アメリア
本編より前の話になります。
今日も空が青い。当たり前の事を確認してアメリアは無邪気に笑った。
遠近感の沸かない青い空間に焦点を合わせようとすると、視界どころか意識さえも青く染まりそうになる。その不思議な感覚が面白くて朝からアメリアは若草色の草原に寝っ転がっていた。
「いい天気……」
太陽が視界に入り、眩しさに目を細める。ちょうど目も疲れてきたところだったのでこのまま少し仮眠に入ろうとすると、どこかから自分の名前を呼ぶ声がした。
「あっ! やばい!」
若草色のベッドから跳ね起き、アメリアは声の方へ走り出した。走りながら、草原で日向ぼっこをしていた証拠の隠滅にと背中の草を払おうとしたが、両手を後ろに回したのが仇となり、バランスを崩したアメリアは盛大にずっこけた。
、、、
「アメリア!」
喧騒などとは縁の無さそうなのどかな村に少女の怒声が響いた。迫力のある一声だったが周りの村の住人達は何の興味も示さない。彼女が声を張り上げる姿はこの村の住人にとってはもう見飽きた光景だった。
程なくして見飽きた光景のもう一人の登場人物がやってきた。少女の怒声は大抵この遅れてきた少女にしか飛ばない。
「ごめん! ミリアちゃん!」
謝罪と同時にアメリアはその場にへたり込んだ。
「お——」
遅い、と言おうとしたミリアは途中で言うのをやめた。何の遠慮もなく地面に座っているアメリアの額には大粒の汗が浮かんでおり、今も必死に呼吸を整えようとしている。おそらくここまで一度も止まらずに走ってきたのだろう。こうなったのはアメリアの自業自得だが、ここへ更に『遅い』と叱責を重ねるのは理不尽に思えた。
ミリアは直前で止めた言葉をため息に変えて吐き出した。
「またサボってたんでしょ。今度はどこで?」
尋ねつつ、ミリアはえへへと笑って誤魔化そうとしているアメリアを頭からつま先まで観察する。
アメリアの体の前面の至る所に付いている泥はまたどこかですっ転んで付いたものだろう。顔、胸、両手、膝の五点着地はいつもの事だ。次に背面だが、所々に緑色の擦ったような跡と、泥とは違う黒い汚れがあった。
「……とりあえず、向こうの原っぱで日向ぼっこ?」
「違うよ! 違う違う!」
即座にアメリアは両の手の平を突き出して否定した。その反応はもはや認めているのと同じだ。
「ん?」
ミリアはこちらに突き出されたアメリアの手首を一つ掴み取った。彼女の小さな手の平はすすでも付いたように真っ黒だった。
「なにこれ? あんた何やったの?」
「えっ? な、なにがー?」
しらばっくれたアメリアの顔はわざとらしく引き攣っていた。この下手くそな嘘に何の勝算があるのか。
やれやれ、とミリアは面倒くさそうに口を開いた。
「ああ、あんたの家のアレか」
「えっ⁉︎ いつの間に入ったの⁉︎」
「つい最近よ。何に使うのアレ?」
「……紙に書くものが無かったから、ちょうどいいかなーって。カケラだし……」
紙、書く、カケラ、そしてすすが付いたように黒い手、なるほど。
「炭か」
「え? そだよ? ……はっ! カマをかけたな! ミリアちゃんずるい!」
「あんたが隠そうとするからでしょ。紙なんて珍しいもの、行商から貰ってるの? それでその紙に手が真っ黒になるまで何を書いてるのよ?」
ミリアが尋ねると、アメリアのふて腐れた顔が一瞬で輝いたものになった。
「あのね! あたしが見つけた珍しい物! 虫とか花とか動物とか! 最近は空も描いてる!」
「空って、夜の?」
「ううん、青空!」
「あんた黒しか描けないじゃない」
うっ、とアメリアが言葉を詰まらせた。痛い所を突いてしまったらしい。もっとも、あのまま自由に喋らせてアメリアが息切れした試しがないので早い内に会話を途切らせるつもりだったのだが。
ミリアはすました顔を繕ったまま年下の彼女を見つめた。
この子はいつもこうだ。自分の好きな話題の時だけこうも調子がいい。先程の嘘だって、どうせバレるのに何故あんな態度をとるのかミリアには理解ができない。アメリアがまだ目先の事しか考えられず、保身に走ってしまうのは分かる。しかしそれではこの先やってはいけない。
「アメリア、日向ぼっこするのも遊ぶのもやめろとは言わないわ。でもそんな事より仕事を優先して」
ミリアの諭すような声を聞いたアメリアは肩をすぼめて大人しくなった。説教に反発する子ではないのは助かるのだが、なかなか言われた事を実践してくれない。
