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最後の語り部が覚えている世界で、最初の魔法使いが生まれた  作者: 蒼月よる


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蒼い目の子

 朝から力を使った。


 集落の東端から始めた。目を閉じて、地面の下の網目に意識を沈める。粒子の線が見える。その中から、蔓の根に繋がっている線を探す。一本見つける。意識を向ける。流れを変える。根に届く粒子が減る。蔓がこれ以上伸びられなくなる。


 その手応えを、体が覚えていく。


 ノードに触れる前は、力の使い方が荒かった。根を止めようとすると、周りの流れまで一緒に変えてしまっていた。必要な量の十倍も使って、それで三、四本が限界だった。だが今は違う。粒子の網が、目を閉じなくても薄く見えている。どこが根に繋がっていて、どこが関係ない流れかが、区別できる。


 一本が数分かかる。だが一本でいい。次の根が見えてくる。また向ける。変える。


 根の側で何かが変わる感触がある。粒子の流れが細くなる。行き止まりになる。根の先が、伸びることを諦める。諦める、という言葉が正しいかどうかはわからないが、ナギにはそう感じた。生きていたものが、静止する。


 それを繰り返す。


 ナギはその日の午前中だけで、東側の蔓を二十本以上止めた。今まで一度の作業で三、四本が限界だったのが、ノードに触れてから体が変わっている。粒子の網が見えている。構造がわかっている。むやみに力を使わず、必要な点だけを触れることができる。


 昼に一度止まって水を飲んだ。頭は痛くない。疲れているが、倒れるほどではない。


 午後は南側をやった。


 カヤが後ろで見ていた。長老を代表して、承認者として立ち会っている。


 夕方になると、成果が目に見えた。


 東側の崖の縁に迫っていた蔓が、止まっている。これ以上伸びない。南側も同じだ。今すぐ押し戻せるわけではない。すでに伸びた蔓はそのままだ。だが新しい侵入が、止まっている。


 集落の人々が見ていた。


 最初は数人だった。ナギが力を使い始めると、広まっていく。気づくと二十人三十人が崖の端から見ている。


 ナギの目が青く光っていた。


 力を使っているとき、目が光る。自分では見えない。ミノリが最初に気づいた。「目が光ってる」と昨日言ってきた。石の青白い光と同じ色だ、と。


 蒼い目の子、と子供たちが言っていた。ナギの後ろで、声が聞こえた。振り返ると、集落の子供たちが数人、固まって見ている。怖がっているのか、感心しているのかわからない顔だ。


「蒼い目の子が蔓を止めてる」


「さわれるの」


「光ってる」


 ナギは子供たちを見た。子供たちは散らなかった。ただ見ている。


 一人の子が、小声で言った。「怖くないの」


 ナギは少し考えた。怖い、と思ったことはある。最初にノードに触れたとき、体が溶けるかと思った。だが今は違う。今は、ただやっている。


「怖くない」と答えた。


 子供たちが、ざわっとした。その中の一人が「ずるい」と言った。笑い声が上がった。ナギも少し笑った。


 ナギは力の使用を続けた。



 夜、大きな仕事をした。


 一人で崖の縁に出た。この作業は承認が要る。事前にシズとカヤに申請していた。


 集落の全周。北側を除く三方向——東、南、西——の蔓の根を、今夜できる限り止める。


 目を閉じた。網目が見える。粒子の流れが見える。東から始める。


 昼間とは違う見え方をした。夜のせいか、それとも体の疲れのせいかはわからないが、粒子の光が昼間よりはっきりしている。蔓の根が通っている筋が、淡く青い線として地面の下に浮かんで見える。一本一本が、細い水脈のように伸びている。


 根を一本、止める。南に移る。また一本。また一本。


 集中していると、時間の感覚がなくなる。一本を止めるたびに、次が見えてくる。次を止めると、また次が見える。終わりがない。それでも続ける。ここで止めれば、集落の西側にまだ隙間が残る。


 西に移る。


 一時間。二時間。


 汗が出た。頭が熱い。石を握る。温かさが手に返ってくる。続ける。


 どこかの時点で、ナギは自分が泣いていることに気づいた。痛みではない。疲れでもない。なぜ泣いているかわからないまま、涙が崖の風に乾いていく。体が何かを限界まで使っている、その感触だけがある。


