暴走と拉致
空気中に伝わる微かな電流。何もないはずの空間がそれを直接肌に伝えてくる。
ひなのために用意した温かいお茶を持って、部屋に戻ろうとしていた獅那は即座にそれを感じ取った。
「……ひなさん!?」
持っていたお茶を取り落とし、ひなの部屋へと駆け出す。しかし、その途中で屋敷全体が揺れて軋むほどの爆発と爆風に煽られ、先に進めなくなる。
「……っ!」
砕けた細かな木片が礫のように飛んでくる。それを避けるために顔を背け、身を低くするしかない。
その頃、偵察に出ていたヤタもまた、上空で風に煽られていた。
油断すれば自身も吹き飛ばされかねないほどの強風に、身構えることが精いっぱいだった。肌を走る強い電流に意図せず冷や汗が流れる。
勢いが落ち着いた頃に構えていた態勢を解くと、目の前の状況に愕然とする。
「い、一体何が……」
ひながいた部屋だけが黒い煤に塗れ、柱の一部や廊下が木っ端微塵に砕けてしまっている。さらに離れでは使用人たちだけじゃなく、マオや他のあやかしたちも、突然のことに混乱しながら建物から出てくる姿も見えた。
「皆さん! 落ち着いて行動してください!」
混乱をできる限り抑えるため、マオ自身も務めて冷静さを保つよう心掛け、あやかしたちを外へと誘導している。ヤタはそんなマオの傍に降り立った。
「マオ! 大丈夫か!?」
「八咫烏! 凄い音と同時にお屋敷が大きく揺れたけど、一体何が起きたの?」
「すまん、俺も分からない。ただ、麟の屋敷の一部が爆発して……」
「爆発?」
マオは血相を変え、ヤタの言葉を繰り返す。
「……やっぱり、危険だったのよ」
「マオ?」
独り言のように呟く言葉にマオの顔を覗き込むと、彼女は突然ヤタの腕を掴んできた。
「麒麟様は!?」
「り、麟はお前と一緒だっただろ」
「少し前に異変を察知して部屋を出られたわ!」
ヤタは取り乱すマオの肩に手を置き、落ち着かせる。
「落ち着け。俺が見てくる。この場は頼んだぞ、マオ」
「八咫烏!」
この場はマオに任せ、ヤタは急いでひなの部屋の方へ駆け出す。
現場は、上空で見るよりも凄惨な状態だった。部屋の中は跡形もないただの穴。その部屋だけが抉り取られたかのようだった。
「……ひな」
何が起きたのか理解が追い付かず、ヤタは言葉を呑む。そこへ、屋敷の奥から慌ただしく麟と獅那が駆け寄ってくる。
「麟! ひなが……!」
「……これは」
麟もまた、現状を見て瞬間的に言葉を失った。
「これは……力の暴走だ」
苦し紛れに呟いた麟の言葉に、ヤタや獅那も息を呑む。
「どうしてこんなことに? 獅那、何かあったのか?」
「ひなさん、温かくなるものが欲しいというから、少しの間傍を離れたのだけど、そこから先は何が起きたのか、私もわからないわ」
「庭先から感じた異質な気配のせいか……?」
ヤタが眉間に深い皴を刻みもらした言葉に、麟が口を開く。
「脱走した魂がいると報告を受けている。もし、その内の一体が何らかの理由でこちらの屋敷に侵入していたとしたら……」
「今、この世界でひなに敵意を向ける奴がいるとしたら、死んだ人間しかいないだろうな」
ヤタの言葉に、全員の意見が一致する。
問題はどうやってひなに干渉したかだが……。
「夢……」
麟はそう呟いて顔を上げる。
「麟?」
「ひなの夢に影響を与えたのかもしれない。もしくは、ひな自身に乗り移ったか……」
「乗り移る? どうやって乗り移るんだよ。だってひなは……」
そこまでいいかけてヤタは言葉を呑んだ。
ひなは生身の人間。そしてここは霊魂が多く留まる場所。
実体あるひなの体を器として乗り移れる可能性は大いに考えられる。同時に、あやかしたちは眠っても見ることのない夢を、ひなは見ることができる。だとするなら……。
――麟さん!!