「村ではみんな助け合って生きてるの。アメリアもご飯食べてるわよね? それなのにアメリアだけ仕事サボってたらみんなあんたの事嫌いになっちゃうわよ? 特にあんたは……嫌われると困るでしょ」
アメリアが仕事より遊びを優先しても周りは何も言わない。それはミリアが口煩くアメリアを叱っているのとアメリアがまだ子どもだからだ。
アメリアは自分がまだ子どもだから『許されている』という現実を理解していない。このまま何も知らずに成長すると、いつか自分を取り巻く環境の変化に躓く事になる。
ずっと黙ってミリアの話を聞いていたアメリアが顔を上げた。ミリアに向けられた顔にはうっすらとした笑みが貼り付いていた。
「ミリアちゃんもあたしの事、嫌いになる?」
そんな自嘲めいた子どもらしくない表情など——反則だ。ミリアは胸の中で苦い顔した。計算でやっているならその頬を一発はたいてやるのだが、そんな小賢しさに頼れるような子ではない。
現在、この村にアメリアの両親はいない。彼女はミリアの家の近所の自宅に一人で暮らしていた。ミリアがアメリアに目をかけているのは年下の子どもだからというよりもこちらの理由の方が大きい。
年端のいかない、さらに周りの事を考えられないお転婆娘を放ってなどおけるわけがない。
「なるわけないでしょ」
平静を装ってミリアは言い切った。
「だよね! ところでミリアちゃんはあの森の方へ行ったことある?」
けろっと元の調子に戻ったアメリアに『あれ、計算してやってたわけじゃないわよね?』とミリアは怪訝な顔を浮かべる。
こりゃまた無駄な骨を折ったかな、と髪をいじりながらミリアはアメリアの質問に答えた。
「ないわよ。あんたあそこ行ってるの?」
「うん。すごいんだよ見たことないものいっぱいで、——それにね!」
元々高かったアメリアのテンションが更に一段上がった。
「森の中に家があるの!」
「家?」
あまりにも突飛な話にミリアは純粋に食いついた。
「そう! あたし達の家とは違ってる不思議な家! たぶんあれが魔法使いの家なんだよ!」
「へー魔法使い……」
たしかにミリアもその存在を耳にした事はある。ミリアの産まれるずっと前、この辺りに魔法使いが住んでいたらしい。
だが知っているのはそれだけだ。おとぎ話の類として記憶していたし、たった今アメリアの話を聞くまで忘れていた。
「そんなのもあったわね」
「ミリアちゃん興味ないの⁉︎ 魔法使いだよ⁉︎」
「うん無い。なんとなく不気味だし近寄らない方がよくない? ほら、そろそろ仕事に戻るわよ」
えー、と隠す気もなくアメリアは不満を漏らした。
「もうちょっと魔法使いの話しようよ」
「だめよ。けっこう長い時間話してたし、今日中に終わらせなきゃいけない事もあるの」
ミリアがアメリアに手を伸ばすと、アメリアは面白くなさそうな顔をしながらもその手を取った。
小さな手を引きながら本当に手のかかる子だとミリアは嘆息ついた。
いつまでこの子の面倒を見る事になるのか。死ぬまで、というのもこの子ならあり得ない話ではない。
先が思いやられるが同時に悪い気はしないと思っている自分もいる。結婚の時泣いちゃうかも、と考えて一人で笑った。
先の事なんて本当にわからない。
とりあえずはこれからの成長を楽しもうとミリアは思った。
、、、
「終わったー!」
本日の作業ノルマをこなしたアメリアは念願の夢が叶ったかのようにはしゃぎ出した。
「はいお疲れ様。後片付けもやってね」
「はーい」
ミリアが指示するとアメリアはすぐに後片付けに取り掛かった。
意外にもアメリアは作業には黙々と取り組むタイプで、労働時間はサボタージュのせいで短いが結果的には作業を人並み程度にはこなしてしまう。
そんなムラこそあるがせっせと働くサボり娘を見ながらミリアは何気なく呟いた。
「あんたさぁ、髪切らないの?」
小柄な体に対してアメリアの髪は腰が隠れるほどに長い。それも前も後ろも無作為に伸びている為、考えがあって伸ばしてるというより伸びるのを放置しているように見える。
「うんいいの。長い方好きだし」
そう言うとアメリアは自分の髪を愛でるように顔に寄せた。
「ミリアちゃんこそ伸ばさないの?」
「私はこの方が作業しやすいし」
「えーそれでいいのー? 女の命だよー?」
「そう言ってる割にはあんたの髪傷んでるじゃない」
「そう?」
ミリアは無言で頷いた。日頃から原っぱに寝っ転がっているのだ。絶対的に髪への労りが足りていない。今だって訝しげに真っ黒な手で髪をべたべた触っている。
「せめて結べば? 鬱陶しいでしょ?」
「ぜんぜん。このままがいいの」
