンが本気でしょんぼりしている。
「大丈夫だよ、ジョン。自爆する前に僕らがちゃんと止めるから」
胸を張って言うと、
「おう」
と、ちょっと照れくさそうに言った後、首を傾げた。
「でもそれってさ、俺が自爆しかねないって思ってるってこと?」
全員、さっとジョンから目を逸らした。
「はっはっはー、まさかそんなことー。万が一だよ万が一」
「俺の目を見ろ、目を」
みんなが面白がってあえてジョンから目を逸らすので、最後はジョンがすごく変な、忍者みたいな動きをしてきて、それで大笑いで解散することになった。穏やかに終わってよかった! と思うよね。血相変えたカニンガム夫人が部屋に来るまでは、とっても穏やかな夜でした……。秘密は守りきったけど、アホの子のためだと思うとちょっと黄昏れるリオン君でした。




