その単語は喋るな
『ーーちょっと意地悪なんじゃない?』
『いやぁね。そんなんじゃないわ。わたくしが祝福できる子は少ないものぉ。それならちょっとした、複雑な手順が必要だと思わなぁい?』
黒髪に漆黒の羽をつけた女性が指摘すると、銀髪に純白の羽をつけた女性がおっとりと反論した。色合い的に、悪魔と天使の対話に見えなくもないが、お互いにこやかに微笑み合う、美貌の女性という絵面からは、敵対関係には間違っても見えない。
『あなた、そんなんだから魔力をもらえなくて、それで余計に祝福できる相手が少なくなるんじゃないの……』
『あんまり増やしていい属性でもないと判断したのよぉ。なるべく高位貴族に与えるようにしているし。……搾取される愛し子なんて、いやだものぉ』
搾取される愛し子。もう字面からして不憫受け君の気配しか感じない。神の愛し子が虐待されて育ち、その境遇を救おうとする攻め君の小説、いったい何度読んだだろう。こういうテーマはなんぼあってもいいですからね。
『確かにちょっと特殊だけれど』
『あなたの属性ほど特殊じゃないわよぉ?』
『うふ。でもね。ちょっと不思議な使い方を始めた子がいるのよ。いつもとは違う方向に育ってくれそうで、わたくし、とっても期待しているの』
うふふ、と美しく笑う女性だが、その笑みにどことはない深淵さを感じる。……そう。我々が血涙を流しながら受け君を地獄に突き落とす時の笑みに似ているような! 気配がする! つまりは同族!!
「ーーハッピーエンドになるなら不幸はなんぼあってもいいですもんね……」
気づけば、でゅふふ、と濁った笑いを洩らしながら呟いていた。
さっと視線が集中して、そこで頭からざぁぁっと血が引いていく。
あ、あば、あばばばば……っ!
『やっぱり私、この子好きだわ』
『面白い子ねぇ。かぁわいいぃ』
ぎゃ、ぎゃぁぁぁぁっっっ!
深淵の畔から這い出してきた不定形の名状しがたきモノが微笑んできたぁぁぁ!! その微笑みは私の認識する笑顔の感情から生まれてきたものなんですか本当にぃぃぃっっっ!?
「ーー複数の点眼剤を使用する時は最初の点眼から五分以上開けて次のお薬を点眼してくださいねぇぇぇっっっっ!!」
点眼剤は一滴で十分な量なのだが、たまに二、三滴入れちゃう人もいる。一滴で! 十分ですから! あと複数の点眼剤を入れる時、すぐに入れちゃったら最初の薬が目からあふれ出しちゃって、吸収する前に流れ出て効かなくなるので、最低五分は開けてほしい。できれば一分ぐらいは目頭押さえてね!
ーーはっ? ここはどこ? 私はだぁれ?
周囲を見回す。寮の部屋みたいだ。カーテンから小さく洩れる光を見る感じ、もうすぐ起床の時間じゃないのかな。起き上がって机の上の時計を見る。うん。あと五分くらいで起床時間の六時。
痛いほどの鼓動が心臓の場所を主張している。そうか……ここに心臓あったんか……冠動脈さん、元気ですかー? 酸素足りてる? ちょっと呼吸増やそう。ひーはー!
「……あぁぁぁ……すっごい夢見たなんだあれ……」
何回かああいう夢を見ている気がするのだが、どうして黙ってられないのか自分。神々だか名状しがたきナニカだろうが、人間が存在主張していいことない気がするぞあれ! ぷち、どころか身じろぎしただけで存在吹っ飛ばされそう。お口チャック! お口チャックで頼むぞ夢の中の自分! 特に緑髪の女性がいない時は要注意だ。緑髪の女性はなんとなーく私と存在が近い気がするけど、それ以外の女性はマジでヤバい。危険が危ない。なんかあったら即死級。そもそもなんであんな夢見るんだ自分! どうせ見るなら受け君と攻め君のいやんあふんな夢でも見せてくれ!
「あー疲れた……夢見が悪い……いや、趣味はなんとなく分かるんだけどさぁ……実生活に創作とかを適応されたくはないというか……」
劇的でドラマチックな展開は公式様だけでいい。実生活はのんびりスローライフな二次創作を目指したい。
ぶつぶつ呟きながらベッドを出て、身支度を始める。
銀髪の女性が聖属性だか光属性だかの女神様で、祝福を与えた子供の波瀾万丈な人生をワクテカしながら見届けようとしているなんてそんなこと……やだー。考えたくなーい! 創作ジャンキーな女神様ってちょっといかがなものかと思います! 気持ちは分かるけどさ! でも私、人生創作される側の人間ですんでね!? 分かるけど分かりたくないっていうかさ!