ぷいっとミリアから視線を逸らしてアメリアは後片付けに戻った。
この感じはよく見る頑固な時のアメリアだ。どういう時に見るかというと——
「まだ、ウチに来る気にならない?」
ミリアの問いを聞いたアメリアの動きがピタッと固まった。ゆっくりミリアへと焦点を合わせてくる顔はうんざりという表現がぴったりだった。
「またそれ訊くの? 一応確認だけど今夜の晩ごはん食べにとかじゃないよね?」
「ええ、前から訊いてる件。ご飯食べに来るのも構わないけど」
「……まだ」
アメリアは面白くなさそうな顔で小さく呟いた。
うんざりしているのはミリアがしつこいからではない。アメリアがこの話題に触れたくないからだ。
アメリアは前々から『一緒に暮らさないか』とミリアに誘われていた。しかしアメリアは現在まで首を縦に振っていなかった。
断り辛い案件なだけに何度も確認をされるとその度にバツが悪くなる。
今もどうやってこの場から退避するか考えていたアメリアの意識が、ふと別の事へと集中した。
「——揺れてる」
「あっほんとだ」
意識を研ぎ澄ませて初めて気づける程度の小さな揺れが体に伝わってくる。だが気づいたのも束の間、揺れはいつの間にか収まっていた。
「……終わった。あんたよく気付くわね」
「うん。この前もあったから。最近多いんだ」
「あーなんか前にも言ってたわね。でもこんなの放っておいても大丈夫でしょ」
「そうかなぁ……」
魔法使いの時と同様に大して興味を示さないミリアにアメリアは食い下がった。
「地面が揺れるんだよ? 怖くない?」
「別に。今のもあんたがいなかったら無視してたわ」
ミリアはまったく気にしていないようだがアメリアは嫌な予感がして仕方なかった。
根拠のないこの勘がどこから来るものなのか考えると何故か気分が悪くなる。だからこそ、この勘は無視してはいけないような気がした。
、、、
アメリアは鼻唄を歌いながら森を気ままに歩いていた。
今日は森の探索だ。最近のお気に入りの遊び場所でついつい入り浸りそうになるが、あまり熱中し過ぎるとミリアに出入を禁止されるかもしれないので毎日は来られない。前に来たのは一昨日だったか。
ここなら村の人に会う事もないし、ミリアの声も聞こえてこない。別にみんなが嫌いなわけではないが、こうして楽しんでいる時には煩わしく感じてしまう。
一瞬、アメリアは『この森に自分が逃げに来ているのか』と疑ったが、楽しい気分に水を差したくなかったので考えるをやめた。
「でもなんでみんなこの森に近づかないんだろ?」
なんとなくは感じていた。この森は他とは違う。
他の森や山に比べて生き物の気配がしない。稀に見かけても他では見たことのない種類ばかりだった。
アメリアは空を見上げた。木の葉の隙間から森の上空を通過する鳥の群れが見える。もしかするとこの森を避けているのは人だけではないのかもしれない。
あと言葉にし辛いが何か漂う雰囲気も違う。森に入った瞬間に肌に冷たいものが触れたような感覚がある。森の中もすべてが止まったみたいに静かで、それなのに外部の音が聞こえてこない。
とにかくこちらの背筋をなぞるような未知に溢れていた。アメリアが気に入っているのもそういう所だ。
「おっと」
また揺れた。村で感じるより少し大きいか。
しかしこの森はざわつかない。ミリアの言う通り、この揺れは騒ぎ立てるような事ではないのか。
揺れ以外にも気になる事はたくさんある。でも今のアメリアの目に映っているものは一つだけだった。
「あった!」
正確な位置はわからないが森の奥深く。そこに魔法使いの住居と思われる家があった。
見つけた嬉しさから思わず声を上げてしまったアメリアは急いで近くの木の陰に体を隠した。
家の壁には周りの木から伸びた枝が張っており、木々の中に溶け込むというより一体化しかけている。これでは家の周囲の手入れが大変そうだが、中を探りたいアメリアには好都合だ。
アメリアは生い茂った木と木の間に小さな体をねじ込んで魔法使いの家へと近付いた。
家は小さくもないが驚くほど大きくもない。それでも一人で住むには広過ぎる気がした。魔法使いは一人じゃないのかも、とアメリアは期待を膨らませた。
窓から中の様子を窺う。アメリアは未だに魔法使いの姿を見た事はなかった。玄関の戸を叩けばお目にかかれるかもしれないが、さすがにそこまでの勇気は無い。
しばらく張り込んだら別の窓に移り、また張り込む。集中が途切れそうになるがもし魔法使いの姿を見逃したら、と考えると目が離せない。
そして。
(——いた!)
