酵素とは当て馬である
ママの所有する隠れ家って場所に、あれから移動した。私の安否を隠すためらしい。ママはわりと本気で国外の女学校に行かせようとしているから、私の性転換は喫緊の課題である。
さて、まずは保健体育の話を始めようではないか。
まず受精卵があるやん。その受精卵は遺伝子上、すでに男女の性別は決定している。しているのだが、そこから身体上の性別に分化するのは、まだ踏まなければならない手順があるのだ。それがホルモンである。体内ホルモンのバランスで男性の体、女性の体に分化する仕組みなのだ。
そもそも脂肪で有名なコレステロールから性ホルモンは作られる。あ、体内でね。そこからテストステロンが作られ、その後、性別によって違うホルモンが作られる。男性では5αージヒドロテストステロンで、女性ではエストラジオールが作られるのだ。
そのエストラジオールだが、作られる過程で酵素が必要になる。
普通、ケミストリィな世界で化学変化が起こるには、ものすっごいエネルギーが必要なんである。だが人体の最高温度は40℃少々。それ以上上がると死んでしまう。となると、エネルギー足りへんやん、となる。それを補うのが酵素なんである。
つまり、酵素とは当て馬である。
いきなりなに言うてんねん、と思われるかもしれないが、よーくよく考えてみてほしい。異性愛が一般的常識的な社会でBL展開になるには、それはそれはものすごーく大きなエネルギーが必要である。攻め君と受け君がくっつくには、それはそれは高ーい壁があり、それを越えるにはとっても大きなエネルギーが必要になるのである。
だが、そこに当て馬をぶっ込んだ場合、どうなるか。
当て馬が受け君に絡んだり、攻め君に絡んだりした時生まれるのは、嫉妬という大きな情熱である。こんなやつに最愛の人を取られてたまるものか! その熱量が攻め君や受け君を、茨の道を歩みきらせる原動力にするわけである。
かくして二人はハッピーエンド。結ばれる。化学合成完了である。ちなみに当て馬が基本的に誰ともくっつかないようにーー当然どこぞの馬の骨とくっつく展開もあるが、私は当て馬が二十年くらい初恋を引きずる展開の方が好みであるーー酵素もそれ自体は変化しない。主反応を見守るだけの使命を与えられた生け贄。それが酵素もしくは当て馬である。……尊い犠牲だった……。
つまり、この当て馬こと酵素をぶっ潰せば、反応も進まないということである。つまり女性ホルモンを作ろうとするアロマターゼをぶっちぎれば、体内にあるのはテストステロンのみ。5αージヒドロテストステロンになるには5αー還元酵素が必要で、その酵素は男性の遺伝子を持っていないと生成されない……ので、この体が男性になるかというとそれはちょっと無理かもしれないのだが、女性アスリートに運動負荷をかけることで、女性の体内でテストステロン値が増加したというデータもある。アロマターゼを毎晩丁寧に腐属性魔法で分解しつつ、運動負荷を与えていれば……もしかしたら。もしかしたら男性体が手に入るかもしれないのだよ! もし無理でも、アロマターゼを分解している限り、女性体として成熟はしない可能性が高い。
「ママ、これから毎日運動したいんだけど」
「リタ、入学まであと二ヶ月しかないのよ。留学するなら準備もしていかないと」
「留学はしません!」
女子校を否定するつもりはないが、潤いのない人生に腐女子が耐えられるかというとそれは疑問である。この世界に少年漫画はないんやぞ? BL漫画もないんやぞ? アニメもドラマもないんやぞ? 一次創作がないのに二次創作があると思うなよ?
まぁ確かに? オタクのリア友を作れる可能性はあるかもしれないが? 漫画やライトノベルがない以上、腐属性を覚醒させるには、身近にサンプルが必要だと思う次第である。
「こんなに可愛いリタが男の子に変装したって、すぐにばれるわよ……」
ママがぼやいている。可愛いと言ってくれるのはパパの方だったので、ママにこんな風に、自然にぼやかれるとなんだか面映ゆいものがあるのだが、それとこれとは話が別である。私は私の、腐士としての可能性に賭けたい。
ママの隠れ家は複数あって、最初に泊まったのは王都の中にある地下室だったのだが、そこから夕闇に紛れて脱出し、最終的には王都郊外の山中に住まうことになった。
「リタが運動したいって言うから」
娘の要求に応えられる隠れ家を用意できるママが凄すぎる。さすがは国内有数の魔女。




