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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二章
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朝の蜘蛛は縁起が良い? 悪い?

 心はときどき、妙な作用を産みます。

 術式が心と深く結びついているのと同じように、心は別の心を深く結びたがるのです。


 吊り橋効果と呼ばれるものも、もう、出尽くされたレトリックでしょう。

 恋愛の高揚、すなわちドキドキ感と軽い恐怖で心臓がドキドキする感じが似ているので勘違いするというアレです。


 そんなことを言ってしまうと軽い運動でもドキドキしますよ。

 戦場なんかドキドキしっぱなしですよ。何時、死ぬかわからないんですから。

 そのうえ、恐怖が麻痺して最低限の理性までを失ったら、突撃して本当に死んだりします。ドキドキですね。

 狂気の世界ですから。あそこは。


 隣を見たら戦術級で根こそぎ死んでたとか良くあります。日常的に。


 そんな極限状態の中、生物本能が活発化して恋をしやすい、というのもレトリックでしょうか。


 心は単一で測るものではありません。多面的で画一的で複雑で単純で理不尽で整合性のある矛盾の塊です。いわゆるウチの生徒です。

 ドキドキしたり、死にかけたりで恋をするなんて動物じゃあるまいし。

 いや、動物ですけどね? 理性のある動物なんですから、自重くらい覚えましょう。


 でも、もしも。

 もしも、二つの効果が同時に訪れ、たまたま目の前にいたのが自分だったとしたら、それはどうなるのでしょうか?


「とまれ、索敵は戦闘はおろか運搬や暗殺などの害意への警戒……、それらは全て総合的な身を守る術と言えるでしょう。スカウトのいる冒険者たちの生存率が極めて高いのも証拠になるでしょうね。こう言った具合に周囲の気配やわずかな痕跡から相手を探る技術は自らのみならず周囲の助けともなります。だからこそ、攻性ではない術式でなくても懸命に覚えることが重要です。わかりましたね?」


 術式の授業は依然、座学→実践のワルツを崩していません。

 今日の座学は攻性術式とは打って変わり、広義ではサポートや補助術式に分類される周辺探知に使える術式を教えていってます。


「索敵には探知の術式がよく使われますね。現在、使える術式で探知と呼ばれるものは非常に情報量が少ないものばかりです。源素の密集した地域を見つけたり、ごく狭い範囲で動くものを識別したりなど、そのほとんどが周囲に源素を飛ばし、反射してきたものを受け取って情報を得るものばかりです。それぞれの状況に際した経験則との合わせ技が基本となりますので、様々な状況に慣れておく必要がありますね」


 昨日の騒動から明けて、次の日です。

 しかし、授業している間が心休まる時間になるとは。

 教師を始めたばかりの頃を思い出すと、信じられない気持ちです。


「はい、先生。質問がありまーす」


 マッフル君が勢いよく手をあげます。


「はい、マッフル君。なんでしょう?」

「窓の外に変な人がいます」


 窓にはローブをかぶった少女が、夏の窓に張りつくカエルのように存在感をアピールしていました。


 シェスタさんです。暗殺者で容疑者で冒険者な女の子です。


「目を合わせてはいけません」


 ここ二階なんですけどね?

 というか、ずっと張りついているのを皆で無視し続けたんですけどね?


 さすがに耐え切れなくなったようです。


「先生、一体、あの人に何したわけ?」


 さりげなく原因を先生と断定しましたね?


「もー我慢できませんわ!」


 クリスティーナ君がご機嫌ナナメという顔で窓に近づくと、扉を開け放ちました。


 さて、問題です。

 窓に張りつく人間へ、その支えとなる窓を動かしたらどうなるでしょう。

 答え=落ちます。


「やぁあああああ!?」


 変な悲鳴をあげて二階の窓から落ちていきました。

 ドギュン、とも、ドギャン、とも言い難い奇妙な音がしました。


 うん? そういえばこの下は確か墓石が……。

 そっと下を見ると背中を強打し、もんどりうってる残念な少女がいました。

 着地の衝撃を術式で和らげたようですが、落ちるという行為そのものを止めることはできなかったようですね。


「痛そうなのです……」

「セロ君は見てはいけません」


 背中から墓石にぶつかったようです。

 なんかの因果でしょうか? それとも殺された呪いでもかかったのでしょうか?