建物の中で動く影に目を凝らすと、そこに魔法使いはいた。人のように服を着ているが唯一露出している頭部はすべて毛に覆われ、見た目は立って歩く巨大な動物にしか見えない。もしあれが魔法使いではなかったとしてもあんな生き物の存在はアメリアの中では大発見だ。
興奮を抑えきれず、身を乗り出して魔法使いを見つめていると魔法使いの体の向きがアメリアの方を向いた気がした。
「わっ!」
アメリアは慌てて体を折り畳んだ。そのまま四つん這いになってその場から離れた。本当にこちらを見ていたのか気になるが、『もしアメリアに気付き、向こうから近付いてきたら』と考えたらちょっと怖くなってしまった。
なんにせよ今日は文句なしの大収穫だ。なんせあの魔法使いを発見したのだから。
あの日から森の奥の家へ訪れると、高確率で魔法使いを見かけるようになった。アメリアは相変わらず遠くから眺めているだけで、彼の声も、実際に魔法を使う所もまだ何も知らない。『彼』なのかどうかもさっぱりのままだった。
彼がこちらに気付いた素振りを見せると反射的に身を隠してしまうのも相変わらずだった。そこからの進展が無い事をそろそろもどかしく感じてきてはいるのだが、やっぱり隠れてしまう自分がよくわからない。
観察していて気づいた事と言えば、魔法使いはどうやらこの家に一人で暮らしている、という事くらいだった。
いつもゆっくりと動く彼はこんな森の奥に一人で何をしているのだろう。
彼にミリアのような存在はいないのか。
彼は、寂しくはないのだろうか。
そんな疑問が浮かぶとアメリアはより一層彼について知りたくなった。
、、、
「あんた最近、よく姿消すわよね」
「うん!」
「うんじゃなくて」
ミリアは近頃様子がおかしいアメリアが気になっていた。
名前を呼んでも出てこないどころか、朝から夕方まで見かけない日が増えていた。ご近所さんから「最近、アメリアを叱ってるとこ見ないね」という恥ずかしい報告を頂く始末だ。
今の問答だって、いつもならぎょっとした後に後ろめたそうな目で恐る恐るこちらの顔を窺ってくるはずなのに、元気に認めた挙げ句に——このキラキラした目はなんだ?
まるで自分の好きな話題について話す時のような。
気付いた時にはもう手遅れだった。
「魔法使いがいたの!」
始まった。
ミリアの体からみるみる力が抜けていく。
「あー、森の?」
「そう! 森の奥の家の中にね! いたの!」
「へー、魔法使った?」
「それは……まだ見てない」
それは残念ね、というミリアのどうでも良さそうな感想にアメリアは顔をしかめた。
これだけの大発見にまったく興味を示されないとさすがに頭にくる。ミリアの事だから真に受けずにアメリアが何を魔法使いと勘違いしているのか推測している最中だろう。
たしかに魔法はまだ見ていないが、アメリアが見たのは紛れもなく魔法使いだ。あの人間離れした姿を見れば疑いようなどない。
というわけで手は用意してある。
「これが証拠だよ!」
アメリアは炭のカケラを使ってスケッチした魔法使いの姿をミリアに見せつけた。しかし何故かミリアのリアクションはとても薄い。
「まさかミリアちゃんはこれが人に見えるの⁉︎」
「見えない。松ぼっくりに見える」
アメリアは紙を翻して改めてスケッチを確認した。しまった。そうとしか見えなくなってきた。
「魔法使いじゃなくて松ぼっくりの妖精ならまだ信じられたかもね」
「むぅ、ミリアちゃんだって実際に見れば……。そうだ! 今度一緒に行こうよ! 案内するから——」
「アメリア」
ミリアの冷静な声にアメリアは思わず怯んだ。
「私はね、本物の魔法使いを見るよりもあなたに何かあった時の方がびっくりするの。わかる?」
「……」
「あなたが森に行ってるって分かるまで私、ずっとあなたのこと探してたの。自分の仕事後回しにしてね」
「……ごめん」
「怒ってるわけじゃないの」
ミリアはアメリアを自分の方へと引き寄せた。
「私の気持ちを考えてほしいなんて言わないから一つだけお願いを聞いて。あなたが帰ってくるのを待ってる人がいる。それを覚えておいてほしいの」
自分を抱く腕の震えに気付いた瞬間、アメリアは目頭が熱くなった。それを隠すように彼女の胸に顔をうずめ、アメリアの方からも強く抱きしめた。
そしてアメリアは改めてミリアに謝罪した。
、、、
目を赤く腫らしたアメリアは自宅に戻るとベッドに倒れ込んだ。風圧でベッドの上に散らばっていた紙が舞い上がる。
アメリアはさっきのミリアの言葉を、自分を包んだ温度を何度も反芻した。その度になんだか体がむず痒くなってベットに体を押し付けた。
——もう待たなくてもいいのかな。
アメリアはもう顔もぼんやりとしか思い出せない父の姿を思い浮かべた。
アメリアの父はこの村の出身だった。
気概に満ちていた父は街へと出稼ぎに出て、そこでアメリアの母と出会い、アメリアを授かった。
妻と子を連れて故郷の村に戻ってきた父はより仕事に精を出すようになり、アメリアも周囲の父への称賛の声を聞くのが嬉しかった。
