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残酷な裏切り2

 日没後のまだ赤い空のもと、その黒尽くめの集団は影のようにテアの王城を訪れた。

 見張りの勇気ある兵士を除いて、城内に人の気配はない。皆息を潜め、あるいは逃げ出して、必死に時が過ぎるのを待っている。


 ルジェたちは静まりかえった城内を足音なく進んだ。蝋燭の炎が煌びやかな飾り柱の影を踊らせる回廊を歩きながら、ルジェはちらりと窓の外を見る。堀の水面が沈んだはずの陽光と篝火の光を映してちらちらと赤く輝いていた。彼の目には酷く眩しい光景だ。裸眼だからという意味ではなく、これだけの水を苦もなく湛えていられることが羨ましかった。


 堀の架け橋から覗いた水は美しく透き通っていて、手を伸ばせば白い敷石まで届きそうだった。それが深さ三十米だと聞き、距離感が狂う感覚に目眩すら覚えたくらいだ。こんなに大量の水の上に立ったのは人生で初めてで、不思議な感動と畏怖が湧き上がった。


 堀から手前に広がる庭園には色とりどりの花々が咲き乱れている。薔薇と思しき八重の大花や、花弁の反り返った百合か水仙のような花。美しく刈られた芝や樹木。名も知らない可憐な花々も含めて、全てが空想画のようだった。東部にはどこも緑が溢れていたが、ここの植物は人の手が入っているためか、花の一つ一つや緑の一部一部が強く目を惹く。


 ……そのわりに、屋内は普通なんだな。


 ルジェは視線を前へ戻した。眩い金銀をあしらったシャンデリアや、金箔を貼った曲線的な階段、大理石の柱や床そして壁。飾ってあるのは絵画や陶磁器ばかりだ。これなら実家のラトゥール邸と大して変わらない。その一方でヴァルツで好まれる生花の装飾は控えめで、主役は貴金属類だった。どこもかしこも無機物がてらてらと光っている。


 そして、人にも。と視線を脇へ落とせば、あれからさらに宝飾品で飾られた少女が楚々と歩いている。頭から耳、首、腕まで金や輝石がぶら下がり、肌には金粉がはたかれて、精神体のフェルネットにも負けないくらい燦然と輝いていた。どうやら人間が光り物を好むという話は本当らしい。石や鉱物でよければ、荒野でも良く採れるのだが。


 正面の大きな扉が内側から開く。途端に鼻を突いた異臭に、ルジェは目眩がした。

 広間には人間がひしめいていた。様々な年齢の男が百人。全員が正装の上から聖なる印を付けた首飾りを付け、手には数珠や聖水を持っている。


 臭いの原因はもうもうと焚かれた香だった。ルジェは即座にヴァルツの教会を思い出す。あそこもこんな臭いがした。同族用に控えめな香りだったが、元は同じなんだろう。


 人間と同族は教義の解釈が違えど、同じ神を崇めている。亡宗主国が改宗の対価として大公を叙爵したのだから、当たり前と言えば当たり前の話だ。革命時に過激な宗教家が大騒ぎして多くの教会が弾圧されたので、ヴァルツでは宗教そのものが廃れかけているが。


 だからこんな吸血鬼対策など、気休め以外の何物にもならない。

 はずだが、実際に同族は光にも臭いにも敏感だし、杭で胸を貫かれたら死ぬのだから困ったものだ。普通に斬られても十分死ぬのだが。


 むせかえるような人いきれの中で、扉から続く赤い絨毯の上だけが無人だった。その先の数段あがった先にある玉座は空だ。隣に立つ中年の男が補佐役の大臣か何かだろう。


 補佐の男は大仰にこちらを見下ろした。「大公の使いよ、よくぞ参った。名乗られよ」

「吸血総統――吸血大公ルイ・ラトゥールが子息、ルイ・ルジェ‐ラトゥール」


 広間にルジェの声は良く通った。元から静かだった人々の顔が緊張に固まる。息すらしていないのではないかと思うほど、皆一様にルジェを見ていた。


 すかさず実家で習った社交辞令を垂れ流そうとして、ルジェは少し考える。背後に控えた同族の手前、下手にへりくだるのはまずい。「……貴殿等の望みの品を届けに来た」


 『品』と言われて補佐の禿げた頭に血管が浮いた。剛胆にも睨み付けてきたが、口では忌々しげに「公子か……」と呟いただけだった。ラトゥールの読みは当たったようだ。

 ルジェは少女の淡い金髪をひとすくいして、蝋燭の明かりにさらして見せた。


「精霊の血を引く娘、フェルネット・ブランカ。紛う事なき本物だ」

「確かに」と人間たちが頷き合う。「母親に生き写しだ」

「異論がなければ誓約書に署名を」

「よかろう」


 補佐が頷くと使いらしき若者がおっかなびっくり寄ってきた。彼はルジェが差し出した誓約書を恭しく受け取り、慌てて離れていく。その間ずっと惚けたようにこちらの顔を凝視してくるのだから、対応に困るったらなかった。

