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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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 ゆるゆると風が下から吹きつけて来る。

 ひなは賑やかな繁華街から少し外れた場所に一人で立ち、茫然と底が見えない奈落の底を見つめていた。この、暗い奈落の底には、審判の間があると言っていた。その審判で極楽行きか地獄行きかが最終決定されるなら、今この瞬間も、審判を受けている人がいるんだろうか。


 そんな事をぼんやりと考えながら、手すりに手をかけて見下ろしていた。


 ひなはあの後、「一人になりたい」と言って麟の傍を離れていた。

 真実の父親は誰なのか、ひなは結局聞く事が怖くなり聞けていない。ただ漠然と分かるのは、それは決して良い話じゃないと言う事だけは分かる。

 あの時、躊躇った麟の顔が……それを物語っていた。


「……ひなさん?」


 ふと背後から声がかけられ、ひなはそちらを振り返った。するとそこには風呂敷の包みを持ったマオの姿があった。

 ひなは驚いたように目を見開き、マオを見つめる。


「どうされたんです? 麒麟様と一緒ではなかったんですか?」

「あ……え、と……。今ちょっと一人でいたくて……」

「……まぁ」


 マオはこちらを心配するような表情を浮かべて近づいて来る。

 ひなは、マオが正直あまり得意ではない。直に話したのも今この時が初めてで、しかも彼女は自分に対して強い敵視を向けていた人物だ。無意識に体が緊張してしまう。


「マ、マオさんはお買い物……ですか?」

「えぇ。麒麟様のお好きなお茶とお茶菓子が切れそうでしたので買いに行っていました」

「そうなんですね……」


 隣に立ったマオは、ちらりとひなを見る。

 ひなの立ち姿、その顔立ち。どれを見ても雪那を彷彿させて、マオの胸中は穏やかじゃない。しかし、それをおくびにも出さず、マオはひなに寄り添う言葉をかけた。


「ここの暮らしはいかがです?」

「凄く、温かくて安心できる場所で、快適です」


 たどたどしくそう告げるひなの言葉に、マオのこめかみが一瞬ピクリと動く。

 流し目でひなを見つめ、緩く口元に弧を描く。


「それは良かったですわ。実体のある人間がここに来るなんて今まで一度もなかったので、暮らしにくいんではないかと心配していたんですよ」

「……」


 にっこりと微笑むマオの心配をしているようでトゲのある物言いに、ひなは黙り込んだ。

 やはりマオは自分に対して強い言葉を向けて来るのだなと思うと、隣に並ばれただけで居づらさを感じてしまう。


「あの、私、もう戻りま……」

「あなた、本当に雪那さんにそっくりですわね」


 ひなはこの場から離れようとすると、被せるように母親の話を出されひなは思わず動きが止まる。

 ヤタや獅那が知っているのだからマオが知らないと言う事はないと分かっていたが、急にその名前が出て来るのは流石に驚いてしまった。


「……お母さんを知ってるんですね」

「えぇ。よく存じていますわ。だって、麒麟様の元花嫁候補でしたもの。それに……」

「?」


 何かを言いかけてマオはひなをチラリと見る。ひなはその言葉の続きが気になるのか、じっとこちらを見つめてくる。その顔を見て、マオは小さく笑った。


「雪那さんが麒麟様の元を去った理由、ご存じ?」

「え……?」

「私、知ってますわ。だって……彼女は私の目の前で堕ちてしまったんですもの」

「堕ち、た?」


 探るようにひながゆっくりとした口調で聞き返すと、マオは悲しそうに表情を歪めた。


「えぇ。私がお傍にいながら、雪那さん、堕ちてしまったんですのよ。……丁度そこから」

「……っ」


 ひなはその言葉にゾクッとした寒気を覚えた。

 涙ながらに訴えるマオはお構いなく言葉を続ける。


「あの日はとても人の多い日でした。一緒に街を見て回っていたんですけれど、少し傍を離れてしまった隙に人波に押されてしまって……」


 着物の袖で涙を拭う素振りを見せるマオだが、その口元は歪んだ笑みを浮かべている。


「お聞きになっているかもしれませんが、審判予定でない者が奈落に落ちると、審判の扉は開かれず真っすぐ地獄まで堕ちてしまうんです。ですから、人が多い日はあまり奈落の傍には近寄らない方が賢明ですわ。もし万が一……ねぇ?」

「……ご、ご忠告、ありがとうございます」


 ひなは急いでこの場を離れようとして、マオに背を向ける。だが、その瞬間ひなの手をマオが掴んでくる。

 ビクッと肩を震わせ恐る恐る彼女を振り返ると、マオはにっこり微笑んでいた。


「そんなに怖がらないで下さいな。私もさすがに二度も同じ目に遭うような場面に遭遇したくありませんもの。それより、少し私と街を散策しません?」

「……い、いえ。今日は大丈夫です」

「ダメですわ、そちらは近づかないで下さい。あまり手すりの傍に寄られると私も怖いんですの」


 マオから逃れようと動くと、逃がさないようにとしっかりと腕を掴んでくる。

 言っている言葉はこちらを気遣う言葉なのだが、その裏には得も言われぬ悪意が籠っている事をひなはひしひしと感じていた。現に、腕を掴む手が痛い。


「マオ?」


 その時、少し離れた場所にいた麟が声をかけた途端、マオはひなからパッと手を離した。手を離されたひなはそそくさと着物の袖に自分の腕を隠し、顔を逸らした。


「麒麟様」

「どうしたんだ?」

「いえ、ひなさんが奈落に近い場所にいらっしゃったので、怖くなってしまってお声をおかけしたんですわ」


 麟にそう告げると、マオは「では一足先にお屋敷に戻ってます」と一言いい置いてその場を後にする。


 ひなの傍を通り過ぎる際、マオはひなを横目で見つめ、その口元は緩くほくそ笑んでいた。


 そのマオの視線に顔を上げられなかったひなは、青ざめた顔で顔を俯けている。そんなひなの様子に気付いた麟は、ひなの肩に手を置いた。


「……大丈夫か?」

「う、うん。大丈夫……。マオさんと初めて話したから、ビックリしちゃっただけ……」


 ひなは力なく笑いながらそう言うと、再び視線が下がる。

 過去の事も含め、怖い思いをしたことを打ち明ける勇気はひなにはなかった。


「もう戻ろうか。顔色があまり良くない」

「はい……」


 麟に連れられ、ひなは屋敷への道を歩き出す。歩きながら、何となく後ろを振り返った。

 先ほど立っていた場所から雪那が奈落へ転落してしまった。その話は本当なのだろうか……。

 ひなは再び前を向くと、麟について家路を急いだ。


 

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