 真実はわかりません。


「クリスティーナ君。いくら腹が立ったからといって人を二階の窓から突き落とすのは感心しませんね」

「……と、言いながら、何故に私の頭を撫でてらっしゃるのですの? べ、別に大したことをしたわけではないのですが、褒めてくださるというのならやぶさかではないのですわ」


 褒めるとそっぽを向くクリスティーナ君でした。


 さて、異変の始まりを語るまでもないですね。

 昨日、シェスタさんを邪悪で醜悪な真の魔女から救ったせいです。

 あのあと、事の元凶であるメルサラの襟首を掴んで、同時にまとわりつくシェスタさんを無理矢理、引きずって詰所に放りこんだまでは良かったのですが、そう甘くはなかったようです。


 そして、異変が異変の形で姿を現したのは社宅のドアを開けて出勤しようかと思った時です。


 見られている。

 監視されている時に立つ、産毛を撫でるような独特の肌の感触が気配を知らせてくれました。


 警戒。平静。思惑。即座に様々な思考が立ち上がり、とっさに使おうとした術式を理性で止めました。

 見られているとわかった瞬間、術式を使ったら監視者にバレてしまいます。

 結構、うっかりやっちゃうミスですね。自分は慣れてますので抑えます。


 すわ暗殺者か、と考えたりもしましたが、殺気がないので監視しているだけだろうと予測は出来ています。

 殺気を隠せるほどの気配ではないのは、なんとなくわかります。


 またイリーガルか……、なんて呑気に考えていた自分を殴ってやりたいです。


 監視者の潜んでいるだろう辺りをなるべく平静を装い、警戒心がないような演技で近寄り、そして――


「誰だ!」

「やん」


 やん? 草むらに隠れているだろう相手の首根っこを捕まえてみたら、変な悲鳴と共に金髪碧眼の少女が姿を現しました。


 目と目が合う瞬間、頬を赤らめて目線をそらすシェスタさんを放り投げたい一心でしたが、なんとか衝動を押しとどめました。


「何をしているんですか?」


 もしかして暗殺の対象を自分にした、とか。

 そんなオチだったらいいなぁ! 後腐れなくって! でも、そんな簡単な話にはならないんでしょうね畜生!


「偶然?」

「君は偶然、草むらに隠れるんですか?」

「朝からヨシュアン様に出会えて、運命を感じます」


 ……様? いや、運命のところをツッコむべきでしょうか?


「私も出勤の途中なので、よろしければご一緒しましょう」


 【宿泊施設】から詰所までの方角と、学舎までの方角は確かに一緒ですね。

 でも、ここは教職員専用の【宿泊施設】です。

 教職員専用の【宿泊施設】は一番、奥です。ここは詰所から逆の方角だったりするんですよね。


 つまり、こんなところに居る時点でおかしい。


 わざわざ自分たち教師に用事がない限り、立ち入らないのですから。


「待ち伏せしておいて運命も何も」

「昨日はメルサラ警備隊長から私の純潔を守ってくださってありがとうございます」

「聞いてませんね?」

「お礼にお弁当を作ってきたので、今日のお昼にご一緒しませんか」

「だから、本当に聞いてませんね?」


 いい加減にしないと殴りますよ?


「ナツツグミが鳴いて久しいですね。そういえば景観の良いところがあるのです。そこには可憐な海菊の花が咲いていて綺麗なんです」


 なんだろう、この布を殴っているような感覚。まったく通じてる気がしません。主に言語が。


 ナツツグミは鶫の一種です。

 あのスズメの進化系みたいな鶫と違って、真っ白な羽毛に覆われた鳥で初夏から秋頃にかけて姿を見かけますね。

 海菊の花は別に海に咲いている菊ではありません。

 海向こうからの輸入種で、繁殖力が高いくせに適地でしか育たないワガママな花です。

 初夏に小さな菊のような形の白い花を咲かせ、ときどき歩道の傍なんかに咲いて旅人の目を潤したりなんかします。花言葉は『清純』。で、裏の花言葉は『心病むほど愛してる』。


 ともあれ、暗殺の第一容疑者と一緒にご飯なんか食べれませんよ。

 毒とか入ってたらどうするんですか。


「食事は【大食堂】で取るのでご一緒できません」

「いつも外食だと体を壊してしまいます。ヨシュアン様は是非、私と食べるべきです」


 熱烈なお誘い、諸々のことがあっても嬉しいことは嬉しいのです。

 ですが、どうしてこの子、十代なんでしょうね?


