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大事な思い出

 麟に抱きかかえられたまま、広い屋敷の中をぐるりと見て回る。広い庭園には大きな池があり、何十本も植えられた桜の木が屋敷を取り囲んでおり、風情に溢れていた。


「麟さん、ここはずっと春なの?」


 どこを見て回ってもあるのは桜の木。現世では秋になろうとしていた頃だと言うのに、ここは麗らかな春の陽気に包まれていた。広い庭を眺められる廊下で、まるで季節が一つしかないように感じたひながそう訊ねれば、麟は柔らかく笑みを浮かべて答える。


「四季はある。ただ、ここはひなのいた世界とは違って時間の流れがとてもゆっくりなんだ。現世から来た君には、まるで時間が止まっているかのように感じるかもしれないね」

「そんなに違うの?」

「そうだね。例えば現世で1年が過ぎるとしたら、この世界ではまだ半日も過ぎていない。それほどに、ここの時間の流れはゆっくりなんだ」

「そうなんだ。じゃあひなはここにいたら、お婆ちゃんになかなかならないんだね」


 子供らしい素直な言葉に、麟は柔らかな笑みを浮かべながらひなを見つめた。抱き上げていた彼女をその場に下ろし、おもむろに口を開く。


「……怖くはないかい?」

「怖い?」

「そう。ここは言わば死後の世界。死んだ人間の魂が集まり、気の遠くなるような長い時間をかけて、別の姿で生きていた頃の悪事を自分の力で審判の刻までに可能な限り正し、極楽行きか地獄行きを決めるいわば最終審判の世界だ」


 そう言いながら、いつの間にか二人のそばにいた真っ白い紙の面を付けている女性が手にしていた器を、麟は手に取る。その器に乗っているのは、綺麗に切られた瑞々しい桃。その器を手にしたまま、麟はひなに視線を合わせるようにしゃがみ込む。


「ひな。私は君の望みを聞き入れここへ連れてきた。つまり、君は生きたままで死者の国に来たと言うことになる。今は私の結界の中にいるから何ともないが、そのまま一度(ひとたび)この屋敷を出れば身体は滅び、魂も消えてしまう」

「え……」

「それを防ぐ方法は一つ。この世界の食べ物を食べればいい」


 ひなはそれを聞き、目の前にある桃に手を伸ばしかけたが麟がそれをやんわりと制した。


「ひな。これは君の為に切らせた桃だ。当然君に食べる権利はある。だが、今一度聞いてもいいかい? 君は現世に戻らず、ここで生きていく事を本当に望むのかい? 今ならまだ引き返せるよ」


 その問いかけに、ひなは今一度目の前にいる麟の瞳を見つめ返した。

 はらはらと音もなく静かに舞い散る桜の花びらに包まれながら、ほんの僅かな時間二人は見つめ合っていたが、ひなはしっかりと頷き返した。


「ひなはあっちの世界には帰りたくない。だって……あっちの世界にはひなの事を嫌う人はいても、好きになってくれる人はいないもん」

「本当に?」

「うん」

「じゃあ、その髪を結んでいる髪留めは?」


 その時ふと、ひなの二つに結ばれた髪ゴムがキラリと光る。何の変哲もないただのピンク色の髪留めなのだが、ひなは思い出したようにそれに触った。


「あ……これ? これはひなの宝物なの。どこのお姉さんか分からないけど、前にくれたんだ」


 ひなは力を暴走させた事で祖父母が恐れ戦き家から逃げ出した。それはほんのついこの間の事だ。広い家に突然取り残されたひなは、いつまで待っても帰らない祖父母を探しに表に出た時出会った女性がいた。上下黒いパンツスーツに身を包んだ見ず知らずの女性だったが、独りぼっちになったひなの様子に気付いて話を聞いてくれ、その時に「お守りに」とこの髪ゴムを貰ったのだ。

 その髪ゴムがただの髪ゴムでなく、微弱ながら守護のまじないが込められたものだと言う事に麟は感づいていた。ひなの身を案じ、これを手渡した人物はおそらく何か神仏に近い仕事をしている者なのかもしれない。

 少なからず、ひなの事を気にかけてくれた人物がいると言う事は決してマイナスにはならない。


「そうか。君の事を心配し、その髪留めをくれるような人がいるんだ。あちらの世界で君を嫌う人ばかりではないだろう?」

「そう、だけど……」


 麟の問いかけに、まるで現世に帰るように促されているような気持ちになったひなは、酷く寂しそうに表情を曇らせ服の裾をぎゅうっと掴んだ。


「……でも、お姉さんはひなと一緒にはいられないもん。凄く大事な宝物だけど、辛くて悲しい事の方がずっとずっと多かった。だからあっちにはもう帰りたくない。……ひなは、ここにいちゃ駄目なの?」


 また泣き出してしまいそうに顔を歪めて、麟の顔色を伺うように上目遣いで見つめて来るひなに、麟は笑みを浮かべたままゆるゆると首を横に振った。そして空いている方の手で彼女の頭を撫でる。


