留守番〜クレイ・イン・ザ・ボックス〜
目覚めると同時に初めて自分が眠りに落ちたことに気付く。土人形の一日はいつもこんな感じで始まる。
目を覚ましたアァリは自分の視界の中の違和感に眉をひそめた。違和感の正体は隣で眠っている彼に気づくとあっさり解決した。
(そうだ。昨日はレムゥドの部屋で一緒に寝たんだ)
一緒に寝たと言っても寝ている時の記憶はないし、本当に『寝る』以外の事はしていない。強いて言えば寝入るまで二人でおしゃべりをしたくらいだ。
それでもアァリはレムゥドとの関係が進展したようで嬉しかった。こうして無防備な姿を晒す事もその横にアァリがいる事も以前なら許してくれただろうか。彼なら二つ返事で許諾したかもしれない。それならそれで、アァリの方から彼に近づいた、というだけだ。
アァリは仰向けのまま行儀よく眠るレムゥドの顔を覗き込んだ。毛に覆われている為、無邪気ともかわいいとも言えない寝顔だがこれはこれで飽きが来ない。
顔に寄ってみてもレムゥドから寝息は聴こえてこない。土人形のアァリは呼吸を必要としないのだが彼も同様なのだろうか。胴体の上下運動も無い為、本当に眠っているのかどうか心配になる。
アァリはレムゥドを起こさないように静かにベットから降りた。足の裏をゆっくりと床に着けながら部屋を出る。
一緒に眠るのはたまににしよう。あそこは何かに迷って初心に戻りたくなった時に向かう安息の基準点だ。そう易々と訪れていい所じゃない。
でも。迷っていなくてもこの部屋に入るくらいならいいかもしれない。
じゃあどんな時に入ろう?
例えば、レムゥドを起こしに行くというのはどうだろうか。
、、、
『おはよう、アァリ』
『あっ! お、おはようございます……』
『?』
リビングに向かうとアァリが普段よりも慌ただしく動いていた。アァリはレムゥドを見るなり驚いた顔をして、その様子にレムゥドは小首を傾げた。
『どうしたの?』
『いえ、なんでもないです。ただその、明日からはもうちょっと寝てても大丈夫ですよ? ボクが起こしに行きますから』
『いや、これ以上の睡眠は必要ないよ。それに自分で起きられるし』
『……』
『なんで不満そうなの?』
別に、とアァリは短く否定して、レムゥドからは見えない角度でため息をついた。
確かにレムゥドが寝坊をしたことは一度もない。そもそもスケジュール管理の概念のない生活の中では寝坊のしようもない。
そういえばこの世界に来てから時計を見てないな、という閃きは後でレムゥドに話すとして、アァリは本日のメインイベントに移った。
『さあ! コーヒータイムといきましょうか! 今日という日はこの時の為にあると言っても過言ではないですよ!』
『アァリ、気持ちはわかるけどまだ朝だよ?』
『いいんです、コーヒー飲まないと一日は始まらないので。さあ、レムゥド! 頼んでいた物を!』
『アレだね?』
レムゥドの問いかけにアァリはアイコンタクトで応えた。
頼んでいた物とはマグカップだ。土を司る魔法使いのレムゥドにとって陶器を作る事など朝飯前である。
それにアァリはレムゥドの物作りのセンスには光るものがあると思っていた。アァリが普段から身につけている服をはじめ、この屋敷の魔法使いの栖たる雰囲気を醸し出しているのは他でもなくレムゥド製の一品だ。
だからレムゥドに任せておけば、きっと素晴らしいマグカップが出来上がる——はずだった。
『……これはジョッキですか?』
レムゥドが用意したマグカップは二つ。
まずはアァリの方。
アァリの小さな手でも持てる大きさの真っ白でオーソドックスなマグカップで、レムゥドにはアァリがこう見えているのかもしれないと思わせるデザインだった。底が少し深めだが、コーヒーにミルクを多めに混ぜるのが好みのアァリにはこれくらい深い方がありがたい。
そして問題の方。
デザインはアァリの物と同じだ。それだけならペアカップだと喜べたのだが、とにかくサイズがでかい。ぶっちゃけ初めはポットかと思った。これだけの量のカフェインを摂取して彼は一体何と闘うつもりなのか。
『これならいっぱい飲める』
『そうですけど、これじゃ飲み切る前に冷めちゃいますよ。というか一度にこんな量のコーヒー作れませんし』
アァリの指摘にされてレムゥドの動きが止まった。どうやら自分の失態に気づいたらしい。失態といってもむしろ好感度が上がるような微笑ましいものだが。
『レムゥド、いっぱい飲みたいならおかわりして下さい。——というわけで作り直しです。それとまったく同じ見た目だとカップの区別がつかないので何か見分けがつくようにして下さい』
