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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二章
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ルーカンの支配 前編

 自分の放り投げたローブが奇妙な音を立てて、地面へと落ちていきました。

 同時にぶつかり合う自分とジルさんたち。


 ある程度の戦闘域に突入した人間の技術は、第三者が見ても理解できない領域に到達します。

 同じ技術を修練しても、ある一線を越えているかいないかで、明確に理解に差ができます。


 この光景をもしも何も知らない者が見たら、どう思うでしょうか。


 結果だけ言うなら、意味がわからない。

 その一言に尽きるでしょう。


 何がと言われたら一つです。


 どうしてこの人たちは最初だけ動いて、すぐに止まってしまったのだろうか?

 そんな疑問です。


 開始から5秒の今。

 ジルさんが自分の後ろに倒れています。

 かろうじて大剣を落とさずにいたのは剣士としての本能でしょうか。


「な――」


 ジルさんの呻くような、度肝を抜かれたような声。


 何が起きたのか、理解はしているでしょう。

 しかし、ソレをやられた本人ですら驚きを隠せませんでした。


 自分はアマゾンさんとチャラ男に挟まれている形ですが、二人とも、驚愕したまま動けずにいました。

 後衛なんて何が起きたのか、さきほどの光景を思い出しているのか現実を疑うような顔です。


 そりゃそうです。


 5秒前に自分が何をしたのか、簡単に説明できます。


 ただ、攻撃を防いだだけです。


 大剣を背中から抜き放ち、上段から自分を斬ろうとしたジルさんの腕を攻撃する前に掴み、押し返しただけです。

 その際、踏み込む要領でジルさんの膝裏に足を置いて、転倒させると自分は流れのまま前へ。


 そして現在、ジルさんの攻撃に合わせて左右に散ろうとしたアマゾンさんとチャラ男の間にいるというわけです。


 二人とも、左右に散るより先に間に入られてしまったために咄嗟に向き直れず、目だけで自分を見ています。


 後衛も後衛で、詠唱するヒマも矢を番えるヒマもありませんでした。

 誰一人として動かない一瞬。


 この一瞬に術式を構成して、左右の二人か後衛の二人のどちらかくらいは始末できますが……、止めておきましょう。模擬戦ですし。

 容赦なさすぎで、余計に理解できなくなってしまうでしょう。


 生徒がわからなければ意味がないのですよ。


「どうしました? まだ始まったばかりですが」


 訊ねる自分の言葉に誰も反応しませんでした。スルーですか? 無視ですか?

 いい歳した大人が大人気ないですね。その原因を作った自分が言うものではありませんが。


 これだけの流れで全員が動かなくなってしまう理由。

 これが【支配】を使った戦い方の特徴です。


「【支配域】だ! 散れ!」


 倒れたジルさんが空に向かって叫びます。


 驚愕という感情よりも命令される理性を優先し続けた結果、彼らの行動は早かったと思います。

 自分の手の届く範囲から全員が逃げていきました。


 しかし、包囲するように立ち位置を定めたのはさすがだと思います。

 次の手のために逃げることすら、考慮に組み入れるロジカル。

 ロジカルこそが生死を分かつという現実をちゃんと理解しています。


 唯一、逃げきれなかったのは倒れたジルさんだけ。

 追撃を入れてしまうわけにもいかず、ジルさんが立ち上がるのを待ってみました。


「術式師じゃ……、なかったのか?」

「術式師ですよ、もちろん。伊達や酔狂でローブを羽織っていません」


 羽織っていることはほとんどないですけど。

 手に持ってる時のほうが多いですけど。

 というか、さっき放り投げましたけど。


 術式師のローブは身分を表すだけではなく、国から責務を負わされます。

 つまり、術式に携わる仕事への労働です。


 自分の場合、国の名簿に職業:術式具元師と書かれていますのでバッチリ責務を負っているわけです。


 他にも冒険者も術式に携わるとして登録できます。


「多少の武術もできます」


 あくまで護身レベルですがね。


 何の補正もなく戦えば、おそらく自分の武力はかなり低いと思いますよ。

 そうですね、マッフル君に苦戦する程度でしょうか?


 しかし、武術において、もっとも重要なものは流派や鍛錬で培われただけのものだけではありません。


 術式です。


 普通の武術家や武芸者が聞いたら泡吹いて発狂するかもしれませんが、術式です。

 一胆、二眼、三足、四力やら心形刀やら撓まぬ力とかいうかもしれませんが、そういうのは自分の年齢で得られる境地ではありません。


 当たり前です。そんなのは達人と呼ばれるまでソレ一つをずっと続けるから可能なんです。


 しかし、そうでもしなければ生き残れなかったというのなら、どうでしょうか?