ある日、母が亡くなった。
病気だったのか事故だったのか、アメリアは知らない。ただ、昨日までの我が家にはもう二度と帰る事はできないのはなんとなくわかっていた。
母を失った父はわかりやすく沈んでいた。仕事以外の時間は日の当たらない部屋に籠り、眠っているのか起きているのかわからない状態でじっとうずくまる。アメリアはその行為に何の意味があるのかわからないまま、それをずっと側で眺めていた。父もアメリアが同じ部屋に居る事には何も言わなかった。
しばらくしてアメリアは父が部屋で何をしているのかがわかるようになってきた。
最初は何かを呟いている事に気づき、その内容を聞き取れるようになったのもそのすぐだった。
父が呟いていたのは恨み言だった。怒りや後悔の矛先はすべて父自身に向けられており、それは父の生真面目な人柄を感じさせた。しかし同時に父が自分を許そうとしない限り、この呪詛が延々と父の事を蝕み続ける事も示していた。
少しずつ、父の口から耳へと流れていた呪詛が父の体から漏れ出した。
急に大声を出したかと思えばまた黙りこみ、物に当たり始めたかと思えばそのせいで傷ついた自分の手を気にして大人しくなる。側にいたアメリアもたまにその余波に巻き込まれていた。
この頃になるとミリアや他の村人はアメリアを父から離そうとしたが、アメリアはそれを頑なに拒んだ。父のその場の感情に任せての奇行は泳いでいる時の息継ぎのように一定の間隔で行われており、その周期を本能的に把握し始めていたアメリアにとって父の奇行はもう大した脅威ではなくなっていた。
そしてついに父の矛先はアメリアに向いた。
久々に正面から見た父の目はたしかにアメリアを捉えていた。その確認をした瞬間、アメリアの頬は父にぶたれていた。
アメリアは何が起こったのか理解できなかった。
巻き込まれる事はあっても直接狙われた事はなく、それは『所詮、自分は父の側にいても父の眼中にはなく、だから自分か狙われる事もない』からだとタカを括っていた。だから最初は他の何かと間違えたかと思ったが、倒れたアメリアに二発目が飛んできた事でその可能性も消えた。
アメリアは父の暴行に何の抵抗もしなかった。
痛くなかったわけではない。ただ、苦しんでいる父の為に自分ができるのは耐える事だと思った。
痛い。やめて。そう一言でも言えば。いや少しでも顔に嫌悪感を滲ませればこの手は止まる。しかしそれでは父が自分を責める材料が増えてしまう。
この暗い部屋での二人きりの生活は楽しくなかった。少しでも早く終わってくれるなら黙って待つ。
父を見据えた瞳は閉じられないまま、アメリアは気を失った。
アメリアが目覚めると部屋に父の姿はなかった。開けっ放しのドアに気づいたアメリアがおぼつかない足取りで部屋から出ると、父は玄関にいた。
身支度を済まし、これから外出するようだがまだ仕事の時間ではない。アメリアが怪訝な顔をすると父は振り向かずにしっかりとした口調で話した。
アメリア、俺たちには母さんが必要だよな。
そう言って父はいなくなった。
、、、
あの日からアメリアは待っていた。
父が母を連れて戻ってくるその日を。
この家もこの部屋もアメリアも何も変わらずにあの日のままにしてある。たまにミリアに手を加えられるが、両親が褒めてくれた髪だけは死守している。
自分の好きな物を追いかけていると時間が過ぎるのが早くなる事を知ってからは、遊びに時間を費やす事にした。ただ遊ぶだけではなく自分の好きな物を二人に紹介したいと思い、発見した物を紙に書き留める事にした。
父がおそらく帰って来ないというのはわかっていた。だがもし帰ってきたとしたら。そんな根拠のない期待からアメリアはこの家を手放せない。ミリアからの同居の誘いを有耶無耶にして先延ばしにしているのもその為だった。
でも、もう待たなくてもいいのかもしれない。
アメリアが父を待っていたようにミリアもアメリアの事を待っている。その事実にアメリアは胸を突かれた。
自分が耐えてきた苦しみを、自分もまた誰かに味わわせていた。それも今のアメリアにとって最も身近で大切な人に。
助けなくては。
救わなければ。
ミリアを、そして自分を。
父にはできなかった自らの救済。
止まった時間を動かす為の鍵はそれだ。
「——あ、」
アメリアは散らばった中から一枚の紙を探し出した。それは今までアメリアが感じた地面の揺れを記録していたものだ。アメリア以外が見てもただのラクガキにしか見えないが、揺れがいつ起き、どれくらいの強さだったかが纏めてある。
アメリアはその紙をじっと見つめた。
似ている。この既視感はこの部屋で父と二人で過ごしたあの時のものだ。
地面の揺れとその強さには息遣いのような周期があり、それは溜まった感情をたびたび吐き出していた父と重なる。揺れを感じる度にアメリアの胸をざわつかせる嫌な予感の真相はこれだった。
だとすると、この後は——