 誓約書の行方を目で追っていくと、若者は玉座の横にある扉から出て行こうとした。


「待て」


 鋭い制止に、若者がびくりとすくみ上がった。


「当人の署名と確認できないものを持ち帰るわけにはいかない。目の前で調印してもらう」

「慮外な!」抗議の声を上げたのは補佐だった。「今上陛下は臥せっておいでである。そうであらずとも、貴殿らのような者を御眼に曝せると思うてか」

「とは言うが、我々は魔力の証文を受け付けない。血判なら匂いで個人が特定できるが」

「ふざけるな! 貴様らの前で血なぞ流せるか!」集団の中の誰かが叫んだ。


 ――だろうと思った。ルジェは声を出した男を正確に一瞥してから言葉を続けた。


「……となると、偽造にはよくよく注意しなくてはならない」

「貴様、我が国を愚弄しているのか」補佐が一歩踏みだし、低い声を出した。


 その動きでルジェは相手が武官――騎士だと見抜いた。本当の大臣はこの中にいるかどうかというところか。陳情役を務める際に少しでも楽になるよう、大臣の顔を覚えたかったのだが、それも難しいようだ。犬猫と同じで、人間の顔は見分けがつきづらい。

 相手を刺激しないよう、ルジェは落ち着いて答えた。


「せめて国王本人の署名であると保証が欲しい。大臣の署名を添えるか……」


 そこそこの地位の者なら誰だって良かった。精導士ならいざというときでも無碍に消されなくて最適だったが、この中の誰が本物かもわからない。


 そのときふと、この場で唯一ルジェ以外の者を見ている青年に目が止まった。鮮やかな金髪の彼は熱心にラトゥール、いやフェルネットを見つめていた。その真摯な琥珀色の瞳を見て、ルジェは思わず呟いた。「コハク殿?」


 届くかどうかという声量だったが、青年ははっきりと驚いてルジェを見た。年の頃は二十歳そこそこだろうか。見た目だけならルジェとそう変わらない。真正面から見てもその瞳はやはり琥珀色だった。間違いない。以前フェルネットが言っていた精導士の男だ。


 ルジェは足早にコハクへ向かった。途中で護衛らしき男たちに阻まれかけるが、あっさりと躱す。反射的に足を引っかけそうになるも、止めておいた。後々問題になっても困る。


 近くで見るとコハクは中性的な顔をしていた。男にしては骨が細く、胸が薄い体型だ。


「貴方は精導士ですね。署名が本物だという保証が欲しいのですが、よろしいですか?」

「は――」コハクは答えようとして息を詰まらせた。蒼白な顔で荒い呼吸を繰り返す。


 しまった、近づきすぎた。ルジェはすぐに過呼吸だと判断し、片手で彼の口を塞いだ。

 兵士が目の色を変えて止めようとする。しかし今度は同族たちがそれを抑えた。


「ゆっくりと、鼻から息を吸ってください」ルジェは仕事柄こういった事態に慣れている。相手が混乱から戻ったのを確認し、手を離す。「落ち着かれましたか?」


 コハクは白い顔で頷き、息を整えてから兵士たちへ告げた。「おやめなさい。配置へ戻るのです」優男然とした声だが不思議な芯がある。それから彼はルジェへ向き直り、「保証をお約束しましょう」と呟いた。年の割に落ち着いた所作だった。


 コハクは国王の署名を受けて戻ってきた誓約書へ筆を走らせると、ルジェへ手渡した。


 そこに名前はなかった。ただ『テア国王太子』とあった。


「これは……失礼した。フェル――彼女から貴殿のことは精導士とだけ聞いていたので」


 さすがにこの場に王族がいるとは思っていなかった。強力な精導士とはいえ、あえて居なくとも良かっただろうに。そんなにフェルネットの安否が気になるのだろうか。


 王太子は白い顔のまま小さく微笑んだ。「非礼を詫びるのはこちらです。公子殿のお言葉はごもっともなものばかりでした。あの子のみならず、私まで助けて頂いて……」

「原因は当方ですので」

「あ、それもごもっともですね」素の声だった。「それでも礼を言わせてください。あの子を無事に保護していただき、ありがとうございました」


 無事に、か。


 ルジェは皮肉げにならないよう注意して笑みを作った。そのまま身を翻し、扉へ向かう。

 ラトゥールの横を通り過ぎようとしたとき、小さな手が伸びて彼の腕を掴んだ。


 振り向きざまに飛びつかれ、頬に柔らかな唇が触れる。耳元で声がした。


「さようなら、ルイ」

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