前編
「君のことを愛するつもりはない」
王家主催の夜会とはいえ、退屈なことにはかわりない。
カメリア-ジキタリスは絢爛な舞踏会場を抜け出て、中庭の一角で涼んでいた。噴水の池を縁取る大理石は椅子にピッタリの高さで、人の熱気にあてられて火照った身体にひんやりと心地よい。大抵の物音は背後の水音が隠してくれる。絡んでくる誰かが来ても、噴水へと突き飛ばせば、時間と悪評を稼げるだろう。
そのように寛いでいたカメリアの耳に滑り込んできた声だった。
「わたしの名誉を盾に騒ぎ、仮に結婚に持ち込めたとして、わたしは決して君を愛さない」
穏やかで落ち着いたバリトンヴォイスがやけに明瞭に聞こえた。声の方向をこっそり振り返ると、噴水を挟んで反対側の木陰に一組の男女が佇んでいた。
ひとりはカメリアの異母妹、リリアンヌだった。この夜会のために緑の糸で縁を刺繍した白いドレス。ジキタリス家に代々伝わるエメラルドの首飾りと耳飾り。黄金の髪は上位貴族のものといっても通じる見事な輝きを放っている。髪が抜けてしまうわよ、とカメリアが心配になるほど、この二日間、侍女に梳きおろさせた髪である。
「愛されなくても構いません!」
リリアンヌが胸の前で祈りの形に手を組み懇願する。そのエメラルドの瞳は水に沈めたように潤んで庇護欲をそそっていることだろう。見なくてもわかる。
リリアンヌは母が亡くなったのちにジキタリス家へ引き取られた、カメリアの異母妹だ。この必殺技というべき顔で、男女問わずに籠絡していく姿を幾度も見てきた。
「わたくしはあなたのお側にいたいのです……ヴィルヘルムさま!」
カメリアはぎょっと目を向いてリリアンヌが言い寄る相手を振り返った。
銀髪の美丈夫だった。銀狼の毛皮で造られた片マントを身に着け、胸元には数多くの勲章。
目の色は見なくてもわかる。美しい藍色をしているはずだ。わからなかったらこの国の貴族としてモグリである。
その精悍な顔立ち。佇まい。この国の女子の初恋をかっさらった男。
(ヴィルヘルム-ラザー-ルアルド公爵閣下!)
若き国王ハロルドの兄君である。非常に有能で武芸ともに長けた公爵だが、言い寄ってきた女子をばっさばっさ、言葉で切り捨てていくことで有名だった。
「君を愛することはない」
「君を娶るつもりはない」
「君とわたしがそれほど親しいとは知らなかった」
などなど、彼の隣を夢見た乙女の心を折る断り文句は枚挙にいとまがない。姫君を娶ることをきらって、臣籍降下したという話である。あまりにしつこく言い寄ると、王家経由でお叱りがくるらしい。
(おバカ! 閣下に手を出すのはだめでしょう!)
カメリアは手元にあったグラスからワインを一気に呷り、中身を噴水の水で満たした。あらよ、とドレスの裾をからげて走る。
「リリアンヌ〜!」
「お、お姉さま!?」
「どうしたのぉ、リリアンヌ、こんなところでぇ……あれっ?」
「きゃあ!」
駆け寄る拍子に足をすべらせたふりをして、盛大にグラスの中身を自身の頭にぶちまけた。
「お姉さま!? 大丈夫!?」
「ごめんなさぁい、ふわふわして、きもちよくってー。リリアンヌふわふわね〜。ひんやりして気持ちいいわぁ」
「いったいどれほどのお酒を召し上がられたのです!?」
赤ワインを少々。
酔っ払いは演技だ。しかしカメリアは酒豪で男女にところかまわず絡む、頭のおかしな女で通っていた。本当は酒よりもハーブ水や紅茶の方が好ましい。しかし酒好きで酒乱の気がある、頭の悪い女を演じている。カメリアの肉感的らしい身体に不埒か手を伸ばす輩は、ふらついたすきに殴り倒したり、足を踏んだり、股間に膝を入れる。そして男たちは二度とカメリアに近づかない。
「リリー、帰りましょう〜」
「そうですね。風邪をお召しになりますわ……あの、公爵閣下、御前を失礼いたします」
「あ、あぁ……」
リリアンヌの礼はきちんと礼法に乗っ取ったものだ。馴れ馴れしさをひっこめたリリアンヌに狐に摘まれたような顔をしてヴィルヘルムが頷く。
