後編
「な、なぜ素直に婚約を整えるようなことを……」
「父は頭が弱いのでな」
ヴィルヘルムは優雅にティーカップを口元に運びながら述べた。
「人の言うことを鵜呑みにしすぎる。ジキタリス家との婚約については令嬢の名前を調べたい、と馬鹿正直に貴族院に問い合わせたことで今回のことが発覚した」
「父は妹の名を騙っていたのではないのですか?」
「あぁ、そう……説明の順が誤っていたな。ジキタリス伯爵は令嬢を騙っていただけで、名は明らかにしていない。しかし、ジキタリス家で表立つのは妹のほうだろう?」
修道院や孤児院などに見舞う役の令嬢、というふりをしただけ、ということか。
カメリアはまったくその手の仕事をしないので、女装した父を見た人々は勝手に妹を連想したのだろう。このようなところで役割分担があだになるとは思わなかった。
「父の罪を裁けば婚約しなくともよいのでは」
「難しい」
ヴィルヘルムが断言する。
「ジキタリス伯爵は父を陥れた。しかし調べても調べても間接証拠しか残っていない。断罪できるほどの明確なものはなにひとつ」
「えぇ……?」
受け皿にカップを置いてヴィルヘルムがため息を吐く。
「確認できたものは、父がジキタリス伯爵に借金をしたこと。それを破棄するためには ジキタリス家の令嬢と王家が婚約しなければならないこと。ふたつを示す証書だけだ」
カメリアは頭が痛かった。そんな馬鹿な、と思いたいが、いや、父ならやりかねない、という気持ちが強い。
「偽造ではない、公的な証書だ。ジキタリス伯爵を問い詰め、爵位を剥奪してもよいが、単に王家が直轄領を増やすだけに終わりそうでな」
「そうしてはいけないのですか?」
「陛下が即位して間もない時期に負担したくない。先王のやらかしに国庫も動かしたくない。これ以上、費用をかけて調査したところで得るものはない」
「それは……素直に婚約する方がすべて丸く収まりそうですが、閣下は王籍を抜けられたのでは」
「王家の人間は陛下を除くと父の側妃の王子ばかりだが」
「あぁ……年齢、ですか」
先王の后の子はヴィルヘルムと現王ハロルド。その下にも三人弟がいるが、カメリアの記憶する限り、まだ年端もいかなかったはずだ。
「父のしりぬぐいをあの子たちにさせるのは酷だろう」
「ごもっともです」
父のしりぬぐいばかりしてきたカメリアは、心の底からヴィルヘルムに同意する。
異母弟たちの代わりにヴィルヘルムがジキタリス家の令嬢を妻に迎えることで決着させたいという王家の意向をボストンは呑んだ。
こうしてカメリアとヴィルヘルムは自然の豊かなガゼボで向かい合っている、というわけである。
渇いた喉を紅茶で湿らしてからカメリアは最後の疑問に移る。
「それで、閣下が、リリアンヌではなくわたくしを選んだ理由は何でしょう。リリアンヌのほうが閣下の評判を傷つけなくて済むと思いますが」
姉の欲目かもしれないが、リリアンヌは奔放だが可憐な淑女である。社交界をうまく飛び回り、人脈もある。恋多き乙女だが貞節も守っている。父の不貞によって母を失った妹だからこそ、その点は信頼していた。カメリアが設定した門限を破ったこともなく――まぁ、人気のない場所に男性を連れ込むぐらいはしているだろうが。
「あぁ、酒乱の気がある頭のおかしい娘、だったか」
そのとき初めてヴィルヘルムが笑った、ように見えた。
数々の乙女の初恋を奪った氷のごとき端正さが、砂糖菓子のようにほろりとあまく崩れて、カメリアは思わず見返してしまった。
からかわれた気分を味わい、カメリアは眉をひそめる。
「頭がおかしいほうが、愛情を向ける必要がなく、楽そうだからでしょうか?」
今度はヴィルヘルムが目をすがめる番だった。
「なぜそう思う?」
「君を愛するつもりはない――閣下が多くの淑女の告白を断ってきた常套句ではございませんか? 女性ぎらいとも評判ですし」
なにせヴィルヘルムはカメリアより年上である。王兄の公爵がこの年まで独身であることがまずおかしい。それもあって彼は女性の扱いはスマートであっても浮いた話ひとつないのだという話がある。
「なるほど」
低い声で重々しく頷いて、ヴィルヘルムは足を組んだ。
長い脚だな、とカメリアは感想を持った。人を蹴るのに便利そうな長さだ。
椅子の背に重心を預けてヴィルヘルムが言う。
「君はわたしに興味がないのだな」
「えぇ。まったく」
「その割には人の周りを軽く嗅ぎまわってくれたようだが」
カメリアはぎくりとした。
ヴィルヘルムはカメリアがリリアンヌのために結婚適齢期のの素行を調べたことを知っているのだ。
「君を選んだ理由のひとつだ。硬くならなくてよい」
「……恐れ多くも閣下のことを調べたことをお許しくださるのですか?」
