↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/11

コンテナと棺桶は同じ鉄の箱だった

65歳、非正規の港湾作業員。

死んで、気づいたら異世界で二度目の人生が始まっていました。


魔法もチートもない代わりに、荷物を運んで生きてきた体だけは覚えている。

そんな男の、地味で気持ちいい成り上がり話です。


週2〜3話更新予定。よろしくお願いします。

「前田さん、また弁当忘れたんすか」


「忘れてねえよ。玄関には置いてきた」


「それを忘れたって言うんすよ」


若い同僚のタカシが笑った。前田浩二、65歳。名古屋港鍋田埠頭第四バース。ここで働いて27年になるが、弁当を玄関に置いてくる回数だけは新人の頃から変わらなかった。


「しゃーねえ、昼はまたコンビニだわ」


「前田さん、先月も言ってましたよそれ」


「言ったっけか」


「言いました。あと先々月も」


こういう男だった。


非正規のまま27年。日雇い、スポット、派遣。会社が変わり、現場監督が変わり、若い奴らが正社員になって出世していく中、前田だけはずっと岸壁にいた。


でも不思議と、現場で嫌われたことはなかった。仕事は真面目にやる。ミスもする。ミスした時の謝り方が妙に憎めない。休憩時間には若い奴らの恋愛相談に乗って、大体ろくでもないアドバイスをして笑われる。


「前田さんの言う通りにしたら振られたじゃないっすか」


「おかしいなあ。俺の時代はそれでいけたんだけどな」


「前田さん結婚してないじゃないっすか」


「うるせえ」


そういう65年だった。


膝が痛かった。五年前から急に悪くなった。びっこを引きながら歩く前田を見て、タカシたちは「じいさん無理すんな」と言いながら、重い物を先に持ってくれた。


「悪いな」


「いいっすよ。前田さんには恩があるんで」


「何の恩だよ」


「俺が入った時、一番優しかったの前田さんなんで」


「……そうだっけか」


「そうっすよ」


そういうことは、覚えていなかった。自分がやったいいことは全部忘れて、やらかした失敗だけ全部覚えている。それが前田浩二という男だった。


◆ ◆ ◆


一番忘れられない失敗がある。


二十三の頃だ。当時付き合っていた彼女と、映画を観に行った。バック・トゥ・ザ・フューチャーだった。デロリアンが過去に飛んだ瞬間、前田は隣の彼女の手を握るのも忘れて画面に見入った。最高だった。


「腹減ったな。焼き肉でも行くか。今日は俺が奢るわ、給料日だし」


かっこつけて財布を出そうとした。なかった。


ポケットを全部探した。なかった。七万円入っていた。給料日直後だったから。


「……嘘だろ」


青ざめる前田の横で、彼女がしばらく黙っていた。それから、吹き出した。


「浩ちゃんさあ、映画の中の話じゃないんだから」


「いや、あの、ほんとに」


「はいはい。今日はあたしが奢ったげる」


焼き肉を奢ってもらった。彼女は一言も文句を言わずに、むしろ楽しそうに笑っていた。


「浩ちゃんはさあ、ほんとダメだねえ」


「面目ねえ」


「でもまあ、そこがいいんだけどね」


いい子だった。半年後に振られた。理由は「浩ちゃんといると楽しいけど、将来が見えない」だった。ぐうの音も出なかった。


その後も何人かと付き合った。みんな同じ理由で離れていった。楽しいけど、将来が見えない。頼りない。決められない。四十を過ぎた頃、諦めた。俺はこういう人生なんだろうな、と。