「リリアンヌかぁわい〜」
「お姉さま! 早く乾かさないとドレスが水染みになりましてよ!」
カメリアが素面だとわかっているリリアンヌが早く歩くように急かす。カメリアはちらと肩越しに背後を見た。
ヴィルヘルムは眉間にシワを寄せてカメリアたちが宮廷内に消えるさまをじっと見守っていたのだった。
「まったく、なんであの公爵に声をかけるのよ。問題になったらどうするつもり?」
「怒らないで、お姉さま。だってそこに公爵さまがいらっしゃったのですもの。声をかけなければ女が廃りませんこと?」
「廃らないから。あと夜遊びは後腐れのない相手にしてっていつも言ってるでしょ」
「お姉さまはお硬いわ」
「あなたは軟派すぎるのよ」
「顔がよくて、お金と地位がある殿方にはおしなべて声を掛ける主義なのです。あぁご安心を。博愛主義ではございません。わたくしだけを愛してくださる方だけに尽くすつもりです。だれかれかまわず愛していると口にするどこかの誰かとは違いますから」
「はいはい。あなたの主義はどうでもいいのだけれどもね、リリアンヌ。仮に公爵夫人の座が転がり込んできたら面倒よ。いま以上に礼法に歴史にしきたりを学ばなきゃいけなくなるのだもの」
リリアンヌは社交こそ天賦の才を持つが、勉学や家政の類がさっぱりである。伯爵家としてのふるまいを彼女に身に着けさせるまでカメリアはずいぶんと苦労した。
ムリだわ、と呻いて、リリアンヌは頬を膨らませた。
「あぁ、顔が良くてお金があってわたくしだけを愛してくださる方、いらっしゃらないかしら」
「せめてどれか妥協しなさいな」
「では、わたくしだけを愛さなくてもよいですけれど、きちんとそれをわたくしに隠し通してくださる方」
「そうね。同感」
父は本当に仕方のない人だ。
悲劇の被害者ぶっている。精神が女々しい。それでいてず太く、カメリアとリリアンヌを世界で一番幸せにしたい、と宣うのだ。君たちの婚約者は僕がちゃんと見つけてくるからね、なんて嘯くのだ。
カメリアとリリアンヌの母を殺したくせに。
ため息を吐いてカメリアは事の発端を振り返った。
十歳のとき、カメリアは自分に異母妹がいることを知った。それだけなら貴族社会ではまぁまぁあることだ。
リリアンヌの母は父ボストンの愛人ではなかったということが問題だった。
なんと優柔不断な彼は、カメリアの母とリリアンヌの母、ひとりだけなんて選べないよ、とかなんとか嘯き、家格の釣り合うカメリアの母とはジキタリス家当主として結婚し、娼婦だったリリアンヌの母とは別名で秘密結婚をして、ふたつの家庭を往復していたのである。
母、つまりジキタリス伯爵夫人がリリアンヌたちのことを知り、怒りと嫉妬で彼女の母親に襲いかかった。揉み合ったふたりを止めようとした父に押された彼女たちはそろって机の角で頭を打って亡くなった。
悲劇の主人公のように泣き嘆いて、父はリリアンヌを引き取ったのだった。
幸運だったのはリリアンヌとカメリアは性格こそ違えど、非常に馬があった仲の良い姉妹になれたことだ。父親をふたりでぼこぼこにした共同作業がよかったのかもしれない。
「早く結婚して、お伯爵さまと離れたいわ」
リリアンヌは父をとにかく嫌っていた。敬称は彼女なりの嫌味と距離だ。
社交界に出た彼女は母親ゆずりの手管を駆使し、早く家を出るための結婚相手を品定めすることに余念が無い。
「ねぇお姉さま。お伯爵さま、この間なんて、僕とそっくりでうれしいよ、なんてことを言うのよ。吐きそう」
「伯爵は放っておきなさいな。あなたの顔立ちは、あなたのお母様にそっくりよ。結婚できたら、髪は染めておしまいなさい」
カメリアは父親が嫌だと言っても側にいて、最後までいじめ抜きたい派である。
その男はヤバい、そっちはマズイ、と、リリアンヌが変な男に捕まらないように気を払ったり、引き離したりしているうちに、いつも酔っ払ってひとにからむ、頭のおかしい伯爵令嬢。妹がだれかと仲良くしていると気に食わない意地悪な娘、になったわけだ。男に興味がないのでよいけれど。