ふと、どこからかひなの声が聞こえ、三人は弾かれるように顔を上げた。
声を追うように慌ただしく庭に出てみるが、ここからではひなの姿を確認できない。
「ひな!」
――嫌だ……行きたくないよ!
その声を聞いたヤタは地面を蹴って空に舞い上がる。すると遥か遠方、黒海の鳥居に向かってひなが連れ去られていく姿が見えた。
ひな自身が抵抗を試みているせいか、半ば引き摺られるような形で向かっている。
「麟! いたぞ! 現世の扉に向かってる!」
そういうが早いか、ヤタはひなを追いかける。
麟もまた人の姿から神獣の姿に変わると、すぐに空を蹴ってひなの元へ走り出す。
このままひなを現世に放り出すことはできない。
麟の眼光は鋭く、さらに走るスピードを速めた。
『この……いうことを聞け! このガキ!』
ひなの頭の中に少女の声が響く。だが、ひなは抵抗を止めなかった。
「嫌だ! ひなは絶対現世には帰らない!」
『うるさい! あんたの話なんか聞いてない! とにかくあたしは帰るんだよ! 無駄な抵抗してないでいうことを聞け!』
「い、やだっ……!」
他から見れば一人でもがいているようにしか見えないが、ひなの中では激しい争いが起きていた。
『早くしないと追手がくるだろ! いい加減にしろよ!』
「お姉さんこそ、いい加減に放して!」
ひなの抵抗が強いのは、確固たる強い思いがあるからこそ。だが、それでも体力に限界はある。長く抵抗をし続けていられるほどひなの体力はない。
「……っ」
意図せず、ふっと力が抜ける。少女はそのタイミングを見逃すことなく、その隙をついて一気に鳥居の先へとひなを引き摺り込む。
「やだ……やだやだやだあぁああぁぁ!!」
ひなは涙を堪えきれず、それ以上抵抗できないことに強い恐怖を感じていた。
そのひなの目には、こちらに向かって飛んでくるヤタの姿が映り、必死に手を伸ばす。
「くそ……っ! 間に合え!」
ヤタは自分の持てる限りのスピードでひなを追いかけるが、急に速度が速まった彼女になかなか追い付かない。自分の体の大きさを利用して手を前に伸ばしながら叫ぶ。
「ひなっ!!」
「ヤタさんっ!!」
持てる限りの力を振り絞って手を伸ばすが、差し伸べられたヤタの手には届かない。
ひなの零れる涙は小さな水の塊となってヤタの頬を濡らしていく。
自分の意志とは関係なく一方的に引っ張られる恐怖。それだけでなく、彼女自身が拒
で「る現世に向かって放り出+れる恐怖を思うと、焦りの色だけが色濃くなる。
「くそっ……!!」
届きそうで届かない距離感がとても歯痒い。
そうしている間にも、ひなの体の半分が鳥居の向こうに呑まれていく。
「……ざけんなよ!」
かつての二の舞はごめんだ。
ヤタは腹の底から届けと願う。
「嫌だ、行きたくない……! ……アタシハ、コンナ所デ生キタクナイ!!」
「!?」
ひなのその言葉に違和感を覚えたヤタは瞬間的に怯んでしまった。
「ヤタさん! 麟さん!」
瞳をぎゅっと閉じ、長く黒い髪がたなびく。
鳥居に体が呑まれていく内に、幼かったひなの体が大きく成長していく。
「ひなっ!」
速度の弱まってしまったヤタの横を、射貫くような速さで麟が走り抜ける。だが、鳥居からはもはやひなの手首より先しか見えていない。麟が手を伸ばしその手を取ろうとしたが、指先を掠めるだけで掴むことは叶わなかった……。




