コンテナと棺桶は同じ鉄の箱だった
65歳、非正規の港湾作業員。
死んで、気づいたら異世界で二度目の人生が始まっていました。
魔法もチートもない代わりに、荷物を運んで生きてきた体だけは覚えている。
そんな男の、地味で気持ちいい成り上がり話です。
週2〜3話更新予定。よろしくお願いします。
「前田さん、また弁当忘れたんすか」
「忘れてねえよ。玄関には置いてきた」
「それを忘れたって言うんすよ」
若い同僚のタカシが笑った。前田浩二、65歳。名古屋港鍋田埠頭第四バース。ここで働いて27年になるが、弁当を玄関に置いてくる回数だけは新人の頃から変わらなかった。
「しゃーねえ、昼はまたコンビニだわ」
「前田さん、先月も言ってましたよそれ」
「言ったっけか」
「言いました。あと先々月も」
こういう男だった。
非正規のまま27年。日雇い、スポット、派遣。会社が変わり、現場監督が変わり、若い奴らが正社員になって出世していく中、前田だけはずっと岸壁にいた。
でも不思議と、現場で嫌われたことはなかった。仕事は真面目にやる。ミスもする。ミスした時の謝り方が妙に憎めない。休憩時間には若い奴らの恋愛相談に乗って、大体ろくでもないアドバイスをして笑われる。
「前田さんの言う通りにしたら振られたじゃないっすか」
「おかしいなあ。俺の時代はそれでいけたんだけどな」
「前田さん結婚してないじゃないっすか」
「うるせえ」
そういう65年だった。
膝が痛かった。五年前から急に悪くなった。びっこを引きながら歩く前田を見て、タカシたちは「じいさん無理すんな」と言いながら、重い物を先に持ってくれた。
「悪いな」
「いいっすよ。前田さんには恩があるんで」
「何の恩だよ」
「俺が入った時、一番優しかったの前田さんなんで」
「……そうだっけか」
「そうっすよ」
そういうことは、覚えていなかった。自分がやったいいことは全部忘れて、やらかした失敗だけ全部覚えている。それが前田浩二という男だった。
◆ ◆ ◆
一番忘れられない失敗がある。
二十三の頃だ。当時付き合っていた彼女と、映画を観に行った。バック・トゥ・ザ・フューチャーだった。デロリアンが過去に飛んだ瞬間、前田は隣の彼女の手を握るのも忘れて画面に見入った。最高だった。
「腹減ったな。焼き肉でも行くか。今日は俺が奢るわ、給料日だし」
かっこつけて財布を出そうとした。なかった。
ポケットを全部探した。なかった。七万円入っていた。給料日直後だったから。
「……嘘だろ」
青ざめる前田の横で、彼女がしばらく黙っていた。それから、吹き出した。
「浩ちゃんさあ、映画の中の話じゃないんだから」
「いや、あの、ほんとに」
「はいはい。今日はあたしが奢ったげる」
焼き肉を奢ってもらった。彼女は一言も文句を言わずに、むしろ楽しそうに笑っていた。
「浩ちゃんはさあ、ほんとダメだねえ」
「面目ねえ」
「でもまあ、そこがいいんだけどね」
いい子だった。半年後に振られた。理由は「浩ちゃんといると楽しいけど、将来が見えない」だった。ぐうの音も出なかった。
その後も何人かと付き合った。みんな同じ理由で離れていった。楽しいけど、将来が見えない。頼りない。決められない。四十を過ぎた頃、諦めた。俺はこういう人生なんだろうな、と。
◆ ◆ ◆
「前田さん! 風強くなってきたんで気をつけてくださいよ!」
タカシの声で我に返った。台風14号。最大瞬間風速49メートル。本当なら作業中止のレベルだったが、船のスケジュールの都合で、ぎりぎりまで固縛の確認をやっていた。
「おう、これ終わったら上がるわ」
「先戻ってますね!」
タカシが走っていった。前田はコンテナの列を見上げた。27年間見てきた景色だった。
綺麗なもんだよなあ。
風が変わった。ワイヤーが千切れる音がした。低く、短い音だった。40フィートコンテナ、約24トン。それがゆっくりと、こちらに傾いてくる。
あ、これ死ぬわ。
妙に冷静だった。逃げようとした。膝が、動かなかった。今朝から特に痛かったのだ。
最後までダメだなあ、俺。
タカシの叫び声が聞こえた気がした。次の瞬間——
◆ ◆ ◆
気がついたら、天井を見ていた。白かった。
「……あれ?」前田は体を起こした。普通に起きられた。「え、あれ? 俺、生きてる?」
「死んでいます」
声がした。スーツを着た男が書類の山に埋もれてハンコを押していた。バン、バン、バン。
「え」
「死んでいます。前田浩二さん、65歳。コンテナ落下事故により死亡」