父がいなくなる直前の行為を思い出してアメリアの背筋が凍った。
「やばい、やばいやばいやばい!」
最悪の予測に辿り着き、一気に恐怖がアメリアを襲った。体の震えが止まらない。
あの時の父は完全に自分を制御できていなかった。アメリアも自分の手も赤く汚して、それでも止まらなかった。
あの父のように地面が揺れたらどうなるのか。誰が地面を揺らしているのかは知らないが、目を血走らせながら揺らされでもしたらおそらく何も残らない。
アメリアもミリアもこの家も牧場も村人も村も森もあの魔法使いも。何も残らない。
ふと、松ぼっくりと言われた絵が視界に入った。
「そうだよ魔法使いなら!」
気付いた所でアメリアにはどうにもできない。それどころか人間にどうにかできる問題ではない。ならすがれるモノはもう一つしかない。
もう一度、揺れの記録に目を通す。やはり村よりも魔法使いの森にいる時の方が揺れを強く感じている。もし地面全体が揺れているのではなく、どこか一部だけが揺れて他はすべてその余波だとすれば場所によって感じる揺れの強さに差がある説明はつく。そして揺れの発生源はおそらくあの森のどこかにある。
森に住んでいる魔法使いなら何か知っているかもしれない。
アメリアはベッドから飛び降りた。
もうこの部屋にはいられない。ここから抜け出さなくてはすべてが終わる。
、、、
「ミリアちゃん! ミリアちゃん!」
すでに太陽は沈み、村の住居が明かりを灯し終えた頃、呼吸を荒げながらアメリアはミリアの家の玄関の戸を叩いた。今までにはない大きな揺れが村を襲うことはもはや疑ってはいないが、それがいつ爆発するのかはわからない。魔法使いの所へ行く前にせめてミリアにだけはこの危機を話しておかなければならないと思った。
「どうしたのこんな時間に?」
「ミリアちゃん!」
家の中から出てきたミリアはいつも通りの彼女だった。アメリアの事を見るや否や訝しげに眉をひそめる辺りが特にそうだ。今のアメリアからすれば呑気なものだと揶揄したくなる調子だが、自分が帰る場所はこれくらい平和な方がいい。
「あのね! ちょっとお話が——」
「魔法使いの話なら遠慮するわ」
魔法使いの名を出され、アメリアがたじろいだ隙にミリアはアメリアの持っている紙を一瞥した。
視線に気付いたアメリアは反射的に紙を体の後ろに隠す。
「やっぱり。今日はもう遅いし明日聞くわ。それとも今夜はうちに泊まる? それなら話聞けるけど」
「——それは、いい……」
自分にはこれから行く所がある。それにまだこの家の敷居を跨ぐわけにはいかない。
ここにきてアメリアはミリアに事情を話すべきか逡巡していた。
思い返してみれば、ミリアは自分の話を真面目に聞いてくれた事があっただろうか。
ミリアがアメリアの事を大切に想っているのは事実だ。しかしアメリアの趣味に理解がある訳ではない。いつだって軽くあしらわれ、話の途中なのにいなくなってしまう。
(あたしのやってる事は理解してもらえないか——)
決してミリアは悪くない。いつだってミリアはアメリアを見捨てずアメリアの味方でいてくれたのだ。喧嘩した後に声を掛けてくるのもいつもミリアからだ。ここで彼女に失望するのは筋違いだ。
「アメリア?」
名前を呼ばれて我に帰った。
心配そうにこちらを覗き込む彼女を見てアメリアは決意を固めた。
「あたしが——なんとかするから」
「ちょっと⁉︎ アメリア⁉︎」
アメリアは踵を返して走り出した。ミリアの声は聞こえないフリをした。
そんなに心配しなくても、あたしはミリアちゃんの所に帰ってくる。この問題が解決したらあの話にもちゃんと返事をする。そしてミリアちゃんの家に一緒に住んで、ミリアお姉ちゃんと家族になるんだ。
自分の気持ちに素直になったアメリアは潤んだ目を拭いながら森の中へと入っていった。
、、、
初めて入る夜の森は想像以上に人間を拒む環境だった。見えるのは葉と葉の間から僅かに差し込む月明りのみ。不安定な地面はただの暗闇で、足の底が地面に触れる度に地面がある安堵と険しい感触から来る恐怖があった。
森を散策する時に目印にしていた木も見えず、自分がどこまで来たのか、あとどれだけ進めばいいのかもわからない。疲労に対する手応えの無さがまた新たな疲労となりアメリアにのしかかった。
それでも時間も空間も曖昧になる闇の中、アメリアは一度も立ち止まる事はなかった。
闇の中でぼんやりとした光を見つけた時、アメリアははじめ幻覚かと思った。正体がわかっていない光源にふらりと近寄ってしまうのは暗闇に疲れきったアメリアには仕方ない事だった。
森の奥からアメリアを照らす光は希望の光だった。
魔法使いの家から漏れる灯りを見てアメリアは笑ってしまった。魔法使いの有無なんてこうして夜に訪れれば一目でわかるというのに。なんで今まで気づかなかったのだろう。
アメリアは玄関に齧り付いた。こんな形でこの扉を叩く事になるとは思わなかった。あと一歩をこんな理由で踏み出す事になるなんて。