ふたりの共通点は、愛はまやかしだと思っていること、簡単に靡く男はクソだと思っていること――ちょっと微笑んだり弱い姿を見せると鼻の頭を膨らませて絡んでくる、父のように。
ひとりがけのソファに座って、リリアンヌが伸びをする。
「でも残念」
「何が残念なの?」
「公爵様です。……愛するつもりはないって、正直におっしゃるところ、好感が持てます。人当たりがよい方より、あぁいうカタブツな方がやはりよいのかしら。子爵家あたりの、女性嫌いの殿方とか……大店の商人のお坊っちゃまとかを狙ってみるのも……どう思われます? お姉さま」
「ほどほどにしておきなさいよ……」
とはいえリリアンヌは人との別れ方が上手い。適当に接触して、恋人になれなくても、良き友人になってくる。そしてその伝手は、父が阿呆なおかげで傾きがちなジキタリス家を助けてくれている。
「お話は変わりますけれど、お姉さまも公爵さま、ちょっとよいなって思われているでしょう?」
「ルアルド公爵閣下のこと? どうして?」
意外な質問にカメリアは首をかしげた。
リリアンヌが宝石箱の中の装飾品を吟味しながら答える。
「お姉さまの要注意人物一覧に、閣下は入っていらっしゃらなかったもの。だから声をかけてよいのかしらと思って……」
「……公爵閣下にまでつっこんでいくとは思わなかったのよ」
「そうですわね。でも、オクレール公爵閣下のお名前は入っていてよ」
「あぁ、あのオジサマなら、リリーのような純粋無垢っぽい可愛らしい子への加虐趣味があるらしいから、要注意人物に指定しているわ」
「えぇ……」
「……でも、確かにルアルド公爵閣下は……女性嫌いでも、女性差別をするようではなかったのよね」
ふぅん、とリリアンヌが気のぬけた返事をする。
自分で話題を振っておきながら、自分をにべもなく遠ざけた男の話への興味が薄れたのだろう。
カメリアは嘆息して領地運営に関する書類に視線を戻した。貴族院に登録されている当主は彼だとしても、実権はカメリアの手にあった。幼いカメリアにぼこぼこにされながら、当主の座をあげるから許してと懇願したのである。カメリアも素直に父から力を奪った。あの頃はカメリアも、女性は男性と違って第一親等の男性が生存している場合は地位を継げないと知らなかった。幼かったのである。
リリアンヌは机仕事が苦手で、視察や慰労などを任せるに留まっていた。
だが、それでいい。
自分は結婚しない。リリアンヌが嫁いだのちには領地を返上する。それまで領地を平らかに統べることさえできれば。
ジキタリス家はわたしが潰す。
カメリアの悪評はそのためのものだ。悪評を持つ姉が隣にいれば、すこし善行を積むだけで、リリアンヌは聖女のように敬愛を集める。悪名高い姉から救い出そうと義侠心のあるお坊っちゃま方が名乗り出てくることもあるだろう。
リリアンヌが婚家で落ち着いたら、カメリアは風呂の栓を引っこ抜くようにして、ジキタリス家を空っぽにするつもりだった。そのあとのことは知ったことか。
しばらく姉妹でおしゃべりに興じていると、騒がしい足音が近づいてきた。
誰のものか尋ねずともわかる。
カメリアとリリアンヌの父、ボストンだ。彼は小躍りしながら居室に現れた。
「カメリア! カメリアきいてー! 僕やったよー!」
「……今度は何をやらかしたのです!?」
リリアンヌと同じ金髪と、夢見がちに輝くエメラルドの瞳。ボストンの顔立ちの線は少女めいて柔らかく、そのせいか女性にたいそう好かれる。そして彼は全員に愛想よく振る舞って破滅する。
「あのね、カメリア。僕は君に良縁を見つけてきたんだ」
「「えぇ……?」」
カメリアはリリアンヌと顔を見合わせた。この父が正気だったことはないが、改めて思う。
正気か?
にこにこと父は言った。
「驚いて! なぁんと、ルアルド公爵閣下だよ!」
(余計なことしかしないわね! あの妖精親父!!)