「マジすか」
「マジです」
前田はしばらく固まった。死んだ。コンテナに潰されて。65歳、非正規のまま。
「……あー」前田は頭を掻いた。「タカシのやつ、泣いてないかな。あいつ涙もろいんだよな」
男がハンコを押す手を止めて、初めて前田を見た。「ご自分の心配はしないのですか」
「いや、死んじまったもんはしゃーねえかなと」
「……変わった方ですね」
「よく言われます」
「前田さん、転生を希望しますか。特典として、歴史上の人物の才能と知識を一人分、本人の記憶込みでお選びいただけます」
前田は少し考えた。それから、ぽつりと言った。
「マルコム・マクリーンをください」
男の手が止まった。「……随分と渋い選択ですね。皆さん大体、英雄か天才科学者を選びますが」
「あー、いや」前田は頭を掻いた。「俺、港でコンテナの仕事ずっとやってたんですけどね。暇な時にコンテナの歴史とか調べてたんすよ。そしたらこのマクリーンって人がすげえ人でね。元はトラックの運ちゃんで、学もない、金もない。でも『荷物を箱ごと運べば早くね?』って思いついて、笑われながらも世界中の港を変えちまった。……なんつーか、憧れてたんすよね。何者でもなかった男が、世界を変えたっての」
男がしばらく前田を見ていた。「あなたは何者かになりたかったのですか」
「なりたかったすねえ」前田は笑った。「まあ、なれなかったんですけど」
男が静かにハンコを押した。「では、次の世界でなってください」
「え」
「マルコム・マクリーン、承認しました。行ってらっしゃい」
「え、ちょ、まだ心の準備が」
視界が白く染まった。
◆ ◆ ◆
目が覚めたら、土の匂いがした。「……いてて」反射的に言った。でも、痛くなかった。
体を起こした。膝を触った。何もなかった。腫れも、熱も、違和感も。
立ち上がった。すっと立てた。一歩踏み出した。痛くない。もう一歩。痛くない。
「うおおお、歩ける! 普通に歩ける!」
前田はその場でスキップした。五年ぶりのスキップだった。「はっはあ! すげえ!」
「……兄ちゃん、大丈夫か」
振り返ると、老人が立っていた。皺だらけの顔。麻の服。手綱の先に、馬がいた。完全に不審者を見る目でこちらを見ていた。
「あ、いや、これはですね」前田は慌てて足踏みをやめた。「膝が、治ってまして」
「膝が」
「五年ぶりに痛くないんすよ! いやあ、めでたい!」
「……そうか。よかったな」老人が引き気味に言った。
前田はそこでようやく、周りを見た。アスファルトがない。電柱がない。車がない。自分の手を見た。65歳の手じゃなかった。若い手だった。腹を触った。なかった。長年連れ添った腹が。
「え、ちょっと待って」顔を触った。輪郭が違う。若い。「……マジか。転生ってマジだったのか」
「兄ちゃん、さっきから一人で何を騒いでる」
「あ、すいません」前田は頭を掻いた。「ちょっと、いろいろありまして。ここどこですか?」
「街道の外れだ。行くとこはあるのか」
「ないっす」即答した。老人が呆れた顔をした。
「……まあ、放っておくわけにもいかんか。うちの村まで来るか。飯くらいは食わせてやる」
「マジすか! ありがとうございます!」前田は深々と頭を下げた。
「変な兄ちゃんだな。名前は」
「前……コウジです。コウでいいっす」
「ガルスだ。ほれ、荷台に乗れ」
前田は荷台に乗った。木箱が背中に当たった。大小バラバラの木箱が、荷馬車の揺れのたびにガタガタ動いた。
「っと。爺さん、この荷物、縛り直していいすか。このままだと崩れますよ」
「ん? ああ、頼む」
前田は木箱を並べ直して、紐を縛り直した。27年間、荷物を見てきた手が勝手に動いた。
その時、遠くの空に何かが見えた。船みたいな形のものが、翼もないのに空を進んでいる。
「うおっ!? 爺さん、あれ何すか!?」
「ん? ああ、飛空挺か。珍しくもない」
「飛空挺!? 空飛ぶ船!?」
「魔導石で飛ぶやつだ。大きい商会が荷運びに使っとる」
前田は口を開けたまま、それを見ていた。
空飛ぶ船。魔導石。……異世界だ。ほんとに異世界に来たんだ。
あれ、荷物どうやって積んでんだろ。
死んでも、転生しても、考えることは同じだった。
飛空挺が雲の向こうに消えていくまで、前田はずっとそれを見ていた。背中で木箱がガタリと鳴った。さっき縛り直したのに、まだ少し緩かったらしい。
65歳のおっさんの魂が、20歳の体の中で、そんなことを考えていた。膝は、痛くなかった。それだけで、今日は最高の日だった。