「創作の世界は二次元の中だけでお願いしたい所存……」
ぼそぼそ呟きつつ準備した、その朝。
「ナタリアはおっぱいがいまいちなんだよなぁ! マティルダの方がおっぱいでかいんだけど、あいつ属性違うからなぁ!」
寮の食堂、早朝の中央部分で、茶髪の男ーー少年というには背が高く、青年というには幼い、性別分類が男性ーーが、全女性から冷たい目で見られること間違いなしの単語を大声で放言していた。
「……なんだあれ」
ジャックが思わず、という風に小声で言った。
「おっぱ、って、アレだよな」
ジョンの顔がどことなく緩んでいる。
「やめろよブルース、おっぱいなんてさぁ」
おっぱいと言っていた生徒をたしなめる、その友人らしき生徒の声。だがなんとなく、その声も笑みを含んでいる。
「いいじゃないか。ここは男子寮だぞ。女生徒がいない今なら、心の底から本能に従って雄叫びをあげられるんだ。みんなもやれよ、ほら! おっっっっぱいっっっっ!」
早朝に朝食をとる中では高位な貴族なんだろう。誰の目も気にしていない、ブルースと呼ばれた生徒は、再び同じ単語を繰り返した。
「……変なの。なにが楽しいのかな?」
いつもは食事に集中するカールだが、さすがのアレな発言に、困惑したような目を向けている。
「すげぇよな。ああいうこと言えるの」
緩んでいたジョンの顔が、尊敬の方にシフトしつつある。
「やめたまえよ、ジョン」
これはいかん。ぴしりと叱りつける声が、ちょっと高い気はしたけどそれどころじゃない。これでも一応、ジョンは友達である。
「なんだよ」
「こんなに若いうちからああいうこと言うなら、君には孤独な老後しかやってこない」
言い切ると、ジョンが、
「はぁ?」
と目をむいた。
「女の子の体の一部をあんな大きな声で叫ぶってことは、それがあの人にとってそれだけ価値の高いものだってことだろ? つまりさ。女の子っていう存在じゃなくて、彼はその体の一部を重要視してるってことなんだ。その女の子がどんな夢を持って、どんな考え方をしているか。どういう家庭で育って、どんな風に愛されて大きくなったか。その女の子を構成する全部から目を逸らして、体の一部だけを拡大して評価している。そうなるとね、その女の子がどれだけ悲しんでても、その体の一部が健在なら気にならなくなるんだ。苦しんでても、喜んでても、その体の一部しか興味ないんだよ。そういう関わり方をしてくる異性を、女の子は果たしてどういう目で見ると思う? そんな異性と人生をずっと過ごしていきたいとか、ましてや愛しあって尊重しあって生きていきたいとか、そんな希望を抱いてくれると思う?」
「それは……そうなのかな。でも、そんなの気づかれないんじゃないかな?」
「君たちの想像以上に女の子は視線に敏感だよ。目の前にいる人が自分のどこを見てるか、ちゃんと気づいてる。たとえばさ、真剣な話してるのに、ずっと耳だけ見つめられるとか、なんか変じゃない? 股間を見つめられ続けたら、変に思うどころか、ちょっと不気味じゃない? それとおんなじだよ」
「股間はやばい」
ジャックがうげぇ、という顔をしている。ジョンもちょっと悔しそうだ。カールは、
「一緒にご飯食べて美味しいねって言える関係が一番だよねぇ」
なんて、縁側のお爺ちゃんみたいなことを言っている。とはいえ、カールの婚期が一番早い気はする。
「だいたい、こういうのは隠していても女の子には伝わるから。絶対に誰かが仲のいい女の子に、あいつはあんなこと食堂で言ってたんだぜって言って、それでその女の子からほかの女の子に一気に広がって、あいつには近寄るなって知れ渡るもんだよ。絶対に真似しない方がいい。身分が釣り合うまともな女の子からは絶対に相手されないし、下の身分の女の子だって、よっぽど条件がよくないと頷かないだろうね。結婚後もあんな調子なら、冷え切った夫婦関係になるだろうし、晩年は誰からも相手にされない孤独な身の上になると思うよ。僕、友達がそんな寂しい人生を送るなんていやだから、彼の真似は絶対にしないことをお勧めする」
「そもそもちょっと下品だよね」
ユージーンがこそっと囁いた。
「ほんとにね」
この食堂は公衆の場である。そんな場所であんな風に声を張り上げるなんて。百歩譲って自分の部屋ならまだ許せるのに。あと、声量は可能な限り落としてほしいけど。
「ーーなんか平民が言ってるな?」
おっぱい少年ブルースがなにか言っている。それを聞いた方の少年が、おっぱい少年になにかを囁いた。
「あ? パーシヴァル坊やを負かした一年生? 腐属性のだろ? なっまいきだなぁ!」
おや。パーシヴァル少年は二年生で伯爵家の息子である。それをどことなく下に見ている口調からすると、三年か四年、もしくは侯爵家以上の出身とか? いやでも、こんな早朝から侯爵家のご子息が食事をしているとは思えない。そもそも部屋食かもだし。ということは、彼より年長の同格とかかな? 中身がちょっと幼そうだけど、背はそれなりに高い。確かに二年生ではなさそう。茶色の髪だから地属性か。
「リオン君、そろそろ食べ終わったよね? 行こう」
カールがきりっとした顔で口元を、ナプキンでぬぐっている。もう食べ終えたのか! 早いな!
「えっと、でも僕」
「ほら、行くよ」
カールにしては珍しく強引だと思って、それでカールが、おっぱい少年から本格的に絡まれる前に私を引き離しておこうって考えているんだって気づいた。なんて気遣いの細やかな子! でもまだもうちょっと食べたかったんだけど!
「リオン君、行こう」
食べかけのトレーがユージーンに回収される。
「……僕、声大きかった?」
「ちょっとな」
ジャックがそう言って、ユージーンの代わりに私のトレーを持ってくれる。背が高いから、両手にトレーを持っていても、ユージーンと違って安定感がある。
「もうちょっとちっさい声で話せよ」
ジョンにまで説教されつつ、逃げるように食堂を後にすることになった。
くそう! おっぱい少年のせいで食べ損ねたじゃないか!