 無理でも嫌でも、不可能でも無意味でも、達人の領域に立たねばならず、なさねばならない強烈な意志があったというのなら、その限りではありません。


 だからこそ、一胆の部分だけは自分も同意です。


 冷徹な理性こそが術式を制御し。

 爆発する感情こそが術式を強化し。

 心の強さこそが術式に反映される。


 肉体をベースに、徹底的に術式でカスタマイズしていく。

 決して相手に悟られずに無詠唱での強化、内源素による身体能力の底上げはもちろん、重ねがけによる更なる強化。動体視力、反射神経などの神経系は可能な限り限界まで引き上げる。


 複数の強化術式による人間性能の拡張。

 これが自分が内紛で得た経験則より導き出した最適解です。


「ジル……、この人、すごい数の術式を使ってる」


 魔女さんのつぶやきは波紋のように『ナハティガル』全員に伝わります。


「赤と黄の強化術式が二つずつに、よくわからない複合術式が二つ……、たぶん、他にも後三つくらい術式で強化されてる気配がする」

「術式騎士だったか!」


 勢いよく立ち上がるジルさん。

 ジルさんも魔女さんも惜しい。


「術式騎士ではありません」


 肉体を破壊するほど筋肉の爆発力を高める赤が二つ。

 外部から肉体運動を補佐する緑が二つ

 内部の神経系を強化、補助する黄が二つ。

 運動によって発生する熱を下げる青が二つ。

 エネルギー運動そのものの消滅・反転させる黒が二つ。

 壊れていく肉体強度を完全に守りきる赤黄を合成した白が二つ。


 全属性による合計12の強化術式の重ねがけです。

 その半分でも読めたというのなら魔女さんは優秀なのでしょう。


 しかし、これだけの強化術式を使ってなお術式騎士を名乗らない理由は一つです。


「ただの術式師ですよ」


 彼ら術式騎士はパフォーマンス向上のために強化術式を使います。

 肉体が基本なのです。


 ですが自分は術式を行使するために肉体を無理矢理、使い潰しています。

 自壊寸前まで肉体に過負荷をかけて、これら全ての術式を回すためだけに肉体を部品化しています。


 目的と手段が違えば必然、名前も変わるのです。

 そして、術式を使うために動く者は術式師と言っても良いはずです。


「夢見の悪い冗談だ」


 ジルさんがゆっくり、片刃のクレイモアを構えます。


「合計9つもの強化術式を無詠唱で、しかも平行運用……、『それが今も展開中となるとどれだけのタンクを背負っているんだ』。維持し続けるのだってそうだ。どれだけの集中力が必要になる。正気かどうかを疑うよりも人間かどうかを疑う」

