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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二章
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人の噂は千里を駆け巡って四十五日広がり続ける悪疫

「はい、捕まえました」

「ぴぃ」


 特に語るヒマもアクシデントも面白みもなく、簡単に盗み聞きの小動物を捕まえました。


「どうして逃げたのですか? セロ君」

「あぅぁぅ……」


 捕まえ方は簡単でした。

 走り出したセロ君を追いかけただけです。

 そしたらセロ君が見事と言うしかない顔面ゴケを披露し、おいかけっこ終了です。


 しかし返事がない。どうしたものかと思ったら、小さな手で額をごしごししています。


「顔が痛みますか?」


 本当に壊滅的に運動がダメですね。

 ただの廊下でコケるのも難しいですよ。


 顔面ゴケの衝撃もあって現在、小動物は自分に抱えられたまま、ぐったりしています。


 しかし、今回のセロ君も謎だらけですね。

 なんであんな場所で盗み聞きしようと思ったのか。

 そして、どうして逃げなきゃいけないと思ったのか。

 というか逃げきれると思ったのかが不思議です。


 セロ君は『生徒会システム』関連で怒るつもりだったというのに。


 そう、自分はセロ君が『生徒会システム』でヘマをやらかすと予想していました。

 そのためのプラン、想像されるだろう事態において、どういう対処をすべきか考えていました。


 当然、セロ君を叱るという心の準備もまた同じです。

 ですが準備もままならない時期にこの状況。

 どうやって叱ろう?


 とりあえず、セロ君を屋上まで拉致です。

 職員室に行こうにも、さっきまでのメルサラとのやりとりのせいで居づらい空気があります。


 難なく屋上へ。

 ゆっくり屋上の床に座らせて、顔を覗きこみます。

 顔を真っ赤にして首をひっこめてしまいました。何、その反応。


「ただ打っただけのようですね。良かった良かった」


 で、接近をやめたら「はぅ~……」と安堵する。

 

 どうしたらいいもんかと、自分はため息です。


「参りましたね」


 自分がセロ君を甘やかしてしまう理由は見当ついていました。


 周りの子が年上だったので、必然、授業内容はマッフル君やクリスティーナ君に合わせるように作られています。

 14歳基準ですね。

 そのなかでもっとも幼いセロ君だと、授業内容が高度すぎる傾向にあります。


 たびたび、わからない問題をリリーナ君やエリエス君に聞きに行く姿が見て取れてしまったあたりで、この子が問題解けなくても仕方ないかなーなんて思ったりしてしまったのです。


