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渋滞  作者: マシマ真
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第一話

 長く、長く、・・・続く道。


しかし、その道を覆い尽くすほど、車の列が続いていた。その車の列に動きは殆ど見られない。エンジン音はするものの、走っているのか疑うほどのノロノロ運転であった。これでも一応は高速道路である。例え身動きが出来なくても、金を支払う有料道路なのである。しかし、車の流れはなく、すでに高速に入ってから2時間以上、停滞していた。


 久保義彦は思わず、溜息をつく。今日で何度目、何分おきの溜息だろう。そんなことを考えると空しさがこみ上げてくる。


 ブゥ、ブブブゥ。


けたたましいクラクションが後方から、聞こえてくる。それに反応して前方の車もクラクションで返答した。これを人の言葉で直訳すると「早く動け!!」、「俺だって動けないで困っているんだ」、そうなるのだろうか。そのクラクションの応酬は四方八方に飛び火して、まるで真夏の蝉時雨のようだった。


「うわぁん」


 後部座席で寝ていた娘の香織がクラクションで目覚めてしまったようだ。義彦は顔を顰める。折角の睡眠をクラクションで起こされては、泣くのも仕方ないだろう。


「もう泣かさないでよ。全く」


 妻の泉はかなり不機嫌になっている。後ろを振り返り、娘に「うるさい」と怒鳴りつけると、その怒りの矛先を義彦に向けた。義彦の額から冷たい汗が流れ落ちる。


「そんな怒るなよ。この渋滞だ。みんな苛立っていたんだろう」


「あなたはよくそんな平気にしていられるわね?」


「俺だって平気じゃないさ。しかし、こんな状態で何が出来る?四方、車に取り囲まれ、身動きできないんだぜ」


 義彦はなるべく穏やかな口調で言った。しかし、妻には夫のその穏やかさが、かえって癇に障ったらしい。もともと狐目だった目がさらにつり上がり、ますます冷たい物になっていった。


「何よ!あなたはいつも涼しい顔で、悟りきった顔をして、あなたは私に何もかも任せきりのくせに!偉そうなことを言わないでよ」


 妻の怒号はクラクションや娘の鳴き声より凄まじいものがあった。今まで溜まっていたストレスがここにきて一気に吐き出されたのだろう。普段は明るく不平不満を漏らさないしっかり者の妻も心のうちでは少しずつストレスを溜めていたのだ。


 そこで義彦はまた溜息を漏らした。溜息が寿命を縮めるのなら、すでに死んでいてもおかしくないかもしれない。義彦はバックミラーに目をやった。心なしか、やつれて見えた。これでも結婚してから会社の同僚に幸せ太りだと散々からかわれたものだ。しかし、ミラーに映る自分の顔にそんなものは全く伺えなかった。


 上空をテレビ局のヘリコプターが飛んでいる。恐らくこの渋滞を撮影しているのだろう。


カーラジオからは「首都高は40キロの渋滞です」とバカの一つ覚えみたいに同じ文句を繰り返していた。自分たちはメディアにとって格好のニュースのネタになっているのだろうか。義彦は忌々しさに舌打ちをする。ヘリはそのままさっさと先へと進んだ。用事が済めば、こんなところに長居する必要は彼らにはないのだ。


「まるで私たちをあざ笑っているみたい」


 泉も忌々しそうに空を見上げた。どうやら同じことを考えていたようだ。


「全く、この国は肝心なところでインフラ整備を怠るから、こんなことになるんだ」


 義彦は妻に同意を求めるつもりで言ったのだが、妻は不機嫌そうにため息をついた。


「何よ、あなた。将来の香織のためになるとか言って、目先の子ども手当に惑わされて今の政権に投票したんじゃない?嫌がる私にまで勧めて」


 またも妻の怒りの矛先は義彦に向けられていた。


「あれは会社の方針だったんだ。別に俺の意思じゃない。それにおまえに無理強いした覚えはない」


「どうかしら、あなたはいつも会社のせいにして、私の人生設計まで口出しして」


「何が人生設計だ。おまえも母親なんだ。香織を第一に考えろよ」


 義彦は怒鳴った。しかし、同時に自分の言葉に矛盾も感じていた。義彦は決して妻を縛り付けるようなことはしないつもりでいた。妻の仕事のことにも寛大な心で容認していたつもりだった。しかし、今の言い方だと妻を家庭に縛り付けるように取られないだろうか?


「あなたとなんか一緒になるんじゃなかった」


 隣で妻がポツリと漏らした。その言葉に義彦はドキリとして、視線を空から妻の方に移した。渋滞に嵌ってから、初めて妻の方を振り向いたことになる。妻も憔悴しきった顔をしている。目には涙も浮かんでいた。久しぶりに見た妻の涙だった。そう言えば、結婚前はけんかをすると、よくこんな風に涙を見せた。結婚後は仕事と家事を両立させたいと頑張っていて、たくましくなったと義彦は感心していた。それは娘が生まれるとさらに強くなった。しかし、今、隣にいるのは昔の妻の姿だった。


「あなたはいつもそうよ。家のことはすべてまかせっきりで、家事を手伝ってくれたのも最初だけだった。子供が生まれても面倒は私に押し付けるだけ。私がみんな家の事をやってきたのよ」


「・・・・・」


 妻は愚痴るように言った。義彦はそんな妻の方を見ることもなく、うんざりした顔で動かない前方車のブレーキランプを見ていた。さっきから、ずっと赤く点滅しているだけで義彦の心をさらに重くさせた。


「私はあなたの家政婦でも香織のベビーシッターでもない。私だって一人の自立した人間なのよ」


 妻はさらにそう付け加えた。義彦がずっと自分の方を振り向きもしないのが、さらに不快にさせたのかもしれない。そういえば、妻は最近、よく「疲れた」と愚痴をこぼすようになった。仕事と家庭を両立させていることが疲労の原因であったが、義彦はそれに対して「仕事がきつければ辞めてしまえばいいだろう」と無責任な言葉を漏らした。


その時は義彦にとって会社で面白くないことがあり、八つ当たりのような失言であった。しかし、妻はそれを黙って悲しそうな顔をして聞いているだけだった。あの時、妻は相当のショックを受けたのかもしれない。本当は仕事が辛いのではなく家事が重荷になっていたのかもしれない。義彦は今になってそう思った。

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