残酷な裏切り3
支部へ戻ってもルジェの胃痛は治らなかった。
しかもフェルネットを隔離した部屋は精霊の攻撃を受けて、結界がぼろぼろに綻びかけていた。慌てて彼女を自分の部屋へ移し、より複雑な結界を張り直して監視している。
〔ひどい! 黒ちゃん、あのままわたしの体を取っちゃうつもりなの!?〕フェルネットは荒れに荒れていた。〔女の体なんか嫌だって言ってたのに、代わりの体が見つかったら出てくって言ってたのに、ひどいよ。黒ちゃんのばかっ、いじわるの人でなし!〕
城から戻って三時間。語彙の少ないフェルネットは延々同じ罵倒語を繰り返している。
ルジェはそれを黙って聞き続けた。本当はどこかへ逃げ出したかったのだが、精霊がすぐに結界を崩すので身動きがとれないのだ。彼女が口を開く度に胃が痛む。時計の針が進むごとに苛立ちが溜まる。その原因が自分自身にあることがさらに苛立ちを助長させる。それらを必死で押さえ込んで、ルジェは厳しい顔で黙り続けた。
〔黒ちゃんなんて、黒ちゃんなんて……〕フェルネットが叫んだ。〔もう、大っ嫌い!〕
バン! と激しい音がして、ルジェの拳が壁を殴った。黒い壁面に亀裂が走る。
フェルネットがびくりと身を竦めた。
「……それ以上あいつを罵倒するのはやめろ」手首を引き抜いてルジェが壁を睨む。
〔こっ、これはわたしの体のことです〕フェルネットは震えながらも、怯えに負けなかった。〔黒ちゃんがルジェのお父さんでも、わたし、怒りますからねっ!〕
「それでも俺は許さない」
〔なんでルジェが怒るんですか、黒ちゃんを手伝ってるからですか!〕
「お前は事情がわかってないんだ」
〔何も教えてくれないのにわかるわけないです! もうもうっ、ルジェのばか! 頑固!冷血! 吸血鬼!〕怒りの矛先がルジェにすり替わった。フェルネットは結界の中で地団駄を踏む。〔もういいですっ、わたし、ここから絶対に出るもん。わたしだってちょびっとは白い子なんだもん。きっとがんばったら自力で魔法も使えるもん!〕
「だめだ!」怒鳴り声が響く。「お前はここにいるんだ。絶対に、今晩だけはっ……」
勢いで口が滑った。慌てて閉じるも、もう遅い。
〔今晩?〕フェルネットが急に静まった。そして矢継ぎ早に問いを繰り出す。〔今晩何があるんですか?〕〔明日ならいいの?〕〔わたしの体に……黒ちゃんに、何か起こるんですか?〕〔答えてください、ルジェ!〕〔ルジェ!〕〔ルジェ!!〕
ルジェは目を逸らして黙り込んだ。ただただ胃が引き絞られるように痛かった。
〔お願いです、怒らないから……言ってください。ねぇ〕彼女の声は急速に小さくなり、最後は囁きになった。〔どうしてルジェはそんな辛そうな顔をしてるの……?〕
半ば悲劇を予感した瞳が彼を見上げていた。
……ここまでだ。
ルジェは胃の中の痛みを押し出すように、ゆるゆると息を吐いた。
「……あいつは今晩、お前の代わりに死ぬんだ」
フェルネットの表情が止まった。
「軍の意向だ。人間同士の戦争を引き起こすために、お前の死が必要なんだ。俺は軍人だからいくらでも詰ってくれて構わない。だから……あいつだけは責めないでやってくれ」
痛々しい静寂が落ちた。
フェルネットは怒らなかった。そんな気力はないようだった。彼女はただ悲しげに俯く。
〔……ルジェはそれを知っていて、黒ちゃんをお城に引き渡したんですね?〕
「ああ」
〔ずっと知ってて……ここまで連れてきたんですか?〕
「そうだ」
〔初めから、全部――〕
「わかったうえでやってきたんだ!!」
もう一度ルジェの拳が壁に埋まった。混凝土の欠片を握り込むと、刺さればいいのに全て粉々に砕けた。本当は自分を殴り殺してやりたかった。覚悟などとうにしていたくせに、ずっと騙し続けたくせに、最後の最後でしくじるとは何だ。全部貴様がやったんだ。任務も情も体面も、全てを両立させようとして貴様が導いた結果だ!
「くそ!」行き場のない怒りで更に腕をふるうと、今度は鉄の扉に当った。重い鐘のような音が鳴り、中央がへこむ。同時に扉が激しく閉まった。――――激しく、閉まった?
一泊の後、扉を開けてルジェは絶句した。
「よ、よう。一ヶ月ぶりだな、ルジェ」
そこにはよく見知った、そして今最高に遭いたくない赤毛の男が立っていた。