 深夜になった頃、作業が終わった。


 崖の縁に立って、息を整えた。目が覚める感じがある。疲れているが、頭が澄んでいる。


 ナギは空を見上げた。


「見てたんだろ」


 静かに言った。答えは求めていない。


 星がある。月は出ていない。暗い空だ。だがその暗さの中に、見えない何かがある。ナギは知っている。感じるから。ノードに触れた日から、空がただの空ではなくなっている。誰かの目が、ずっとこちらを見ている。


「止めに来なかった。今日も」


 沈黙。


「それが答えなのか、それとも、まだそういう時じゃないのか——わたしにはわからない」


 風が崖を吹き上げてきた。髪が揺れた。


 ナギは空から目を離さなかった。


「でも今夜は止まらない。明日も続ける。集落を守るために」


 空は何も返さなかった。


 沈黙も、答えだ、とナギは思った。返事がないことが、今夜の返事だ。空が動かないことが、今夜の空の答えだ。賛成でも反対でもないかもしれない。ただ見ている、ということかもしれない。だがいずれにしても、ナギは今夜ここで何かをした。空はそれを見ていた。それで、今夜は十分だ。


 風が止んだ。


 ナギは石を握ったまま、もう少し空を見上げていた。それからきびすを返して、集落に戻った。



 数日が経った。


 畑がよみがえってきた。蔓の侵入が止まったことで、春の植え付けができるようになった。青い蔓に覆われていたあぜを整地して、人々が土を耕している。


 ナギもそこにいた。力を使わないときは、普通の手で土を触っている。くわを持って、肩を並べて、芋の種を土に埋める。その手が蔓の根を止められる手だとは、作業の外見からはわからない。


 タマキが隣で働いていた。何も言わずに並んでいた。


「お母さん」


「なに」


「心配してたか」


「してた」


「今は」


 タマキは少し止まってから答えた。「今もしてる」


「そうか」


「ずっとするよ。死ぬまで」


 ナギは土を見た。手を動かした。芋の種を埋めた。


 自分の場所がある、と思った。英雄ではない。異能の存在でもない。ただ、この集落に、ナギの場所がある。



 広場の隅で、ヨルが話していた。


 センと、それからセンの友人らしい子供が三人、床に座ってヨルを見上げている。ヨルは座って、手振りを交えて話している。声は遠くて聞こえない。


 ナギには内容がわかった。自分の話だ。蒼い目の子の話だ。


 センの顔が、ヨルを向いている。その目が、いつもと違う輝き方をしていた。昔話を聞く子供の目ではない。今ここで起きていることを、世界の仕組みの一部として受け取ろうとしている目だ。膝の上で両手を握って、ヨルの唇の動きを追っている。一言も聞き漏らすまい、という体の構え方だった。


 ヨルが何か言った。センが大きく頷いた。隣の子が身を乗り出した。


 子供たちの顔が、センだけではなく全員、ヨルの方を向いている。口を開けている。目が光っている。


 ヨルは今日も話している。口伝ではなく、ナギの話を。


 崖の縁の集落で、新しい伝説が生まれていく。


 ヨルが子供たちに話すのを見ながら、ナギは土に手を入れた。


 老人の唇が動いている。声は届かない。だがナギには、おおよそわかる気がした。むかし、崖の上の集落に、蒼い目の少女がいた——


 口伝は、今日も一人の頭の中にある。三十年以上守ってきた骨格が、老人の体の中で静かに繰り返されている。言葉は外に出ない。誰かに渡されることもない。ヨルの体が止まる日まで、その中だけに在り続ける。


 百四十八年の記憶が、一人の老人の頭蓋骨ずがいこつの中で、化石になっていく。


 やがて、それも消える。


 代わりに子供たちの間で、新しい歌が生まれていく——蒼い目の子が森を止めた歌が。


 その歌がどこまで届くかは、誰にもわからない。この崖の上だけかもしれない。百年後には変質して、別の話になっているかもしれない。だが今この瞬間、センの目に光がある。ヨルの口が動いている。畑に人の声がある。


 ナギは土を握った。根の感触がある。生きた土だ。


 蔓はまたいつか、ここに来る。止め続けなければならない。それは変わらない。だが今日の畑には、芋が植わっている。今日の広場では、子供が物語を聞いている。今日のナギの手には、土がついている。


 それで、今日は十分だ。


 森は待っている。空の目も待っている。そして少女は明日もまた、崖の端に立つ。



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