 二十代ならストライクゾーンなんですが。

 容疑者でなければなおのこと良しなんですが。


「むしろ私以外とは食べてはいけない」

「……帝国訛りが見られますが、まぁ、いいでしょう。それより、さっきから聞く妙な言い回しはなんですか?」


 食べてはいけないなんて始めて聞きましたよ。

 食事を強要されたのも。


「他に先約でも?」


 華麗にスルーされました。

 とりあえず断固、拒否しておきましょう。


「お断りします。食事というのはですね。誰にも邪魔されず、自由で、なんというか静かで救われてなきゃ――」

「一緒に食べる人がいるのですか?」


 台詞の途中ですから。


「ローテーションで代わる代わる?」


 そういえば特定の誰かとずっと一緒というのはないですね。

 つい正直に返答してしまいました。


「だったら私でも」

「お断りします」

「どうして?」

「どうしてもです」


 いや、本人に「貴方は容疑者ですから」とも言えませんし。

 ていうか熱烈すぎです。

 流石にいい加減にして欲しいというのが本音です。


「こんなに愛してるのに」


 爆弾発言に咳きこんでしまいました。

 ストレートすぎます。というかストレートに言う人しか周りにいません。どうしよう。


「あのですね」

「冒険者だからダメ?」

「いや、そういう話ではなくて」

「お嫁さんなら自信あります」

「会話をしましょう。そろそろ先生、怒りたくって仕方ありません」


 大体、女子力の高さをアピールしすぎです。

 グイグイこられると自分はちょっと引きます。


「ヨシュアン様なら怒られてもいい」


 頬を赤らめて何「貴方なら何されても……」的なオーラ出してるんですか。

 朝からきっついなぁ!


「あのですね。メルサラのアレは悪ふざけが暴走しただけです。止めるのは当然のこと。貴方がどうこうではありません。それに自分には好きな人がいますので、貴方の想いは受け止められません」


 近頃の優柔不断な男と違うのです。

 キッパリハッキリ、一刀両断します。


 罪悪感がないわけでもないですよ?

 相手が好いてくれるのは純粋に嬉しいものです。

 ですが、だからといってその想いを受け止めるかどうかは別問題です。


「大丈夫。私はそんな貴方の想いを受け止めるから。尽くすのも女の人生」

「なんで良妻賢母みたいな顔して腕に絡みつくんですか! その無意味にポジティヴすぎる考えをどうにかしてください」

「どうにかするのは貴方。だから、どうにかされたいの」


 あぁ、ようやく理解しました。

 この女、人の会話をまったく聞かず暴走するタイプです。

 でも、大概のことを受け止めてしまうタイプでもあるので、無駄に夫の浮気とかに寛容だったりするんです。


 どう例えたらわかりやすいですかね?

 男に貢いで、尽くして、暴力ふるわれても耐え――というか喜びに変え、周囲の警告すら恋のハードルにとらえて恋の炎を燃やし尽くす厄介者。

 つまり、こいつは真性のMです。


 献身タイプのドMです。


 メルサラと相性良さそうなのに……、どうやらメルサラとは違う形の凹凸のようですね。

 アレのS気はMを含んだドSですから。

 困難に立ち向かってテンション上げる狂気のMとソレを乗り越えることに至上の喜びを感じるドSです。


 とにかく、一度、逃げましょう。

 ボディを撃ち抜いて気絶させたのを確認してダッシュで逃げました。


 くそ、思い起こせば模擬戦のときに鱗片を垣間見せていたじゃないですか。

 ただの模擬戦なのに、敵と心中するような術式を使ってみたりして、明らかに頭おかしい何かの所行じゃないですか。


「なんで朝っぱらからこんな目に……ッ!」


 マジ泣きしそうな朝でしたよ、えぇ。


 そして、現在。

 そのヤバい女は墓石の傍でもんどりうっているわけです。


 激動の人生を生きてきたと自負していますが、こんな状況は慣れるものではありません。


「負けない……、愛の力で……」


 変なことを呟くシェスタさんの後ろ姿は非常に恐ろしいです。


 これからのことを思うと非常にやりづらくなったとしか思えません。

 本当、どうしてこうなったのやら……。


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