没を言い渡されたレムゥドからの反論はマグカップの作り直しにではなく、その後の内容へだった。
『別に私のカップをアァリが使うのは構わないよ?』
『レムゥドがよくてもボクが困るんですよ』
『なんで?』
なんで、と尋ねられても。アァリの頬が赤くなる。
『なんでもです。ボクはコーヒー淹れてきますからそれまでに作っておいて下さい』
アァリは理由をつけて説明から逃げた。向こうにその気がないのにこちらだけ意識しても馬鹿らしい。
馬鹿らしいが少しだけ不安になった。
この先レムゥドがそのような感情を持つことが無かったら。
この気持ちがただの独り善がりに変わってしまう時が来るのではないか。
もしその時が来たら、片想いというものはどのように供養すべきなのだろう。
やはりコーヒーはマグカップに注がれているのが一番様になる。白と黒のコントラストを眺めながらアァリは頷いた。
ただコーヒーを飲むだけならその辺のコップでも事足りる。しかし、何気ない日常を楽しむコツはこういった細かい点に拘る事だとアァリは思う。
積み重ねられた年月に溶け込むように、毎日の風景の細やかな所を少しずつ鮮やかにしていけば、意識する事も抵抗を感じる事もなく日常の『当たり前』の水準を上げられる。
最高の思い出は日常の限界値を引き上げるかもしれないが、平均値とのギャップが怖い。
何十年も先の事を考えれば、限界値よりも平均値の底上げを目指す方が堅実な将来設計と言える。
と、ごちゃごちゃと理屈を並べてみたが、何十年先の話よりまずは目先の一杯だ。
アァリはコーヒーにあの村で採れたミルクと砂糖を入れた。ミルクはほんの一瞬だけコーヒーに弾かれる。こんなに相性がいいのに神様も不思議なものだなー、とどうでもいい感想を浮かべながらスプーンをかき回す。
『いただきます』
アァリは両手でカップを抱えて口へと運んだ。寸前で一度息を吸って、ミルクと混ざりまろやかになった香りを楽しむ。
口に含むと熱くて甘く、ほんの少しの苦い。初めて飲むコーヒーなのに懐かしいと思った。
『落ち着くね』
『そうですね』
この一杯に辿り着くまでに本当にいろいろあった。
ミリアと出会い、魔法使いと人との共存が一歩前進したと思ったら、アァリ自身がレムゥドから離れそうになった。
洗礼を受けたようなものだったがアァリは乗り越えた。少なくとも自分の中ではけじめがついている。
もう済んだ事。だからこうしてコーヒーでまどろんでいる。
もう嵐は過ぎ、平穏な陽だまりの中にいる。
『——』
『アァリ?』
『なんでもないです。コーヒーも手に入りましたし、今日からまた頑張らないとですね!』
『その事なんだけど、アァリはしばらく外出禁止ね』
……うん? 今なんて?
何を言われたのかわからずアァリは固まった。
『外出を禁止』だから『外に出るのを禁止』されたという事でいいのだろうか? いや、よくはないが。
『な、何故ですか……?』
困惑するアァリはとりあえず理由を尋ねた。
レムゥドどころかアァリまでこの屋敷に閉じこもっていたら人との距離なんて縮まりようがない。『外出禁止』などアァリとしては絶対に容認できない。
『君の行動は少々目に余る』
レムゥドはきっぱりと言い放った。
『間違いをしている訳ではないし頑張ってるのはわかるけど、私の知らない所で危険な真似をされるのは気が気じゃない。身体だってまだ万全ではないはずだ』
何を言われても反発するつもりで構えていたアァリは用意していた言葉を飲み込んだ。
レムゥドの言う通り、身体にはまだ倦怠感が残っていて、腹の中に異物が入っているような違和感もある。
紛れもなく昨日の後先考えない無茶の代償だ。レムゥドがアァリへの信用を無くすのも無理はない。
『心配をかけたことは謝ります。でもせめて門限を決めるとかにしませんか?』
『アァリ、これは相談じゃない。決定事項だ。期間についてはまた今度話し合うとして、身体が回復するまでは大人しくしてるんだ』
『……わかりました』
村へ行けないのは厳しいが、自業自得である以上聞き入れるしかない。
アァリはしばらくの間、箱入り娘になる事にした。
、、、
朝食を済ますとレムゥドは『今日は実地調査』と言って出かけてしまった。
監視がいなくなった事をアァリがどう捉えるかまで試されている、というのさすがに穿った考えか。
『さて、どうしよう』
