暴走と拉致
「な、何だ、あれ……」
偵察に出ていたヤタは、上空で爆発と爆風に煽られていた。自身も吹き飛ばされないよう身構える事に精一杯なほどの風に煽られ、雷に打たれたようにビリビリと肌に伝わる強い力に意図せず冷汗が流れて呆然としてしまう。
その目下では、使用人たちだけでなく屋敷に出入りするマオや、他のあやかし達が混乱しながら建物の中からわらわらと出て来る姿が見えた。
「皆さん落ち着いて行動してください! とにかく外へ!」
混乱を出来る限り抑えるために、マオ自身も努めて冷静さを保つように心がけ、他のあやかし達を外へと誘導している。ヤタはそんなマオの傍に降り立った。
「マオ! 大丈夫か?!」
「八咫烏! 凄い音と同時にお屋敷が大きく揺れたけど、一体何が起きたの?」
「すまん。俺も分からない。ただ麟の屋敷の一部が爆発して……」
「爆発?」
ヤタの言葉をマオは反芻する。
「やっぱり、危険だったのよ」
「……マオ?」
独り言のように呟く言葉に、ヤタがマオの顔を覗き込むと、マオは突然ヤタの腕を掴んできた。
「麒麟様は?!」
「麟はお前と一緒だっただろ?」
「少し前に、異変を察知して部屋を出られたわ!」
ヤタは取り乱すマオの肩に手を置き、落ち着かせる。
「とにかく今は皆を安全な場所へ。この場は頼んだぞ、マオ」
「八咫烏!」
この場はマオに任せ、ヤタは急いでひなの部屋の方へ駆け出す。
「ひな……っ!」
ヤタがひなの元に駆け付けるのと同時に、屋敷の奥から慌ただしく麟も獅那と共に駆け付けて来る。先に部屋の中を覗き込んだヤタだが、部屋の中にひなの姿はどこにもなかった。
「麟! ひなが……っ!」
誰もいない部屋の空気に、パリパリと電流が走る。
部屋の中と部屋の前にある縁側は真っ黒く焦げ付き、障子は完全に吹き飛んでいた。
これは、ひなの中に眠る力が刺激された結果だ。
その焦げ付きの中心部には、ひなが居たのであろう痕跡だけが残っている。
「麟、一体何が起きたんだ?」
「私にも分からない。獅那の報告によれば大丈夫だからと言って横になったと言うが……」
麟の表情はとても険しい。
その顔からは焦りの色も滲んでいた。
「脱走した魂がいると報告を受けている。もしその内の一体がこちらの屋敷に侵入していたとしたら……」
麟の言葉に、ヤタが口を開く。
「俺が察知した敵意は、あからさまにひなに向いていた。今この世界でひなに敵意を向ける奴がいるとしたら、死んだ人間しかいないだろうな」
その言葉に、この場にいる全員の意見が一致する。
問題は、どうやってひなに感化するかだ。しかし、麟はすぐに顔を上げる。
「夢……」
「麟?」
「ひなの夢に影響を与えたのかもしれない。もしくは、ひな自身に乗り移ったか……」
「乗り移る? どうやって乗り移るんだよ。だってひなは……」
そこまで言いかけてヤタは言葉を飲み込んだ。
ひなは生身の人間。そしてここは霊魂が多く留まる場所。実体ある人間のひなを器として乗り移れる可能性は大いに考えられる。同時に、あやかし達は眠っても見ることのない夢を、ひなは見ることが出来る。だとするなら、その夢に感化することは何も難しい事ではない。
――麟さんっ!
ふと、どこからかひなの声が聞こえ麟とヤタは弾かれるように顔を上げた。彼女の存在はまだ幽世にある。
声を追うように慌ただしく軒先に出てみるが、ひなの姿はやはり何処にもない。
「ひな!」
――嫌だ……行きたくないよ……!