「生き返れない程度には人間のつもりなんですが」

「それは良かった。無敵の化け物だったとしたら分が悪すぎる」


 瞬間、右手からアマゾンさんが音もなく間合いを詰めてきました。


 加速した動体視力は明確にアマゾンさんが袈裟掛けに振り上げようとする左の剣の姿を捉えました。

 おそらくアマゾンさんは左が回避される前提で動いています。

 本命は右、しかし、真の本命は自分の態勢を少しでも崩すことでしょう。


 きっと右の剣が回避、防御されるかで動きを変える予定です。

 回避したのならそのまま駆け抜けて、自分の支配圏から脱出。畳み掛けるようにジルさんが攻撃に参加。

 防御したなら、チャラ男とスイッチする予定でしょう。


 そのどちらでもない場合に備えてジルさんはすでに飛び出す体勢ですし、自分から見て後方、射線上にジルさんがいなくなればアーチャーさんの矢が飛んでくるでしょう。


 肉体強化されているとわかった以上、魔女さんも決して術式を外さないでしょう。

 決定的な瞬間を今も狙い定めています。


 これも【支配】を使った戦い方の特徴です。

 相手の行動の先読み、相手が出来うる行動を予測する力です。


 だから、こんなことができるようになります。


 即座にアマゾンさんの剣が振り切った直後、右の手が飛んでくるよりも先に、左の腕を押します。


 剣の反動を抑えこんでいた足は突き飛ばされたことで体勢を容易に崩されます。

 しかし、人の体は崩れた体勢を元に戻そうと無意識に動きます。


 その力を利用してアマゾンさんをジルさんへと突き飛ばしました。


 回避を選択したと思ったアーチャーさんはすでに足を踏み出しています。

 ジルさんもまた同じように隙を伺っていたのに、突然、アマゾンさんが目の前に現れて動きを止めてしまいました。


 さて、これで前衛の三人の内、二人がとっさに動けない形になりました。

 アーチャーさんは体勢を立て直す時間を稼ぐために、それでいて死角から自分へと向かってきました。


「エス・ウォルルム!」


 爆発力によってチャラ男が弾丸のように飛んできます。

 シールドを構えたままのチャージ、と、同時にアーチャーさんから矢が放たれました。

 着実な挟み撃ちです。


 さて、どっちに向かおうかしらん、なんて考えながらすでにチャラ男さんのチャージを乗り越えるためにジャンプしてシールドを足場にしたりなんかして。


 肉体強化と聞いて、直接攻撃を受けたらたまらないと思ったのでしょうね。

 チャージによる攻撃が防御になるという技術をわざわざ使ってくれて良かったです。


 高確率で来ると思っていました。

 なので強化されても、死角から攻撃されても、来るとわかれば対処はできます。


 盾というのは防御を固める反面、視界も塞いでしまいますからね。


 思った以上の突進力を殺しきれなかったようで空中で体が逆さまになってしまいました。


 その隙を逃す魔女さんではありません。


「ベルガ・エス・フラムセン」


 合計五つの赤い光の矢が自分を貫こうと健気に飛んできました。

 その健気、怖いので避けてしまいましょう。


 逆さまになった体を捻る。

 ちょうどベルガ・エス・フラムセンの隙間を縫うように体勢を入れ替えると思ったとおり、体の隅々を掠るだけで済みました。


 ありえない、という顔で見ている魔女さんには失礼ですが、メルサラのものと比べて範囲が狭すぎるし、狙いが正確すぎましたね。

 どう転ぶかわかる術式なんて、予測が簡単すぎてつまりません。


 そして着地。

 着地と同時に飛んでくる矢を右手でキャッチしました。

 本気で仕留めると思っているからこその、着地狙い。だからこそ理解しやすい。


 しかし、さすがにこう連続で攻撃されるとしんどいですね。


「よし、決めました。まず魔女さんから倒しましょう」

「……魔女って私?」


 もう驚きすぎて何の感慨もなくなったような声で不思議がられてしまいました。


 まず後衛を仕留める。

 基本中の基本です。


「シェスタを守れ!」


 ジルさんの声に咄嗟にチャラ男とアマゾンさんが魔女さん――シェスタさんの前へと駆け寄ります。

 ちゃんと自分の後ろにジルさんは移動していますし、フォーメーションが完璧すぎますね。


 常に挟み撃ちで、こっちの処理を遅らせるつもりですね。


 シェスタさんも自分が狙われていることがわかって、どこか覚悟めいた空気を出しています。

 どこからでも射てるようにアーチャーさんもジリジリと円弧を描くように回り込んできています。


「ここらで攻守を変えさせてもらう。【支配】が使えるのは先生さんだけじゃない」


 背後のジルさんから、言いようのない空気を感じます。

 前にいるアマゾンさんもそうです。


 どうやら【支配域】を広げたようです。


 様々な名前こそあれ、【支配】と呼ばれる技術。

 その本質は一つで言い表せられます。


 攻撃範囲内の行動予測能力。

 先の先、後の先。そういった技術もまた【支配】から培われた技術です。


 先の先は開幕でジルさんを倒した時に使いましたね。

 後の先はチャラ男のチャージを抜けるために使いました。


 この感覚が広ければ広いほど、相手の行動に対処しやすくなります。

 この感覚が深ければ深いほど、相手の行動の先まで見通せるようになります。


 まるで『戦闘する場そのものを支配し振舞う様』から【支配】と呼ばれています。


 メルサラ戦でことさら、相手の予測を越えることに終始した理由。

 それはメルサラも【支配】を使うからです。


 むしろ、あのレベル帯で使えないのはどうかと思いますが。


「【支配】は相手を知るに特化した極致です。ようやく自分に対応できたようで」

「底知れなさを理解してもらえんかね、先生さんよ」

「能力を隠すのも【支配】対策の一つだと思いますよ」

「やられた相手は堪ったもんじゃないな」


 さて、【支配】が使えるのがジルさんとアマゾンさんだけなのでしょうか?

 まぁ、今の時点という注意書きがあってなのか、目の前のチャラ男さんもそうなのか。

 この時点で予測――【支配】の精度が問われます。


 つまり、ようやく【支配戦】が始まったわけです。


 ここからは相手の予測をどう裏切るか、ただそれだけのために体を動かすことになります。


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