「魔法使いさん! お願い! 出てきて!」
灯りは点いているが気配はしない。それでも彼が出てくるまでこの扉を叩くのをやめない。この手が血だらけになっても、喉が裂けても絶対にやめない。
「魔法使いさん!」
喉に痛みが走る程の大声をアメリアは出した。
そして、ついにその時は来た。
扉に預けていた手が急に軽くなる。一人でに動く扉をアメリアはぽかんと見つめ、扉の奥の存在が現れるのをただ待った。
いつも窓枠の中にいた彼がそこにいた。
間近で見るとその大きさに圧倒された。牧場の最年長の牛よりもさらに大きい。背筋がピンと伸びるまで誰かを見上げたのは初めてだった。
毛に覆われた顔は近くで見ても表情が読めず、どこが目でどこが口なのかすらわからない。もしかしたら顔の端から端までが口かもしれない。もしそうならアメリアは一口食べられてしまう。
(今更、ビビってられない)
アメリアは帰りを待つミリアを思い浮かべた。彼女のためにも臆してなどいられない。
「ね、ねぇ! 最近、地面が揺れてるの知ってる⁉︎ あれって何が原因なの⁉︎」
アメリアのまくし立てるような質問に魔法使いは何の反応も見せない。この距離でこちらの声が聞こえていない訳がなく、彼が『地面の揺れ』について何も知らない可能性が浮上しアメリアの胸の鼓動が早くなった。
「こ、これ!」
アメリアは自分が纏めた揺れの記録を魔法使いに見せた。初めはまた無反応だったがゆっくりと伸びてきた彼の腕が紙を受け取り、アメリアはほっとした。
「地面が揺れた時に書いといたの。いつどこでどれくらい揺れたかって。それ見て何かわかる事ない? ねえ、なんでもいいから!」
どれだけ問いかけても魔法使いは何も言わなかった。本当に何も知らないのか。それとも人間風情の力になる気はないとでも言うのか。
(信用なんてしてくれないよね)
魔法使いとの面識はない。ガラス越しにはお互いの存在を認知していたかもしれないが、魔法使いから見たアメリアは『自分の家の覗き込もうとしている無礼な子ども』でしかない。そんな不審者がいきなり押しかけて頼み事をしても不信感を抱かれるだけだ。
「……ごめんなさい。順番が違ってた。まずはあたしが誰か話さないといけないよね。あたしはアメリア。ア、メ、リ、ア、だよ」
アメリアは自分の名前をゆっくりと丁寧に教えた。アメリアの口調のテンポが変わった事を感じとったのか魔法使いの視線が紙からアメリアへと移る。
「森の向こうのね、村に住んでるの。この森にはよく遊びに来てるんだよ。ここにも来てたんだけど気付いてた……よね? あっ別に泥棒に入ろうとしてたんじゃないよ! 魔法使いさんを見たかっただけ!」
アメリアは自分の不審な行動の弁解をした。彼とアメリアの唯一の接点に誤解があってはこの先何をしたって上手くはいかない。『見たかった』という目的が言われた側にどういう印象与えるのかまでは頭が回らなかったが。
「遊んでるだけじゃなくてちゃんと村の仕事手伝ってるんだから! たまにサボるからミリアちゃんに怒られるけど。あっミリアちゃんっていうのはあたしのお姉ちゃんでね! えと、」
アメリアは言葉を詰まらせた。この先は自分でも扱いに困るデリケートな部分だ。口に出そうとしただけで感情が爆発しそうになる。
「……お姉ちゃんだけどまだ本当の家族じゃないんだ。本当の家族はみんないなくなっちゃって——でもずっと待ってて。今でももしかしたら明日帰ってくるかもってちょっと思ってて、でも本当はもう帰って来ないのはわかってて、」
彼がアメリアの家庭の事情を知るはずもなく、アメリアが何を言っているのか彼に伝わるわけがない。
しかし一度吐露してしまうともう止まらない。体が吐き出したくてたまらなかったと訴えているような気がした。
「ずぅっと待ってたんだ、ずーっと。辛くても寒くても寂しくても。長いなーまだかなーって、お父さんとお母さんが帰って来たらこの長い時間もあっという間に感じるんだろうなー、楽しみだなーって」
でも、とアメリアはこぼした。
もう限界だった。
「楽しみにしてるってことはあたし一人なんだよね。お父さんたちが帰って来たら違うけどそれまでは一人なんだよね? もういない家族を想像してるだけで本当は、一人なんだよね……?」
誰に何を訊いているのか。誰の前で何を目から流しているのか。目の前にいるのは初対面の、それも人ならざる者なのに。
違う。何の関係もない彼だからこそここまで吐き出せた。毎日顔を合わせず、同じ村にも住んでおらず、ミリアたちとも何の関係もない彼だからこんなみっともない姿を晒せた。
「だって寂しかったもん! 一人じゃなきゃ寂しいだなんて思わない! ミリアちゃんが相手にしてくれなかったら耐えられなかった!」
本当はミリアに話さなくてはいけない本音だ。彼女もおそらくこの告白をずっと待っていた。
言ってしまえばもっと早く楽になれた。もっと早くあの温もりに抱かれたはずだ。永く待ち望んでいたあの暖かさに。