 どうして先生に聞きにこないの? などと思ったりしてませんよ、えぇ。


 ともかく、わからないことを理由に怒るわけにもいきません。

 しかも授業態度はエリエス君に次ぐおとなしさなので、授業態度を叱る理由もありません。


 ぶっちゃけ怒る要素はないのです。


 ですが、セロ君はそう受け取らないでしょう。

 子育ての話になってしまいますが、やはり怒られない子供は自分が愛されていないのではないかと不安になってしまうそうで。

 自分のパターンもこれに当てはまってしまうのでは、と考えています。


 皆が怒られているのに自分だけ怒られない。


 それはどんな気持ちでしょうか。

 自分一人だけ、かやの外にいるような疎外感を味わうのではないでしょうか。


 平等に接しながら、不平等にそれぞれの個性に合わせた教育を施す。


 教師に課せられたダブルスタンダード。

 いや、矛盾ですらありません。

 限りなく矛盾に近い、ただの当たり前です。


 こういう時、自分はどうしたらいいでしょうか。

 生徒に体当たり、なんていうのは、生徒が耐えられるのが前提でのお話です。

 自分が本気でセロ君にぶつかって、セロ君がタダで済むわけないじゃないですか。


 じっと見つめていると、どうやら居心地が悪くなってしまったようで、セロ君がもじもじしながら、


「ごめんなさぃ……」


 と、囁くようにつぶやきます。


 ただ、怒る。

 いつもクリスティーナ君たちにしていることが、この子に関してだけ難しい。


「セロ君は……」


 褒めて伸ばせば孤独を感じ。

 怒って伸ばすには脆弱すぎる。

 かといって事務的に教えるだけのやり方を自分ができるわけがない。


 どうあっても相手のためを思って教えてしまう。

 そんな教え方はやっぱり感情をこめてしまいます。


「何故、今、謝ったのでしょうか」


 怒らないから感謝しろ、なんて強者の理屈を押しつけられるわけがない。


「ふぇ?」


 怒れないから「怒られたい」なんて言葉を生徒に言わせてしまうのです。


「きっとセロ君は悪いことをした、と思ったからなんでしょう」

「それは、その、逃げた……、からなのです」

「逃げることが『悪い』だなんて誰が決めたんです」


 空は夕焼け。天上大陸の影がアクセントだけを空に加えています。


「逃げることだって立派な戦い方です。自分が楽をするためにセロ君はさっき、逃げたのですか? でしたら先生はセロ君を叱らなければなりません」


 少し前、リリーナ君を叱ったのは、逃げたからではない。

 努力する前に放棄したから怒ったのです。


「そのぅ……、おいかけられて、こわかったから」


 自分、ひそかに心にダメージを受けました。

 あれ? 追いかけただけで怖いですか? なんかショック。


「ごめんなさい、って、言わなきゃ怒られるから」


 あぁ、この子は。

 いや、今回の件がようやくわかりました。


 セロ君に「怒られたい」なんて言わせた理由。

 もちろん、自分がセロ君だけ特別扱いしていたことも理由だったのでしょう。


 だけど、その根底にあったのはなんだ?


 愛していないポーズをとってしまったからか? 違う。疎外感? NOです。 


 この子の根底にあったのは、理不尽なオシオキに対する恐怖です。

 自分のオシオキが、どんなに理由をつけたところでセロ君自身から見れば理由のわからない暴力に見えてしまう瞬間がある。


 どうして? 何故? 

 先生はどうして、何もしてない生徒をオシオキするのだろう?


 そう考えたセロ君が、怖いと思わないわけがない。

 例え、自分が理由あってのオシオキだったと言っても。


 恐怖は理屈で乗り越えられるものではない。


 一番、最初に「怖くない」と言った優しさの裏側は、やっぱり怖がっていたわけです。

 

 気の弱い子だから、誰かよりも怖いと思ってしまう。

 それがすぐに体に現れてしまう。震え、怯え、気弱な眼差し。


 そんな子に自分は何を言えば、伝わるでしょうか。

 

 本当は怒られることが一番、怖いくせに。

 頑張って、他の生徒と同じ位置に立とうとして、でも頑張らなきゃいけないなんて思いこんでしまっているから、そんな面倒なことになるんでしょうが。


「では聞きましょうセロ君。どうしてセロ君は職員室に?」

「え、あぅ……」


 自分にはもう予想がついています。

 ようやく予想がつきました。


「エリエス君とリリーナ君がいなかったから、じゃないですか?」

「ふぇっ。な、なんでわかるのです?」

「今日の君たちの授業は暦学です。アレフレット先生の授業方法は個人を尊重しない、言うなら詰め込み型ですからね」


 その詰め込み方も、入りきらないなら強制的に入れるタイプです。

 授業内容の密度が濃いのに何度も同じことをさせて、無理矢理、教え込むやり方。

 徹底的に教えるという面から見れば、これほど効率のいいものはないでしょう。


 なにせ、覚えきるまで先に進まないのですから。

 それでいて学習要綱を満たしているのだからアレフレットの教師力の高さが伺えます。


「覚えきれなかったから、聞きに来たのですね。とはいえアレフレット先生に直接は怖いから、自分に聞きに来た」

「は、はひ」


 そしたら、あの騒ぎです。

 年甲斐もなく恋話で盛り上がる教師陣(自分を除く)。

 興味深そうな話だから、出るに出られず、立ち聞きしてしまうハメに。


 そして、見つかってしまって、ばつの悪いセロ君は逃げてしまった、と。


 なんともまぁ、間の悪い話です。


 ついでに言うとメルサラが全部、悪い。


「以前、セロ君は『怒られたい』と言いましたね。先生はね。悪くない子まで怒るようなことはした覚えだけはありません」

「え?」

「なんで今、嘘? みたいな顔したのかな?」

「はぅはぅ……」


 そんなにビシバシ叩いてますかね?