◆ ◆ ◆


「前田さん! 風強くなってきたんで気をつけてくださいよ!」


タカシの声で我に返った。台風14号。最大瞬間風速49メートル。本当なら作業中止のレベルだったが、船のスケジュールの都合で、ぎりぎりまで固縛の確認をやっていた。


「おう、これ終わったら上がるわ」


「先戻ってますね!」


タカシが走っていった。前田はコンテナの列を見上げた。27年間見てきた景色だった。


綺麗なもんだよなあ。


風が変わった。ワイヤーが千切れる音がした。低く、短い音だった。40フィートコンテナ、約24トン。それがゆっくりと、こちらに傾いてくる。


あ、これ死ぬわ。


妙に冷静だった。逃げようとした。膝が、動かなかった。今朝から特に痛かったのだ。


最後までダメだなあ、俺。


タカシの叫び声が聞こえた気がした。次の瞬間——


◆ ◆ ◆


気がついたら、天井を見ていた。白かった。


「……あれ?」前田は体を起こした。普通に起きられた。「え、あれ? 俺、生きてる?」


「死んでいます」


声がした。スーツを着た男が書類の山に埋もれてハンコを押していた。バン、バン、バン。


「え」


「死んでいます。前田浩二さん、65歳。コンテナ落下事故により死亡」


「マジすか」


「マジです」


前田はしばらく固まった。死んだ。コンテナに潰されて。65歳、非正規のまま。


「……あー」前田は頭を掻いた。「タカシのやつ、泣いてないかな。あいつ涙もろいんだよな」


男がハンコを押す手を止めて、初めて前田を見た。「ご自分の心配はしないのですか」


「いや、死んじまったもんはしゃーねえかなと」


「……変わった方ですね」


「よく言われます」


「前田さん、転生を希望しますか。特典として、歴史上の人物の才能と知識を一人分、本人の記憶込みでお選びいただけます」


前田は少し考えた。それから、ぽつりと言った。


「マルコム・マクリーンをください」


男の手が止まった。「……随分と渋い選択ですね。皆さん大体、英雄か天才科学者を選びますが」


「あー、いや」前田は頭を掻いた。「俺、港でコンテナの仕事ずっとやってたんですけどね。暇な時にコンテナの歴史とか調べてたんすよ。そしたらこのマクリーンって人がすげえ人でね。元はトラックの運ちゃんで、学もない、金もない。でも『荷物を箱ごと運べば早くね?』って思いついて、笑われながらも世界中の港を変えちまった。……なんつーか、憧れてたんすよね。何者でもなかった男が、世界を変えたっての」


男がしばらく前田を見ていた。「あなたは何者かになりたかったのですか」


「なりたかったすねえ」前田は笑った。「まあ、なれなかったんですけど」


男が静かにハンコを押した。「では、次の世界でなってください」


「え」


「マルコム・マクリーン、承認しました。行ってらっしゃい」


「え、ちょ、まだ心の準備が」


視界が白く染まった。


◆ ◆ ◆


目が覚めたら、土の匂いがした。「……いてて」反射的に言った。でも、痛くなかった。


体を起こした。膝を触った。何もなかった。腫れも、熱も、違和感も。


立ち上がった。すっと立てた。一歩踏み出した。痛くない。もう一歩。痛くない。


「うおおお、歩ける! 普通に歩ける!」


前田はその場でスキップした。五年ぶりのスキップだった。「はっはあ! すげえ!」


「……兄ちゃん、大丈夫か」


振り返ると、老人が立っていた。皺だらけの顔。麻の服。手綱の先に、馬がいた。完全に不審者を見る目でこちらを見ていた。


「あ、いや、これはですね」前田は慌てて足踏みをやめた。「膝が、治ってまして」


「膝が」


「五年ぶりに痛くないんすよ! いやあ、めでたい!」


「……そうか。よかったな」老人が引き気味に言った。


前田はそこでようやく、周りを見た。アスファルトがない。電柱がない。車がない。自分の手を見た。65歳の手じゃなかった。若い手だった。腹を触った。なかった。長年連れ添った腹が。


「え、ちょっと待って」顔を触った。輪郭が違う。若い。「……マジか。転生ってマジだったのか」


「兄ちゃん、さっきから一人で何を騒いでる」


「あ、すいません」前田は頭を掻いた。「ちょっと、いろいろありまして。ここどこですか?」


「街道の外れだ。行くとこはあるのか」


「ないっす」即答した。老人が呆れた顔をした。


「……まあ、放っておくわけにもいかんか。うちの村まで来るか。飯くらいは食わせてやる」


「マジすか! ありがとうございます!」前田は深々と頭を下げた。


「変な兄ちゃんだな。名前は」


「前……コウジです。コウでいいっす」


「ガルスだ。ほれ、荷台に乗れ」


前田は荷台に乗った。木箱が背中に当たった。大小バラバラの木箱が、荷馬車の揺れのたびにガタガタ動いた。


「っと。爺さん、この荷物、縛り直していいすか。このままだと崩れますよ」


「ん? ああ、頼む」


前田は木箱を並べ直して、紐を縛り直した。27年間、荷物を見てきた手が勝手に動いた。


その時、遠くの空に何かが見えた。船みたいな形のものが、翼もないのに空を進んでいる。


「うおっ!? 爺さん、あれ何すか!?」


「ん? ああ、飛空挺か。珍しくもない」


「飛空挺!? 空飛ぶ船!?」


「魔導石で飛ぶやつだ。大きい商会が荷運びに使っとる」


前田は口を開けたまま、それを見ていた。


空飛ぶ船。魔導石。……異世界だ。ほんとに異世界に来たんだ。


あれ、荷物どうやって積んでんだろ。


死んでも、転生しても、考えることは同じだった。


飛空挺が雲の向こうに消えていくまで、前田はずっとそれを見ていた。背中で木箱がガタリと鳴った。さっき縛り直したのに、まだ少し緩かったらしい。


65歳のおっさんの魂が、20歳の体の中で、そんなことを考えていた。膝は、痛くなかった。それだけで、今日は最高の日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。