「面白かったからな。君のような淑女に懐を探られるとは思わなかった」
「はぁ」
「それに君は噂を使うことを知っている。しかし、誰も彼もろくな者がいないな。人を弄ぶ噂の真偽を確かめもしない」
「閣下はわたくしの悪評を、信じておられなかったと」
「君もしただろうが、出入りの業者や下働きのものたちに、少々鼻薬を嗅がせれば、たいていのことはわかる」
真実をわかった上で噂で遊ぶのと、わからないまま踊らされるだけとでは、大きな開きがある。昨今の貴族は皆、後者だ。ヴィルヘルムはひどく不満そうだった。
「それからたいていのレディは、親族が先王に詐欺を働いたと言われた時点で、何かの間違えだと狼狽えるだろうし、婚約が本物だと認識すれば権力を想って恍惚となる。頭のおかしい女性とやらは公爵の素行調査をしないし、そしてわたしと冷静に会話をすることもないだろう。この間の演技は面白かったが」
噴水の傍でリリアンヌのアプローチを邪魔したときのことを匂わされ、カメリアは急激に恥ずかしくなった。
皆に頭がおかしいと思われること自体はかまわないが、あれを正気でしていたと認識されると羞恥が勝つ。だれも本当の自分を知らないからできていたことなのだ。
そういえば父の所業を初っ端から知らされて、頭のおかしい女の演技を忘れていたな、と、カメリアは今更のように気が付いた。
「わざわざ自分の悪評を広めるとは。君の妹はともかく、君自身の婚期が遠のくと思わなかったのか?」
「思いませんでした。わたくしは結婚する気はありませんから」
「婿が必要だろう。爵位を継ぎたいのではないのか?」
「いいえ、わたくしは父と心中したいのです」
ヴィルヘルムが訝る表情を浮かべる。
カメリアは淡々と告げた。
「閣下、今回のこと、誠にお詫びいたします」
「なぜ君が謝る」
「父はわたくしのためにしたと思うからです」
笑えてしまう話なのだが。
ボストン-ジキタリスの行動ははた迷惑である。そして人を騙しきる手腕に長けている。しかしそこに悪意はない。人を陥れようというつもりもない。
父が別の人間を騙って重婚しているとわかったとき、金切り声を上げる母に対して、子どものように泣きながらボストンは叫んだ。
『だって、僕が愛人を作っていたら、カメリアがかわいそうじゃないか!』
愛人にしてしまったら、カメリアの母を裏切ったことになって、カメリアが悲しむ。だから別人になって結婚した。ボストン-ジキタリスとしては、愛人をもっていない。
これがボストンの論理なのだ。
ならリリアンヌの母を孕ますなという話だが、リリアンヌの母を愛したこともボストンの真実なのである。
カメリアが当主の座を寄こせといったら、爵位はともかくジキタリス家の実権はその通りになった。
今回もおそらく悪気はなくて――このままではリリアンヌはともかく、カメリアに結婚などの話はないかもしれない。それを解決するにはどうすればよいのか。そう考えて起こした斜め上の行動が、先王に働いた詐欺なのだという確信が、カメリアの中にあった。
カメリアがそう語るとヴィルヘルムは絶句していた。
「確かに子を愛しているとわかるのに、その愛し方が世間一般と異なっているとき、子はどうすべきでしょうか」
カメリアはほろ苦く笑った。
「子への愛の示し方が、ただただ周りの人を傷つけていく。父は常識とは異なる考えと、思ったことを実現してしまう行動力と、実行力がある。それを止めるには、子が心中してやるしかないではありませんか」
「領地を富ませているのは何のためだ?」
「ぼろぼろになった土地を王家にお返ししても、単なる負債でしょう?」
だから、リリアンヌが結婚するまで、できる限り領地を維持し、落ち着いたらジキタリス家を滅ぼす。
カメリアが父を手にかけてすべてを終わらせる。
「……ひとつ訂正しよう」
ヴィルヘルムは言った。
「君は頭がおかしい」
「お褒めいただきありがとうございます」
「君を幸せにすると約束しよう」
「……閣下、わたくしの話をお聞きでした?」
「聞いていたとも。君こそ話を終わりまで聞け」
彼の声音にはわずかな苛立ちがにじんでいた。
「わたしはこの縁を反故にするため、君を呼び出したわけではない。当然、ほかの令嬢に告げた断り文句を君に言いたかったわけでもない」
あの断り文句群は令嬢たちの執着を断ち切るためのものらしい。
「もちろん、彼女たちが権力にすがる理由はわかる。女性の地位は婚家に左右される。有力な家に嫁ぎたいだろう。公爵に群がろうとするのも仕方がない。とはいえ、煩わしいことにはかわりがない」
最初はやんわりと断っていたのだが、しっかりはっきり明確に否定してやらなければ、付きまとわれるようになるだけだとか。
顔のいいできる公爵は大変だな、とカメリアは同情した。