「怒られない、良いことじゃないですか。でもね、先生から見て、セロ君が悪いことをしたと思ったとき、本当にそれが悪いことだと思ったのなら、セロ君を叱りましょう。たとえセロ君でも怒らねばなりません」

「でも、でもでも、やっぱり」

「皆と違う。そのことを先生は悪いとは思いません。悪いか良いか、判断できるように。君がいつか同じような立場に立った時、判断できるように。ちゃんとセロ君を見ていますよ。先生はセロ君だけを特別扱いすることはありません」


 セロ君の目線に合わせて、ゆっくり言ってあげます。

 ちゃんとセロ君に伝わりやすいように。


「そして、セロ君がわからない怒り方をしません。だから存分に間違いなさい。間違うことを怖がらないでください。間違って、怒られて、正して、でも間違って、今だけなら先生がいます。いつかは先生はセロ君だけを見ていられないから。いつかセロ君が間違えないために、間違いたくないと思った時に、君の助けになるために今、居るんですよ」


 その目の見開きはなんなんでしょうね。

 驚きすぎやしませんか?


「安心、しましたか?」


 こういう怒り方もしなきゃいけないわけですね。

 優しく思い、目線を合わせて、自分を犠牲にして、諭すように怒る。

 ガッツリ精神力をやられますね、これ。


 恥ずかしい台詞がパレード率いて、大行進ですよ。


「セロ、先生、こまらせていいのですか」

「何をいまさら」

「わがまま言ってもいいのですか」

「最近、安売り気味ですよ」

「セロがおかしなこといっても、笑わなぃですか」

「笑わせてくれるというのなら大歓迎ですね。笑い方を忘れてしまったようなので」


 内紛のせいですよ、内紛の。

 全部、内紛が悪いのです。そうしておけば心は潤います。言い訳し放題ですし。


 セロ君は撫でられている腕を掴んで、顔に寄せる。

 そうしたかったのですか? 誰かの温度を感じていたかったのですか?

 そんなに不安で寂しかったわけですか。


 やれやれ。

 そこまでガマンしてまで、不安なのをごまかさなくてもいいと思うのですけどね。


「せんせぃ……」


 なまじ他人を思ってしまうから色々とブレーキをかけてしまうのでしょう。

 せめて自分だけでも、この子にとって、どれだけぶつかられても不安がない相手でありたいものですね。


「きいてもいいのですか?」

「暦学ですね。教えられることならちゃんと」


 あれ? なんだろう。

 今、腕を虎に噛まれたような錯覚が。

 何? セロ君とは思えないような力強さが腕に伝わります。


 ものすごーい不安感です。レッドアラームがガンガン鳴ってます。



「あのぁの……、あの赤ぃ人と恋人なのですかっ」



 こ、こいつ! リィティカ先生と同じタイプの乙女スイッチを持ってやがる!?


 珍しい、というよりも初めて見る、グイグイくるセロ君に自分は引きつった笑い顔しかできません。

 やばい。瞳に満天の星空が浮かんでいます。


 に、逃げたい。


 しかし、ちゃんと見ていると言った手前、逃げるに逃げられず、本当のことを言うわけもいかず。

 ひたすらセロ君の質問攻めを否定するハメになりました。


 なんだろうね。

 どうしてこの子、ここまで想像力豊かなんだろ。


 なんで自分とメルサラが恋人で死に別れたのに再会したみたいなストーリーが出来上がってしまっているのですかね。

 下手をすれば、一児を身ごもっているところまで空想が広がるところでしたよ。


 学園内で変な噂になるのを防げたと思えば、この苦労も報われるのでしょうが。


 あまり、こういう誰かの噂こそ娯楽みたいな傾向もよろしくない。

 娯楽が少ないからこういう話が広がるわけで。


 娯楽面もいつかは解消しなきゃいけませんね。



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