だがアメリアはその救いに耐える事ができた。それがアメリアの強さでもあり弱さでもあった。
「でもね」
アメリアの涙が一瞬だけ引いた。
「今度からミリアちゃんと一緒に暮らすんだ。家族になるの。同じ家に帰って——帰るんだけど、このままじゃ全部無くなっちゃう。みんな死んじゃう」
徐々に声が震えだす。先程の一瞬の余韻が大きな波が訪れる予兆だったかのように再び涙が流れ出した。
「だからお願い助けて……もう失いたくない……! 一人になんかなりたくない……!」
もう立っていられなかった。アメリアはその場に崩れ落ちる。言葉はすべて慟哭に変わり、身体に残った力は溢れ出る物へ抗う為に使われた。
それでも止められなかった。一人で溜め込んだ感情は、もうアメリア一人にどうにかできるものではなかった。
嗚咽と呼吸を繰り返し、ようやく顔を上げられるだけ落ち着いたアメリアは魔法使いにすがった。同情でもいい。家族と帰る家を守れるならなんでもいい。大事なのは今でも過去でもなく未来なのだから。
魔法使いはゆっくりとアメリアに手を差し伸べた。その手の平には不思議な光を放つ輝石があった。
「……あたしに?」
アメリアが自分を指差して確認を取ると、初めて彼が頷いた。
「ありがとう!」
この輝石が何なのか、彼が何を思ってアメリアに託したのかを考える前にアメリアは受け取っていた。
「代わりにこれあげるね! 私が描いた絵! 虫と花と、これは空なの! でこれが魔法使いさんだよ!」
アメリアは自分の好きな物を伝え、簡素な挨拶をするとまた森に向かって走り出した。
途中で振り返り、もう一度全身を使って感謝を伝えた。再開を願って振った手を握りしめ、心の中で最後にもう一度、ありがとうと呟いた。
、、、
夜が明けた。
足元が闇から見慣れた地面に変わるまでの間にアメリアは何度も転んだ。擦りむいた膝には土が混ざったまま固まった血がこびり付き、受け身のせいで割れた爪の中にも土が入っていた。服も指も足ももうボロボロだったがアメリアは休む事なく揺れの中心を探していた。
大まかな位置には当たりがついていた。揺れは人間だけではなく動物にも伝わっている。人間よりも危機に敏感で臆病な彼らはどこが揺れているのかを知っているはずだ。つまり、揺れの前後で見かけた動物達が逃げてきた方角にその場所はあると思われた。
詳細な場所は魔法使いがくれた輝石が教えてくれた。輝石が放つ光の強さは一定ではなく、それはアメリアの進む方角によって変わった。アメリアは輝石が強く光った方角に向かって歩を進めた。この光が道標だと信じて疑わない。
いつの間にか森を抜けたアメリアが辿り着いた場所は何もない開けた大地だった。ふと地面に走る奇妙な影が目についた。あれは——亀裂だ。草も木も一本も生えていない殺風景な場所だがアメリアはここが元凶だと確信した。
揺れが強くなると大地にひびが入るのか。ならばこれ以上大きく揺れるとどうなる? 割れるのか、ちぎれるのか、それとも人間には想像もつかない破壊が待っているというのか。
(待っててね、ミリアちゃん)
アメリアは亀裂の上に立った。
握った手の中には魔法の輝石がある。これを具体的にどう使えばいいのかはわからない。だからアメリアにできる事は一つだけだった。
『願う』。それだけ。
(お願いします。誰にも苦しんでほしくないの)
次の瞬間、轟音を立てて地面が動き出した。
揺れるなどという生易しいものではない。地面に息を吹き込まれたように荒々しく、それでいて神秘的な破壊がアメリアの周囲で始まった。
盛り上がった地面から植物が芽吹くように岩石が産まれ、亀裂から漏れ出した濁流が見事な波紋を立てながら辺りを泥沼へと変えていく。
理解などまるで追いつかない。生物の誕生から終焉までを一瞬の内に見せられているようだった。
破壊と想像の渦中にいるアメリアだったが、身の危険よりも突如湧いてきた既視感について考えていた。
ある時は傍観者として。ある時は当事者として。
この光景には見覚えがある。
父と二人で過ごした暗い部屋の中で。
暗闇の中ですがった魔法使いの前で。
そっか、とアメリアは笑った。
——やっぱり、君も我慢してたんだね。
直後、大地から飛び出した土くれの牙にアメリアは背中を貫かれた。
今日も空は青かった。
体が浮き上がる感覚の中でアメリアは真っ先に思った事がそれだった。
視界の端で閑静な森を捉え、この動乱が他には広まってはいない事を確認したアメリアは全身の力を抜いた。
空はいつもと同じだった。今日の自分はいつもと違ってちょっと赤いけど、空は同じだ。
空は青い。誰が見ても青くて、この青空をみんな「いい天気」だって言う。世の中いろんな人がいるけど、みんな青空が好きなんだからみんな仲良くなれるんじゃないかなと思う。
そういえば、お願いがまだ途中だったなぁ。
この継ぎ目のない空みたいにみんな一つに。
みんな一緒になれたらいいな。