同時に女子の実情を理解している彼は、誠に優秀な公爵なのだなと驚いた。
「君がいう常套句は彼女たちを振り払うためのものであって、婚約者に言うべき台詞ではないぐらい心得ている。もしそのようなことを初手から言う輩がいれば、いきなり身内に戦線布告をする無能だ」
「それは、確かに」
カメリアが笑いをこぼすとヴィルヘルムは表情を緩めた。
「ジキタリス伯爵が常識の埒外にある、ということはよくわかった。わたしの父も、弟に地位を譲ってもらった程度には、王に向いていなかったので、そういった苦労はなんとなくわかる」
そう語るヴィルヘルムの口調は渋い。これは彼も相当、父親のしりぬぐいをしてきたと見た。
「君は父親と心中する必要はない」
「ではどうすればよろしいとお思いですか?」
「わたしと結婚し、よい意味で頭のおかしい公爵夫人として、社交界に君臨すればいい」
カメリアは絶句した。公爵はいきなり何を言い出すのだ。
「わたくしが社交界に君臨しても父の奇行は変わらないと思います」
「そうか? ジキタリス伯爵は案外、子どものようだから、君が社交界で軽んじられなければ大人しくするかもしれないぞ。実権を彼に戻せば身動きも取りにくくなるだろうし、公爵家の権力があれば手綱も取りやすくなる」
リリアンヌにも良縁を約束できるだろうと言われたところで、カメリアは、あれ、と首をかしげた。
「わたくしこれ、口説かれていますか?」
「わたしも想定外だが、そうだ」
ヴィルヘルムが立ち上がり、カメリアの傍らに移動する。
片手を腰の後ろに回し、反対の手でカメリアのそれを丁寧にすくい上げ、甲にキスをして付け加えた。
「王の後ろ盾がある公爵家で、伯爵家の当主を飼い殺しにすることにご興味は?」
「……いいですね」
カメリアは微笑んだ。
もちろん王命だから拒否権などないだろう。
それでも自らの意思としてカメリアは告げた。
「この婚約、お受けいたします」
――かくして国の影の主となった公爵夫妻がここに誕生する。
「うっ、うっ、よかったあ、カメリアよかったぁ~!」
結婚式、父のボストンがあわれもなく号泣するので、ブライドメイドを務めるリリアンヌが引いている。いや、引くを通り越して虫けらを見る顔である。その顔はやはりボストンではなく彼女の亡き母親のほうに似ていた。
「カメリアがお嫁に行くのはやだけど、お嫁に行かないで皆から嗤われるのも、僕はイヤでぇ! 頑張ったかいあったぁ~!」
「二度と頑張らないで」
カメリアは父親の首をきゅっと絞めた。しかしボストンは、娘とバージンロードを歩けるなんて幸せ、とだらしなく崩れた顔をしている。やはりこの男を生かしておくべきではなかったのではないだろうか。
「お姉さま、わたくしの縁談をなるべく早くお願いいたします。お伯爵さまと屋敷にふたりだなんて、気がおかしくなってしまうわ」
「わかっているわよ」
ボストンにジキタリス伯爵家の実権を返したし、あなたがしっかりしないとわたしはジキタリス家に突き返されて、行かず後家のような娘になるでしょう、と脅しておいたので、しばらくは彼もまじめに働くだろう。その補佐をしなければならないリリアンヌは、心底いやそうな顔をしている。
「なるべく遊びに来なさいな。ヴィルヘルムさまの許可は取っています」
「そういたします。公爵家に嫁ぐお姉さまと親しいと噂になれば、これまでとは違った方ともお知り合いになれそうですね!」
わが妹ながら、したたかで現金なものである。
さて、これから父と妹についてどうするべきか。
人々に祝福され、父親に腕をとられて新郎の元へ歩く間も、カメリアの悩みは尽きない。
大司教の祝詞を聞き流していると、ヴィルヘルムから指摘が入った。
「眉間にしわが寄っている」
「あら、失礼いたしました。閣下の評判を落としてしまいますね」
「落としてくれた方が助かる。わたしを次の王にと持ち上げたい輩がわかないように」
ささやき合いながら、本当に公爵は大変なのね、と他人事のように思った。
指輪を交換し、嫉妬の目で見てくる娘たちに、横目でにっこり笑いかけてから、大胆にヴィルヘルムへ口づけする。
角度的にねっとりキスしたように見せかけたところ、顔を青くしたり赤くしたりする娘たちの表情を見られて、カメリアは満足である。
「ひとまずは頭のおかしい公爵夫人でいきたいと思います」
そうして人をふるい分けよう。
まずは祝福の花束を投げるのではなく、よく振ったシャンパンを盛大に青空に振りかける。
白い泡は花びらのように散って、カメリアを嫉妬の目で睨んでいた娘たちの悲鳴を誘った。
「なかなか刺激的な結婚生活になりそうだな」
と、公爵は感想を述べ、シャンパンの虹色の煌めきに、目を細めてうっそりと笑った。