カメリアはすっと茶器を持ち上げ、かぐわしい紅茶の香りを味わいながら、心の中で父親にバックドロップを決めた。あぁ、早くあの男を土に埋めたい。母親がいないとさびしいよね、などといってリリアンヌより年下の娘を次の妻として連れてきたりする前に。
「口に合わなかったか?」
「とんでもございません、閣下」
(いけない。わたくし、閣下との顔合わせの最中だったのだわ……)
公爵邸の中庭はただ美しかった。
葉擦れを音楽のように奏でる枝ぶりの豊かな木々。計算して配置されたそれらに誘導されて吹き抜ける爽やかな風。色とりどりの季節の花が囲む白いガゼボに、古風な装飾を施した木製の椅子と円卓が並ぶ。
その椅子の座面に貼られた紅のベロア布は滑らかで、中にしっかり綿が詰まって腰を守っている。レースで縁取られたクロスを広げた卓上に並ぶものは、ハムとトマトのミニサンドイッチ、チーズを降って焼いたクラッカー、ベーコンのキッシュと、茶菓子とするにはやや重いメニューではある。ただすべて一口大に切り分けられており、茶菓子、兼、軽食とするなら悪くなかった。
しかしいまはこの縁談について気がかりすぎて食欲が失せている。
「……あの、閣下。うちの父が何か妄言を申しておりましたが、その、わたくしと婚約、とは、真でございますか?」
「その通り。王命である」
なぜ!
叫び出したい衝動をカメリアはぐっと堪える。
ヴィルヘルムは藍色の瞳をふっと虚空に投げて言った。
「父が君のお父上の顧客だった」
「……はい?」
カメリアは瞬いた。
ヴィルヘルムが父、というからには先王である。ヴィルヘルムの弟に王位を譲ったのち、直轄領で隠遁していると聞いている。
「わたしの、父の、顧客、と、いうのは?」
あいつを自由にさせないため、カメリアは父にお小遣い制を導入している。
収支は厳密に確認しており、事業を運営している気配はなかったはず。
(ものを売りたくても仕入れだってできないし……いや、でも、まさか)
父のボストンは冠婚葬祭を管理する神官まで抱き込んで、リリアンヌの母と二重結婚していたのだ。
しかも税金さえ払えば重婚は認められているなかでの所業。税逃れである。もちろんカメリアがその分をきちんと稼いで払った。
「も、もしかして、また他人になりすまして、何かしたのでしょうか?」
「アバドンの礼拝所で賭博の同元になっていた」
カメリアの意識がひととき遠のく。
アバドンは噂の先王が隠遁している直轄領の名だ。
カメリアは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、ドレスの裾をさばいて素早く土下座した。
「誠に申し訳ございませんでした!」
「待て。立ってくれ。信じるのか。そこで?」
「うちの父に限ってならありえます!」
「そうか……」
ヴィルヘルムがため息をつき、カメリアの手を引いて立たせる。
カメリアは震えながら、ヴィルヘルムへ訴えた。
「あの、処刑される前に、父の首はわたくしの手で落としてもよろしいでしょうか……?」
「処刑はされない。君も父親をしようとするな」
「えぇ……」
「それで、話の続きだが」
ヴィルヘルムが改めてカメリアの対面に着席しながら言った。
「ジキタリス領はアバドン市の修道院に援助を行っているな?」
「はい。祖母がアバドン伯爵の令嬢だったころからのご縁で」
祖母が嫁いだあと、火事があってアバドン領主一家は絶えてしまった。その後、王家に返上されて直轄領となったのだ。
「そこの援助の受け渡しの機を通じて修道士と――」
ここでいう修道士は、男性だが、と、ヴィルヘルムは注釈を入れた。
「女性のふりをして懇意になり、修道士たちを集めて賭け事をし、修道院とつながりのあった父をひっかけた」
カメリアはしわしわの顔になった。酸っぱくなったワインを飲まされた気分だった。
アバドン市の援助については心当たりがある。娘たちばっかりに仕事させるのもなぁ、などと猫なで声で絡んできた父が鬱陶しく、妹と話し合って任せた仕事だった。受け手は間違いを起こしようもない修道院だからと安心してはならなかった。父は間違いを起こさせる魔性なのだ。
「父は莫大な借金をジキタリス伯爵に負った」
「それがなぜ婚約に」
「君の父親は君の妹を騙っていた」
首をはねよう。
父の首を。
今すぐ――リリアンヌがこのことを知る前に。
殺意に燃えるカメリアへヴィルヘルムが今回の婚約の核心を告げる。
「ジキタリス伯爵は父に、自分が父に嫁げば借金はなくなると嘯き、そして父は言われるがままに婚約を整えたのだ」
王家とジキタリス伯爵家令嬢との婚約を。
借金を帳消しにするために。