「ひなが本当に望むならここにいるといい。私は君を歓迎するよ」

「うん」


 いてもいいと言って貰えたひなは表情を一変させ、はにかんだ笑みを浮かべる。

 麟は手にしていた桃をひなに手渡すと、彼女は廊下の縁に腰を下ろし躊躇うことなくその桃を口に含んだ。


「……美味しい!」

「そうか。しばらく何も口にしていなかっただろう?」

「うん!」


 散々泣いて喉が渇いていた。口に含んだ瞬間、たっぷりとした桃の甘い果汁が優しくひなの喉を潤し、空腹感を満たしていく。

 無心になって桃に食らいつくひなの様子を見守っていた麟は、彼女のこれまでの境遇に胸を痛めていたが彼女自身がここにいることを望み、桃を食べている今では心から安心していた。ひながこれ以上傷つことが無いよう、悲しい思いをする事が無いよう大切に守って行こうと、そう胸に強く誓う。


(こんな風に思ったのは、あの日以来だ。あの時は私にはどうすることもできなかったが……)


 こうしてみるとひなの横顔にはどこか見覚えがある。いや、どちらかと言うと雰囲気がよく似ていた。あの日、何も言わず自分の元を去って行ったあの人(雪那)に……。


(あぁ、そうか……。この子は雪那の……)


 微かに痛む胸に、麟は視線を下げた。

 皿の上の桃をぺろりと平らげたひなは満足そうにため息を吐き、少しでも満たされた事に表情が緩んでいた。それに気付いた麟は視線を上げる。


「何だか食べたら少し、気持ちが落ち着いた」

「そうかい?」

「うん。ありがとう、麟さん」


 その時、背後でパタパタと少々慌ただしく行き交う足音が聞こえて来た。

 ひながそちらに気付いて振り返ると、屋敷と屋敷を繋ぐ渡殿の向こうで人とは違う成りをした人物が慌てた様子で何人も小走りに走っている姿が見える。


「あれ……妖怪さんだ。あの妖怪さん、お仕事してるの?」


 ひなの目に映る、忙しく廊下を行き来する者たちがあやかしだと言う事に驚きもせずそう答える。


「そうだよ。彼らは私の仕事を助けてくれているんだ」

「麟さんて、どんなお仕事してるの?」

「そうだな……。外から来た客人をもてなす仕事、と言えばいいだろうか」

「お店屋さんなの?」

「店か……まぁ、あながち間違いではないな」


 麟はくすくすと笑いながらひなの頭を撫でる。

 彼の仕事は、現世からやってきた魂の現世で積んできた業の数や重さを計り、それ相応の容姿を与え職を与えると言うものだ。ひなの言う通り、ある意味では店だと言ってもおかしくはない。


「君はあの渡殿から先には入っちゃいけないよ」

「うん。分かった。お仕事の邪魔になっちゃうもんね」


 素直に頷くひなに、麟はにっこりと微笑んだ。


「君はこの屋敷の居住区に私と共に暮らすことになる。何処の部屋でも好きに出入りしてもらって構わない」


 このあまりに広い屋敷の中のどこに行ってもいいと言われて、嬉しいと思う反面、ひなはう~んと悩んでしまった。


「凄く広いから迷子になっちゃうかも……」

「そうか? なら、君には一人傍仕えを付けよう」

「傍仕え?」

「君の身の回りの世話をする女性の事だよ」 


 麟が着物の合わせから一枚の人の形をした紙を取り出して人差し指と中指で挟み、三度顔の前で縦に空を切る。そしてふっとその紙に息を吹きかけると麟の指に挟まれていた紙は自分の意志を持ったかのように小さく揺れて手元から離れ、ひなの傍に舞い降りた。紙が地面に付くか否かの刹那むくむくっと大きくなり、先ほど桃を持ってきた女性と同じ背格好で同じ着物をまとい、やはり布の面を付けた女性が立っていた。他の人と違うのは面の額部分に小さく朱色で「護」と書かれている事くらいだ。


 まるで魔法だ。


 これまでひなが知る限りの常識を大きく覆すような出来事が次から次に起きている。夢のようで現実を目の当たりにしている事に感動を覚えた。


「今日からひなについてくれ」

「……」


 麟がそう言うと、その女性は何も言わず音も立てることもないまますっと腰を折った。ひなは不思議そうにその女性を見上げていたが、女性の表情は分からず窺い知る事も出来ない。外はずっと緩やかに風が吹き続けているのに、彼女の面はひらりとなびく事もなく、まるで顔に張り付いているかのようだった。


「麟さん、この女の人の名前は何て言うの?」

「名前?」

「うん」

「彼女たちは私の式神たちで名前は無いんだ」


 あやかしたちの世界ではある程度の格がある者だけに名前が与えられる。

 麟が作り出した式神の彼女らに名前がないのは至極当然と言えるのだが、ひなは酷く悲しそうな顔を浮かべた。


「名前が無いのは可哀想だよ」

「……じゃあ、ひなが付けてくれるか?」

「いいの?」

「あぁ」


 自分で選んで決めて良いと言われ、ひなは嬉しそうに目を輝かせる。

 今までも自分で決めてやって来たことが多かったが、誰かに認められて何かを決めることは初めてだった。


「じゃあねぇ……シナちゃん!」

「シナ?」

「うん! この髪ゴムをくれた人の名前」

「……君にはとても大切な名前なんだね」


 そう問いかければ、ひなはこれ以上ないほどに満面の笑みを浮かべて大きく頷き返した。麟はひなにもう一度手を差し伸べる。


「では、ひな。次は屋敷を出て外の世界の話をしようか」

「うん!」


 ひなは今度こそ躊躇うことなく、差し出された麟の手をしっかりと握り返した。

 「シナちゃん」と名づけられた式神の女性は、出掛ける二人を見送り頭を下げていた。

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