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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第三章

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日常

***


 幽世の賑わう街は、これまでと変わらない。

 この日、麟と共に買い物に出てきていたひなは、自分を知る人達に出会う度に声をかけられ、以前にも増して空気が温かい。

 ひなは、それをありがたくもむず痒く思った。

 自分を知ってくれた人たちは「ひな」という人間を正しく見てくれた。

 買い物途中、休憩をするつもりで奈落の傍の広場にやってくる。

 ほんの少しだけ、躊躇いがちに手すりに手をかけ、この日も奈落上空に集まり出した火灯虫の光を見上げながら、ひなは静かに呟く。

「……私は、私のままでいいんだよね」

 目の前の光景は、依然として美しい。

 そんなひなの隣に静かに立った麟は、同じように上空を見上げる。そしてひなに視線を戻すと、やんわりと微笑んだ。

「ひな。行こうか」

「うん」

 麟の差し出した手を取り、二人は歩き出す。

 街に戻り、買い物を楽しむ内に、ひなの手には大きな風呂敷が一つ、握られた。

 中には職務中に呑むお茶やお菓子、屋敷で働く皆への差し入れや雑貨品が入っている。

 それを手に歩いていると、ふいに後ろから来た人物がひょいとそれを取り上げた。

「ヤタさん」

 驚いたひなの声に、ヤタは何も言わず二人の半歩前に立ち歩いている。

 彼の左腕は、三角巾で首から下げられたままだ。

「鬼反屋のお婆ちゃん、大丈夫だったの?」

「……逃げてきた」

 振り返ることなく一言そういうと、遥か後ろから鬼反屋の店主が、周りも驚いて足を止めるほどヤタに熱いラブコールを叫んでいる。

「……」

 ひなは老婆からヤタに視線を戻すと、彼の首筋に鳥肌が立っているのを見つけ、麟と顔を合わせて笑い出した。

 ヤタは青ざめた顔で眉間に深い皺を刻み、自分の肩越しに二人を睨むように見る。

「……行くぞ」

「うん! 帰ったらお仕事しなくちゃね」

 そう言うと、三人は屋敷への道を急いだ。


「お帰りなさい」

 執務室へ戻ってくると、中では獅那と糾卯が書物の整理をしていた。

「ちょっと離れただけで凄いことになっちゃうね……」

 買い物に出ていた時間はそこまで長くない。しかし、足の踏み場もないほどの書物に溢れ返っていた。

「そうですね。この仕事に終わりはありませんから」

「でも、今日は比較的少ない方だと思うよ」

 糾卯は書物の山を抱えながら、ケロッとした顔でそう答える。

 ひなは麟の職務机の近くに置かれた自分の席に座った。

「ひな。これなんですが……」

 そう言いながら書類の一つを手にした把蛇が訊ねると、ひなはそれに目を通す。

「うん。これはそのまま麟さんに回していいと思うよ」

「そうですか」

 把蛇はそういうと、麟のところへ持っていく。

 ひなは、自分が裁かなければならない仕事に再び向き合うと、ふと、あることに気付く。

「あれ? ここに置いてあったやつ……」

「あぁ、あの面倒くせぇやつだろ? それ、少し前に八咫烏が終わらせてたぞ」

 狒猿が大量の追加書類を担いで職務室へ顔を出す成り、ひなの言葉に答えると、ひなは驚いたように目を見開く。

「え、そうなの?」

 麟の後ろに並んでいる棚の一つで、書類の束を見ているヤタに目を向ける。その視線に気づいたヤタは顔を上げると「何だ?」という顔で見つめ返してきた。

「……」

 そう言われれば、いつの間にか厄介な仕事はいつも処理されていたことを思い出す。

 ――彼は、そういう人だ。

 ひなはそう再認識すると、にっこり微笑み返した。

「あ、そうだ。さっき皆に差し入れ買ってきたの。お茶淹れてくるから、皆は少し休憩して?」

 ひなはそういうと、一度職務室を後にする。

 水場で甘い干菓子とお茶を用意する。湯呑から上がる熱い湯気を見つめながら、ひなは僅かに目を細めた。

 かつて、あの人は当たり前のようにここでお茶を用意していたはず……。

 そう思うと少し、気持ちが沈みかける。

「……」

 ひなは盆にお茶を載せ、再び執務室に戻った。

 獅那たちは一所に集まり、皆思い思いに休憩をし始める横で、ひなは麟の傍に歩み寄る。

「はい、麟さん」

 麟の職務机に、お茶と懐紙に載せた干菓子を置くと、麟は読んでいた手紙から視線を上げた。

「手紙?」

「あぁ。帝釈天と閻魔からだ。彼らも元気にしているようだよ」

「そっか……良かった」

 麟は手紙を畳むと、もう一度ひなを見上げる。

「また、二人にも皆で会いに行こう」

「うん!」

 ひなはとても嬉しそうに微笑み、大きく頷き返した。

 麟は手紙を横に置くと、書類の束に手を伸ばす。それを見たひなは自分の席に戻ろうとするが、静かに呼び止められる。

「ひな」

 足を止めて振り返ると、麟は手にしていた未処理案件の書類を一枚差し出してくる。ひなはそれを受け取り、目を見開いた。

「……これ」

「最近になって、この案件が少し増えてきている」

「……」

 ひなは何も言わず書類を手に持ったまま自分の席に戻る。そしてその書類にもう一度視線を落とし、瞳を閉じて静かに息を吐く。

 ひなはゆっくり目を開くと、筆を手に取った。

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