その声を聞いたヤタは人の姿のまま翼を広げると、地面を蹴って勢いよく空に舞い上がる。すると遥か遠方、黒海の鳥居に向かってひなが連れ去られていく姿が見えた。
ひな自身が抵抗を試みているせいか、引っ張る力に抗い半ば引き摺られるような形で向かっていると言っても良い。
「麟! いたぞ! もう一つの現世の扉に向かってる!」
そう言うが早いか、ヤタはひなの元へ飛んで追いかける。
麟もまた人の姿から神獣の姿に変わると、すぐに空を蹴ってひなの元へ全速力で走り出す。
このままひなを現世に放り出すことは出来ない。
力が解放されて不安定な状態のまま現世に行けば、事件などと言う生ぬるい案件だけでは済まない。もっと大きな、まさに「災い」の元凶になってしまう。
何としてでもひなを連れ戻す。彼女の心が完全に壊れてしまう前に……!
麒麟の姿に戻った麟の眼光はとても鋭く、更に走るスピードを早めた。
『この……言うこと聞けっ! このガキ!!』
ひなの頭の中に彼女の身体を乗っ取ろうとしている少女の声が響き渡る。だがひなは抵抗を止めなかった。
「嫌だ! ひなは絶対現世には帰らないっ!」
『うるさい! あんたの話なんかどうでもいい。とにかくあたしは帰るんだよっ! 無駄な抵抗してないで言う事を聞け!! チビ!!』
「い、やだっ……っ!!」
他から見れば一人でもがいているようにしか見えないが、ひなの中では強い争いが起きていた。
『早くしないと追手が来るだろっ! いい加減にしろよっ!!』
「お姉さんこそ、いい加減に放してっ!!」
9歳の子供の必死の抵抗は相当に強いものだった。そこには、ひなの確固たる強い思いがあるからこそだ。だが、それでも体力に限界はある。強い抵抗をし続けていられるほどひなの体力があるわけでもなく、意図せずふっと力が抜ける瞬間が出来た。少女はそのタイミングを見逃す事無く、その隙に凄まじい速さで鳥居へとひなの身体を連れ去る。
「やだ……やだやだやだぁああぁああぁぁ!!」
ひなは涙を堪え切れず大粒の涙を流しながらも、それ以上抵抗できない事に恐怖を感じていた。
「くそっ……! 間に合えっ!!」
麟の先を飛んでいたヤタは、自分の持てる限りのスピードでひなを追いかけるが急に速度が速まった彼女になかなか追いつかない。自分の体の大きさを利用して大きく手を前に伸ばしながら叫ぶ。
「ひなっ!!」
「ヤタさんっ!!」
大粒の涙を流しているひなは、空いている方の手を伸ばす。だが、差し伸べられたヤタの手には届かない。
ひなの零れる涙は小さな水の塊となってヤタの頬をも濡らしていく。得体の知れない何かに引っ張られる恐怖だけでなく、彼女自身が拒んでいる現世に向かって成す術なく放り出される恐怖を思うと、ヤタも心苦しくなる。
「くそっ……!!」
届きそうで届かない距離感がとても歯痒い。
すでにひなの体の半分がその扉の向こう側に呑まれていた。
「……っざけんなよっ!!」
かつての二の舞はごめんだ。
ヤタは腹の底から「届け!」と願いを込める。
「嫌だ、行きたくない……! ……アタシハ、コンナ所デ《《生キタクナイ》》ッ……!」
「っ!?」
彼女のその言葉に違和感を覚えたヤタは眉を潜め、瞬間的に怯んでしまった。その間にもひなの体は半分以上扉に呑まれていく。
「ヤタさん! 麟さん!」
涙に塗れた瞳をぎゅっと閉じ、長く黒い髪がたなびく。伸ばされた手はそのままに、扉に飲み込まれていく内に、幼かったひなの体が大きく成長していた。
『ひなっ!』
速度の弱まってしまったヤタの横を、射貫くような速さで麟が走り抜ける。
扉からはもはやひなの手首より先しか見えていない。麟が手を伸ばしひなのその手を取ろうとしたが、指先を掠めるだけで掴むことは叶わなかった……。




