其に宿縁ありて
翔吾から見て、いつも笑顔で、明るかった印象のある水瀬は、少し気まずそうな表情をしながらも、かすかに笑った。
「久しぶり、だね……元気してた?」
それはまるで数ある言葉の中から、絞り出したような一言。考えれば考えるほど溢れる気持ちの中から、やっと発した言葉。
それを彼は、“体調が悪いのか?”などと考え、そして言葉を返す。
「おう。久しぶりだな、水瀬。俺は元気にやってるよ、そっちはどうだ?」
『そっちはどうだ?』その言葉が水瀬の心を掻き乱す。彼が、自分の気持ちに気づいてくれない、他ならぬ彼が、こんなにも気持ちを惑わすのに……そんな呑気なことをいうなんて、と。
しかし、そうは思っても顔には出さない。これは、彼女なりに彼と付き合って行くための処世術。
人の気持ちが分からない、鈍感な彼にわざわざ暗い顔を見せる必要はないと考えが故の。
「うん、こっちも元気にやってるよ。翔吾がいなくなって、少し、寂しいけどね……」
そうは言うものの、彼女は笑顔を崩さない。少しだけ、寂しそうな目をするだけだ。
一方の彼は『うわー、ちょっと気まじぃな〜』などと思い、苦笑いで返事を返す。
「そ、そうか……それはすまねぇな。こっちも色々と事情があるんでよ」
返した言葉は、言い訳。だが、彼女はそれを不快だとは思わない。実際、彼は迷宮の発生によって少々、いや、かなり被害を受けたうちの一人であると、他の誰でもない、彼女自身が知っているのだから。
「ううん、別に謝らなくていいよ。翔吾が大変なのは、私がよく知ってるし」
そんな彼女の言葉に、彼は思わずホッとする。恨まれてなくて良かった、と。一応、彼女を親友だと思っていた彼は、内心少し怖かったのだ。もしかしたら、彼女が自分を、親友を置いて去るような薄情なやつだと軽蔑しているかもしれないと。
「そうか……ありがとうな、水瀬」
そんな、辛気臭い、そんな言葉が似合う空気に、とうとう彼女は耐えられなくなった。
「あぁ〜、もう! こういう暗い話はやめ! 付き合って、翔吾!」
そう言うや否や、彼女は彼の腕をとって走り出す。彼は突然のことに、少し慌てながらも、“あぁ、懐かしいな”と思いながら、コケないように付いていくのだった。
彼女に引かれて、フードコートに連れてこられた彼は、二人で一緒にクレープを食べていた。
小さな口いっぱいにクレープを詰め込んだ彼女は、とても幸せそうな笑顔をしており、それを見ていた翔吾は思わず自分も笑顔になった。
「翔吾、全然食べてないじゃん! 早くしないと、私が食べちゃうよ!」
美味しそうに食べる彼女を見ていた彼は、その指摘に慌てて自分のクレープにも口をつけた。
買ったのは店で一番人気だとか書いてあったチョコバナナクレープ。そも、甘味自体があまり好みではない彼は、何が良いのかも分からず、無難に一番人気のものにした。
一口食べ、口に広がるのは甘いチョコのかかったバナナと生クリームの味。どちらも、本来は主張の強い味だが、店員の手際がいいのか、それとも相性の問題か、互いに互いを引き立て合っており、彼の想像よりもずっと美味しい。
久しぶりに食べた甘味は、彼の身体全体に染み渡った。疲れが取れるような、頭が冴えるような感覚に、案外甘味も悪くないのだと、彼は再認識させられた。
だが同時に、こんな温かい時間を自分が享受していいのかという、実体のない後ろめたさが“チクリ”と胸の奥を刺した。
クレープを食べ終えたら、今度は服屋に連れて行かれた。どうやら、先ほど強引に手を引いたのが申し訳なくなってきたから、お詫びに服を選んでくれるらしい。どうせだから、流行りの最先端にいる高校生のファッションセンスに任せるか、と彼はこの提案にのった。
「いいじゃん、いいじゃん! かっこいいよ、翔吾!」
そして彼は今、上は白のタンクトップに黒のシャツを羽織り、下は脚口が広いグレーのワイドパンツを履いている。
どうやら、これが今の流行りらしい、と彼は困惑気味に試着室に立っていた。上着なはずなのに、なぜかボタンも閉めず、なんの意味があるのかとも思ったが、せっかくの好意を無下にするのは悪い、とも思い渋々の着用だった。
それに彼は、カッコいいと言われるのも存外悪くないものだ、と思っていたりもする。
少しだけ、調子にのった彼はあまり財布にも余裕がないのに、お高い買い物をしてしまった……。
彼の服が買い終わったら、今度は自分の番だと彼女は宣言した。他にも適当に何点か服を買っていた彼は、他にやるべき用もないので、付き合うことにした。
「じゃ、じゃーん! どう?」
くるりと一回りして、全身を見せた彼女はまるで海の街のお嬢様だった。
透明なレースのついた白のワンピースに、明るい青のリボンが施された真っ白なハットは、彼女の笑顔によく似合っていた。
そんな彼女に見惚れて、少し呆けていた翔吾は脇をつっつかれる。
「ほれ、ほれ〜。どうした? もしかして、私に惚れちゃった?」
そう、笑顔ではにかむ彼女は確かに綺麗だった。
用事があるからと帰った彼女を見送った彼は、モールの一階にあるスーパーに来ていた。もう二日は休みを取る予定なので、その分の食材を買いに来たのだ。
先ほどのことを思い出して、少し感慨にふけってしまうが、意識を今に戻して、買い物を進める。
あらかた使いそうな食材を集め、それを購入したら、ようやく家へと帰る。帰る途中の電車で、携帯を見ていると、“ピロン”と通知がなった。幸いなことに乗客があまりいなかったので、さほど注目されずに済んだ。
通知を見てみると、水瀬からの連絡だった。ざっと二ヶ月振りの連絡。なんだか、高校に通ってた時を思い出すような気持ちで、内容を見る。
『久しぶりに翔吾と話せて、すっごく楽しかった! ところで、明日私暇なんだけど、翔吾の家行ってもいい? せっかくだから、もっと遊びたいな〜、なんて思っちゃって!』
彼は家を片付けるのが、少し面倒だとは思ったが、どうせやることもないし構わないだろうという判断から、『わかった、いいよ。何時ごろくる?』と送った。
するとすぐに、『ありがとね! 十時ごろに行く!』と返信がきた。了解とスタンプを送って、携帯を閉じた。
「ただいま」と誰もいない空間に響かせが声は、薄暗い壁にあたって静かに消えた。彼は明かりをつけ、キッチンへと向かう。
もう数日の休みのために、多めに米を研ぎ、炊飯器のスイッチを押す。炊飯器の低い動作音が、音の止んだ空間に響き渡る。
米が炊けるまでの間、手際よく野菜と鶏肉を炒める。“トントン”とまな板を叩く包丁の音も、フライパンの上で弾ける油の音も、炊飯器と同じくこの空間を支配した。
出来上がった炒め物とご飯をテーブルに並べると、彼にはその湯気の向こう側に、誰かが座っている様な気がした。
「いただきます」と、手を合わせ、箸をつける。即席で作った割には、意外に悪くない味だった。
「ごちそうさまでした」と、再び手を合わせれば、彼は機械的に食器を洗い始める。それが終われば、風呂を沸かす。湯船に浸かって天井を見上げていると、昼とは対照的な静けさが押し寄せてくるようだった。
床に入り、目を閉じる。今日は久しぶりに愉快な休日だったな、と振り返りながら彼の意識は、深い闇の底へと沈んでいった。