当初は村に行くつもりだった。昨日の今日なのでミリアに顔を見せて『自分は大丈夫』だと伝えたかった。自分が周囲に心配をかけていると自覚させられた今、尚更その気持ちは強くなっている。
今も彼女は森の出口でアァリを待っているのかもしれない。会いに行けない事すらミリアに伝えられないのがもどかしい。
携帯が無いとこんなに不便なのか、と麻痺して忘れていた常識にアァリは憤った。
携帯があれば星の裏側の誰かとだって繋がれる。しかしあの科学の結晶にこの世界の人間と魔法使いの溝を埋められるかというとそうではない。
ミリアへの連絡は森の出口に手紙を置いておく事にした。その程度の外出なら相談すればレムゥドも許してくれるはずだ。
レムゥドも別にアァリの事を独り占めにしたくて屋敷に閉じ込めているわけではない。
絶対に違うと言い切れないのは『それも少し悪くないかも』と思っているからなのだが、アァリ本人はその事に気付いていない。
外出禁止令はアァリの失態に対する躾のようなもので、アァリもそれに子どもじみた反発をする気はないし、許しが出るまで大人しく反省したふりをする気もなかった。
(外に出られないのならここでできる事をしよう。レムゥドについてもこの屋敷についても調べられるしちょうどいい機会だ)
屋敷の探索と同時にできる家事といえば掃除か。
よし、とアァリは袖を捲って体の前で拳を握った。
奥に潜んだ埃も叩けば出てくる埃も、この屋敷の埃はすべて洗い出してやる。
、、、
『広すぎるよ……』
アァリは夕飯のシチューをかき混ぜながら屋敷の広さにため息をついた。
休憩も昼食も取らずに動き回って屋敷内の掃き掃除を終わらせるのがやっとだった。拭き掃除までは手が回らず、続きは明日行う事にした。
屋敷の探索は探せば地下室へ続く階段など出てきそうだったがそれはまた今度にすることにした。あと掃除に熱中し過ぎてレムゥドについて調べるのを忘れた。
アァリは不甲斐ない成果に項垂れた。レムゥドの調査もできず、掃除も中途半端。今日はせいぜい二十五点といったところだ。
もっとも外出禁止令を出した本人からすると——
『ちゃんと外に出ずに大人しくしていたね。えらい』
百点満点らしい。頭をなでられる褒美付きだ。
『ご満悦ですね』
『そういうアァリは不服そうだね』
気のせいです、と素気なく返した。ただ留守番していたくらいで褒められていては面目が立たない。
『ボク、光合成しないとダメみたいです』
『まだ駄目だよ。さあ、ご飯にしようか』
『あ! 食事の主導権は譲れないです!』
あわよくば箱入り娘が三日坊主に変わればいいと思っていたが、これは手強そうだ。
ミリアへの手紙は森の動物に運んでもらうというファンタジー色の強い解決策で手打ちとなった。知能が高く、交渉に応じてくれる者もいるらしい。
『それはいいと——してっ!』
アァリは水の滴る雑巾を力の限り絞り上げた。
レムゥドの前では露骨には表さないようにしているが正直、今のアァリの心中は穏やかではない。
外出禁止令まではまだよかった。結局の所はアァリの自業自得なのだから受け入れない方がおかしい。
しかしアァリは昨日からのレムゥドによる扱いが我慢ならない。これではまるで——
『ボクが子どもみたいじゃないかっ!』
雑巾を扱う手に力が入る。少し拭いただけで雑巾は真っ黒になった。
アァリが子どもなのは事実だし、レムゥドからしたらそれも産まれたばかりの赤子同然なのだろう。
だとしても子ども扱いはどうかと思う。
一体いつからなのか。アァリの単独行動が目立ってきた時からか。それとも最初からか。
(もしかして、レムゥドが望んでいたボクとの関係って……)
共同生活をする家族は家族でも『夫婦』ではなく『親子』、もしくは『兄弟』。
家族を目指すのなら、他人の瞬間が無く、直接目的を達成できる後者を選ぶのは彼らしいと言えばらしい。彼がアァリに対して仔犬を可愛がるような態度しか取らないのも合点がいく。
(なんなんだろ、このやるせなさ……)
子ども扱いされる事を気にするのもまた子どもっぽいなんて事はわかっている。しかしそれでも考えて、答えを出さなければ気持ちが悪くて仕方ない。
考え事に没頭して逆に作業に集中できたのか、拭き掃除は昼を過ぎた頃には完了した。
だが大掃除はまだ終わりではない。昨日、敢えて手をつけなかった部屋が二つあった。
レムゥドの心中はまだ闇の中だ。アァリの憶測も所詮は憶測でしかない。
憶測通りか、はたまた裏切ってくれるのか。真実はこの先——書斎にある。




